第222話 銀の悪魔2


「旅の者か。顔を見せ、膝をついて我らが王に礼をせよ」


 連れてきた近衛兵が、いらいらした口調で命じた。

 女は国王を前にしておきながら、民として当然の行いをしなかったためである。


 女はそれに抗う様子もなく、言われた通りに片膝をつき、フードを背に下ろした。


「むっ」


 目にしたヘルデンが、真っ先に唸った。


 それは年は16、17ほどの、美しい少女だった。

 だが、同時に明らかになったもの。


「……ぎ……」


 占星術師のトチャが目を見開き、震える指先で少女を指さす。


「銀じゃ……!」


 そう、背に流れる少女の髪は見事な銀だった。

 その一本一本に値がつくのではと思うほどの、しなやかな銀髪。


「悪魔……悪魔じゃぁぁ! ……あぶ……」


 トチャが叫びながら、興奮のあまり泡を吹いて倒れた。


「――近衛、抜剣許可! 民から隔絶しろ!」


 すぐさま、ヘルデンがテラスから声を張り上げた。


「ヘルデン様、待っ――」


 血相を変えたルイーダには応じず、ヘルデンはテラス柵を乗り越えて、一気に地上へと飛び降りる。


「――あの女を取り囲め!」


「はっ!」


 周囲で観衆を監視していた近衛兵たちが、その場で次々と抜剣する。


 突如漂い始めた、殺伐とした空気。


 跪いていた少女が、はっとして立ち上がった。


 予想もしていなかったのであろう。

 その顔には、強い戸惑いが浮かんでいる。


「貴様が予言の悪魔かっ!」


 少女を案内してきた近衛兵が豹変し、その背中をドン、と突き飛ばした。

 少女は「あっ」と呻いて、うつ伏せに倒れ込む。


「――動くな!」


 騒然とし始める観衆たちを尻目に、抜剣した近衛兵が四方八方から刃を少女に突きつけた。


「やめてください」


 そこへ、音もなく現れた者がいた。

 刃を物ともせず、少女をかばうように立つ。


 ラモである。


「なぜこんなことを」


 ラモが凛々しい表情で両手を広げ、兵士たちに向き合う。


「………」


 近衛兵たちが顔を見合わせ、えっ、という顔をする。

 ラモが敵対行動をとったことも驚いたが、それ以前にこの男、たった今まで二階テラスに居たはずである。


 ヘルデンのように飛び降りてきたならまだしも、どうやってここに現れたのかが、彼らの理解を超えていた。


「近衛、その場で待機。私が話をする」


 そこでヘルデンが近衛兵の間を縫って、ラモの前にやってきた。


「ラモ殿、離れてください。そいつは『銀の悪魔』です」


 ヘルデンが険しい表情のまま、静かに告げる。

 そのままハルバードを取り出し、腰を落とすようにして構えた。


「銀の悪魔?」


「トチャの占星術によれば、その者がこの国に災いをもたらすというお告げがあったのです」


「離れません」


 だがラモは両手を広げて自身を盾にしたまま、微動だにしない。


「あ、あく……?」


「……悪魔だって!?」


「――やべぇ逃げろ!」


 聞こえてきたその言葉の意味を理解した観衆が背を向け、我先にと逃げ出していく。


「もう一度言います。ラモ殿、離れてください。その女、おそらくは姫以外にも、なんらかの害を為す」


 繰り返されても、ラモは微動だにしない。

 ヘルデンと睨み合ったまま、首を横に振った。


「……君、もし今も見えているなら、僕の胸にあるものがなにか、言って」


 ラモは振り返らずに、背後の、倒れ込んだままの少女に訊ねる。

 そう、ラモは自分の胸に何があるのかまでは、口にしていなかった。


 少女は手をついて半身を起こす。


「短剣よ。『祝福された光の短剣』」


「………」


 即答された正確な答えに、ラモは鳥肌が立っていた。

 だがすぐにとりなし、ありがとう、と一言を返すと、少女をかばったまま口を開いた。


「ひとまず、武器をおろしてください。この人を排除すると言うなら、僕はここで、徹底抗戦しなければならない」


「………」


 周囲がざわり、とする。


「……ラモ殿、その者には本当に見えておるのですか」


 ヘルデンが信じられない様子で訊ねてくる。


「間違いありません。説明しますから、ひとまず武器を」


「……しかしですな」


 ヘルデンもやすやすと折れることはできない。

 トチャの占星術が外れたことなど、今までただの一度もなかったのだ。



