第237話 紅茶とトーナメント表3
「代表は……」
フィネスの視線が、国名の下に向けられる。
レイシーヴァ王国の下には、アーノルドという名が二重線で消され、ラモという名が書かれていた。
「代表の方は、ラモ……さんですか。カルディエ、知っていますか」
すぐにカルディエは首を横に振った。
「フィネス様もご存知ない方ですの?」
「ええ。てっきりリャリャさんだと思っていましたから」
レイシーヴァ王国では最も武に秀でた男としてリャリャ・フリックスが有名である。
かの国の国内大会で知られる『武器祭』では、昨年、一昨年ともにリャリャが優勝したことを、フィネスは知っていた。
高齢だが、最も名高き存在として、彼の国でも知れ渡っているに違いない。
「あの御仁が断ったとか、ありえません?」
カルディエが顎に手を当て、思案顔になる。
「可能性はありますね」
フィネスは頷いた。
本来、民の期待を一心に背負う武人であれば、国を賭けた戦いを断るなどあり得ない。
しかしリャリャは深き森で騎獣を狩り、己の価値観のみに従って孤高に生きることで知られる『
国内の大会には出ても、国交としての役割までは金銭的な価値に見合わず、果たす気がなかったかもしれない、と二人は考えていた。
「でも」
フィネスが疑問を口にする。
「まだ数名は候補がいます。それに今は国の危機。『忠臣ヘルデン』が出ない理由がありません」
「ああ、そうですわね」
カルディエが紅茶のカップに手を伸ばしながら、頷く。
近衛騎士隊長ヘルデン。
ハルバードを巧みに扱う、またとなき『王の片腕』。
若かりし頃のヘルデンは、とんでもない荒くれ者であった。
ハルバードを振るう姿は猛烈で疲れ知らず。
しかし性格もひどく尖っていて、些細なことで他人と衝突しては、頻繁に血を流す騒ぎを起こしていた。
メンバーとしてはこれ以上ない前衛であったが、その性格ゆえに誰もパーティを組みたがらず、冒険者仲間ではその外見も合わせて『髯鬼』と呼ばれていた。
そんなヘルデンを変えたのは、幼きフローレンスとの出会いであった。
いつものように街角で武器沙汰の喧嘩をしていたヘルデンの元に、フローレンスは身の安全も省みず、見えぬままに割って入っていったという。
そして右手を差し出し、こう言ったとされる。
――仕えよ、ヘルデン。わらわのつるぎとなれ。
そなたには、今後目の見えぬわらわに降りかかる災いを、全て払う任を与える。
さあ、わらわの手を取れ。
わらわとともに、この国を作るのだ――。
盲目の王女の勇気とその凛とした姿に、孤独だったヘルデンが打たれぬはずがなかった。
最下級兵から登用されたヘルデンであったが、めきめきと頭角を現し、昇進を重ね、今や軍部総司令官兼近衛騎士隊長。
フローレンスの片腕として、絶大な信頼を受けている。
「ではあのヘルデンよりも、このラモという人が上ということになりますの?」
カルディエが怪訝そうな顔になる。
「だとしても」
フィネスは反論する。
「この背水の陣ともいえる状況で、今まで無名だった人物を選ぶのが不思議でなりません」
フィネスには到底信じられぬ話だった。
この『世界決闘大会』はレイシーヴァ王国にとって、間違いなく国の命運をかけた戦いになる。
負けたら二度と借金を返すあてはない。
全て終わりなのだ。
これほどの重大な場面で、なぜどこぞの馬の骨かもしれぬ者を――。
「…………」
フィネスは紅茶の液面を見つめながら、思案する。
いくら強そうに見えたとしても、自分ならば絶対に実績のある者を選ぶ。
フローレンスとて、同じ師から帝王学を学んでいる。
同じ考え方をするはずだ。
(どうして……)
それでも、無名の者を選ぶ理由とは……。
「もしかしたら、戦い自体を諦めているのかもしれませんわ」
「……え?」
フィネスは瞬きをする。
カルディエの言葉で、フィネスは思考を中断させられていた。
「戦いを?」
「ええ。水面下ではもう併合が進んでいるのでは? それなら全て説明がつきますわ」
「なるほど」
予定よりも早く併合を認めることで相手国に追加条件を提示し、よりよい状況で併合を受けられるよう話を運ぶ手法がある。
降伏時取引としては、よく知られたものである。
「有り得ますね」
「だから、あの深い森からリャリャまで連れ出す必要がなかったんでしょう」
カルディエは満足げに紅茶を口に運んだ。
彼女は自分の言葉に確信を抱いたようだった。
「………」
フィネスも同じように紅茶を口に重ねながら、思案する。
確かになくはない話。
「………」
だが今、何かを思いつきかけた気がしたのは、気のせいだろうか。
頭の中がすっぽりと入れ替わっていて、前の思考が思い出せない。
「参加者は以上ですわね」
「……はい」
なんだったろう。
今、自分が考えていたのは……。
「居てくださるとよかったですのに、ね」
「………」
「フィネス様?」
「あ、はい?」
フィネスは口元にカップを運んだ姿勢のまま、止まっていた。
