第235話 紅茶とトーナメント表1
「そなたの胸にあるらしいその短剣、わらわには触れもせぬが、ローザの話ではラーズの刻印があるという。ならば、その状態で
「………」
ローザが、はっと顔を上げた。
フローレンスが自分と同じようにラモの心の内を見抜いていたことに、嫉妬に似た感情が湧き上がっていた。
「………」
ラモの顔つきが、険しいものに変わる。
「違うか、ラモよ」
「確かに危険はゼロではないですね」
ラモが静かに言う。
「わらわはそなたが死ぬのなら、側室になる方がましである」
「………」
歩いていた侍女たちが足を止め、円卓がしーん、と静まり返った。
フローレンスの並々ならぬ言葉に、ローザの胸がきゅ、と痛んだ。
目の前で濃厚なやり取りをされていながら、ローザは何もすることができなかった。
「考えがありまして」
とそこで、ラモが口を開く。
「……考え?」
フローレンスが訊ね返す。
「この抜けない短剣の手がかりを掴むことができるとすれば、
「ふむ」
フローレンスが頷き、先を促した。
「僕に残された時間はあまりないようだし、こちらから打って出なければと思っていました」
「………」
フローレンスが腕を組んだ。
「チャンスと思ってます。向こうは僕がやってきたとわかっても、大会の参加者だから、強引なことはできないと思うし。その間にいろいろ探ってみようかと」
「…………」
フローレンスがしばし押し黙る。
やがて組んでいた腕を解くと同時に、口を開いた。
「死を恐れず、火中に飛び込むか」
「僕にはそれしかありませんから」
ラモは穏やかに笑った。
「……そなたがそこまで言うのなら、もはや何も言うまい。しかし」
そこでフローレンスはなにかを言おうとしたものの、言葉を詰まらせ、俯いた。
「姫様?」
ラモがフローレンスの横顔をじっと見る。
「……そなたがここに来てから、わらわは同じ夢ばかり見る」
「夢、ですか?」
「そなたがいなくなる夢だ」
フローレンスが顔を上げ、ラモに向き直る。
「毎日うなされて、わらわは起きる。毎朝最初に発する言葉は決まっている。ラモは生きておるか、だ」
「…………」
フローレンスの隣に座している侍女サリアが、それが嘘ではないことを示すように無言で頷き、ラモを見る。
「毎日……」
「そうだ」
ラモがフローレンスと見つめ合う格好になる。
ローザは、横からただそのやりとりを眺める。
「わらわは目が見えぬゆえ、一分一秒が不安でならぬのだ」
そう言って、フローレンスは指で目元を拭った。
「姫様……」
今度はラモが言葉を詰まらせる番だった。
「ラモよ。こちらに来て、わらわと指切りをせよ」
フローレンスがほっそりとした右手を差し出した。
「わかりました」
ラモはテーブルをぐるりと回って、王女の元へと歩く。
ラモは失礼します、と言うと、フローレンスの右手を取り、小指を結んだ。
「死なずに戻ってくると、約束せよ」
「はい」
「約束できるのか」
「もちろんです」
ラモは力強い声で応じた。
「そうか」
明るい笑みを浮かべたフローレンスの横顔をローザは直視できず、視線をわずかに上にずらした。
「それからもうひとつ。これは約束ではなく、わらわからのただのお願いである」
フローレンスは小指を結んだまま、言った。
「……お願い、ですか?」
「
「………」
ラモが真剣な表情になる。
「だがわらわはきっと苛まれているに違いない。身を挺して助けてくれたその男に恋い焦がれて」
「姫様……」
ラモはもう何を言われるのか察した顔つきになっていた。
「ラモよ。大会を無事に終えたならば、わらわと婚姻を結び、ずっとそばにいてほしい」
「………」
その言葉に周りが息を呑む。
「他の女を愛したままでも構わぬ。わらわがそなたのぶんまで愛すると誓う。だから……」
フローレンスが結んだままの小指をきゅっ、と締めた。
ヘルデンはわずかに目を細め、皿を下げていたルイーダは、足を止めてその場に立ち止まる。
「姫様……」
突然のプロポーズに、ラモが言葉に詰まる。
同時にローザは、テーブルの下で人知れずスカートの前を握りしめていた。
「返事は急がぬ。帰ってくるまで考えておいてほしい」
そう言って、フローレンスはそっと結んでいた小指を解いた。
◇◆◇◆◇◆◇
朝の木漏れ日が差し込む穏やかな朝。
しかし室内は、ひどく険悪な雰囲気になっていた。
剣の国リラシス王国、王宮、第二会議広間。
「あぁ……イライラする! もうあんなところ二度と行きたくないっていうのに!」
