第242話 大会開始
やがて演奏されていた楽曲が終わり、銅鑼がドォォン、と大きく一回鳴らされた。
「皆様、静粛に! これより開会式を始めます」
拡声された声が周囲に響き渡る。
「我が国を統治される教皇の言葉でございます。皆様、ご起立してお聞きください」
言われる前から、
「フローレンス様」
「わかっている。立つだけでいいのだな」
「はい」
侍女サリアが立ったフローレンスを支えるように寄り添う。
「ゴホン! ……他国の諸君、よく集まってくれた。僕が教皇だ」
教皇であることを示す、純白に赤の帯が入った帽子をかぶったチャピンが、拡声水晶の前で咳払いをして、そう続けた。
「………」
この国に入国することを認められただけあって、咳払いの音が拡声されたせいで耳を痛めても、観客の誰一人として何も言わなかったのは、称賛に値したと言えるであろう。
「今日の戦いはとっても面白いことになるよ。僕も楽しみで仕方ないんだ。みんなもそうだろ?」
フローレンスは顔を伏せ、苦笑していた。
もうちょっとまともな言葉を選べぬのかと思う。
(あんなののなぐさみものになるところだったなど……)
もしラモに出会えずにここに立っていたら、これを聞くころには、どのように自害するかばかりを考えていたことだろう。
「決勝、楽しみにしててよ。じゃあね。ラーズの加護が降りかかりますように」
15分以上も長々と話し、最後はおかしな言葉で締めくくったチャピンが、拡声水晶をそばの者に投げて渡す。
受け取った衝撃の音があたりに大きく響いて、観客たちは慌てて耳を覆った。
◇◆◇◆◇◆◇
「第一試合を開始する。参加者、リンダーホーフ国王殿下は御前へ」
審判を担当する男が告げる。
向かい合った二人のうち、一人は当代の勇者アラービスである。
その相手はエルポーリア魔法帝国の古代語魔術師、イライジャであった。
「アラービス殿下。この度は光栄の極みでございます」
イライジャは片膝をつき、畏まる。
年齢は50代半ば。
やせ細った長身の男で、頭頂まで禿げ上がった頭には、魔力を高める古代王国期の赤いバンドが巻かれている。
二人が向き合ったのを見て、それぞれを応援する観客がわぁぁ、と歓声を上げ始めた。
「エルポーリアきっての魔法使い、『叡智の賢者』イライジャか」
「お初にお目にかかります、殿下」
頭を垂れたイライジャを見下ろしながら、アラービスは嘲るように笑っていた。
「魔術の分野では、今はお前がこの世界の最高峰らしい」
「いかにも。殿下にお見知りおき頂き、この上なく幸せにございまする」
「どうしてお前が称えられるのか、俺は知っている」
「………」
イライジャは顔を伏せながら笑みを浮かべた。
まさかリンダーホーフ王国にまで、自分の研究成果が知られているとは。
……まあ確かに、それくらいのことはしたか。
歴史的に見ても、自分の業績は『配下作成学・劣型アイアンゴーレム部門』において、持続可能時間の延長に大きく関わるものになった。
イライジャの顔はさらに喜悦にまみれたものの、アラービスの言葉は予想の斜め上を行った。
「魔王パーティにいた二人が帰らぬ存在になったからな」
「………」
伏したイライジャの顔が一変する。
「俺は、俺を支え、散っていった仲間を今でも深く想っている」
アラービスは深い悲しみに包まれた、これ以上ない表情を作ってみせた。
「それゆえ、臆病で魔王パーティに名乗り出なかったお前が今、もてはやされているのは、どうにも気に食わん。このアラービス様が神に代わり、天罰を下す」
アラービスが髪を掻き上げると、剣を抜いた。
イライジャが立ち上がる。
「あの二人が生き残っていようと、私のしてきた研究成果を超えることなどできやしませんよ」
その言葉に、アラ―ビスがふん、と鼻を鳴らした。
「わかっとらんな。そもそも研究など、戦いに出られぬ臆病者のすること」
「………」
イライジャがぎりっ、と奥歯を噛んだ。
二人の間に、一気に険悪なムードが漂い始める。
小さくニヤッと笑ったのはアラービスである。
国王となった男がする小細工かどうかは別として、初手としてアラービスの作戦は成功であった。
魔術師はたったこれだけのことで詠唱失敗が多くなることを、アラービスは経験を通して知っていたのである。
「そろそろ開始となります。両者、離れてお待ち下さい」
二人の距離が近すぎることに気づいた審判が体を割り込ませるようにして、二人を引き離した。
アラービスはもう一度ふん、と鼻で笑うと、イライジャに背を向けて観客席に向き直り、手にある
幸いにもやり取りが聞こえなかったリンダーホーフ王国の観客席からは、純粋に応援する歓声が上がる。
「――でははじめっ!」
始まった世界決闘大会・第1試合。
「イライジャ様、負けるなー!」
「勇者国王陛下、素敵ー!」
この日、この時を待ちわびていた参加国の観客たちが、力強い歓声を上げて二人を応援し始めた。
余裕の動きで剣を構えたアラービスに対し、イライジャは大きく距離をとって杖を突き出す。
小声で口ずさまれた詠唱を、アラービスは聞き取る。
「……それか」
アラービスは三度、鼻を鳴らす。
「仮にも勇者に向かって、その魔法とは」
何が来るか、自分は最初の二言三言で理解できるのだ。
イライジャが詠唱しているのは
杖から広範囲に渡って粘液の糸を放ち、相手を絡め取って行動を制限してしまう魔法であった。
回避されようと、完全回避でなければ、相手の行動速度は15%ほど低下させることが可能で、後衛職である魔術師が近接状態から逃れる際によく使われる魔法であった。
「〈
二つの白い網が、アラ―ビスの頭上から降りかかる。
イライジャは2つの魔法を同時に放つことができる【連続魔法】のスキルを手にしていた。
同じ魔法を行使する際は詠唱は一度で済みながらも、二回の魔法攻撃になる特徴がある。
これだけの強力なスキルを取得し、パーティからは引っ張りだこだったイライジャだったが、1年と経たずに冒険者をやめ、孤独に本と向き合う生活を選んだ。
理由はいたってシンプルなものだった。
イライジャは死というものを間近に見るのが、どうしても慣れなかったのだ。
それが小動物であれ、自分を害しようとした魔物であれ、胸が痛んで痛んで、夜も眠れなかった。
それゆえ、他の生命を絶つことよりも、研究をし、自分の知識を命の助けになるように生きることにした。
ただ、そうやって逃避として研究をしていたにもかかわらず、イライジャはやがて、エルポーリア魔法帝国の学院を牽引する存在となる。
研究という形を選ぼうとも、その優れた才能はいかんなく発揮され続けたからである。
そしてイライジャは当然のように、今年の選抜代表に選ばれたのである。
「もらったーー」
到底かわせぬ広範囲に、白くきらめいた粘液の糸が降りかかる。
しかしアラービスはまるで動じない。
一歩も動かずにそれを浴びてみせ、肩をすくめた。
観客が大きくどよめいた。
「なに」
魔法を放った側のイライジャが、目を見開く。
「どういう……ことだ」
「さて、どうしてかな」
アラービスがにやりと笑う。
アラービスに蜘蛛の糸は届いていなかった。
見えない、薄い皮のようなものがアラービスを覆っていて、それが直接アラービスに届くのを防いでいたのである。
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