第234話 イザヴェルの乙女



 旅とともに始まった『光の勇者』シグムント、美しき『光の聖女』ヴィーナス、そして『偽勇者』アビスの三角関係。


 その十二代勇者パーティに付き添い、凄惨な死を遂げた付添の魔術師の手記に、こう綴られていたことが知られている。


 心優しきヴィーナスは死の運命を背負うアビスを憐れみ、シグムントの陰で口づけ以上のことを許してしまっていた、と。


 彼らはそのまま魔王の間に辿り着く。

 そのパーティの歪に、魔王が気づかぬはずがなかった。


 魔王は巧みにそのほつれを広げ、アビスを堕天させて味方とし、勇者と聖女を殺さんとしたのだった。


 その後は知られていない。


 記録として残っているのは、魔王討伐パーティは危機に瀕したものの、光の勇者と聖女の力で魔王を打倒し、世界に平和が訪れた、とされているだけである。


「なにか、思い出せましたかな」


 ヘルデンがラモに訊ねる。


「……いえ。でも話を聞いて理解はできました」


 ありがとうございます、とラモはテーブルの上で頭を下げた。


「さて、話を戻そう、ラモよ。セントイーリカ市国での大会だ」


 フローレンスが見えぬ目で隣のラモを見るようにしながら、語りかけた。


「はい、お願いします」


「戦いはトーナメント方式になる。今年はリラシス王国が参加を辞退しているために、セントイーリカ市国だけがシード枠で参戦するという通達が来ている」


 参加する国はセントイーリカ市国の他、勇者アラービスが治めるリンダーホーフ王国、東隣のイザヴェル連合王国、北のエルポーリア魔法帝国、そしてこのレイシーヴァ王国の5つである。


 もちろん亡国ミザリィからは誰も参加しない。

 

