第217話 学問的価値


「――引き受けましょう」


 ヘルデンの言葉をラモは手を上げて遮り、自信に満ちた顔つきで言った。

 そう、生活の基盤を得た、一人前の男の表情であった。


「引き受けてくれると!?」


「当然です、今のお食事の礼もありますし」


 ラモは皆からの視線を一身に浴びながら、立ち上がった。


「聞いてください。僕はこの国に倒れ、この国の民に命を助けてもらいました」


 小さく咳払いをすると、ラモは穏やかな声で話し始めた。


「その人は記憶のない僕に献身的に関わってくれて、そのまっすぐな善意のおかげで今の僕が居ます。でも同時にその人の苦しい暮らしぶりも、僕は目にすることになりました」


 ラモは時間をかけて、その人の生活をありありと語ってみせた。


 武器を持てず、日々森に潜むゴブリンに怯える生活であること。

 食糧が手に入らない日は、豆をいくつか口に入れて空腹を凌ぐこと。


 荒んだ生活ゆえに一部が夜盗化し、善良な民の生活をさらに荒らしていること。


 それでも多くの民は、笑顔を忘れずに日々を生きていること。


「………」


 生々しい、しかし胸を打たれる話に、テーブルにつく要人たちだけではなく、侍女や護衛の兵士たちまでもが動きを止め、無言で聞き入っていた。


「その人や、武器祭に参加するこの国の人達を間近に見てきて、ぜひともこの国を良くする手伝いがしたいと思っていたんです」


「………」


 ラモの言葉に、フローレンスが小さく涙ぐんだ。


「後々、リラシスに戻ろうと思うので配下にはなれませんし、僕は敬語が苦手で、王様たちには失礼を重ねるかもしれません」


 それでもよければ、どうかよろしくお願いします、と足りない敬語を補うように、ラモは深く頭を下げた。


「サリア」


 フローレンスは席を立ち、サリアとともに向かい側の少年の元へとまわる。

 そしてラモの前まで来ると、両手で探ってラモの手を取り、握り締めた。


「ありがとう! 本当にありがとう!」


 まだひとつも事が運んでいないのにもかかわらず、フローレンスは感謝の声を上げながら、ぽろぽろと涙をこぼした。


「感謝いたす、サクヤ殿」


 ヘルデンもその横に並び、深々と礼をする。


「ああ、それなんですが、名前はラモでもいいですか」


 ラモはフローレンスの手を握り返しながら、顔だけをヘルデンに向ける。


「……ラモ?」


 ヘルデンたちが瞬きをする。


「自分がサクヤという名前なのはわかりました。ですが最初に世話になった人にそう名乗ってしまったんで、この国ではその名で通したいなと」


「承知致した」


 ヘルデンが頷いて畏まる。

 それはヘルデンたちにとっても、実に好都合なことであった。


 サクヤという名の者は、この国には居ないことになるのだから。


「ちなみにサクヤ……いや、ラモ殿を助けたという我が国の者の名を聞いてもよろしいですかな」


「イシスといいます。辺境の村カルポネーゼの辺境伯、アイゼンヴァルデ家の四女のはずです」


 ヘルデンが頷く。


「我が国に光明が見えたのは、ひとえにその者のおかげ。丁重な礼をせねばなりませぬな。……ルイーダ」


 ヘルデンが後ろを振り返り、名を呼んだ。


「お呼びで?」


「聞いていたな。その者への褒美は任せる」


 ヘルデンの言葉を聞き、ルイーダはかしこまりました、と頭を下げて去っていった。




 ◆◆◆




 ラモが王宮に迎え入れられた翌日。


「ラモだ。彼がセントイーリカ市国での戦いに参加する」


 ラモについてまわり、フローレンスが直々に政務部や元老院などの主要機関への紹介をしていた。


 わざわざ王女たる者がしなくてもよい雑務と言えば雑務に違いない。

 しかし、ヘルデンも占星術師のトチャも、いつもは小さなアラさえ見逃さない元老院の議員たちさえ、それに関してはなにも言わなかった。


「これはこれは、噂の強者殿は随分と若いんじゃのう」


 トチャは目尻にシワを寄せ、老婆らしく穏やかに笑った。


「お世話になります!」


「こちらこそじゃ、救世主殿。そなたを予知して星は『僥倖』と告げておったのじゃな」


「ギョー……?」


 滑舌の悪いバアバの言葉を聞き取れず、ラモが聞き返す。


「こちらの話じゃよ」


 それが終わると、フローレンスたちは政務室に入り、壁に貼られた巨大地図を前にして、円卓に座したラモに向き合う。


「わらわがする」


 ここでも壁の地図で侍女が位置関係を指し示しながら、自国の説明をフローレンスが行う。


 そう、これはひとえにこの救世主との心の距離を縮めるためにほかならなかった。


「ここアイセントレスのほか、この国には主要都市は3つある。森を挟んだ南に『農園都市ミネルヴァ』、東の国境に『古代都市アリエス』、そして南海に接する『南端の街ザナミ』」


