第223話 篝火の尋問室
西王宮の地下の、篝火で照らされる灰色の石造りの室内。
この部屋は過去に政治犯などを問いただしてきた、上級尋問室である。
20メートル四方ほどの広さがあるものの、内部は隣の部屋と繋がる手のひら程度の小さな窓が3つあるのみで、極めて質素な作りになっている。
そこに外套を着た銀髪の少女と、重装備のヘルデンが向き合っていた。
「お主、名は」
問いかけるヘルデンの背後には3名の侍女が立っている。
さらにその背後には、重装の近衛兵士が8人ほど控えている。
「名はアリアドネ」
「ではアリアドネ殿。サクヤ殿を追ってここまで来られたのですな」
「……あたしを知っているの?」
篝火で暖色に染まっていたアリアドネの顔が、ふいに険しくなる。
ヘルデンは頷いた。
「私の記憶が間違っていなければ、アリアドネ殿は連合学園祭でサクヤ殿のパートナーを務めていたお方ですな」
「………」
なるほど、とアリアドネは気づく。
確かに当時の闘技場は恐ろしいまでの大観衆だった。
レイシーヴァ王国の人間が観客として混じっていても、なんら不思議ではない。
いや、そう言えば勝ち抜きの最中、レイシーヴァ王国からの来賓が観戦していることをアナウンスが告げていた気もする。
この男がそうだったのかもしれない。
「ちなみにアリアドネ殿はどのようにして、サクヤ殿がここにいるとお知りになったのですかな? 我々は見つけるのにとてつもなく苦労したのですが」
ヘルデンは怪訝そうな顔で訊ねた。
「神が示したから」
「……なんと。神が?」
ヘルデンが目を丸くしながら、顎をさする。
「私は神を一切信じませぬが、そんなことを教えてくれるのなら、明日からは祈りを捧げても良いかもしれぬな」
ヘルデンが硬い表情のまま、小さく笑った。
「検査というのは嘘ね?」
アリアドネが淡々とした様子で訊ねた。
そのキメの細かい頬と素脚を、灯りが揺らめきながら暖色に照らしている。
「いかにも。私からひとつ、お願いがありましてな」
ヘルデンは頭を下げて詫びると、アリアドネをまっすぐに見た。
ヘルデンはすでに『銀の悪魔』がどういった形で自国の災厄となるのか、理解していた。
アリアドネはサクヤを愛し、ここまで探しにやってくるほどの女。
そう、フローレンスの恋路に邪魔立てしてくるのである。
もし今、ラモの気がフローレンスから逸れれば、それは国にとって恐ろしいまでの大損害になることは、疑いようがないのだ。
「アリアドネ殿、ここまで追ってきたお主の気持ちは言うまでもなく察することができる。サクヤ殿の問題を解決してくださるだろうことについても、先に礼を言っておこう。――しかし」
ヘルデンが言葉を区切り、息を吸う。
そしてその心を鬼にする。
「サクヤ殿からは手を引いていただきたい。御仁はまもなくフローレンス王女の夫となるゆえ」
「……え……」
アリアドネが、硬直した。
「私からの願いはこれひとつ。それさえ守ってくだされば、あとはこの国で何をしてもらっても結構」
「………」
呆然とするアリアドネの肩を、近づいてきたヘルデンがぽん、と叩く。
「ご理解いただけましたかな? アリアドネ殿」
「もう……決まったことなんですか」
アリアドネがやっとの思いで紡ぎ出した言葉に、ヘルデンは首を横に振った。
「だが、それも時間の問題といって良いでしょうな」
「………」
アリアドネは、胸の痛みで呼吸ができなくなっていた。
「アリアドネ殿。そういった事情で――」
「……納得しているの? サクヤくんも」
喉から絞り出すようにして、アリアドネが言葉を割り込ませた。
彼女にとって、そこがいちばん重要な点だった。
不安が彼女の心を占め始め、もしかしたらそれがあっての失踪だったのかとも思い始める。
しかしヘルデンからは、予想もしない返事が返ってきた。
「それについては確約を頂いたわけではない。サクヤ殿は何らかの原因で、記憶を失っているのでな」
「え……?」
アリアドネが驚いた表情でヘルデンを見る。
サクヤくんが、記憶を……。
実はアリアドネも、違和感自体は感じとっていた。
先程、サクヤが久しぶりに逢った自分に対して、まるで他人のように接してきたからである。
少なからず傷心しながらも、なにか理由があってのことだろうと、アリアドネは黙ってサクヤに合わせていたのだ。
「どうしてサクヤくんは記憶を?」
「それは我らにもわかりかねる。この国に居た理由も」
「………」
アリアドネは視線をヘルデンから外し、壁の篝火に向けた。
そのゆらめきを食い入るように見つめたまま、思案し始める。
――ラーズの信徒が、そなたを救いし者を害そうとしている――。
神は自分にそう告げていた。
(……もしかして)
サクヤくんはラーズの信徒から被害を受けて、逃れるためにこの国に……?