「噂では今年、リンダーホーフ王国からは、満を持して国王アラービスが出てくるらしい」


 フローレンスのその言葉で、広間にどよめきが走る。


「当代の勇者アラービスですね」


 ラモが言うと、再び周りの者たちが頷いた。


「これは見物だ。よくあの臆病者が参加する気になったものだ」


「信じられませんな」


「いったいどうやってあれを説得したのかね」


 居合わせている騎士隊長たちや元老院の議員たちが、揃って疑問を口にする。


 彼らはアリザベール湿地での戦いで、あの男がどのように振る舞ったのかを知っているのだった。


「仮にも一国の王ぞ。この場での非難は許さぬ」


 フローレンスが一喝すると、はっ、申し訳ございませんと声を発して騎士隊長たちが口を閉ざす。


「アラービスは現状で世界最強との呼び声が高いのです。おおかた、セントイーリカ市国に頼まれてリンダーホーフ王国が一肌脱いだのでしょうな」


 咳払いをしたヘルデンが、ラモにわかりやすいよう説明を加えた。


「僕はそのアラービスと当たりますか」


「ここにトーナメント表がございますぞ」


 ヘルデンが近くにいた侍女に目配せすると、侍女が駆け寄ってきて、円卓を囲む面々に一枚ずつ配り始めた。


「どうぞラモ様」


「ありがとうございます」


 渡された紙は、セントイーリカ市国から渡されたトーナメント表を一枚一枚丁寧に模写したものである。


 ラモは描かれた図に視線を落とす。

 そこにはトーナメントの図と、下に5つ、参加する国名が書かれていた。


「ご覧の通り、ラモ殿とアラービスが当たるとすれば、決勝になります。少々不思議なんですがね」


 ヘルデンが不思議という言葉を使ったのには、意味がある。


 トーナメント表は公平を謳いながらも、常にセントイーリカ市国に好ましいように恣意的に作られていることは、この国の子供でも知っている。


 だがそれならば、セントイーリカ市国の代表とアラービスは決勝でぶつかるように作るはずである。


 歴代最強の勇者との一戦を上回る試合など、ないからである。


 しかし、どういうわけか、そうなっていない。

 セントイーリカ市国はアラービスと準決勝でぶつかるのである。


「ラモ殿がどれほどのお方であるかを奴らは知りませぬゆえ、初戦で我が国と戦うイザヴェル連合王国と決勝で当たる算段をしているかと」


 ヘルデンが告げる。


「司令官。ならばイザヴェル連合王国の代表者との戦いが、アラービスのそれよりも盛り上がると?」


 部隊の隊長を務める太った男が言うと、ヘルデンは頷いた。


「イザヴェル連合王国の代表は誰であったか」


 目を閉じたままのフローレンスが円卓の者たちに訊ねる。

 配られた紙には、参加国の名前のみで、代表者が誰かまでは記載されていない。


 それを開催前に全て把握しているのは、セントイーリカ市国のみである。


「確かローレライですな」


 つてから聞いていたヘルデンが答える。


 正確には、ルイーダの酒場の常連客だった者から、ルイーダが聞き出した情報ということになる。


 その名を聞いて、テーブルについている面々が、いっせいになるほど、という顔になった。


「……いやはや、あ奴がまた出てくるのか」


 フローレンスが腕を組んで厳しい表情になる。


「確か……3年ぶりか」


「イザヴェル連合王国も勝利を狙ってきたということですね」


 部隊長の男が唸る。


『風と水に愛された乙女』、ローレライ・リズ・エレンルシア。


 職業【自然を愛する姫】を持つローレライは、2属性の精霊を同時に、そして自在に使役することができる。


 水の力で様々な攻撃を無効化する一方、風の力で文字通り風に乗るように行動速度を上げて卓越した剣技を見せるという。


「……嘘か誠か、あれは人魚族マーメイドじゃとか」


 元老院議員議長の言葉に、フローレンスが頷く。


人魚族マーメイドは我らエルフ以上に精霊に好かれるからな。精霊使いにはもってこいの種族だ」


 人魚族マーメイド

 イザヴェル連合王国の北に接する穏やかな海『アドラー海』に棲む亜人である。


 その中の上位種、西方人魚ウェスタンマーメイドは人の姿を取ることができ、遠い昔からこの地域の人間たちと交流を重ねてきた歴史がある。


 人と人魚との交流の始まりは、遠い昔。


 しがない漁師の網に、お転婆の人魚の姫がかかってしまったことからだったとされている。


 イザヴェル連合王国では、今から5代前の国王が

 人魚族マーメイドをこよなく愛し、彼らと和平を結び、陸上において人と変わらぬ人権を与えたことが大きな転機となった。


 その後は人の姿を取ることができる西方人魚ウェスタンマーメイドが日常的に人の世界に入って、今では人と全く変わりのない生活を営んでいる。


「三年前の決勝では、あれがセントイーリカ市国を追い詰めた。今までで一番の手に汗握る戦いになったはずだ。わらわもよく覚えている」


 目の見えぬフローレンスが、興奮した様子で告げると、周りの者たちが間違いないと大きく頷いた。


「それでイザヴェル連合王国との決勝を見越していた……なるほど。理は通りますな」


 ヘルデンが黒髭だらけの顎をさする。


「しかし初戦から難敵となってしまったな、ラモよ」


 フローレンスが苦笑いする。

 周りの者たちもいつの間にか言葉少なになっていた。


「でも僕、2回勝てば優勝ってことですよね」


 ラモはトーナメント表を眺めながら、こともなげに言った。


 確かにシードになっていたリラシス王国が棄権したため、ラモがイザヴェル連合王国に勝てば、決勝でセントイーリカ市国なり、リンダーホーフ王国なりと戦うだけであった。


「その2回が大変なのだ。わらわたちはセントイーリカ市国に勝った者をいまだかつて見たことがない」


「………」


 フローレンスの言葉が発せられると同時に、周りはラモから視線を逸らした。


 漂う空気が重々しいものに変わる。


 過去の、全く歯の立たなかった苦々しい敗北が彼らの脳裏に浮かんでいた。


「例年通りなら、セントイーリカ市国は枢機卿の立場にある男を出してくるはずですな」


 ヘルデンが付け加える。


「枢機卿……」


「教皇の息がかかった存在で、3人が任命されている。そのうちの一人が毎年出てくるが、わらわたちは名も知らぬ」


 首を傾げるラモが見えたかのように、フローレンスが言った。


 5年前から登場しているその男は、世界決闘大会以外には表舞台に一度も登場したことがなく、正体は謎に包まれている。


「強いんですか」


「強いですな。信じられぬほどに」


 ヘルデンが険しい表情で頷いた。


「普通、開催国ばかりが勝ち続けたならば、ズルだの、贔屓だのと言われがつく。しかしそういう言葉を一切吐かせぬほどに、その男は圧倒的なのですよ」


「そうですか」


 しかしラモの返事は軽い。


「このように厳しい戦いになるが、任せて良いだろうか。ラモよ」


「もちろんですとも」


 あっさりと放たれたラモの力強い言葉に、座していた周囲の者たちがおぉ、と声を上げると、立ち上がって拍手し始めた。


「これほど心強いことはない!」


 フローレンスも高揚した声を発すると、拍手はさらに高まった。


 盛大に盛り上がるその向かいでは、ローザが俯き、あえて沈黙を守っている。


「ラモよ。最後に一つ訊ねて良いだろうか」


 拍手が静まった後、フローレンスが言う。


「はい」


「そなたの胸にあるらしいその短剣、わらわには触れもせぬが、ローザの話ではラーズの刻印があるという。ならば、その状態でセントイーリカ市国に行くのは危険ではないのか」


「………」


 ローザが、はっと顔を上げた。


 フローレンスが自分と同じようにラモの心の内を見抜いていたことに、嫉妬に似た感情が湧き上がっていた。


「………」


 ラモの顔つきが、険しいものに変わる。


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