第211話 銀の悪魔




 ――北より現れし銀の悪魔、我らが偉大なる王に災いをもたらさん――。


 儀式を終えたばかりの背の曲がった白髪の老婆が、夕空を見上げながら萎びた声で告げた。


 ここは先日フローレンスが民を集めて演説をした、王宮二階にあるテラスである。


「銀の……」


「悪魔ですと?」


 その背後で首を捻っていたのは、ストレートのアッシュグレーの髪を腰まで伸ばしたエルフの少女と、顎という顎を黒髭で覆った重鎧の男。


 レイシーヴァ王国の代理王を務める王女フローレンスと、近衛騎士隊長兼軍部司令官のヘルデンである。


「さよう。星が揃って同じことを告げておる」


 二人を振り返った老婆は険しい表情で頷いた。


 空は夕日で茜色に染まっており、到底この時間に見えたものではないが、この老婆の目には、たくさんの星が瞬いているのが見えていた。


 老婆は『宮廷占星術師』のトチャという。


【占星術師】は国政で活躍する、千人にひとりの逸材である。

 星の声を聞き、様々な未来予知を行うほか、【自然崇拝者ドルイド】が使う精霊魔法を下級位階のみ行使できる。


 そんなトチャはフローレンスが赤子の頃から関わっていた存在であり、王女はもちろん、ヘルデンにとっても馴染み深い人物であった。


「ふむ……星の隠れ方は実に好ましい形を示しておるのに……なぜこんな不吉な声が混ざるのかの……」


 トチャはしきりに不思議そうにしていた。


 雲と星の形はトチャが過去に目にしたことがないほどの 『僥倖』を示している。

 しかしその囁きは相反することを告げていたのだ。


 長年生きてきたトチャもこんなことは初めてであり、フローレンスたちに『僥倖』の方を伝えるのを思い憚ったくらいであった。


「その者は、姫をいかんとする?」


「じゃから災いをもたらすと言っておる」


 面倒くさそうに繰り返すトチャに、ヘルデンがため息をつく。 


「……バアバ。もう少し具体的にわからんのか」


 トチャはそれを鼻で笑った。

 ちなみに十年以上の付き合いになるヘルデンとフローレンスは、トチャのことを『バアバ』と呼んでいる。


「愚かな。星がこれだけ具体的に伝えてくれておるのだから、後はお主が『ない頭』を使えばよかろう」


 ヘルデンが口をへの字にして、肩をすくめた。


 毎度お決まりのようにやり込められるヘルデンを見て、後ろに控えているルイーダが、クスクスと笑った。


 ヘルデンが振り返って、その女をじろりと見る。


「……ごめんなさい。つい可笑しくて」


 ルイーダが小さく舌を出すが、その言葉に反して、まだ笑っている。


 そこに忍び笑いが重なった。

 実は、ひそかにフローレンスも笑っていた。


「姫。他人事ではありませぬぞ」


 フローレンスが、んん、と咳払いをすると、顎に手を当て、さも思案していたかのような格好をする。


「……しかし、それだけの情報では対処がどうにも難しい」


「銀、というのが何を意味するか。銀色の武器か、鎧か、はたまた装飾か……」


 王女の言葉を引き継いで、トチャが歌うように言う。


「バアバ、銀色の鎧ならば、このヘルデンとて当てはまる」


「ほほう?」


 トチャが目を細めるようにしてヘルデンを見る。

 ちなみにトチャの目は高齢ゆえに白濁しており、視界は霞んでしまっている。


「星が告げるくらいですから、銀がその人物の中で、なによりも目立つ特徴なのでしょう」


 そこにルイーダが口を挟んだ。


 侍女ながらも、臆せずに意見してくるその度量だけではない。

 ルイーダの言葉は非常に的を得たものが多いことを、この場にいる誰もが経験して知っていた。


「なるほど」


「ならば色ではなく、本物の銀を使った……」


 周囲にいた侍女や護衛の近衛兵士たちが考え込むと、トチャが口を開いた。


「十中八九、舞踏の者じゃな」


 銀を精製し、純度を増した純銀ピュアシルバー不死者アンデッド系の魔物に弱体化をもたらす作用がある。

 しかしその実、純銀ピュアシルバーの武器や防具は剣舞などに用いられるのみで、冒険者たちにはほとんど使用されていない。


 重量もさながら、その硬度に問題があるためである。


「宴の席に注意せよ。さらに目を引く銀の品を持つ者には、警戒するよう周知しておくのじゃ」


 トチャが近衛兵たちに告げる。


「いずれにしろ、このヘルデンが姫のおそばを離れぬように致しますぞ。心配は無用――」


 その時であった。


 背後でギイィ、という扉の音がした。

 すぐにドタドタドタ、と慌ただしい音がヘルデンたちの方に近づいてくる。


「――こ、国王陛下、ヘルデン様――!」


 テラス部屋に駆け込んでくる一人の兵士が居た。


「静かにせよ! 姫の御前であるぞ!」


