第241話 嬉し泣き
「始まったのか、ヘルデン」
「はい。毎年のことながら、盛大に」
闘技スペースでは、開会式を祝う楽器の演奏に合わせ、女達の舞が披露されている。
フローレンスとヘルデンは侍女や護衛の精鋭数名とともに、
「ラモは」
「やはりアラービスと話されているように見えます」
「大丈夫か」
フローレンスは真剣な顔つきで訊ねた。
「はっ。少なくとも険悪な雰囲気には見えませぬ」
「ならよい」
そう言って話を終わらせたはずのフローレンスが、すぐに口を開く。
「しつこいが、ラモの様子には変わりはないか」
フローレンスがそう訊ねるのは、もう何度目かしれない。
目が見えぬ彼女は短剣の様子が気になって気になって仕方がないのである。
「ありませぬ。はたから見ているぶんには、至って健康なままですぞ。しかし予想もしませんでしたな……これだけの視線に晒されながら」
ヘルデンが顎をさすりながら、目を細める。
昨日、ヘルデンらはラモを馬車に乗せ、匿うようにして
ラモが
が、検問においてはさすがにどうしようもない。
ラモを馬車から降ろして光の神の信徒たちの目に触れさせざるをえなかった。
呼吸することすらためらわれる緊迫した空気の中、返された言葉はひとつ。
「通って良し」だった。
拍子抜けであったことは言うまでもない。
その後、ラモは行く先々でチェックを受け続けたが、引き止めはおろか、声をかけられることすらなかった。
「……む」
その時、視線をフローレンスに戻そうとしたヘルデンの視界に、映り込んだもの。
ヘルデンは視線を戻して凝視し、それが思った通りの人物であることを確認する。
「姫。リラシスからはフィネス様がお見えになっているご様子ですな」
「そうか」
フローレンスは感情のこもらない言い方をした。
「フィネスは気づいているか」
「気づいているでしょうな」
あの方が気づかぬはずがありませぬ、とヘルデンはもう一度フィネスに目を向ける。
「済まぬが頼めるか、ヘルデン」
「はっ。ではしばし離れます」
「構わぬ。後でわらわも謝罪に行くことも伝えよ」
「はっ」
ヘルデンは立ち上がり、その場を去っていく。
やがて演奏されていた楽曲が終わり、銅鑼がドォォン、と大きく一回鳴らされた。
◇◆◇◆◇◆◇
「ふ、フィネス様……あれ!」
用意された来賓席に座ろうとしていたカルディエが、動きを止めて目を瞠っていた。
フィネスとカルディエは指定された闘技場観客席の二階席、最前列にある来賓席にやってきていた。
各国に10席ほどずつ割り当てられたそのVIP席は、リラシス王国のほか、リンダーホーフ王国、エルポーリア魔法帝国、イザヴェル連合王国、そしてレイシーヴァ王国の席もある。
「……えっ?」
「あそこです、あそこ!」
カルディエが皆の視線の集まる先を指さす。
指の先、闘技スペースでは開会式の開始に伴い、参加する者たちが6つある入り口から次々と闘技場に現れ始めていた。
その大半は楽器を手に持った奏者ばかりだったが、その中に武器と鎧を装備した数名が混じっていた。
そして、その中のひとりを目ざとく見つけたカルディエが、叫んだのである。
「どこ!? まさか」
フィネスはまだ見つけられずにいたが、すでに声が震えていた。
カルディエの差し迫った物言いから、なにが見つかったのかを直感していたのだ。
「そのまさかですわ! ほら、あそこ!」
確信したカルディエが、その顔に歓喜を浮かべてフィネスを見た。
「どこ!? カルディエ、どこですか!?」
フィネスは二階席の柵から身を乗り出すようにしながら言う。
「ほら、あの北側の……あの出入り口から出てきた人に混じってますわ!」
「北側……」
フィネスは高鳴った胸を右手で押さえながら、言われた場所に視線を向ける。
目当ての人物を見つけようと、視線が示された周囲を走り回る。
次の瞬間、その視線は刺さったかのように動かなくなる。
