第238話 王宮騎士たちの到来


「イシス、早くしなー」


「あ、はーい!」


 長女の姉に急かされながら、イシスは玄関に準備しておいた虫や蛭にやられない厚い靴を履き、荷の籠を背負って家を駆け出る。


 外は立っていた朝靄が消え、眩しい陽が大地に射している。


「ほら、イシス!」


「ま、待って」


 イシスは先日のミスを思い出し、自分の防備に不足がないか、体を捻るようにして背後を確認する。


 今日は冒険者の護衛とともに森の奥に群生する高級な薬草類を取りに行く予定であった。


「イシスぅ〜」


「ごめんなさい! はぁ、はぁ」


 イシスがやっと長女の姉の横に並び、歩く。


「よろしくおねがいしやすー」


 家の門を出た二人に、冒険者パーティのリーダーらしき男が兜を取って恭しく礼をした。


「こ、こちらこそ今日もお願いします!」


 イシスはペコリと腰を折るように頭を下げ、言葉を返した。


 そう、貧しい生活を長らく続けてきた彼女たちだったが、今は手練の冒険者を雇い、土地の森を探索できるほどの金銭的な余裕ができていた。


 事は、数週間前。

 思いもよらなかったことを発端とする。


 暖かさを運ぶ偏西風が普段よりも強かった、とある昼のこと。

 聞き慣れぬ馬の蹄の音が近づいてくることに、耳のいい長女が気づいた。


 はてと思い、畑作業を中断して土だらけの格好のまま家の正面に回った長女は、すぐに悲鳴を上げることになる。


 その悲鳴を聞きつけ、何も知らずに外に出てきた家族たちは、着の身着のままその場にひれ伏した。


 やってきたのは、三人の騎士であった。

 胸に朱の限定称号を刻まれた鎧をまとっている、上級騎士。


 騎士の階級を知らぬ一家ですら、見てわかるほどの超特別階級。

 なんと王宮騎士ロイヤルナイトであった。


 王宮騎士ロイヤルナイトは国王の息のかかった精鋭中の精鋭であり、当代は88人が認定されている。


 国王の信頼厚く、いつ何時でも国王に謁見を申し込むことができる権利を与えられている。


 そこらの一般国民が、目に触れられる存在ではない。


 そんなことは重々承知である。

 なのに、そんなのが三人も目の前にやってきていた。


 いったいどんな悪事をしてしまったのだろうと、家族全員が伏した顔を真っ青にしていた。


 父などは、伏したまま歯をがちがちと鳴らしていたほどである。


 平伏したままの彼らに、やがて馬上から放たれた言葉は、想像もしないものだった。


 ――お訊ねする。イシスというお方はここにいらっしゃるか。


 家族はハッとして一斉に顔を上げた。


 ――国を救ったイシス殿に、国王よりお礼をお持ちした。


 ………は?


 家族が顔を見合わせる。


 ……イシスが?


 ……あ、あんた、いつこの国を救ったの?


 あ、あたしが……どうして?


 全く意味が理解できない一家に、王国騎士の一人が馬から降りて兜をとった。

 黒いモジャモジャとした髭面が顕になる。


 ――私は軍部総司令官、及び近衛騎士隊長を務めるヘルデンと申す。


 ………。


 家族たちの顔に、大粒の汗が浮かび上がる。


 ヘルデンと名乗る者が兜を取るのを見て、残る二人の騎士も兜をとって脇に抱えた。


 こ、こここ、近衛騎士隊長……!


 ちなみに軍部総司令官の方が格が上になるが、彼らは誰一人としてその単語の意味を理解できていなかった。


 ちょっと、イシスー!

 あんた! なんで騎士の隊長さんがこんなとこに来んのよ!


 家族が正座のまま、イシスを取り囲んで慌てふためいた。

 その様子を見て、ヘルデンがイシスという少女が誰かを知る。


 ――あなた様が、イシス殿でございますな?


 ヘルデンが座したままのイシスの前まで来る。


 ……は、はい……。


 頷いたのを確認した近衛騎士隊長は、あろうことかそこに片膝をついて頭を垂れた。


 ………。


 それを目にした一家が、石化する。


 うええぇー!?

 な、なな、なんでぇぇぇー!?


 信じられずにいる家族に、黒い髭で顎を埋め尽くした男がその理由を口にした。


 ――イシス殿。過去の貴方様の働きにより、今、この国は救われようとしております。


 ひ、人違いです……!


 イシスは自分も慌てて平伏しながら、それだけを言った。


 ――人違いではござらん。


 そんなイシスにヘルデンは笑いかける。


 ――この地域でイシスという方はあなた様しかおらぬ。


 そんな……あたしずっとここにいて、なにも、なにもしてません!


 ――イシス殿。ラモというお方をご存知か。


 黒髭の騎士の言葉に、イシスがハッとする。


 ……え? ラモくん?


