第239話 枢機卿ケビン
ローザはレイシーヴァ王国を発ち、ここに至るまでの間で、 すっかりこの女性のことが好きになっていた。
本人いわく35歳とのことだが、見た目以上に若く見えるし、とにかく女としての魅力が全身から溢れている。
通りすがりの男性たちがルイーダに熱い視線を向けるのも無理はないと思えたし、ローザも歳をとってこの人のようになれるなら、早く老いてみたいと思えるほどだった。
「皆様方におかれましては、これにお乗りください」
「これに乗るの?」
「そうなの」
ルイーダが苦笑いする。
そこには鉄で作られた、背丈の倍ほどもある大きな箱があった。
「……怖い……」
乗った途端、大きく振られでもしたらどうなるのだろうと、ローザはどうしても恐怖心が膨らんでしまっていた。
「私もまだ慣れませんの。女同士でも誰かが一緒なら怖くないかしら」
そう言って、ルイーダがローザの手を取り、それに乗り込む。
「上に参ります」
全員が乗り込んだのを見てとるや、案内人が言う。
乗り込んだ箱は前を開けっ放しのまま、魔法の力らしきものでぐんぐんと真上に上昇していった。
「……うっ……」
ローザは口を手で覆う。
慣れない感覚に、軽く胸が悪くなった。
「二階街です。レイシーヴァ王国からのお客様はこちらでお降りください」
箱を動かしているらしい中年の女が愛想の一つもなく言うと、すぐさまローザは逃げるように降りた。
体を動かさずにこの高さまで登れるのだから、楽なのはわかる。
だが階段の方が自然で、よほどいい。
たったこれだけのことを楽するために自分の命を預けるなど、ローザには到底理解し難かった。
「……うぇ……」
見れば、一緒に同乗した20人ほどの招待客の人たちも、多くが顔色不良に陥っている。
彼らの大半はレイシーヴァ王国の要人らしかった。
しかし。
「きゃー! おもしろかった〜!」
「ちょっとイシス、これやばくない!」
「つーかうちら田舎者丸出しでしょ! あはは」
箱から降りてもまだ楽しそうな人たちがいた。
にぎやかな4姉妹のようだった。
仲良くなれそうな、ローザと似た年齢だ。
彼女たちは誰かに渡すのか、麻袋から溢れんばかりの紅芋を抱えている。
「確認ですけれど、ローザちゃんはこの中は初めてよね?」
そんなローザの隣に来て、ルイーダが訊ねる。
「はい」
「最悪ですのよ」
こっそりと耳打ちしてくるルイーダが同じふうに感じているんだ、と知り、ローザは嬉しくなった。
「あたしもそう感じていたんです、なんか不自然だなって」
「あれを見て」
微笑を浮かべ、頷いたルイーダが指差す。
その先には、やつれた白樺の幼木が並べて植えられていた。
「あの幼木は?」
「見た目の景観を整えるために植えられているの」
「……あれで?」
ローザは首を傾げていた。
ひょろりとした幹の幼木が、偽物の魔法の光に向かって必死に葉を広げている姿は痛々しさしか感じさせない。
「どうしてあんなのを植えているの」
「この国の人たちはあの木が衰弱していると、見てわからないの」
ただ緑を添えていることに満足しているの、とルイーダが言った。
「こんなの、悲しくなるだけだわ」
「そうね。あなたにはわかるわよね」
とルイーダは優しげに笑った。
「それだけ、本当の自然から離れて生きてるんでしょうね……さ、こっちみたいよ」
ルイーダがローザの背を押すようにして、先を案内した。
◇◆◇◆◇◆◇
「おい、『這いずる奴ら』は来たのか」
おかっぱ頭の男が、白いテーブルクロスが掛けられた食卓に覆いかぶさるように座り、口をくちゃくちゃと動かしながら訊ねた。
ここは五芒星が十二層に重なる『バベル』の最上階のさらに上。
空を漂う古代の遺島、【空の聖域ヴァティカヌス】である。
「はっ、教皇様。時間通り到着しております」
離れた位置でずらりと跪いている司祭のひとりが答えると、教皇と呼ばれた男は、満足そうにニヤリとした。
「『清潔街』には入れていないだろうな」
「はっ。ご心配は無用です! お達しの通り汚染エリアに全て収容いたしました」
清潔街とは5階街以上のフロアを指している。
「あんな底辺の奴らと、同じ空気を吸うのは冗談じゃないからね」
下卑た笑い方をしながら、チャピンは口元についたトマトソースを拭った。
「おい、トーナメント表をもう一度よこせ」
「はっ」
並んで頭を垂れていた司祭のうち、別の者が跳ねるように立ち上がると、教皇に駆け寄り、恭しく礼をする。