 ――北より現れし銀の悪魔、我らが偉大なる王に災いをもたらさん――。



 この女が王たるフローレンスになんらかの害をなすことは、はっきりしているのである。


「ラモの言う通りにせよ」


 その時、二階テラスから声がした。

 言葉を発したのは、当のフローレンスであった。


「ラモを救うことができる存在なら、その者も間違いなく我が国の救世主なるぞ」


「姫……」


「わらわの名において命ずる。その者に二度と剣を向けるでない。失礼を詫び、ただちに手厚く歓迎せよ」


 威厳のこもった言葉に、あたりもシーン、と静まり返った。


「しかし……」


「ヘルデン、同じことを二度言わせるでない」


 フローレンスの声には、国を統べるものらしい、穏やかながらも有無を言わさぬ力が宿っていた。


「……はっ」


 ヘルデンが畏まると、すぐに立ち上がった。


「……近衛、剣をしまえ。持ち場に戻って待機」


 ヘルデンが自身も剣を仕舞いながら、近衛兵に告げる。

 兵士たちはそれに従って武器を仕舞うと、鎧を鳴らしながら足早に去っていった。


 この決定に最も抗いそうだったのはトチャであるが、まだ泡を吹いて意識をなくしており、宮廷薬師のヨーゼフがその対応に追われている。


「ラモ殿、そしてそちらの女。只今の騒ぎ、深くお詫びいたす」


 周囲が落ちついたところで、ヘルデンが丁寧な謝罪をする。


「いえ、わかっていただければ、いいんです」


 ラモは安堵したように言うと、銀の少女に向き直り、その手を取って立たせた。


「ごめんね、大丈夫?」


「………」


 少女の視線が、ラモの顔から自分の手へと下がっていく。

 そして、そこにある現実に気づいた少女は俯いて頬を染め、小さくうん、と頷く。


「ところで後ろの女、名はなんと……むっ」


 ヘルデンが問題の少女に半歩近づいたところで、その眉がぴくり、と揺れた。


「お主は……」


 ヘルデンが目を細めて、その少女の顔をじっと見る。

 見覚えがあったのである。


「あれ、もしかしてお知り合いですか」


 ラモが訊ねてくる。


「いえ……私の勘違いでしたな」


 ヘルデンは咳払いをすると、ラモに向き直った。


「ラモ殿。もはや武器を向けることはないと確約致しますが、我らとしてはトチャの言葉も軽んじるわけにはいかぬことをご理解頂きたい。それゆえお二人で話を始める前に、このお方に多少の検査をよろしいですかな」


 調べはもちろん侍女が行います、とヘルデンが付け加える。


「………」


 ラモがちらりと、銀の少女に視線を走らせた。

 しかし少女は、ヘルデンなど目に入らぬかのように、自分に熱のこもったまなざしを向けている。


「手荒な真似は」


「もちろんせぬと約束いたす。私からは数点口頭で確認するのみです」


「わかりました」


 ラモが同意したのを確認し、ヘルデンは少女に向き直り、騎士の礼をする。


「私は近衛騎士隊長のヘルデンと申す。王宮内にお連れする前に検査を先に致す。ご協力頂けますかな」


「………」


 少女は小さくあとずさった。

 無言のまま、ラモの手をきゅ、と握り直す。


「僕も一緒に行こうか」


 気づいたラモが、その手を握り返した。


「申し訳ありませぬが、ラモ殿は調べの間、私の代わりに姫の護衛をお願い致したい」


 繰り返しますが、手荒なことはありませぬのでお一人で大丈夫ですぞ、とヘルデンが保証する。


「その検査は――」


「行きます」


 ラモが言いかけたところで、銀の少女がラモの前に出た。

 それにやや遅れて、少女は握っていた手を、すっと離す。


 少女の顔にはもはや戸惑いの色はなく、何かを決意したような力強さに溢れていた。


「……ご協力感謝致す。ではこちらへ。この建物の地下になります」


 ヘルデンはもう一度騎士の礼をすると、右手で行く先を指し示す。


 少女は近衛騎士に付き添う形で、迷うことなく歩き出した。

 その後ろに、侍女とヘルデンが続く。


(ふむ……)


 前を歩く少女の、外套越しのほっそりとした背中を眺めながら、ヘルデンは髭だらけの顎をさする。


「なるほど、そういうことか……」


 誰にも聞こえぬほどの声で、呟いた。


 ヘルデンはひとり、理解していた。

 トチャの言っていた『災い』が、何を意味するのかを。





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