 その反応を見て、ヘルデンは確信した表情に変わった。


 ――やはり。知っておりますな?


 ……は、はい……あの、どうしてラモくんのことを……?


 ――あのお方は今、王宮にいらっしゃいます。


 ラモくん、お城にいるの!?


 イシスの顔が、ぱぁ、と輝いた。

 思わぬ反応に面食らったヘルデンが、おほん、と咳払いする。


 す、すみません……。


 言わんとしたことに気づいたイシスが、しゅん、となる。


 ――森に行き倒れていたところを、あなたに助けられたと聞いておりますが、間違いありませんかな?


 ……え? た、たしかに介抱はしましたけど……助けたというほどじゃ……。


 ヘルデンは騎士たちと顔を見合わせ、満足げに頷いた。

 そして口を開く。


 ――あなたが助けたその方は、我らがずっと探してやまなかった方でしてな。


 ……え?


 ――この国の救世主となるお方でした。


 ……え!?


 家族が驚愕する。


 でもあの人、確かに強かったよ! だってあのアーノルドを倒して……むぐっ!?


 そこまで言った次女の口を、長女の姉は慌てて塞いだ。

 そう、これは決して他言してはならない重大案件だった。


 ――やはり、そういうことでしたか。


 ヘルデンはニヤリ、とした。


 ――どこぞの地方貴族が手を回したのか知りませぬが、気にされずとも結構。遠慮なくお広めください。もしなにか言われましたら、私の名を告げてやってくだされ。


 ………。


 家族たちが絶句する。

 誰もが逆らえぬこの地の暴君を、ヘルデンはあっさりと格下扱いしたのである。


 それはともかく、とヘルデンがイシスを見た。


 ――あなた様のおかげで、ラモ殿はこの国の再建に尽力くださると約束してくれました。つまりこの国は、あなたがラモ殿を助けたことによって救われるのです。


 ………は?


 イシスは、それ以上言葉が出なかった。


 どうぞこれをお収めください、と、ヘルデンはずっしりとした金貨袋を3つ、イシスの前に置いた。


 ――金貨で二百枚あります。

 どうぞお収めください。


 ………。


 一家は再び石化した。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 いつもならそれだけで気分がいいはずの、快晴の午後。


 初めて入ったこの国の第一印象は、『奇妙』という言葉がぴったりだった。

 さっきから銀色の髪を弄んでいるただの風すらも、なにかいつもと違う気がする。


 ラモの介添えにより、ローザは明日開催される『世界決闘大会』の本大会に一般客枠で観戦することが許され、先ほど他の者たちとともにセントイーリカ市国に入国したところだった。


 なお、ラモはここにはおらず、フローレンス、ヘルデンらとともに貴賓枠で別途入国となっている。


「こちらが入り口になります」


 黒い巨大な建物『バベル』の前に来た自分たちを、最低限の礼節で光の神の下級司祭らしい中年の女が案内している。


 空に刺さるように見えるこの建物の中に、1万人以上が住んでいると聞いて、ローザは驚きを隠せなかった。


 大地から離れ、木々がつくる澄んだ空気に触れられず、魔法の明かりが昼夜関係なく照らす世界。


 自然に寄り添って生きてきたローザにとって、この国の人たちの生き方はひどく不自然に映っていた。


 彼らはここから一歩も外に出ず、日々を欲にまみれて暮らしているという。


 ローザはこの牢獄のような世界で、いったいどう過ごしたら楽しくなるのか、まるで理解できなかった。


 彼女にとってなんの魅力もない、むしろ寒気すらする場所だった。


「私達は2階層にある宿に泊まることになるそうよ」


 ローザの隣を歩いている、ストレートの髪を一本に縛った女が言った。

 ルイーダという名の妙齢の女性だった。


 街で酒場を経営していた際に才能と人望を買われ、特待侍女として王宮に引き抜かれたという変わった経歴の持ち主。


「気味が悪いでしょう、この建物」


「はい」


 小声で囁いたルイーダとローザは、言葉通りの顔を互いに見合わせた。


 ルイーダは気さくな女性であった。


 最初に会った状況が状況だっただけに、ローザから見た第一印象は決して好ましいものではなかったが、こうして関わってみると全く違った。


 ひょいと現れた自分に対しても丁寧に接し、常に等身大で表裏がなく、気取ったところもない。


 なにより笑い方が自然で、ローザは好きだった。

 どこか少女のようなあどけなさを感じさせる、裏表のない笑い方。


 ローザはレイシーヴァ王国を発ち、ここに至るまでの間で、 すっかりこの女性のことが好きになっていた。


 本人いわく35歳とのことだが、見た目以上に若く見えるし、とにかく女としての魅力が全身から溢れている。


 通りすがりの男性たちがルイーダに熱い視線を向けるのも無理はないと思えたし、ローザも歳をとってこの人のようになれるなら、早く老いてみたいと思えるほどだった。



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