第206話 エピローグ3

 もし、セントイーリカ市国を確実に破れるとしたら、ひとり。

 行方不明のあの男くらいである。


 だがその男は忽然と姿を消したまま、いまだに捜索網に引っかからない。


 捜査網は自国とセントイーリカ市国以外まで広げ、リラシスにおいての捜索はすでに八度目を数えている。


 兵が帰還すれば、今度こそ、と期待して報告を受ける王女。

 彼女が毎回失望するのを目にするのが、傍にいる臣下としては辛くて仕方がなかった。


(一度は見つけておきながら、もはや夢となり果てたか……)


 ヘルデンが歯噛みした時、まだ腕を絡ませていたルイーダが自分の視界に顔を入れてきた。


「次の次ですね」


「おお」


 考え込んでいる間にも、ヘルデンたちは前から二番目まで来ていた。


 しかしそこからが長かった。


 煮玉子である。

 仕上がっていたそれがなくなり、汁漬けが終わるのを待つ組になってしまったのである。


「すみません、あと10分少々で」


「大丈夫ですよ」


 ヘルデンたちは愛想よく店員に言葉を返したが、前の若いカップルはあからさまにイライラしていた。


 特に女の方が待ちきれなくなっている。


「もう待ち疲れたぁ」


「まあまあエルデちゃん、もう少しだからさ。店員さんも一生懸命やってくれてるだろ?」


「あたし、こんな所まで来て、別に玉子なんか食べたくないのに」


 女は舌打ちしたり、頬を膨らませたりと忙しい。


「言ったろ、すげー美味しいんだって。とろけるよ」


「……じゃあなんか面白い話でもしてよ、トニー。マジつまんない」


「うーん」


 そう言われると、男の方は困ったように黙りこくってしまった。

 しかしすぐに、男は手をぽん、と叩いて女の方に向き直る。


「そうだ、トップシークレットだけど面白い話を知ってる」


「え」


 トップシークレットという単語にやられたのだろう。

 女の方が急に手のひらを返して男に好奇の視線を向け始めた。


「なになに」


「その前に、誰にも言うなよ。口止めされてるんだ」


「うんうん、教えて?」


 いや、聞こえているんだが、とヘルデンたちは苦笑しながら顔を見合わせる。


「……隣の地区のさ、あいつ。名前なんて言ったっけ」


「いや、それでわかったら神じゃん」


 女の冴えたツッコミに、ヘルデンたちがひそかに吹き出す。


「長髪で、領主の息子でさ、名前が出てこねー」


「領主の息子?」


「あいつだよ。ほら、女の子にモテモテの男、いるじゃん、あいつ」


「あいつあいつって、あたしが聞きたいのよ!」


 男はどうやら、話を順序立てて話すのが得意ではないようだった。


「いや、絶対エルデちゃんも知ってるよ。すげー有名だもん」


「もう誰でもいいわ、そんなの。……で、さっさと面白いところ話してよ」


 せっつく女に、男はわかったわかった、と言い、にやりとする。


「そいつがさー、ぶん殴られて5メートルくらい吹っ飛んだらしい」


 言いながら、男はくくく、と堪えきれない様子で笑い始めた。

 女の方はこめかみに筋を浮かべて、怒りをこらえている。


「……それのなにが面白いのよ」


「え? 面白くない?」


「ぜんっぜん面白くないわよ!」


 それはあんたも悪い、とヘルデンが心の中で呟いた。

 話下手の男でなくとも、物語の結論だけを先に話させては、面白いはずがないのだ。


「いや、だってそいつさ、すげー強――」


「――おまちどうさま~。煮玉子上がりました!」


