第210話 たぶんラモ
褐色の小鳥たちが噴水の水際に集まり、陽光を映す水面に嘴を近づけて、水を飲んでいる。
その横を、驚かさないようにそっと通り過ぎて、僕は宝石商の軒をくぐった。
ここはレイシーヴァ王国の王都アイセントレスだ。
今朝早くに森から移動を開始して、昼前には検問をくぐり、街に入ることができた。
「はい、いらっしゃい」
出てきたお店のおばさんと、やりとりを始める。
「……こ、これを……うちで!?」
「ええ、買ってもらえないかと」
おばさんが、受け取った紅色の宝石に驚愕する。
まずは僕が持っている中で一番小さい、最も価値がなさそうなものを渡してみた。
「う、うそだろ……! ちょ、あんた、あんたぁ! これ見ておくれ!」
おばさんが、僕の宝石を持ったまま奥に入っていってしまった。
そして旦那さんも出てきて、しばし、商談。
しかし。
「え……お客さん、ギルド証を持ってないのかね」
「ギルド証?」
旦那さんの言葉に、僕ははて、と思う。
「冒険者ギルドとかから発行されている組合証だよ」
「それは……ないみたいです」
宝石商のおばさんは旦那さんと顔を見合わせると、苦笑いしながら宝石を返してきた。
「旅の人なんだね。いいかい、この国にはよそにはない、大きな掟がひとつあるのさ」
「掟?」
「物の売買はね、『冒険者ギルド』か、『商人ギルド』か、『盗賊ギルド』のどれかに在籍し、身分の明らかな人でないとできないのさ。あんたのそれは、喉から手が出るほどに欲しいけど、この街の店はどれもあんたの宝石を買うことはできない。どうしても売るってんなら『闇市』に行きな。本来の二割の値段でしか買い取ってくれないだろうけど」
「に、二割……!?」
さすがに驚いた。
「国が定めている決まりなんだ。ギルドの保証がない品の流通を抑えるためでね。悪いこと言わないからさ、買い叩かれるより、どこでもいいからギルド証を作っておいでよ」
それ自体はそんなに大変じゃないと思うからさ、とおばさんは僕の肩を叩く。
旦那さんは無言のまま僕に背を向け、また奥に引っ込んでしまった。
「はい。ありがとうございました」
僕は諦めて宝石を仕舞い、おばさんの店を後にしようとする。
とそこで、あ、ちょっと、と呼び止められた。
振り返ると、おばさんは作り笑いをしていた。
「……あ、あのさ、教えたんだから……それ売るならうちに売っておくれよ」
「もちろんです。この御恩は忘れません」
僕はもう一度頭を下げて、店の軒を出る。
「はぁ……現金獲得まで、もうちょっとかかるか」
まあいいか。
別に大した手間じゃない。
冒険者ギルドに登録するだけで、正規の値段で買ってくれるんだから。
なんて考えながら、僕は3区画ほど離れたところにあった冒険者ギルドに立ち寄った。
しかし、この国の冒険者ギルドはリラシスとはかなり違うのだった。
「ギルド証が欲しいのか、坊主」
冒険者ギルドの受付に座る、ギトギトした強面のおじさんが僕を睨んでいる。
「あ、はい」
「はいそうですか、とは発行しねぇよ」
おじさんは腕を組みながら、僕を品定めするように見ている。
なんとなく勘づいた僕は、壁の一画を指差した。
「もしかして?」
「話が早いじゃねぇか」
おじさんはニヤリとした。
「どれも街中でやる安全なものばかりだ。5つこなせば何も言わねぇ。ガキだろうとなんだろうと、ギルド証を発行してやろう」
「なるほど」
この国も冒険者ランクは同じように区切られていて、最低が【二等兵】だった。
だが【二等兵】になるには、ここに貼られている、未達成のまま放置されているクエストをいくつかこなす必要があるとのこと。
見れば『ドブ掃除』や『ネズミ駆除』、『廃屋の亡骸回収』など、報酬が安い割になかなか苦労の多そうな仕事が盛り沢山だった。
確かに冒険者に依頼する内容ではないものばかりに見える。
