第250話 心をいれかえて



「【勇者の一閃ブレイブ・ストライク】」


 ケビンがその頂点で振り下ろすように剣を振るう。

 三日月型をした白銀の刃が剣より放たれ、アラービスへと飛んでいく。


「――馬鹿な!」


 アラービスがぎょっとした。


 職業【勇者】を与えられた者だけが獲得できる武技【勇者の一閃ブレイブ・ストライク】。

 三日月型の光の刃を剣閃によって発生させ、それで居並ぶ相手を切り裂く無属性攻撃である。


 しかし、ほとんど知られていなかった。

 大木を幾本も減衰なく切り裂くこの強力な技を使うことができる職業が、【勇者】以外にもうひとつだけあることを。


「な、なぜ貴様が……!」


 動転を隠しきれぬまま、アラービスが右へと跳躍する。


「読み通りだ、勇者」


 ケビンが避けた先でアラービスを待ち構えていた。

勇者の一閃ブレイブ・ストライク】は躱させるために放っていたのである。


「むおっ!?」


 そうして再び、アラービスが後手を引いたぶつかり合いが始まる。


 キィィン、と音を立てて、剣同士がぶつかる音。


「――ぬうぅ!」


 二撃、三撃と左右から打ち込まれるたびに、アラービスの体勢はみるみる崩されていく。

 ケビンの剣がほとんど見えないために、衝撃の重心を正確に捉え、受け払うことができないのだ。


 しかしそれでもアラービスは、勇者の能力を駆使し、なんとか防戦することができていた。


 そうしてやってきた5連撃目。


(左……)