 男の方が言いかけたちょうどその時、店員が元気の良い声を張り上げた。


「やっとだー」


 あっさりと体の向きを変えた女が、財布を取り出して支払い、煮玉子を受け取る。


「早く宿にいこ。おなかすいたわ」


「うん。絶対美味しいから」


「うん」


 二人が幸せそうに列から離れていく。


「あれだけの言い合いが丸く収まるんだから、あの二人は結婚できそうね」


 ルイーダがくすくすと笑いながら言った。


「確かに、真似はできそうにない」


 やれやれ、という顔をしたヘルデンが一歩進んで、軒の下の店員と向き合う。


「お待たせしました。おいくつご入用でしょう」


「これに入るだけくださいな。おつりはとっておいて」


 ルイーダが金貨一枚と鉄筒を差し出しながら、笑顔で言う。


「あっ、こんなに……ありがとうございます!」


 店員は深々と頭を下げると、慣れた手つきで、煮汁とともに玉子を受け取った鉄筒に詰める。


「あ、思い出した」


 その時、そんな言葉が斜め後ろから聞こえてきた。

 先程まで前に立っていた男が声を上げたのである。


「なにを思い出したのよ」


「名前だよ。アーノルドだ。いけ好かねぇあいつを誰かがぶん殴ってくれたんだよ」


「話続いてたの!?」


 女の呆れ声を最後に、二人の声は遠のいて聞こえなくなった。


「………」


 ヘルデンは無意識に顎に手を当てていた。

 その名に反応しないはずがなかった。


 ――アーノルド。

 特別希少な名前ではない。

 国内だけでも軽く百人は同じ名前が居るに違いない。


(しかし、容姿まで似通った者となると……)


 アーノルド・フォン・ウィルブランド。

 ヘルデンが真っ先に思い浮かべた西地区の男も、女モテする顔立ちに長髪なのである。


 あれを殴ったとしたら、確かにトップシークレットにもなりうる。


(……だが、ありえんな)


 ヘルデンはあまりに自分に都合の良すぎる解釈ぶりを自嘲していた。


 そもそも、そんなことができる奴など、この国には存在しない。

 自分や【達剣】のリャリャとて、捉えるのは容易くはないのだ。


 奴はA+の『回避者アヴォイダー』。


 あれを捉え、五メートルも吹き飛ばすほどに殴れる者がいたとしたら、それは国を揺るがすほどの大事件と言って良い。


 それこそ『武器祭』で優勝できてしまうかもしれない。


「……ん?」


 そこでヘルデンは、髭だらけの顎をさすっていた手を止めた。

 自分の言葉に、小さな引っ掛かりを感じたのである。


 ……優勝できてしまう奴?


「まいどあり。またきてくださいまし」


「はい」


 そう言っておつりを受け取ったルイーダが、顎に手を当て、石像のようになっているヘルデンに気づく。


「ヘルデン様?」


「……まさか」


 ヘルデンが、がばっ、と振り返った。

 さっきの男女が立ち去った方向に目を凝らす。


「……ヘルデン様?」


 だがあの男女は、すでに人混みに紛れてわからない。


「――すまん、先に帰っていてくれ!」


「……えっ?」


 わけがわからずにいるルイーダを置き去りにして、ヘルデンは全速力で駆け出した。


 そのまま、人混みの中へと突っ込んでいく。


「――どいてくれ! 国の一大事である!」


 驚きおののく人混みをかき分け、ヘルデンはガシャガシャと鎧を鳴らしながら、なりふり構わず走る。


 ヘルデンの胸が否応なしに高鳴っていく。


 ――まさかあの男、この国に紛れ込んでいるのか?


