第204話 エピローグ1


「……しょ、勝者、ラモ!」


 恐怖に晒されたアーノルドが、冷静さを失って闘技スペースから落ちると、審判が困惑しながらも勝敗を告げた。


「……あ、あり得なくない!?」


「ちょ、倒しちゃったよ、あの子!」


 興奮しきった二女と三女が、イシスの肩を痛いほどに叩き続けている。


「………」


 それでもイシスはまだ、呆然と立ち尽くしていた。

 あまりのことに言葉が出ない。


「あんた、あんなすごい彼氏、どうやって見つけたのさ!」


 長女がまだ興奮したまま、イシスに声をかける。


「……か、彼氏じゃないわ」


 我に返ったイシスは、すぐにその言葉を否定した。


「え? でもあんたのこと守ってくれたんでしょ?」


「あれで彼氏じゃなかったらなんなの」


 姉たちが揃って怪訝そうな顔になって、イシスの顔を覗き込む。


「だ、だってラモくんは……」


 イシスがしどろもどろになる。


「だって何よ」


「……だって……」


 イシスはアーノルドが好きだったのだ。

 たしかにもう2ヶ月以上も一緒に居たが、ラモをそんな目で見たことなど一度もなかった。


 ラモの方も、自分のことを特別な異性とは認識していないだろう。

「うまくいったらいいね」と、アーノルドとのことをずっとそばで応援してくれていたくらいだったから。


「そんな関係じゃ……ないもの……」


 その時、周りが急にざわざわとした。


「……あれ、消えた?」


 壇上を振り返った二女が言う。


「……えっ……?」


 イシスも、壇上に視線を走らせる。

 消えたのが誰かを知ったとたん、イシスの顔が青ざめていく。


「……おや?」


 舞台の審判が、右往左往している。

 そう、いつのまにか、ラモは掻き消すようにいなくなっていた。




 ◇◇◇




 クィークィーという夜鳥の啼く声が、頭上から聞こえ始めた。


 さっきまでの大観衆はすでに立ち去っており、周りにはもうほとんどひとけがなかった。


「そろそろお帰り願いますよ」


 舞台や篝火が片付けている開催側の人たちが、動こうとしないイシスたちに声をかけてくる。


「ラモくん……」


 イシスはまだ、あたりを見回し続けていた。


「……イシス、真っ暗になる前に帰ろう」


「そうだよ。ずっと街道沿いとはいっても、物騒なんだからさ」


 二女がその腕を引っ張っても、イシスはその場を動こうとしなかった。


「イシス」


「……ラモくんが戻ってこない」


「いいからとりあえず帰ろって!」


 長女が半ば強引にイシスを引っ張って歩かせると、イシスはとうとう、わぁぁん、と声を上げて泣き出した。


「……イシス……」


 姉たちが困った様子で、顔を見合わせる。


「ラモくんも……ラモくんも……いなくなっちゃったぁぁ……ひっく!」


 イシスはその場に座り込み、大声で嗚咽を漏らしていた。


「うぅ……ラモ、くん……ひっく……」


 息ができないほどにしゃくり上げながらも、イシスはこうなった理由がなんとなく理解できていた。


 みんなが帰ってきたからだ。


 ラモはいつも「自分を一人にはしない」と言ってくれていた。

 それは、こういう意味だったのだ。


「よかった! お父様が馬車で迎えに来てくれたわ」


 三女が嬉しそうに告げた言葉に、姉妹たちがほっと安堵する。




 ◇◇◇




 屋敷に到着した姉妹たちは長旅の荷物もそのままに、食卓でイシスを囲んで座り、事情を訊ねていた。


「いいから話しなさいって。心に抱えていていいことなんか、なんにもないの」


「………」


 最初は頑なに口を閉ざしていたイシスだったが、何度も姉たちに言われて、やがて掻い摘んで最近のことを話し始めた。


 ジョージのことや、自分が一度死んだことにはあえて触れなかった。

 話が脇道に逸れて、朝になっても全てを説明しきれない気がしたのだ。


 そうやって話してみると、ノットのことも話す必要がなかった。


「なるほど。ジョージが辞めて一人だったところに、そのラモくんっていう人が来て、あんたに寄り添ってくれたと」


 長女がイシスにハンカチを渡しながら言った。