 勘だけでアラービスが再び頭部を守るように剣を構える。

 ケビンの剣は相変わらず見えないが、先と同じ剣筋と見た。


 だが再三繰り返された頭部への攻撃が、このための布石であったことにアラービスは気づかなかった。


「――ぐばっ!?」


 胸に焼けるような感覚が走る。


 直後、真っ赤な血が吹き上がった。

 アラービスは鎧ごと、胸元を真横に斬り裂かれていた。


 ケビンの手にある『真実の剣ソード・オブ・ライト』は『光の神ラーズ』に直接祝福を受けたとされる至高の剣で、あらゆる鎧を紙のように裂くのである。


「うぐぅ……」


 アラービスが口から血を吐き、膝をつく。

 そのまま目がうつろになり、どさり、と前のめりに倒れた。


「勇者様ぁぁ!?」


「嘘だ、王様がやられるって……」


「まさか……わざと花を持たせようと……?」


 リンダーホーフ王国用の観客席からは、次々と悲鳴が上がる。


 アラービスが受けたのは、誰の目にも勝敗が決したとわかるほどの致命傷であった。


「わっはっは! アラービスってたいしたことないね!」


 防護魔法が付与された特等席で見下ろしている教皇チャピンが、前に置かれたテーブルをがたがたと両足で交互に蹴り上げる。


「アラービス、破れたり」


 ケビンがアラービスの真似をするように、拳を空に突き上げ、人差し指を立て、高らかに勝利宣言をした。


 それを見下ろす360度の観客席から、どっとどよめきが上がる。


「………おのれぇ……」


 アラ―ビスは倒れた拍子に、意識を取り戻していた。

 状況を理解するや、アラービスの心には激しい屈辱の炎が燃え上がっていた。


「くおぉ……!」


 アラービスは憤怒の形相で立ち上がろうとする。

 が、その四肢はがたがたと震え、地から手が離れぬうちに再び倒れ伏す。


「ぐぅ……」


 だらだらと胸から流れ続ける血。

 裂かれた胸の傷口は深く、アラービスの顔はすでに蒼白になっていた。


「逃げ時だろう? アラービス」


 伏したまま立ち上がれずにいるアラービスを、ケビンが嘲笑いながら見下ろしていた。


 追い込まれたアラービスが次にどんな行動を取るか、ケビンは知っていた。


「………」


 言われずとも、アラービスは懐にある祝福帰還を掴んでいた。

 そう、逃げるのである。


 アラービスは失態を晒した。

 最強の名を恣にしていた自分が打ち負かされ、地に伏したのを大勢の観衆に目撃されているのだ。


 だがまだ敗北したわけではない。

 敗北を言い渡される前なら、いくらでも言い訳はできる。


 ここへ来る最中に人助けをし、足に怪我を負っていた。

 観客席から妨害魔法がかけられていた。

 国王ゆえ、重要な案件で頭がいっぱいで、戦いに集中できなかった。


 など、長年の積み重ねで山程に用意してある。

 歴代最強の自分が負けるなど、決してあってはならないからである。


 しかし。


「……笑わせるな」


 アラービスは口に上がってきた血を吐き捨てると、懐で掴んでいた祝福帰還を放し、再び地に手をついた。


 出血はほぼ止まっていた。


 勇者の能力【勇者の自己回復ブレイブ・セルフヒール】により、傷はゆっくりとだが治癒しているのである。


 アラ―ビスはよろよろしながらも、剣を杖代わりにして立ち上がる。


「ほう? 居残ればお前の嫌いな恥をさらに晒すことになるが?」


「ここで逃げたら……」


 アラービスは血糊のついた口周りを拭くと、ちらりと視線を観客席の上段に走らせた。


 そこには白い清楚なドレスを着た女が、無表情でアラ―ビスを見下ろしていた。


 蒼髪の、気品のあふれる美女。

 そう、当代の聖女ミエルであった。


「……やっと見つけたんだぜ……お前を」


 アラービスは痛みでおびただしい汗をかきながらも、笑ってみせる。


「見てろよミエル。俺が最強だ……俺が優勝して、お前を……」


 アラ―ビスは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、剣を握り直した。


「笑止」


 そんなアラ―ビスを、ケビンが鼻で笑う。


「国王の威厳をたかが一人の女のために失墜させるというのか。さすがはクズ勇者アラービス。考えることが底辺を行く」


「なんとでも言うがいい。俺はやっと気づいたのさ」


「……なに」


 ケビンは眉をピクリ、と揺らす。


「あいつは俺の全てだ。勇者だろうと、国王だろうと、あいつがいなければなんの価値もなかった。あいつが隣りにいるから、俺はずっと幸せだったんだ」


 アラービスが剣を正眼に構える。

 いつもの格好良さを最大限に追求した構えとは異なる、武の構えであった。


「もう一度会ってあいつに言うと決めたのさ。心を入れ替えた俺とやりなおそうと。俺はそのためにここに来た」


「断られて大恥を塗り重ねるのがお前のオチだ」


 ここぞとばかりにケビンが嘲笑う。

 しかしアラービスは挑発にいっさい乗らず、逆に、ふっ、と破顔した。


「それならそれで構わんさ」


「なに」


 ケビンの笑いが途切れる。


「俺はそれで前を向くことができる」


 アラービスの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「この後は大恥を晒したまま、等身大で生きていく。勇者という立場でありながら、魔王の前で命乞いをしたことも公表しよう。そんな俺を民が望まないなら、俺は王を退くつもりだ。……だが」


 アラービスの顔に、力強さがみなぎる。


「こんな俺でも国王であってくれと願ってくれるなら、残りの人生はすべて国に捧げ、王としての責務を果たすことに使う」


 アラービスが勇者のスキル【治癒加速】を行うと、裂かれた鎧の下で急速に治癒が進行していった。


 一日に一度しか使えぬ勇者のオリジナルスキルである。


「………」


 逆に、ケビンの顔には、若干の苛立ちが表れ始めていた。


「お前、【偽勇者】だな?」


「………」


 アラービスの言葉に、ケビンは無言で応じた。


「認めよう。勇者としての資質たる『武』も『勇気』も、俺よりお前に備わっていることを」


「………」


 ケビンが舌打ちし、アラ―ビスを睨みつける。

 その顔からは、笑みが完全に消え去っていた。


「お前に言われずとも本当はわかっていたのさ。俺みたいなクズ野郎が勇者だなんて、神様も間違ったもんだ、ってな」


 アラービスは静かに笑う。


「腑抜けが」


 ケビンは唾を吐き捨てた。


 自分に負かされたアラ―ビスが泣いて悔しがる姿を、何年も思い描いて楽しみにしていたのである。

 なのにこれでは、全くもって『倒しがい』がない。


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