 確信に至るほどの証拠はない。

 だがヘルデンの長年の勘が告げていた。


『この情報は当たりだ』と。


 ならば、あれだけ探して見つからなかった理由も納得できる。

 フローレンスは入国者をチェックしたのみで、自国内に関しては、ひとつも探していなかったのである。


「はぁ、はぁ……くそっ!」


 あたりを見回し、舌打ちする。

 さっきの男女が見当たらない。


 彼らがどんな風貌でどんな衣服を着ていたか、きちんと見ていなかったことが今頃悔やまれた。


「……そうだ」


 彼らはお腹が空いたから、すぐに宿に入るようなことを言っていた。


 地方から出てきた旅行者が泊まるような宿だ。

 落ち着け、安価な宿から手当たりしだいに当たればよいのだ。


 もしダメなら兵を集めて捜索にあたっても良い。

 この情報に関しては、それだけする価値は絶対にある――。


「ちょっと、宿なしってどういうことよ! どうすんのよ!」


「………!」


 ヘルデンが後ろを振り返った。

 そこまで考えていたところで、ヘルデンの耳に、さっきまで聞いていた声が届いたのだ。


「ごめんって! ここなら絶対に空いてると思ったんだ」


 女が腰に手を当てて怒鳴り散らす中、男が小さくなって謝罪している。


「……でも弱ったな。あとは高いし……どこに泊まろう……」


 まぎれもなく、あの男女だった。

 ヘルデンに位置を知らせるかのように、宿の軒先で大声で喧嘩してくれていた。


 ヘルデンは大きく息を吐くと、この時ばかりは、信じてもいない神に感謝の言葉を述べ、その二人にゆっくりと近づいた。


「――失礼する。さきほど煮玉子を買っていたお二人と拝見するが」


「……は?」


 二人がヘルデンを振り返り、はて、という顔をする。


「煮玉子を買っておりませんでしたかな」


「ああ、買いましたけど何か」


 男が女に持たされていた竹筒を見せる。


「私は王国軍部司令官・近衛騎士隊長のヘルデンと申す」


「はわ!?」


 ふたりが目をかっと見開いて、仰け反った。

 わずかな間をおいて、女が気づいたように、連れの男を睨む。


「……あんたいったいどんな悪いことをしたのよ! 兵隊さん来ちゃったじゃないの!」


「えっ……あっ! そうか……さっき通りすがりの女の子のスカートの中を覗いた……」


「バカ、何やってんのよ! 捕まるわよ!」


 二人が勝手に喧嘩を始めてしまい、ヘルデンがわざとらしい咳払いをする。


「………」


 二人が気づいて、静まる。


「実は先程のトップシークレットの話を耳に挟んでしまい、私に情報提供を願いたく、参じた次第である」


「あっ」


 男女はまずい、と今頃気づいたように口を押さえた。


 それを見てヘルデンが苦笑する。

 まさかあれだけ大声で話しておいて、聞かれていたことに気づいていなかったとは思わなかった。


「先にひとつ確認させていただきたい。先程話のあったアーノルドとは、西地区の優勝者、アーノルド・フォンウィルブランドのことで間違いありませんかな」


「………」


 男女はまずいことになった、と言わんばかりに、その顔をどんどん蒼白にしていく。


「誤解せぬよう。私は貴殿らを咎めに来たのではない。貴殿らが教えてくれた情報が我が国を救うことになるやもしれず、詳細を伺いたいだけである」


「……え?」


「国を……救う?」


 男女が目を白黒させる。


「その通り。まず前金でこれをお渡しする」


 そう言ってヘルデンは金貨を3枚ずつ、二人に手渡した。


「え!?」


 予想もしない僥倖に、二人の顔が一気に明るくなる。


「もう一度お訊ねする。 アーノルドとは、西地区の優勝者、アーノルド・フォン・ウィルブランドのことですかな」


「……は、はい、その通りです。すみません! つい口が滑って……」


 男が頷いた。

 今度はヘルデンの顔に、堪えきれない笑みが浮かんだ。


「さらに情報提供に協力して頂けるなら、金貨十枚を上乗せいたす。さらに宿がないとのことであれば、本日から王宮で丁重におもてなしいたす。もちろんその間のお食事もすべてご用意する」


「……は?」


 あまりのVIP対応ぶりに、二人が呆ける。


「貴殿らのお持ちになった情報は、それだけ価値がある内容なのだ。そのアーノルドを殴り飛ばしたという者について、わかる限りのことを教えて頂きたい」


 ヘルデンは二人の男女の背を押して、王宮へと歩き始めた。

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