第218話 ……ちゃったんです


『アッサム地区』とは、王都アイセントレスの南側にある広大な樹海『古代樹海エンドオーシャン』を東部、中部、西部の三つに分けた際の西部区分を指している。


「アッサム地区を抜けると、さほど遠くない所に先ほどの『農園都市ミネルヴァ』がありまして」


 ヘルデンが話を引き継いで立ち上がると、ラモに背を向け、地図を指差しながら語り始める。


 確かに地図上では、樹海の西部たるアッサム地区を挟むようにして都市ミネルヴァが存在していた。


「ミネルヴァには丘陵を利用した国内最大の段々畑の大田園があり、『王国の食糧庫』と呼ばれているほどの膨大な穀物を生産しておりましてな」


「なるほど」


 ラモはそこで話が見えたようだった。


「アッサム地区を抜け、ミネルヴァの有り余る食糧を王都に届けられたならば、王都周囲に多数存在する村々などは、たやすく養うことが出来る」


 フローレンスが腕を組みながら言った。


 実際、王都の周辺には百を超える村々が点在し、国の人口の約三分の一がここに集まっていると言われている。

 つまりたったこれだけで、民の三分の一の飢えを癒やすことができるのである。


「道を通すとしたら、このあたりですか」


 ラモが立ち上がり、ヘルデンの隣に行って地図に指をさすと、ヘルデンが頷いた。


「ミネルヴァの方は起伏が少ないので、樹海さえ抜けられればどんな道筋でも大丈夫でしょうな。しかし――」


「――そこには最も厄介な魔物が棲んでいる」


 フローレンスがヘルデンの言葉を引き継いで言った。

 ヘルデンが険しい表情で頷く。


「では迂回路を?」


「その通り。現在はさらに西側の山路を二日以上かけて抜ける経路が使われております」


 ヘルデンも壁の地図の前にやってきて、朱のついた筆を手に取り、アッサム地区の東側をぐるりと回るように線を描いた。

 そこには起伏の激しい山が描かれていた。


「ひどい道でしょう。ご覧の通り、こんな道しかないのですよ」


「これでは食糧の輸送も」


 ラモが険しい顔になる。


「そうなんですよ。傷まないように気をつけて運ぶのですがね」


 ラモの言葉に、ヘルデンは頷いた。

 山道は周囲を警戒しづらいのだ。


「結局、ミネルヴァからの食糧はほとんどが山賊たちの肥やしに」


 ヘルデンが苦々しい表情になる。


 しかし馬車を破壊されたり、人が殺されたり、荷の全てが奪い去られたりということはない。

 やりすぎれば往来に支障をきたし、山賊たちも困るからである。


 それゆえ、1-2割程度の食糧は強奪されず、必ず王都側に到達するという。

 ここに山賊との共生関係がある。


「なるほど」


「それでも我々は輸送せざるを得ない」


 ヘルデンは折れんばかりに筆を握りしめながら、言った。

 たとえ当初の一割になったとしても、食糧が届くことで民の飢えが癒やされるのは事実だからである。


「ちなみに『最も厄介な魔物』というのは?」


 ラモが訊ねた。


「マンティコアをご存じか」


 ヘルデンが言葉を割り込ませた。


「あ……はい」


 ラモが不自然に目を逸らした。


「古代の施設があの森の地下にでもあるのでしょうな。森に踏み込んだとたん、あれが徒党をなして襲ってくるのですよ。全く、よりにもよってなんであんな魔物が……」


 マンティコア。


 ライオンのような体躯をしながらも、顔が人間、尾がサソリとなっている合成獣キメラで、魔物のランクとしては吸血鬼ヴァンパイア石像悪魔ガーゴイルよりも高い【中尉】に相当する。