 それを目にしたテラスの入り口に居た護衛の近衛兵士が、頭ごなしに叱責する。

 言うまでもなく、駆け込んできた一般兵と近衛兵士とでは階級に雲泥の差があるのである。


「も、申し訳ございません!」


「陛下は今、大事なお話をされている。後にしろ」


「で、ですが――」


 近衛兵が早々に門前払いをしようとしたのに対し、兵士はなぜか食い下がった。

 その様子を不審に感じたヘルデンが振り返り、初めて兵士に目を向ける。


「いいから後にしろと――」


「待て」


 ヘルデンが立ち上がり、強引に捻じ伏せようとする近衛兵士を制止する。


「構わん。言わせてやれ」


「はっ。……おい、来い」


 一転した近衛兵が、かしこまる兵士の背を押し、室内へと連れる。


「ご苦労であった。さぁ申すがよい」


 フローレンスも穏やかな笑顔を浮かべて王の椅子に浅く腰掛けると、手で兵士を促した。


「――ほ、報告いたします!」


 ずっと駆けてきたのであろう。

 兵士はまだ息を切らしたまま、うずくまるようにして畏まった。


 テラスにいる皆が無言になり、一心にその言葉を待つ。


「捜索中の人物を王都にて発見いたしました!」


「……山賊か。どいつだ」


 ヘルデンが眉を顰めて訊ね返す。


 ヘルデンはつい先程まで、搬送中に逃亡された山賊三名の事案を議論していたため、そのことが真っ先に頭に浮かんでいた。

 三名とも検問に引っかかっておらず、この街に潜伏している可能性が高いと判断されていたのである。


「………」


 しかしヘルデンはすぐに、はっとなった。


 山賊発見ごときで、一般兵が王の元に直接報告にやってくるなどありえない。

 現在、それを許可している案件といえば、ただひとつ。


「待て。……まさか、『最重要案件』か」


 言葉を発するだけで、ヘルデンの顎が震えた。


 兵士は頭を下げたままであった。

 言うまでもなくそれは、肯定。


「か、かの者が見つかったと申すか!」


 フローレンスも血相を変えて立ち上がる。

 兵士は顔を上げ、誇らしげに声を張り上げた。


「――はっ。サクヤらしきものの捕縛に、我ら『北軍第四部隊』が成功いたしました!」




 ◇◇◇




「ヘルデン、本当だと思うか」


 暗くなり、篝火が焚かれ始めた石造りの廊下。

 そこを侍女サリアに早足で案内されながら、フローレンスが震えそうになった声で訊ねる。


 城の外に出るため、彼女は先程の王族衣とは一転し、純白のノースリーブになった魔術師のローブに着替えている。


 この純白のローブは彼女のアッシュグレーの髪が映えると評判で、彼女自身の一番のお気に入りだった。


「これは十中八九、当たりでしょうな」


 王女には見えぬとわかっていながら、ヘルデンは力強く頷いてみせた。


「地区優勝のアーノルドを殴り飛ばせる者など、そうはおりませぬ」


 西地区での情報を洗った時点で、アーノルドを殴ったのが黒髪の少年らしかったことを、彼らは突き止めている。


「………」


 しかし、フローレンスはまだ固い表情を崩さない。


「……姫、信じられぬご様子ですな」


 ヘルデンの言葉にフローレンスは前を向いたまま、小さく頷いた。


「この国にいる理由が見当たらぬ」


 着替えを始めた頃は、フローレンスとて興奮のあまり頬が紅潮するほどであった。

 だがひとりになって冷静に考えてみると、ふと不自然さを感じた。


 あれほどの腕の持ち主が、なにゆえこの『死に体』と揶揄される国に居るのだろうと。

 まだ招聘もしていなかったのである。


「姫。自分の国を過小評価なさるな。我が国とて相応に魅力に溢れておりますぞ」


「ヘルデン。実は、それだけではないのだ」


 フローレンスは、さらりとした背までのアッシュグレーの髪に手ぐしを通しながら、視線を足元に落とすようにうつむいた。


「……わらわは……期待するのが怖くなっているのだ」


 そう、この期待はあまりに大きすぎて手に負えないのである。

 もし今度も外れだったならば、フローレンスは立ち直れないほどに心が折れてしまうかもしれない。


 それがわかるから、信じられないのだ。


「探し続けて、見つからないのが当たり前だった。期待していいことなどなかった。そうであろう?」


「姫……」


 ヘルデンにはその気持ちが手に取るようにわかった。

 二人は全く同じ思いで、長らくその人物を探し続けてきたのだ。


「本当は聞くまでもない。わらわとて心の中ではわかっているのだ。今回は本物かもしれぬと」


「それだけに怖いのですな」


 ヘルデンの言葉に、フローレンスは頷いた。

 

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