第221話 再会



 もし今のフローレンスの言が全て真実ならば、大変なことである。

 このアイセントレスを中心に、網の目のように街道を走らせることが可能になってしまうのである。


「こうしてはいられません!」


 商人たちは慌ててこの場から走り去って行った。

 さらにフローレンスは力強い声で続ける。


「森の方は即刻、兵を割いて開拓予定であるが、まずはアッサム地区を優先する。人手が圧倒的に足りぬので、お手すきの民にも力添えを願いたい。もちろん報酬は十分な額を支払うぞ」


「――凄いぞ! 何百年も成し得なかったのに」


「――さすがフローレンス様だぁぁ!」


 観衆の高鳴った歓声は、とどまるところを知らない。


「さて、わらわがなぜそんな積年の難題を解決することができたのか。皆も知りたいであろう」


 そこでフローレンスはアッシュグレーの髪を掻き上げ、言葉を区切る。


 観衆たちは一転して静まり返った。

 やはり皆はそれが不思議でならなかったのである。


「わらわの力ではない。ひとりの男のおかげ」


 そういってフローレンスは見えるかのごとく、後ろに控える少年を振り返って、手で指し示した。

 恐縮しきった黒髪の少年がヘルデンに押し出されるようにして、フローレンスの横に並び立つ。


「皆よ。我が国の救世主、ラモである。彼はたった一人で今告げた森の魔物を排除してくれたのだ!」


 フローレンスがこれ以上ない紹介の仕方をしたせいもあって、観客からは大きな歓声と拍手が巻き起こった。


「聞けば諸事情で『武器祭』には参加できなかったそうだが、ラモの腕前はわらわがこの名に誓って保証しよう!」


 フローレンスの宣言に、再び起こった歓喜の声。

 しかしそれは、突然驚愕の色を帯びた。


 フローレンスが隣に立つラモの肩に手を載せると、その頬にそっと口づけをしたのである。


「えっ!?」


 聞いていなかったらしく、ラモは頬を押さえて、仰け反っていた。


「……これはわらわからの礼。心から感謝している」


 エルフらしい、気高く美しい笑みを湛えながら、フローレンスはラモにだけ聞こえるように、そっと小声で囁いた。


 そのやりとりに観衆たちはここぞとばかりに口笛を吹き、いっそう盛り上がり始める。


 肩に落ちてきた髪をほっそりとした人差し指で背に払うと、フローレンスは凛として観衆に再び向き合った。


「民たちよ。喜ぶのは早い。まだ一つ目の話だ」


 フローレンスは肩をすくめて言うと、更に民たちにこう告げた。


「もうひとつ。実は先日、このラモのおかげで我が国は予期せぬ多大な利益を得ることができた。先に言っておくと、皆の想像を超えるとんでもない額だ」


 観衆がざわざわとした。


「……多大な利益だって」


「金貨百、いや千枚とか?」


「マジか、すげーな……あいつひとりでだろ?」


 それをフローレンスが手を上げて制する。


「白金貨で千枚以上の収益になるであろう」


「――おおおぉぉ!?」


 フローレンスが笑みを浮かべてそう告げると、ざわめきはかつてないものに変わる。


「しかしラモはその収入を自分の懐に入れるのではなく、我らが民のために使ってほしいという。多くは赤字の補填に使うゆえ、全てを還元することはできぬが、今日から30日間、朝と昼に街で民に無償で『ルイーダのパン』を配ろう。欲しい者は黄色い旗の立つ場所に来るのだ」


 観衆の並んだ顔に、みるみる歓喜が宿る。


「……ルイーダがパンを!?」


「うわ、マジ食いてぇよぉ!」


 そう、ここにルイーダの名を知らぬ者などいないのである。


「各地域をまわる予定である。その都度食べ切れぬほどに焼くゆえ、動けなくなる前に帰るのだぞ」


 フローレンスの言葉に、民たちはどっと笑った。


「さて、大事なことなのでもう一度言おう。もうわかってくれたと思うが、ラモはかつてない実力者である。セントイーリカ市国での戦いをラモに任せるのは、皆もわかってくれよう。どうだ」