差し出された折り目ひとつない羊皮紙を奪い取るように掴むと、チャピンはそれをそのままテーブルの上に置いた。
さっそく跳ねていたトマトソースの汁が、ぽつぽつと羊皮紙の下から滲む。
「お前の希望通り、すぐにアラービスに当たるようにしてあるぞ」
チャピンが向かい側に座る男に楽しげに声を掛けた。
「心より感謝を申し上げます」
抑揚のない声を発したのは、まるで存在感のない男であった。
唯一、チャピンと同じテーブルに着席することを許されながらも、並べられた料理には手を付けず、静かに座し、先程から一言も発していない。
いや、正確に言えば、訊ねられた時以外は会話せず、微塵も動いてはならないことを心得ていた。
茶色がかった髪に、のっぺらとした顔立ち。
目は細く、吊り上がっている。
引き締まった体の上には、今も唯一無二の光の防具、『真実の
この男こそ、
「けどアラービスのやつ、本当にのこのことやってきたな。仕掛け通りに」
チャピンが忍び笑いを漏らすと、ケビンを見た。
「お前の案だったな。褒美をやるぞ」
「ありがとうございます」
ケビンが椅子の横に立つと、片膝をついて深く頭を下げた。
それを見てまた満足そうにすると、「おい、ところで」とチャピンは声をわずかに低くした。
「……お前なら、本当に勝てるんだろうな?」
「アラービスごとき、私には勝てません」
「アハハハ!」
「………」
テーブルをどんどんと叩いて高笑いするチャピン。
それをケビンは頭を下げたまま聞き続ける。
こんなところでヘマをして、せっかく手に入れた枢機卿という立場を失うわけにはいかなかった。
齢35で、実にその30年のほぼ全てを、教会に尽くしてきた。
今や、この
文字通り、『向かうところ敵無し』の強さも得ている。
そう、なぜ自分が勇者に選ばれなかったのか、理解ができぬほどに。
「………」
ケビンは下を向いたまま、小さく神に感謝の祈りを捧げた。
自分を差し置いて勇者となったアラービスと手合わせできることを、心から感謝した言葉であった。
いよいよ、世に知らしめることができる。
本当の勇者は、自分であることを。
「教皇様、おそれながら」
チャピンの笑いが落ち着き、話が一段落したのを見計らい、ケビンはその場に跪いたまま奏上を始める。
「ん? どうした」
「実はもう一人、のこのことやってきた愚か者がおります」
「なに」
チャピンは口の周りにクリームをつけたまま、問い返す。
「レイシーヴァ王国の代表が、あの男に代わっているそうです」
「……あの男? 誰だ」
「サクヤという男でございます」
ケビンが近くで畏まる別の枢機卿に視線を向けながら、畏まる。
視線の先にいた
この男の名は、ハンクスという。
『結界術』に長け、サクヤの捕縛に利用した大人数での『聖域結界』作成においてリーダー的な役割を果たしていた男であった。
「レイシーヴァ王国の代表として、サクヤが入ったことを感知しております」
「おい、もっとわかりやすく説明しろ」
人の名前を覚えられないチャピンは、まだ誰か理解できない。
ハンクスは、申し訳ございませんとさらに深く頭を下げ、続ける。
「先日聖域結界内で短剣を埋め込み、我々で浄化しようとした悪魔の男です」
「……あぁ、あいつが!?」
チャピンがまたテーブルをどん、と叩いたために、用意していた甘酒のグラスが倒れた。
「逃げたのになんで自分から戻ってくる?」
「おそらくは短剣の作用で記憶がおかしくなっているのでございましょう。あの短剣にはラーズ様の刻印があるので、抜いてもらいに聖国にやってきたのかもしれません」
「――わはは、なんてバカなやつ!」
チャピンが大口を開けて爆笑し始めた。
ケビンやハンクスを含め、周りがそれに追随する。
そうやってしばし、作られた笑いが場を支配する。
「ん? おい、甘酒がないぞ! なんで気づかないんだよ!」
チャピンが立ち上がって手近にあった皿を投げつけると、給仕の者たちに怒鳴り散らす。
男は割れた破片で頬から血を流しながら、申し訳ございませんと畏まる。
「……ん? 待てよ。それだと決勝にレイシーヴァ王国が上がってくるんじゃないの?」
チャピンは手近にあった饅頭を口に放り込みながら言った。
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