第205話 エピローグ2
レイシーヴァ王国、第一王宮一階『白狐の間』。
第一王宮が建設されて間もない頃、祝賀の席でその獣が現れたことから名付けられたこの間は、今は閑散としている。
王宮勤めの人たちは昼食のために地下食堂に降り、あるいは食後の休憩のために与えられた部屋で休んでいるためである。
そんな中、東側の窓の傍で石畳にどっかりと腰を下ろし、手元の報告書を睨むように見ている男がいた。
あぐらをかいた脚を組み替えるたびに、鎧がカチャカチャと鳴っている。
軍部司令官兼近衛騎士隊長、ヘルデンである。
各地での『武器祭』予選が終了し、本選へと参加する者たちの名前が、ヘルデンの元に上がってきていた。
「ふーむ。やはり今年も変わらんな」
ヘルデンが渋い顔をしながら、髭で埋め尽くされた顎をさすっていた。
期待していただけに、失望も大きい。
「……どうかなさいましたの」
そんなヘルデンに、ふいに横から女性の声がかかる。
やってきたのは、いつもは下ろしている茶色の髪を結い上げ、白い衣服に身を包んだ侍女のルイーダである。
酒場経営から成り上がった彼女は、王女からの特別命令で、侍女でありながらも、ヘルデン付きの秘書のような役割も担っている。
「……ん? まあちょっとな」
ヘルデンが言葉を濁して立ち上がる。
ルイーダは口元に手を当て、くすっと笑った。
「ちょっとではなさそうな表情でしたけど」
「気にするな。何か用か」
「少し外に出て最後の秋を散歩いたしませんか」
色合いが美しい季節になりましたよ、とルイーダが微笑む。
「……ふむ。悪くない」
ヘルデンが鎧を鳴らして立ち上がると、窓の外を覗き込みながら頷いた。
「気分でも変えてくるか」
どの道このまま、フローレンス王女の元へは行けない。
王女は目が見えなくとも、僅かな声のトーンの違いを聞き取って失望しているヘルデンに気づくからである。
「今日は風が冷たいな」
「ええ。本当に」
ルイーダと並んで王宮から出ると、日差しに照らされるからいいものの、半袖の衣服では寒く感じるほどの風が流れていた。
ヘルデンは旅用のミンクのマフラーを取り出すと、ルイーダの首に巻く。
ルイーダはそれに両手を添えながら、ありがとう、と隣の男の顔を見上げた。
二人はそのまま歩き、王宮の西側にある『
この道は白い大理石が整然と並べられた道の両脇に、刈安色の葉をつけるイチョウと、紅の楓が互い違いに植えられた道である。
来賓があった際にはここで丁寧にもてなせるよう、開け放たれた茶室なども設けられている。
「実は武器祭の予選通過者の名前を見ていてな」
ヘルデンが小さく苦笑いしながら、その報告書を取り出して、ルイーダに見せた。
「……そういうことでしたの」
目を通しながら、ルイーダがつぶやいた。
「ああ。つまりはそういうことになる」
ヘルデンにとっては、昨年に見た名前ばかりであった。
かろうじて二つ、初見の者がいるには居る。
が、二人ともその地域の担当者から、ABCの評価のうち、最低のCの評価が添えられていた。
A評価を貰っている者は、顔なじみの四人。
極南地区のリャリャ・フリックス、A+。
西地区のアーノルド・フォンウィルブランド、A+。
南東地区のリリカ・パルサーボン、A。
中央地区のトレムデン・アントニオ、A−。
この面々ならば、
老齢のリャリャは、前回同様参加を辞退してくるはずだからである。
「やれやれ」
あのレイピアに国の命運をかけるのかと思うと、ヘルデンは軽く寒気がしていた。
「では来年はこうやって、この通りを歩くこともできないかもしれませんね」
「ああ」
二人は赤と黄色の葉を踏み歩きながら、しばし無言になる。
ふと、脚を止めたルイーダが口を開いた。
「ヘルデン様が参加されるのは反対です」
「まだ何も言っておらんぞ」
ヘルデンが苦笑いする。
それにしてもこのルイーダという女は、男の考えそうなことは鋭敏に感じ取る。
そう再認識しての苦笑いであった。
「生きて帰ってこられるかわからない大会なんでしょう?」