 観衆はそれに、これ以上ないほどの拍手で応じた。

 フローレンスは笑顔で頷き、民へ感謝の言葉を返す。


「……心配するまでもなかったな」


「ええ」


 同じくテラスに立つヘルデンとルイーダが笑みを浮かべながら、そこに拍手を重ねた。

 彼らは民がラモを歓迎せず、フローレンスの言葉に反した時のための対応も準備していたのだ。


「さすがは星の告げた『僥倖』よ。この国を憂いた神が遣わしてくれたのじゃろう」


 トチャも腰掛けたまま、満足そうに茶をすすっている。


「でもパンを焼く話、聞いてませんけど」


 ルイーダがヘルデンにささやくように言った。


「姫様の即興だろう。気にするな」


「私、鎮痛剤の作り手になろうかと思ってましたのに」


「姫様じきじきのご命令だ。大変だろうが頑張ってほしい」


「どなたかからお褒めの言葉があれば、私も頑張れますのに」


 ルイーダがちらりと、ヘルデンを見る。


「子供みたいなことを言うな」


 ヘルデンは目を合わせない。

 目を合わせては負けだと知っているのだ。


「いじわるですのね。減るものではありませんでしょう?」


 後ろに手を組んだルイーダがヘルデンの視界にすっと現れると、すぐそばから視線を絡ませようとする。

 当然のように、ヘルデンは真顔のまま、慣れた様子でそれを避ける。


 一方、フローレンスの演説はクライマックスを迎え、観衆たちは大盛りあがりになっていた。


「二週間後には国の命運をかけた戦いがある。セントイーリカ市国は例によって、強力な戦士を用意して周辺国をなぎ倒すつもりであろう。しかし今年の我らは違うぞ」


 フローレンスがひと呼吸を置いて、再び口を開く。


「我らには守護神ラモがいる! 皆よ、我が国の勝利の日、偉大な歴史の1ページをともにしようではないか!」


 拳を空に向かって突き上げたフローレンスに、観客はこれまで以上に沸き立つ。

 やがて観衆からは、ラぁモ、ラぁモ、という連呼が始まった。


 フローレンスはそこで立ち位置をラモに譲り、後方に下がる。


 リハーサル通りにラモが手を上げ、観衆に応えると、観衆たちはいっそう熱を帯びた。


「皆さん、聞いてください」


 そこでラモという名の少年が、口を開いた。

 観衆はとたんに静まり返る。


「最初にお礼を言わせてください。森に倒れていたところをこの国の少女に助けてもらいました。今の僕があるのは、その人のおかげです」


 ラモが語り続ける。


「だから、この国の人が『恩返しに大会に出よ』というのなら、出て優勝してきます」


 いとも簡単なことのように言うラモに、民はおおぉ、と声を上げて嬉々とした。


「代わりと言ってはなんなんですが、ひとつ僕から皆さんに聞きたいことがあります」


 その歓声が落ち着く頃、ラモは静かな口調で話を続けた。


「僕の胸にあるものが見える人、居ますか」


 ラモは右手で胸元を指差し、観衆に向かって告げた。


「………」


 その場は、静まり返ったままだった。

 観衆のほとんどは、ラモの言っている意味がわからなかったのである。


 それゆえ、そのまま5秒、10秒と時間が経った。


「………」


 この沈黙が指し示すことはただひとつ。

 そう、そこにあるものが見えている者が居ないということだった。


「だよね……」


 落胆したラモが、わずかに視線を下に落とした時のことだった。


 ラモの視界の隅で、何かが小さく動いた。

 観衆の後ろの方から、すっ、と白い手が上がっていたのだ。


「………!」


 ラモは、はっとしてその人物に目を向けるが、人混みに紛れていて、手しか見えない。


「い、居ました!」


 ラモが振り返ってヘルデンに声を掛けると、ヘルデンにも見えていたらしく、すぐに待機していた近衛兵に合図する。


 その近衛兵が踵を返してテラスから去ると、眼下に現れ、観衆の間を縫うようにして、その白い手の人物を迎えに行った。


「見える人、いたんだ……」


 ラモは嬉しさに震えた。

 こればかりは、ラモといえど神にすがるしかなかったのだ。


 見えるなら、可能性はある。

 その人物なら、自分の剣を掴めるかもしれないのである。


 抜く時に自分は命を落とすかもしれない。

 だが、持続治癒スキルと回復魔法ヒールで繋げば、もしかしたら、とラモは考えていた。


「こちらへ」


 白い手を上げた者が、連れられてやってくる。

 薄汚れた、それほど高価そうにも見えない黒の外套を纏い、歩くたびに白のタイトスカートから伸びる白い太ももを外套から交互に覗かせている。


 フードを深くかぶっており、クールな雰囲気を纏う者。

 その顔は見えないが、胸元の膨らみも明らかで、それが女であることは誰の目にも明らかだった。


「……冒険者のようないでたちだな」


 ヘルデンがテラスからしげしげと見下ろす。


「止まれ」


 やがて女は観衆の最前列の前に連れられ、ひとり立たされた。

 女は陽光を遮るように手をかざし、ラモの方へと顔を上げる。


「………」


 二階テラスの上には少なくない人が立っていたが、ラモはすぐに自分に目を向けられていることに気づいた。


「旅の者か。顔を見せ、膝をついて我らが王に礼をせよ」


 連れてきた近衛兵が、いらいらした口調で命じた。

 女は国王を前にしておきながら、民として当然の行いをしなかったためである。


 女はそれに抗う様子もなく、言われた通りに片膝をつき、フードを背に下ろした。


「むっ」


 目にしたヘルデンが、真っ先に唸った。


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