 挟まれる森と街道の位置を侍女が地図で代わりに指し示している。


「とりあえずは一番近いミネルヴァだけ覚えてくれればよい。今日はその付近の話で時間になろう」


 そしてしばし、フローレンスは話し続けることになる。




 ◇◇◇




「……というわけだ。地理はだいたい理解できただろうか」


「はい。大丈夫です」


 ラモが頷くと、フローレンスはここで初めて、小さな笑みを浮かべた。

 大半を成したところで、昨晩からの緊張感が和らいだのである。


 それも当然と言えた。

 ラモは言うなれば、国がまるごと平伏さなければならぬほどの実力者である。


 どんなじゃじゃ馬であろうと、レイシーヴァ王国としては反りを合わせていかなければならない相手なのだ。


 そういった決意で臨んでいただけに、フローレンスはラモの協調的な様子に好感しか抱かなかった。


「ラモ殿には地図が見えるであろう。ならばすでに街道が不自然な形をなしていることにお気づきだと思うが」


「魔物のせいですね」


 ラモの返答にフローレンスが同意し、小さな苦笑いを浮かべた。


「困ったことに、この国の森には必ずなんらかの厄介物が棲みついていてな」


「ああ、それなんですが実は……」


 とラモが何かを言葉にしようとしたところで、椅子にもたれかかった姿勢のまま、トチャが横から口を挟んだ。


「姫よ。そんな邪険な言い方はならぬ。一体一体の学問的価値は計り知れぬのだぞ」


「………」


 んん、とフローレンスがとってつけた咳払いをする横で、ラモが硬直していた。


「……が、学問的……と言いました?」


「そうです」


 すぐ隣りに座っているヘルデンが頷く。


「森に棲むのは、自然界には存在せず、古代王国期に研究家たちによって人工的に作りだされた魔物なのですよ」


 親しみやすい笑みを浮かべて、ヘルデンはトチャの足りなくなりがちな説明を付け加えた。


「あ、はい」


 対して、ラモは微妙に歪んだ笑顔を浮かべた。


 この地で栄えていた古代文明は『シーヴァス古代文明』と呼ばれ、大陸にあった魔法文明としては最大である。


 魔物同士を合成するという遺失魔法ロストマジック合成獣魔術キメラ・アルテ』の痕跡は、数ある古代文明の中でも、この『シーヴァス古代文明』にしか存在しない。


 だが記憶のないラモには、そんなことは初耳だった。

 他の魔物のごとく、倒しても倒しても、倒しきれぬほどに居るのだと思っていた。


「このたぐいの魔物を所有する国は、大陸広しと言えど我が国くらいのものよ」


「………」


 トチャがふぉっふぉっ、と笑いながら誇らしげに言う向かい側で、ラモの顔はどんどん蒼白になる。


「確かにバアバの言う通りであるな。エルポーリア魔法帝国が我々と長年友好関係を結んでくれているのは、これによるところが大きいと言えよう」


 フローレンスがトチャに賛同して、頷いてみせる。

 エルポーリアからは古代文明の研究に毎年百人規模の学術留学があり、レイシーヴァ王国の貴重な収入源となっているのだ。


「あは。じゃあ……いなくなったら大変だ」


 ラモは蒼を通り越して白くなった顔で、周りの顔をチラ見する。


「……ラモ殿?」


 ふいに、ヘルデンが眉間にシワを寄せた。


「かなり顔色が悪いようだが、どうかなさったか?」


「ふむ?」


 トチャや付添の近衛兵、侍女らが揃ってラモの顔を見る。


「めめ、滅相もない」


 ラモが音速を超える速さで、手を左右に振った。

 そして「そうだ」と言いながら、ぽんと手を打つ。


「ちなみに今、街道を一番通したい場所となると、どこになるんですか」


 ラモは話の矛先を他に向けて逃れようとした。


「『アッサム地区』であることは疑いがない」


 フローレンスが即答すると、ヘルデンが間違いありませぬな、と頷いた。


『アッサム地区』とは、王都アイセントレスの南側にある広大な樹海『古代樹海エンドオーシャン』を東部、中部、西部の三つに分けた際の西部区分を指している。


「アッサム地区を抜けると、そこには先ほど説明した『農園都市ミネルヴァ』がありまして」


 ヘルデンが話を引き継いで立ち上がると、ラモに背を向け、地図を指差しながら語り始める。


 確かに地図上では、樹海の西部たるアッサム地区を挟んで、比較的近い位置に都市ミネルヴァが存在していた。


「ミネルヴァには丘陵を利用した国内最大の段々畑の大田園があり、『王国の食糧庫』と呼ばれているほどの膨大な穀物を生産しておりましてな」


「なるほど」


 ラモはそこで話が見えたようだった。


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