その戦いの最中に、記憶を……?
「それでも、サクヤ殿は自ら決意された。王女のそばにいてくださることを」
「………!」
しかしそんな思考は、ヘルデンが告げた言葉で唐突に断たれた。
「さ、サクヤくんが?」
アリアドネが耳を疑う。
サクヤくん、王女様のことを……?
「いかにも。我らの王女は目が見えぬが、人望も厚く、心も体も澄んだお方でしてな。近くに居れば若い男女のこと、結ばれる日もそう遠くはないでしょうな」
「………」
アリアドネはぺたん、と座り込んだ。
サクヤの笑顔が目に浮かぶ。
胸が張り裂けんばかりに痛む。
その大好きな笑顔が今、他の女に向けられている。
「我が国が傾いていることは貴殿も知っていよう。だがそれもこれまでのこと。貴殿が黙ってさえいてくれれば、サクヤ殿は王に近い存在としてこの国を立て直し、百万単位の人間を救うことになる」
「………」
アリアドネは何も言い返せない。
サクヤに力があることは、アリアドネが誰よりもよくわかっている。
「どうか我が国のため、サクヤ殿のことは諦めてくださらぬか。もちろんただでとは言わぬ」
ヘルデンが目配せをすると、近くに居た侍女が頷き、上品な仕草でアリアドネの前にそっと金貨の入った袋を置く。
「サクヤ殿は今、ラモと名乗られているが、 貴殿も名から改めてもらいたい。ラモ殿とは初対面とし、業務以上の関係は一切避けて頂く」
「………」
アリアドネの目から、涙がこぼれた。
愛しい人のそばにいながら、心は距離を取らねばならないなど、なんという拷問か。
「こんな仕打ち、本当にごめんなさい」
金を置いた侍女が、その背中を優しくさすった。
ルイーダである。
「……ここまでやってくるくらいだもの、あなたがあの方をどれだけ想っているかは私達も、あのヘルデンもわかっているんです」
濡れた顔を上げたアリアドネに、ルイーダが向き合う。
ヘルデンは気まずそうに視線を逸らした。
「でも私達はこの国を守らねばならない。そのためにサクヤ様はなくてはならないお方なんですの。どうか国民の一人として、私からもお願いします」
ルイーダが座り込んだアリアドネの前で、深く深く頭を下げた。
一本に結った髪が、床につかんとしている。
「………」
ルイーダの無防備なうなじを見つめる格好で、アリアドネは言葉を発せられずにいた。
そのまましばし、無言の時間が流れる。
「……わかりました」
アリアドネが立ち上がる。
「おぉ、わかってくださるか! 感謝申し上げる」
ヘルデンが笑顔になり、謝意を示す。
ここはなんとしても頷いてもらわねばならないところだった。
「サクヤくんなら、きっと傾いた国であろうと救ってくれる」
アリアドネがルイーダに顔を上げさせながら言う。
「アリアドネさん……ありがとうございます」
ルイーダの笑顔に向き合いながらも、フィネスという女性なら、きっとここで自分のようには頷かないだろうな、と考えていた。
愛し合えたら、と思う気持ちがないと言えば嘘になる。
しかしフィネスと違い、自分はそれが叶うとは最初から思っていない。
自分は過去からやってきた存在である。
救済され、命があるだけで感謝している。
ただ……。
「ひとつだけお願いがあるわ」
アリアドネはヘルデンに向き直って言った。
「なんでしょうかな。我らで叶えられることであればなんなりと……」
「侍女でもただの料理人でもいい。短剣の件が終わった後も、ここで働かせてほしい」
望んでいいならば、愛されなくてもサクヤのそばに居たいというのが、アリアドネの願いだった。
ヘルデンが目を細めた。
「……約束は守っていただけるのですな?」
「もちろんよ。今までの関係を忘れ、心の距離はとるわ」
言いながら、アリアドネはまた視界が潤むのを感じた。
一生それが続くということは、とてつもない苦難だとわかっている。
それでも、サクヤのそばにいられる方を選ぶのが、自分という女なのだ。
「ふむ」
ちらりと視線を向けた先のルイーダが、それくらいは、と頷いているのを見えた。
「承知した。そのお気持ちに応えられるよう、手はずを――」
「――待つのじゃ」
その時、ふいに後ろから嗄れた声がした。
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