フィネスの目が見開かれる。
「……さ、サクヤ様……!」
フィネスは、それだけで目頭が熱くなった。
間違いなかった。
あの人は生きていたのだ。
「よかったですわね……」
カルディエはフィネスの背中をさすりながら、フィネスにハンカチを渡す。
「ええ……」
ハンカチを受け取ったフィネスが、目元を拭う。
嬉し泣きって、いつ以来だろう、と考えながら。
「やはりフィネス様の言う通りでしたわ」
「ええ……まさか、自分の言ったことが本当だなんて」
あふれる涙が止まらない。
「……でもレイシーヴァ王国の代表ということは、フローレンス様たちは色々とご存知だったのでは?」
カルディエがもっともな疑問を口にした。
リラシス王国はサクヤの捜索の協力をかの国にも依頼していたのである。
「そうですね……ただ、言えなかった理由もわかりますから、いいのです」
フィネスはちらり、とレイシーヴァ王国の来賓席へと視線を向けた。
その間には、リンダーホーフ王国とエルポーリア魔法帝国の来賓席があり、ここから見る感じでは、アッシュグレーの髪のフローレンスが座っていることしかわからなかった。
サクヤとどのような交渉を経て、国の命運を背負ってもらったのかはフィネスにも想像はつかない。
だが大会で優勝しなければならない以上、他国に情報を漏らしている場合ではないことくらいはフィネスにもわかった。
「失礼致す」
ちょうどその時、フィネスたちの後ろ側から男らしい声がかかる。
振り返ると、そこには黒髭で顎を埋め尽くす顔があった。
その隣には、髪を結い上げ、ベージュのワンピースを着た妙齢の女が寄り添っている。
この二人はレイシーヴァ王国のヘルデンとルイーダであることを、フィネスは知っていた。
「ご無沙汰でございます。リラシス王国第二王女、フィネス様」
ヘルデンは騎士の礼をして畏まると、ルイーダも淑女の礼をして、それに倣う。
「ヘルデン、私に謝りに来たのですね」
「話が早くて助かります」
ヘルデンは頭を下げたまま言った。
「……ずるいですよ。私が一番機嫌の良い時を見計らって来るなんて」
フィネスはまだ流れる嬉し涙を拭いながら言った。
「どうかご容赦を」
ヘルデンは顔を伏したまま、それを否定しなかった。
「どうやってサクヤ様と接触したのですか」
「記憶を失い、我が国の辺境の地に倒れておられまして」
「……え?」
予想もしなかった言葉に、フィネスは呼吸もできなくなる。
「なにかの戦いの後だったようです。自分の名も思い出せなくなられておりましてな。今はラモと名乗られております」
「……た、戦いを?」
フィネスは口元を押さえた。
そのまま、言葉を発せられなくなる。
「なぜそんなことになっていますの」
フィネスの背中に手を添えながら、カルディエが代わりに訊ねた。
「それは我々にもわかりかねます。しかし」
そこでヘルデンが顔を上げた。
「過去のことをお伝えした上で頼みましたところ、我が国のために尽力してくださることになりましてな」
そのお言葉に甘え、ご覧の通りひそかに代表者となっていただいた次第です、とヘルデンは続けた。
「……サクヤ様はフローラを救おうとしているのですね」
「そうだと思われます」
「……よかった……サクヤ様ならきっとレイシーヴァ王国を……」
そこまで言って、フィネスがはっと気づく。
「……サクヤ様、まさかフローラと?」
一瞬、合ったはずの視線は、ヘルデンの方から外された。
「申し訳ございませぬ。若いお二人の関係は我らにはわかりかねます」
「ヘルデンさん、あなたがご存知ではないはずがありませんわ。そもそも――」
カルディエがそう問い詰めようとした時、演奏されていた楽曲が終わり、銅鑼がドォォン、と大きく一回鳴らされた。
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