誰もやらないなら新米に、とまぁ、こんなシステムになってるんだろうな。
「わかりました」
まぁ僕は別に構わないけどね。
この国の人に救われたのだから。
「どれも二週間からの申込みだ。毎日ちゃんとこなせよ」
◆◆◆
「ちょっと、見てあの子」
「おー、その依頼受ける奴居たんだ」
「お前偉いな―立派立派」
僕が地下道への木の梯子を降り始めると、通りすがりの、いかにもダンジョンにでも潜りそうな重装備の冒険者たちが物珍しそうにしながら近寄ってきた。
「いやー、ギルド証が早く欲しくてですね」
「いくらギルド証が欲しくても、それは誰も受けねぇけどな」
冒険者たちが僕を取り囲み、あの親父さんに押し付けられちまったか、と笑いながら見下ろしている。
「性分に合ってまして」
「誇っていいぞ。そりゃお前さんしかできねぇ仕事だ」
「そうなんですか?」
「間違いねぇよ。じゃ、頑張れよ!」
「はい、ありがとうございます」
ハッハッハと笑う冒険者たちに手を振って、僕は地中へと消える。
僕の引き受けた依頼は『王都のドブ掃除』と『下水部ネズミ駆除』。
ふたついっぺんにこなせるし、誰もやらないので、最下級の依頼でも銀貨三枚(一週間)と結構高額がついている。
「そうか、僕しかできないのか……」
それはやりがいがあるというものだ。
徹底的にキレイにしてやる。
「さぁやるぞー!」
僕は地下道を駆け出した。
そして10時間ほどの労働の末、下水部にネズミはすっかりいなくなり、詰まりも無くなった。
まぁ明日来ると、また詰まりができていてネズミもいるんだけどね。
日に日に良くなっていると信じたい。
「さて、仕事の後はまず、汚れ落としだ」
この仕事は相応に体が汚れるけど、心配ない。
アイセントレスの良いところは、公衆浴場がふたつもあることだからね。
昔、たちの悪い伝染病が流行った時、この塩辛い温泉が撃退に一役買ったらしい。
それで、今でも多くの住民が利用していると、隣で体を洗っていたおじさんが熱く語っていた。
「ふぅー。今日の飯は何にしようかな」
その公衆浴場でゆっくりと湯に浸かってきた僕は、濡れた髪のままいつものように夕方の市場へと顔を出す。
茜色に染まるこの時間は、通りを歩いている人が減って、まばらになっている。
食糧を買うには随分と遅い時間だ。
だが僕はあえてこの時間を狙う。
売れ残りが半額セールになっているからだ。
「しかし痛むなぁ」
店じまいを始めている露店を見回しながら、僕は無意識に胸元をさすっていた。
アイセントレスにきてから5日。
短剣の刺さっている場所がじくじくと痛みを放つようになっていた。
もはや、夜中に痛みで目が覚めるくらいの強さだ。
掴んで抜いてみるかとも思うんだけど、手がすり抜けちゃって、僕、掴めないんだよね。
だから最近、こうした人の中を歩く時は、周りの人の視線を追うようにしている。
見える人が居たら、頼んでみようと思ってさ。
そんな貴重な人が存在するかどうかは別として、もしここに混ざっていたら、見つけるのはそう難しくないはずだ。
この突き立った剣に、目を奪われないはずがないからね。
でも、通り過ぎていく人たちの視線が僕の胸元に向くことは今日もなかった。
「やっぱりだめか……」
アーノルドと戦った時にも壇上に立ったけど、誰も何も言わなかったしなぁ。
今思えば、ノットって貴重だったんだな。
「ここなら、と少し期待してたんだけどな」
僕はぼんやりと街の風景を眺める。
もし抜けなくても、街に出たらいろいろ刺激になって記憶が戻るかも、などと考えていた時期もあった。
そうすればきっとこの短剣の由来もわかり、抜く方法も思い出せるだろうと思っていたんだ。
しかし今の僕は、記憶喪失がこの短剣に関係しているのでは、と考えるようになっていた。
何かに封じられているように、記憶が戻る気配が一切ないから。