「ごめんなさい、なにか言いました?」
「サクヤ様が居てくださるとよかったですのにね、と言いましたの」
「ああ……いいのです。わかってましたから」
フィネスは笑みを繕いながら、紅茶にそっと口をつける。
コンコン。
そこで扉をノックする音がした。
ノックの仕方と強さから、侍女だと二人は知る。
「開いていますよ、スンニ」
「フィネス様、カルディエ様」
部屋に入ってきた侍女が恭しく礼をする。
侍女はスンニではなく、年配のニーナという者だった。
「ああニーナ、ごめんなさい。てっきり」
フィネスが苦笑いする。
ニーナはとんでもございません、と頭を下げた。
「スンニは手が離せず、代わりに伺いました。浴室の準備が整いましてございます」
「あら、ニーナがわざわざ?」
「はい。今日は腰の調子がいいのでさせていただきました」
ニーナが目尻にシワを寄せて優しげに笑う。
ニーナは年配なだけあって、湯づくりが誰よりもうまいのだった。
「………」
再び、フィネスの手のカップが、空中で停止している。
そんな代役ニーナの存在が、やけにフィネスの頭で反響していた。
「わかりましたわ。ではフィネス様、先に参りましょうか」
カルディエは一口紅茶を飲むと、カップを置いて立ち上がる。
「今日は柑橘の湯にしているはずですわ。フユナが居たら、さぞかし……」
言いながら、カルディエが振り返る。
しかしフィネスは立ち上がらない。
「フィネス様?」
「……ねぇ、カルディエ」
フィネスはカップをソーサーに置くと、その液面を眺めたままポツリと言った。
「……どこか具合でも?」
カルディエはフィネスの顔色が悪くなっているように見えて、そう声をかけた。
「いえ、具合は大丈夫なのですが……」
フィネスは真顔のまま、左手で髪を背に払った。
「ちょっと自分の思いつきに、鳥肌が立ちまして」
その言葉の通り、フィネスの顔は青ざめている。
「思いつき、ですの?」
「ええ。……もしかしてラモという方、サクヤ様なのではないでしょうか」
フィネスは言った。
「……どういうことですの」
カルディエは急に真顔になって訊ね返した。
「カルディエが言った話の方がよほど説得力があるのですが……聞いてくれますか?」
「ぜひ教えてくださいませ」
フィネスは自分を落ち着かせるようにゆっくりと呼吸をすると、口を開いた。
「レイシーヴァ王国の現状を見れば、無名の方が選出さていれる時点で誰しも決めつけてしまうのではないでしょうか。あの国は併合されるのだ、と」
「……違いますの?」
「カルディエ。仮にですが」
フィネスがカルディエをまっすぐに見て、続きを告げる。
「レイシーヴァ王国が全力で生き残るつもりだとしたら、どうでしょう」
「……生き残る?」
カルディエが瞬きをする。
「ええ。併合を最後の最後まで断固拒否するつもりだとしたら」
フィネスは自分の考えを淀みなく話し続ける。
「まさか……」
「誰も考えないでしょうね。でももし、積極的な選択肢として、無名の者を選んでいたとしたら」
「……それは」
「私、サクヤ様が死んでしまったのでは、とばかり考えていました。生きていたら、サクヤ様が連絡を下さらないなんて、あり得ないと思っていましたから」
「それは正しいと思いますわ」
「でもサクヤはお強い。死ぬはずがないのです。だから、どうしても考えがそこで堂々巡りしてしまって」
「なるほど」
そこでカルディエは、フィネスが何を言おうとしているのかを悟る。
理解を得たフィネスは、とたんに輝く笑顔になる。
「そうなのです。もしかしてサクヤ様は今、ひそかにレイシーヴァ王国の再建に力を貸しているのではないでしょうか」
「その関係で、フィネス様と連絡を取れずにいると?」
「ええ。考えられませんか」
「ない話では……ないですわね」
カルディエも笑みを浮かべてフィネスを見た。
サクヤならば、ひとつの国を救うほどの力を持っている。
そして、瀕死のレイシーヴァ王国を助けんとしていれば、他国の王女に会いに来る暇などなくなって当然である。
「あくまで私の推測です。残念ながらなんの根拠も……」
フィネスは自嘲するように笑うと、繕うように黒髪に手ぐしを通した。
「フィネス様、わたくしはそちらを信じさせていただきますわ」
カルディエがニッコリと笑う。
「カルディエ……」
「フィネス様はそう信じますわよね」
「……はい」
フィネスはなぜか湧き上がってきていた涙を拭いた。
「楽しみができましたわ。だってフィネス様はこれから、あの殿方の会いに行くんですもの」
「うふふ、カルディエ!」
フィネスはたまらず、カルディエに抱きついた。
「な、なんですの、これは」
カルディエが目をぱちくりさせる。
「ふふ、練習です」
「わたくしでそんな練習、しないでくださいませ!」
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