第236話 紅茶とトーナメント表2


「そういえば、アラービスも参加されるのですわね」


「……カルディエ、もう国王ですよ」


「あぁ失礼しましたわ、アラービス国王殿下も参加なさるようですわね。オホホ」


 カルディエはわざとらしく言葉を直した。


「でも予想もしておりませんでしたわ。あの男がわざわざ出向いて、人目につくところで剣を振るうなど」


「皆そう言っていますね」


「しつこいですが、今や国王ですのに」


 フィネスが頷き、視線を窓の外へと向けた。


 国王は言うまでもなく国のトップであり、民の尊敬を集めるべき存在である。


 その国王が一介の者に負けたとあっては、国民に示しがつかなくなることくらい、アラービスにもわかるはずである。

 いや、アラービスという男は、わずかにでも恥をかきそうな催しがあれば、先手を打って回避してみせる。


 誰よりもそういうことに気がまわる男なのである。


 だからこそ、アラービスの本性を知っている者からすれば、この参加の意味が全くもって腑に落ちなかった。


「おかえりなさいませ、フィネス様」


「スンニ。紅茶の湯をお願いしていいかしら。湯浴みもお願いしたいのです」


 フィネスは自室の前で待っていた侍女にそう告げた。

 先程の会議でなにか嫌な汗をかいた気がして、もう一度湯浴みしたい気分になっていた。


「承知いたしました」


 二人に一礼して、スンニという侍女が小走りに去っていく。


「どうぞ、カルディエ」


「失礼いたしますわ」


 カルディエが一礼をし、鎧を鳴らしながら室内に入る。


 窓辺にフィネスが肌身離さず持ち歩いている日記が置かれているのを見て、フィネスが会議までのわずかな時間をそこで過ごしていたことに気づく。


 フィネスはある人物を想うようになってから、毎日のようにそこに座ることを、カルディエは知っていた。


「差し支えなければ、今日くらいはわたくしが淹れさせていただきますわ。少し座っていてくださいませ」


 スンニが湯を持ってきたのを見て、カルディエがフィネスを気遣う。

 今日のフィネスは早朝の要人の面会から始まって、朝から疲弊していたことを知っていた。


「いえ、カルディエが座っていてください」


 フィネスは茶湯用の黒檀棚の上で、自分で湯呑みに葉を詰め、湯を落とす。


「ではフィネス様、こちらの中で早めにご覧になりたい部分はありますか」


 カルディエが手を動かしているフィネスの背中に声を掛ける。

 カルディエの眼前には例の紐で結ばれた紙束がある。


「そうですね……一応……参加者の確認をしたいです」


「あぁ、そうでしたわね。わかりました」


 言葉の意味を察したカルディエが紙束を次々とめくり始める。

 そう、今回の参加において、フィネスの唯一の関心事はそこだった。


 行方不明になっているあの人が、参加してくるかもしれない。


 ずっとそう考え続けていたのである。


「たしかこのあたりに……」


 カルディエは目的の内容が書かれた一枚を探す。


 なお、セントイーリカ市国からは各国の参加者の正式な明示がされていないため、ここにあるのはリラシス王国が独自に調べ上げたものである。


 この情報を事前に手に入れることができたのは、リラシス王国が常に他国に友好的に接していることに加え、大会を棄権していることが大きい。


 ちなみにセントイーリカ市国だけ、参加者の名が記載されていないのは、唯一友好関係が確立していないからにほかならない。


「フィネス様。ありましたわ」


「……はい。ちょっと待ってくださいね」


 その言葉の誘惑をこらえながら、フィネスは湯を注ぎ続ける。


 フィネスがその名の男を探し続けて、すでに2ヶ月が過ぎようとしていた。


 なにか手がかりがあれば王宮に知らせるよう、各方面に伝達しているが、未だになんの音沙汰もないままである。


(サクヤ様……)


