第233話 踏み台となる者



 そろそろ大会の話をしなくてはならぬ、というフローレンスの言葉に従い、皆は夕食の席を共にすることとなった。

 ラモとローザは本日二回目の湯浴みを終え、正装してその場へと参加する。


 ラモは職人が急ピッチで仕上げたタキシードスーツ。

 ローザはブラウンの裾の長いワンピースにした。


 他にも3着ほど候補が用意され、付き添った侍女からは露出の少ないものを選ぶよう言われていたが、ローザは言われずとも一番地味なものを選んでいた。


「こちらです」


 侍女に案内された楕円形の円卓には、すでに王女フローレンスたちが座していた。


「ラモ、わらわの隣へ」


 さっきと打って変わり、手を振るフローレンスはアッシュグレーの髪を結い上げ、鎖骨を晒すオフショルダーの純白のドレスを着ている。


 はい、と頷いたラモが、視界の端に捉えたものを2度見する。


「ローザさん」


 ラモが笑顔になって、やってきたその名の少女に手を振る。

 しかしローザは小さく笑んだのみで、首を小さく横に振った。


「ラモ様、こちらです。姫様がお待ちです」


 フローレンス付きの侍女サリアがラモの視界を遮るように立つと、もう一度着席を促した。


「あ、はい」


 女の事情を理解していないラモだったが、フローレンスを待たせているということだけはわかって、着慣れないタキシードの首元を痒そうにしながら、そそくさと席についた。


 ラモとフローレンスのほか、ヘルデン、議長を務める元老院議員二名、部隊隊長らと、ローザが同じ円卓を囲んだ。


 ラモの両隣にフローレンスとヘルデンが座り、ちょうどラモの向かいの位置に当たる席にローザが座した。


「たくさん召し上がってくだされ。実は今日あたりにお戻りかと思いましてな、十分に準備しておきましたぞ!」


「今回は驚いていただけると思いますの」


 ラモに料理を取り分けているルイーダが、ヘルデンと笑い合う。


「もう十分に驚いてますとも……」


 ラモは嘆息していた。


 目の前に広がるのは、円卓に所狭しと並べられた、湯気の上がる料理の数々。


 中でも目を引くのは、円卓の中央でグツグツと煮える赤いスープの鍋料理であった。


 牛骨を使ったスープにさまざまな香辛料をたっぷり入れ、そこにバラ肉を角切りにして煮込んだ、この地の郷土料理である。


「ハッハッハ! 今回はさすがのラモ殿でも食べ切れぬか!」


 ヘルデンが顎髭をさすりながら、満足そうに笑った。




  ◇◆◇◆◇◆◇




「ラモ。そなたはセントイーリカ市国には行ったことがあるか」


 食事が進み、皆の会話も随分と弾んだところで、フローレンスがそう切り出した。


「いえ、実は一度も」


「行かぬに越したことはない。かなり変わった国でな」


 フローレンスは苦笑していた。


 セントイーリカ市国は『光の神ラーズ』教会の聖地がある国で、教会のトップたる教皇により統治されている。


 それゆえ光の神を信仰する者で、かつ年間一定以上の税を収められる富裕層だけが居住を許されるという、他では類を見ない国になっている。


「あそこは狭苦しく、堅苦しいと覚えておけばよろしいですよ」


 そう言ってヘルデンが笑った。


 セントイーリカ市国は花びらのように並んだ6つの国に囲まれた中心に存在しているために面積は極めて小さい。


 加えて、ヘルデンが堅苦しいと言ったのは理由がある。

 光の神を信仰しない者でも、ひとたび国に入ればその神の戒律を守るよう強制されるためである。


 それは慣れない者にしてみれば大変な重荷で、戒律を破れば旅行者であろうと、同様の厳しい罰則が科される。


「決闘大会の本大会はその国で行われるんですよね」


「その通り。バベルの屋外に巨大な闘技場がありましてな」


 訊ねたラモに、ヘルデンが頷いて答えた。


 闘技場では日常的に『魔物浄化』と称して闘技兵と魔物を戦わせる見世物が行われており、一次産業のないセントイーリカ市国としては、重要な収入源のひとつとなっている。


 光の神ラーズは魔物の一切の存在を認めておらず、その殺戮こそが正義、世のため人のためになると説いている。


 それゆえ人の血が流れることがある上に、裏では賭博行為まで行われていながら、この国では正しき行為として認識されている。


「大会は毎年セントイーリカ市国が優勝している」


 フローレンスが感情のこもらない声で言った。


「相当強いんですね」


「強いですな」