「しかしだな……我らが行かぬと」
「またあれに耐えろって言うの!? いい加減にしてよ!」
ヒステリックに叫んだ王后オードリーを見て、同じ円卓に座していた国王エイドリアンは困ったように顔をしかめた。
「やっと終わって肩の荷が降りたというのに、なんでまたあの気持ち悪い顔を拝みにいかなきゃいけないの!」
「…………」
耳を突き刺すような甲高い声に、周りが押し黙る。
オードリーは気分の浮き沈みが激しく、沈んでいる時の会話は概してこんなものになる。
「私が行って参ります。お母様」
それを見た黒髪の少女が、立ち上がっておずおずと申し出た。
陽の光が照らすその少女に、皆の視線が集中する。
「おぉ、行ってくれるか」
国王エイドリアンが、その顔にぱっと笑みを浮かべた。
そう、少女は第二王女フィネスであった。
まもなく
リラシス王国としては大会参加を見送ったものの、同時に行われる祝の貴賓として招待されており、要人として参加し、共に祝わなければならない。
なお、祝とは言うまでもなく『シグムントとヴィーナスの栄光の日』の百周年を指している。
フィネスの父母にあたる国王エイドリアンと王妃はつい先日、
両国間関係が悪化しかねないほどの、きわどい話し合いに王と王妃は寿命を削るような緊迫した時間を何時間も過ごしていた。
それゆえ、王后は頑なにあの国を拒んでいるのである。
「私で差し支えなければ」
「フィネスなら大丈夫であろう。あれがいい寄ってくることもあるまい」
エイドリアンは自慢の娘を眺めながら、満足そうに顎を撫でた。
教皇が黒髪の女を自分の周りから遠ざけていることはよく知られた事実であった。
よほど嫌悪する思い出があるらしい、ともっぱらの噂である。
それゆえ未婚のフィネスも何度か顔を合わせているが、幸いにも、女として見られることはなかった。
なお、言い寄られた犠牲者は、アッシュグレーの髪をしている。
「それはよかったわ。じゃあフィネス、それに目を通しておいて頂戴」
そう言って王后オードリーが召使いに目で合図すると、召使いは恭しく頭を下げ、フィネスの目の前に、紐でくくられた書類の束を遠慮なく積んだ。
「……わかりました」
フィネスが戸惑いながらも頷く。
積まれた書類で、フィネスの顔が隠れている。
「今日は終わりにしよう。疲れた」
国王エイドリアンが立ち上がり、のそのそと広間から出ていこうとする。
「御意」
それを皆が平伏して見送る。
国王の言葉は、王妃を気遣ったものであることを皆が理解していた。
そんな国王の横を、王后オードリーがカツカツ、とヒールを鳴らしながら、追い抜いて出ていった。
王后の姿が見えなくなった所で、エイドリアンは皆を振り返り、おどけた顔をして肩をすくめた。
広間の皆に苦笑いが伝染する。
それを見届けるようにして、国王は去っていった。
「失礼します」
フィネスも立ち上がり、決められた順に会議の広間から退室していく。
「お疲れ様でございました」
フィネスが廊下に出ると、重装備の少女が近づいてきた。
赤髪の
カルディエはフィネスに付いてきた侍女の手にある山の紙束の半分をもらい受ける。
「ありがとうございます。カルディエ様」
「いいんですの」
「カルディエ、一緒に紅茶でも飲みませんか」
「そう言っていただけると思っていました」
フィネスの横を並んで歩きながら、カルディエが紙束の横で、にこっと笑う。
本来ならば、
しかし周りが何も言わないのは、二人が幼少の頃からの親友であることを知っているからでもある。
なお、ここにはいないがフィネスの
フィネス、カルディエと同じ最強剣『ユラル亜流剣術』を修めているフユナと、底知れぬアイテムストレージ【閻魔の袋】を持つピョコである。
二人は最近エルポーリア魔法帝国で発見されたダンジョン探索の応援に派遣されている。
「訊かなくてもわかるんですけど、例のアレはフィネス様が?」
カルディエが目で紙束を指し示しながら言う。
例のアレとはもちろん、
「自分で名乗り出ました」
「ではわたくしも参りますわ」
その言葉に、フィネスはほっと安堵した表情になった。
「あなたがいてくれると心強いです」
「そういえば、アラービスも参加されるのですわね」
「……カルディエ、もう国王ですよ」
「あぁ失礼しましたわ、アラービス国王殿下も参加なさるようですわね。オホホ」
カルディエはわざとらしく言葉を直した。
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