 フィネスは心の中で、何度目か知れず、その名を呼ぶ。


 サクヤは魔王すらも倒してみせるほどの腕を持っている。


 当初は万が一のことなど起こりうるはずがない、という確信を抱いていたが、これほどに見つからないと、気持ちはどうしても落ち着かなくなっていた。


「フィネス様」


「……はい?」


「受け取りに来ましたわ」


「あっ」


 フィネスは湯を注ぎ終え、皿に乗った二人分のカップを両手に持ったまま、棒立ちしていた。


「……ごめんなさい」


「サクヤ様のことをお考えでしたのね」


「………」


 フィネスは言葉に詰まる。


「フィネス様がそんな風になる時は、それしかありませんもの」


 カルディエはフィネスの手から、そっとカップを引き取りながら微笑んだ。


「………」


 フィネスはカルディエから視線を逸らし、窓の外を見る。

 そこでは朝のそよ風に吹かれた木々の梢が揺れて、トントンと窓を叩いていた。


「……今日は風が強いですね」


「ええ」


「一緒に参加者を見てくれますか」


「はい、そこにご用意しましたわ」


 そう言って二人で並んでソファーに座る。


 もちろん視線を落としたそこに、フィネスの思い描いていた名前はなかった。


「……わかっていたんです」


 フィネスは自嘲するように笑った。


 各国から強者が集まる催しならばきっと、という考えをどうしても捨てきれなかった。

 だから、フィネスは貴賓としてその場に赴こうと考えたのだ。


 参加者をこの目で見て、確かめたいがために。

 だが現時点でその必要はなくなってしまった。


「フィネス様らしいですよ。せっかくですから、わたくしも最後までご一緒します」


「実は嫌と言っても、カルディエには同行してもらうつもりでしたけど」


「わかってましたから、先に潔く言いましたの」


 二人が、くすくすと笑う。


「エルポーリア魔法帝国は、やはりイライジャ様ですね」


 カルディエが話を変えるように言った。


 国防学園の学園長イザイらを中心に進められている『剣と魔法の国リラシス』の実現を目指すために、このリラシスにも講演で招聘したことのある人物である。


 現代において最も古代語魔法に優れているとの誉れ高く、『叡智の賢者』の二つ名がある。


「対するはアラービスですか。面白い戦いになるといいですわ」


 一回戦の一組目はエルポーリア魔法帝国とリンダーホーフ王国である。


 この勝者はその後、シードになっているセントイーリカ市国と戦い、勝った者が決勝へと進出する。


セントイーリカ市国はやはり枢機卿の方でしょうか」


 フィネスは唯一名の書かれていないシードのところに目を向けた。


「……あの男、なにか気味が悪くて。わたくしは正直、アラービスよりも苦手ですわ」


 カルディエは言いながら、鳥肌の立った二の腕をさすった。

 教皇の絶大な信頼を得ている枢機卿のひとりがここ数年参戦し、無敗を誇っている。


 枢機卿までしか紹介されず、二人はその本当の名を知らない。


「言いたいことはわかります」


 フィネスが苦笑いをした。

 客席から見ただけだが、フィネスもまた、同じような印象を受けていたのだった。


「フィネス様、次に参りましょう。ローレライという名前、聞いたことがありますわね」


 カルディエがトーナメント表を指差した。

 フィネスが頷く。


「以前に決勝まで行かれた方でしょう。よく覚えています」


 フィネスとカルディエが目を向けているのは、イザヴェル連合王国の下に記載された名である。


「わたくし、知らないのですが、何年前くらいでしたの」


「確か……3年前ですね。カルディエはあの時、居なかった気がします」


「そうでしたの」


 カルディエが紅茶を口に運ぶ。


「でもそれなら相当にお強い方ですわね……どうしてここ2年は参加されなかったのでしょうね」


「あの方は人魚族マーメイドですから、人にはわからない事情があるのかもしれません」


人魚族マーメイド……そうでしたのね」


 カルディエは一瞬カップの動きを止めたが、すぐにとりなす。


「でもフィネス様。このトーナメントのつくりですと、セントイーリカ市国はレイシーヴァ王国か、このイザヴェル連合王国が強いと考えているんですわよね?」


 カルディエはカップを持たぬ左手でトーナメント表をなぞりながら言った。


 セントイーリカ市国は毎年、決勝を盛り上げるために、最も腕の立つ他国の代表と決勝でぶつかるように配置する。


「そうですね。このローレライさんとの決勝を予想して作ったと見て間違いなさそうです」


「納得できましたわ」


 そしてフィネスたちの視線は最後の一つへと向けられる。


「……レイシーヴァ王国も参加するのですね」


「ええ。ここが最後の光明となるか、ですわね」


 レイシーヴァ王国がその多大な負債ゆえに、セントイーリカ市国にまもなく併合されることは二人とも知っていた。


「フローラ……気が気でないでしょうに」


 フィネスは太ももの上にある白のスカートの裾を握りしめた。 


 困窮したレイシーヴァ王国を救うために、このリラシス王国は方法を問わず、尽力してきた。

 敵対行為ととられかねないとわかっていながら、セントイーリカ市国に植民地化される前にリラシスに併合される案も検討されたくらいである。


 が、リラシス議会では必要とされる過半数を得ることができなかった。

 その後は代替案として、リラシスからは様々な形で人道支援が行われてきた。


 フィネス自身も年間にして金貨100枚以上をレイシーヴァ王国に送っている。


「代表は……」


 フィネスの視線が、国名の下に向けられる。

 レイシーヴァ王国の下には、アーノルドという名が二重線で消され、ラモという名が書かれていた。


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