「よく知っているな」
この大会では不思議なことに、優勝が目されていた者に限って、例外なく命に関わる怪我を負うのである。
「……そうだ、もう少しお時間あります?」
ルイーダがヘルデンの手を取り、少し早歩きになる。
「ぬ?」
「アイセントレスに美味しい煮玉子屋ができたんですのよ」
ヘルデンが苦笑いする。
「そんな用事では出歩けんよ」
「姫様が熱望してらっしゃるのよ」
「どこにある」
あっさり反転したヘルデンが真顔で訊ね返した。
「近いんですの」
そんなヘルデンを見て、ルイーダがクスクスと笑いながら、手を引いた。
◇◇◇
ルイーダが案内した店は話の通り、王宮の南門を出てすぐのほど近い場所にあった。
目抜き通り沿いに開かれた出店で、一列に並んだ十二人ほどの列が出来ている。
「並びますよね」
「もちろんだ」
ヘルデンとルイーダは二人で最後尾に並ぶ。
「王国騎士様ですね」
すぐに店員らしい女性がひとり、ヘルデンの元にやってくる。
「ああ」
正確には騎士ではなく、騎士から昇格した近衛騎士の、さらに隊長を務める身分にある。
近衛騎士隊長を表す襟章もつけてはいるが、一般市民で襟章が区別できる者はほとんどいないので、ヘルデンも皆の理解に合わせ、街中ではただの騎士のふりをしている。
「こちらへ」
そう言って店員の女は、ヘルデンたちを一番前に割り込みで案内しようとする。
「いやいや、急いでいないから順番通りでいい」
「随分かかりますよ」
「本当に気にしなくていい」
そう言ってヘルデンは店員の案内を丁重に断った。
見ると、ルイーダが意味深な笑い方をしている。
そんなルイーダを横目で見て、ヘルデンが呟く。
「権限はむやみに使うものではないだろう」
「好きです」
そう言って、ルイーダがヘルデンの腕をとって組んできた。
「は?」
「そういう考え方が」
「………」
ヘルデンが、ぅほん、と取ってつけたような咳払いをする。
こうやってわざと驚かせるような言い方をするのも、ルイーダという女性なのだ。
「謙虚なヘルデン様には、きっと良いことがありますよ」
「……だといいがな」
そう返事をしたヘルデンは、この時この言葉を耳にもとめていなかった。
そうやってヘルデンと、その腕を組んだルイーダが列に並ぶ。
すぐに後ろに、ひとり、またひとりと列が伸びていく。
「これはまた盛況な店だな」
「夕方に買いに来ると、売り切れ御免に遭うこともあるんですの」
「なるほど、だからこの時間か」
ヘルデンは常に動き回っている店員に目を向けながら、感心したように言った。
「幸い、今時期は昼に並んでいても苦ではありませんけれど」
「確かに」
秋のカラリとした空気が、二人の間をそよそよと抜けている。
あと1ヶ月もしたら、海からの偏西風が大陸に入ってくるようになり、気温は若干上がり、空気も少しじっとりとしたものに変わる。
「ねぇトニー。あの建物は?」
「有名な『ルイーダの酒場』だよ、エルデちゃん」
ヘルデンたちの前には、若いカップルが並んでいた。
どうやら地方から王都に出てきたらしく、しきりに周りを指さしては、ああだのこうだのと物珍しそうに話している。
言うまでもなく、今説明された店は、かつてルイーダが経営していた店である。
ヘルデンはルイーダと顔を見合わせ、忍び笑いを漏らすと、そのまま視線を空へと向けた。
(さてどうするか)
仕事一辺倒のヘルデンである。
自然と頭にはさっきのことが浮かんでいた。
そう、『武器祭』の件である。
上り調子のアーノルドを含めても、世界決闘大会では
もし、
行方不明のあの男くらいである。
だがその男は忽然と姿を消したまま、いまだに捜索網に引っかからない。
捜査網は自国と
兵が帰還すれば、今度こそ、と期待して報告を受ける王女。
彼女が毎回失望するのを目にするのが、傍にいる臣下としては辛くて仕方がなかった。
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