 ヘルデンが険しい表情で頷く。


「強いのはわかりますが……あの空気で戦うのは戦いづらいと思いますね。毎年見ていてかわいそうになります」


 ラモの向かい側に座っていた部隊隊長を務める肥満体の男が、言いながら苦笑している。


 コロシアムに詰めかける観客の8割は他国からの来客である。

 しかし、それがすべて出身国を応援するかというと、そうではない。


 来客は光の神ラーズを信奉する者が選ばれやすいために、セントイーリカ市国を応援するのである。


 それゆえ、他国の参加者はアウェイの空気にさらされる中で戦うことになる。


「確かにな。わざわざ呼び寄せた他国を歓待しているのか、いたぶりたいのかわからん」


 ヘルデンが吐き捨てるように言った。


「いや、いたぶりたくて仕方ないのであろう。チャピンはそういう性格だ」


 フローレンスの声はわずかに暗さを帯びた。

 チャピンとは、セントイーリカ市国の教皇の名である。


「あれに従う未来しかなかったことを思えば、今はなんと幸せなことでしょうな」


 ヘルデンがラモに期待の眼差しを向けると、フローレンスが全くだ、と笑みを浮かべた。


「そういえば今年は『シグムントとヴィーナスの栄光の日』からちょうど100年らしいですよ」


 皿を取り替えに来たルイーダが、その澄んだ声を響かせて新しい話題を提供する。


「……あれ、その名前……」


 聞いたことがある、とラモはつぶやき、記憶を探るように上を見上げた。


「もしかして、過去の勇者と聖女……?」


「いかにも」


 ラモがぽつり、と呟いた声に、ヘルデンは頷いた。

 離れたところで、ローザも頷いている。


「第12代の時だけ、光の神の信徒から勇者と聖女が両方選ばれましてな」


 たいていは勇者が無宗教だったり、聖女が大地の司祭だったりと、光の神の祝福を二人が共に授かることはまれである。


 後にも先にもこのようなことはなかっただけに、セントイーリカ市国はそれを長きにわたり、祝としているのであった。


「栄光と言えど、パーティとしては少々問題があったらしいが」


 フローレンスが口元をそっと拭きながら言う。


「問題ですか?」


 ラモが訊き返した。


「そう。魔王を前にしたところで『偽勇者』の裏切りがあったらしいのだ」


「『偽勇者』……」


 ラモはその単語の意味を思い出そうとする。


「『勇者が魔王に殺される運命が明らかな時、神は身代わりとして【偽勇者】を遣わす』と言われております」


 フローレンスに代わり、ヘルデンが説明を始めた。


『偽勇者』。


 神は勇者の代わりとなって、身を挺する者を指名することがある。

 それが、職業『偽勇者』である。


 その者の屍を踏み台にして、世界を救えと言うのだ。


『偽勇者』を授かる者の能力は非常に優れており、時に勇者を超えるほどの才能にあふれるとされる。


 当時の十二代の勇者パーティにおいて、その残酷な運命を背負ったのはアビスという名の少年であった。


 若くして様々な能力を開花させ、『神童』と呼ばれたこの少年は間違いなく勇者であろうと巷では噂されていた。


 やがて九歳にして、アビスはその残酷な職業を授かることになる。

 しかしアビスは従順にその運命を受け入れた。


 その職業を授けた光の神を信仰し、光の神の神殿に入り、若くして栄誉ある聖騎士となった。


 この生命、勇者様のために使わせていただきます、と、大衆の前で宣言し、魔王討伐パーティに参加した。


 アビスに迷いはなかった。

 運命に抗うことなく、人生を終える覚悟を決めていたのである。


 しかし問題が起きた。

 アビスは行動を共にするうちに、心も身体も澄んでいた聖女ヴィーナスに恋をしてしまったのである。


 そのうち、一点の曇りもなかった心に影がさす。


 当たり前の疑問がアビスの心から離れなくなる。


 なぜ自分は、恋の一つもできず、人らしい幸せをひとつも手にできずに死ぬのだろうと。


 旅とともに始まった『光の勇者』シグムント、美しき『光の聖女』ヴィーナス、そして『偽勇者』アビスの三角関係。


 その十二代勇者パーティに付き添い、凄惨な死を遂げた付添の魔術師の手記に、こう綴られていたことが知られている。


 心優しきヴィーナスは死の運命を背負うアビスを憐れみ、シグムントの陰で口づけ以上のことを許してしまっていた、と。


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