 尾による物理攻撃の他、高位の古代語魔法を駆使してくるために熟練の冒険者たちがパーティを組んでも逃亡せざるを得ないという。


「ヘルデンよ、マンティコアを悪者にするでない。あれこそ最も重要な研究対象といえよう。マンティコアほどに生態の研究が進んでいる合成獣キメラもおらぬのだぞ」


 あと数年もすれば、『合成獣魔術キメラ・アルテ』が解明されるかもしれぬ、とトチャは楽しげに言う。


「……ち、ちなみにその地区は、ここから南に何日くらいのところですか」


 ラモが椅子から立ち上がり、『ちなみに』質問を繰り返す。

 その息は、なぜか上がっていた。


「半日もかからぬところから広がっている。さすがに見つけられぬということは――」


「………」


 フローレンスの言葉も半ばにして、とうとうラモは膝から崩れ落ちた。


「ラモ様!?」


 後方に控えていた兵士二人がすぐに駆け寄り、ラモの半身を起こす。


「――どうされた、ラモ殿。本当に顔色が悪いですぞ?」


「どこか痛むのか。サリア、薬師を呼べ!」


「………」


 周囲から不安げな視線を浴びながら、ラモがゆっくりと顔を上げる。


「実はその……ちゃったんです……」


 ラモは兵士に支えられて立ちながら、小声で言った。


「は?」


 耳の良いフローレンスにも、大事なところが聞こえなかった。


「何をなさったと?」


 ヘルデンが問い返す。


「倒しちゃったんです」


「……は?」


「マンティコアも、その辺りの魔物も全部」


「……え?」


 皆が耳を疑う。

 同時にあたりがしーん、と静まり返った。


「研究対象とか知らなかったんです! スキルポイントがほしくて、その辺りの魔物、一切残らず狩っちゃいました!」


 ラモがジャンプし、空中から土下座した。




 ◆◆◆




「な……」


 周りが、言葉を失う。


「の、残らず……狩った……ですと?」


 ヘルデンが手に持っていた朱の筆をぽろり、と落とした。


「すいません! まだいっぱい居るんだとばかり思って……」


 ラモが土下座して顔を伏せたまま、その頭の前に何かを並べ始めた。

 ひとつ、ふたつと並び、やがて同じものが16個置かれる。


 それは人の頭ほどの大きさがある、水滴型の物体であった。

 漆黒の殻に覆われており、磨かれたかのように艶光りしている。


「……こ、これはぁぁ!?」


 血相を変えたトチャが駆け寄り、その一つを両手で持とうとする。


「……ふ……」


 しかし触れるや否や、トチャは気を失い、こてん、と後ろ向きに倒れた。


「まさかこれは……」


 トチャに代わって近づいたヘルデンが、屈んで恐る恐るそれに触れた。


 両手に持つ。

 軽く揺らしてみると、中からはたぷたぷと、水の音がしていた。


「……じ、充満している……完全な状態で……」


 水滴型の物体を持つヘルデンの手が、ブルブルと震え出した。


「なんだ、ヘルデン! 何を驚いている! 教えてくれ」


 目の見えないフローレンスが立ち上がり、もどかしそうに叫んだ。


「……姫。尾節が……」


「ビセツ……?」


 フローレンスは口の中で繰り返しながら、その音があてはまる単語を探す。

 そして、今はマンティコアの話題であったことに思い至り、気づいた。


「まさか……尾節?」


「はい、間違いありませぬ」


「……マンティコアの……尾節と!?」


 信じられず、フローレンスは二度も確認する。


「はい。それが16個、充満した状態でここに」


「……じゅ、充満……」


 トチャと似たような衝撃が走ったのであろう。

 フローレンスもよろけて、後ろにあった椅子に座り込んだ。


 尾節と呼ばれるマンティコアのサソリの尾の先端。

 そこには毒腺が存在しており、薄緑色をした猛毒の液体がなみなみと含まれている。


 人がこの毒の注入を受けると、呼吸を忘れ、即死するほどの猛毒。


 が、作用は他にもある。

 古代の文献によれば、『マンティコアの毒を極めて薄く希釈して服用すると、強力な鎮痛剤となる』というのである。


 実際、千倍程度に希釈したその液を数滴飲ませることで、腕を切断された兵がまる一日痛みを忘れたという報告がある。

 この鎮痛効果ゆえに、マンティコアは数あるキメラの中でも、優先して繁殖されたのである。


 しかし古代王国期においても、充満した尾節を手に入れることは困難であった。

 マンティコアは戦いの最中に尾節に溜まった貴重な液体を放出してしまい、その大半を失ってしまうためである。


 そのため、充満した尾節が取り扱われた記載は、過去の文献にはどこにもない。


「……ラモ殿。すべて確認させてもらってもよろしいか」


 ヘルデンが青褪めた顔のまま、立ち上がる。


「はい、どうか命だけは……」


 勘違いラモは唇を噛み締めながら、額をひたすら床にこすりつけている。


「……やはり全て充満している……これほどの無傷な尾節など……」


 希釈され、小指ほどしかない瓶に詰められた痛み止めの相場が金貨十二枚。

 たとえほとんど空っぽに近いマンティコアの尾節であっても、希少すぎて値はつかない。


 完全な尾節の相場は、推して知るべしである。


「ラモ殿、こ、ここ、これは……いくらで譲って頂けるだろう」


 フローレンスが声を震わせながら言った。


「え? 買ってくれるんですか」


 ラモはきょとんとして言った。


「も、もちろん値によるのだが……」


「………」


 動揺を隠せないフローレンスに反して、ラモの顔にはひそかに歓喜が宿る。


『グレンスライム』の『軟体』の能力は体が覚えていたが、マンティコアの尾節の価値までは他と同じく、ラモの記憶から抜け落ちていた。


 ラモは単に魔物の討伐証明部位として持参しただけだったのだ。


「じゃ、じゃあ……銅……」


「――ど、銅貨!?」


「……どぅホン、ゴホンゴホン」


 周りの絶大な反応を目にして、ラモは急速に咳払いに変化した。

 咳払いを終えたラモの顔には、再び悪徳商人が宿る。


「じゃあ銀貨八枚くらいで……?」


 ラモとしては、かなり吹っ掛けたつもりであった。

 通常、討伐証明部位は売れないからである。


「………」


 ヘルデンが尾節を落としそうになったのを、ルイーダが慌てて助けた。


「ヘルデン様。私、今日から鎮痛剤の作り手となってもよろしいですか。一生暮らせそうですわ」


 ルイーダがこの状況でくすくすと無邪気に笑った。



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