◆◆◆
「もうこれ以上は下げられねぇ、銅貨12枚だ」
「………」
「買わねぇのか? この値段だと、すぐに他の客がかっさらっていくぞ? ほら、今のうちだぞ?」
おじさんが上から目線で、僕の気持ちを煽ろうとしている。
今、僕は弁当屋のおじさんと睨み合っている。
だが僕は動じない。
「くそっ、銅貨10枚だ、坊主、買っちまえ!」
「………」
前かがみの僕は、石のようになって弁当を凝視している。
「は、8……」
「――買ったァァ!」
こうやってたたき売りされている食糧を夕食にし、残りは買いだめして次の日以降に食べるのだ。
僕のアイテムボックス、レベルが高くて食糧が悪くならないんだよね。
「さて、帰ろうか。また明日頑張ろう」
近くに居た小鳥に、残しておいたパンのかけらを振りまいて、僕は立ち上がり、いつも泊まっている宿へと向かう。
「ん……?」
宿が見えてくるあたりでふと気づいた。
なにやらそちらの方に人だかりができて、ざわざわしている。
「なんだろ、喧嘩でもあったのかな」
人だかりの中心は、どうやら僕の泊まっている宿のようだった。
重装備をした兵士さんたちが、物々しい様子で人の通行を制限し、宿に入る人は一列に並ばされている。
「どうかしたんですか」
僕は近くに立っていた、険しい顔をしたおじさんに訊ねた。
おじさんは神妙な顔つきで僕を見ると、小声でささやくように言った。
「あの宿に盗人が紛れていたらしい」
「あらら」
僕の泊まっている宿に盗人が居たのか。
確かに大きい宿だからなぁ。
まぁなにか盗まれたとしても、僕の被害は間違いなく皆無だろうけど。
僕が泊まっているのは、宿の中で最も安い屋根部屋だ。
女将に頼んで使わせてもらっているけれど、そもそも泊まるようにできていないから狙われもしないだろう。
いや、狙われるほどの品もないか。
それでもあんな親切な宿を荒らす不届きなヤツがいるとは、許せん。
見つかったら、僕も軽くいたずらしてやる。
おしっこアタックとか。
「宿に泊まっていた方は簡単な検査がありますので、こちらにお並びください」
「はい!」
潔白すぎる僕は胸を張りながら、宿に入ろうとしている人の列に並び、堂々と立った。
「はい。……ですね。ああ、わかりました。あなたは記載だけで終了です」
本当に簡単な検査のようで、ほとんどの人が1分とかからずスルーしていく。
やがて僕が前から三番目になった時。
「……お、おい、あれ見ろよ」
脇で人の通行を制限している兵士さんが、僕の顔を指差した。
「黒髪だ……」
「本当に黒髪だぞ……」
兵士の皆さんが、僕を見て顔色を変えている。
どうしたんだろ。
黒髪って珍しいのかな。
イシスは赤茶だったけど、そっちの方が珍しいんじゃないの?
いや、もしかして黒髪って、売れる?
まさか高値がつくの?
「………」
僕はひそかにニヤリとした。
そうか、そうだったのか。
それなら、一度ボウズになるのもやぶさかではない。
なんなら眉も剃ってあげよう。
……いや、いらないな。
それは、ただの自己満足だ。
「次」
「はいっ」
そして、僕が最前列になった。
「……君、名前は?」
宿のカウンターに女将の代わりに座っている兵士さんは、さっきまでと違い、僕を一段と険しい表情で見ていた。
「たぶんラモです」
「……ほう」
僕が名を名乗った途端、今度は質問をしていた兵士の人が、その口元にわずかな笑みを浮かべた。
そして突然、右手を高々と上げた。
「――居たぞォォ! 取り囲めぇぇ!」
その言葉とともに、周囲にいた兵士たちが一斉に僕のもとに押し寄せてきた。
「……あへ?」
「――俺たちの手柄だぞ! こいつを取り押さえろォォ――!」
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