 二人でいた時のことを話すと、勝手に涙がこぼれた。

 随分と自分に気を遣ってくれていたことに、今さらながら気づいたのだ。


「そこまでされたら好きになるよねぇー」


 三女がまた頭の後ろで腕を組んで、頷く。


「……好き……じゃないわ」


 イシスは、うつむいた。

 そう言われると、やはり違和感しかない。


 自分は毎日、朝から晩までアーノルド卿に焦がれ、死の前に会いたいと願ったほどだったのである。

 だが、姉たちは誰一人としてそれに賛同しなかった。


「じゃあ聞くけど、あんたアーノルドに振られた時、そんなに泣いた?」


「……え?」


 イシスが言葉に詰まる。


「あんたさ、ラモくんが帰ってこなくて、いちばん傷ついてるでしょ」


「………」


 肩肘をついてイシスを覗き込む二女に、イシスは何も言えなくなる。

 確かにアーノルドは今、心のどこにも居なかった。


 何年も想い続けてきた人だというのに、である。


 ノットとの別れを知った時も確かに辛かったけど、今、胸に歴然として存在しているのは、ラモの喪失感。

 いつも隣にいてくれたラモがいなくなったことが、自分を一番強く苛んでいる。


「イシス。あんた、本当は男を好きになったことがなかったんだよ」


「……え?」


 予想もしなかった長女の言葉に、イシスがきょとんとする。


「それで、『本物の王子様』をみすみす逃したと」


「あーあ。もったいないよぉ……ホント、イシスって馬鹿」


 二女が肩をすくめて言い、三女もこれみよがしにため息をつく。


「……えっ?」


 イシスはまだ意味がわからず、しきりに瞬きをする。


「あんたさ、『スス臭い』って馬鹿にする男とさ、一緒にススまみれになって笑い合ってくれる男と、どっちがいい男かわからない?」


 長女が胸の下で腕を組みながら、言った。


「……あ……」


 イシスの手から、ハンカチがぽとり、と落ちた。


「そこまで女を汲んでくれる男って、そうそう世の中に居ると思う? あんた、これから探してごらんよ。一生かかったって、たぶん見つからないよ?」


「………」


 イシスが絶句する。


「……『ラモくん』って素敵ね……おまけに強いしさぁ」


 その横では、三女がぽわんと頬を赤くして、遠くを見つめている。


「イシス。あんたはその人が一緒に居てくれて、とんでもなく幸せだったのよ。だから今、そんなに涙が止まらないの」


 自分のことが全然わかってない、と、長女はイシスのおでこをつん、と押した。


「………」


 考えてみれば、確かに自分は家族同然だったジョージに殺されかけて、あれほどに恐怖したというのに、次の日には自分の好きな『だるまさんが転んだ』をして、もう笑うことができていた。


 暗く悲しいはずの日常が、ラモが隣にいるだけですごく明るくなって、楽しかったのだ。


 だが過ごしている間は、それが空気のように感じられていた。

 どうしてか、そんな幸せがあって当たり前のように考えていた自分がいた。


「で、その素敵なラモくんに、アーノルドと会うためのお膳立てをすべてさせたんだよね?」


 ニ女が嫌味っぽく言った。


「……あ……」


 イシスが口元を押さえて、はっとする。


「そのラモくん、実は強かったのにね」


「それさ、何回聞いてもヤバイんだけどぉ……?」


 三女が観客を沸かせたあのシーンを思い出したのか、また、目をとろん、とさせる。


「そうね。少なくとも私らなら絶対惚れるわ」


「間違いないね」


「うんうん」


 姉たちが顔を見合わせて頷いている。


「………」


 イシスはまた言葉に窮していた。


 ――かなり強いと思うよ――。


 そう言って、得意げに力こぶを作ってみせたラモの笑顔が目に浮かんでいた。


「戻ってきてくれないかな。みんなで歓迎しようか」


「だね。私がもらうけど。イシスにはもったいなさすぎる」


「私も欲しいー!」


「えっ……えっ!?」


 姉たちの、まるで冗談に聞こえない言葉に、イシスが血相を変える。

 そんなイシスを見て、姉たちはクスクスと笑った。


「でもね、そんないい男が別れの挨拶もしないで立ち去ったって、よほどだわ」


「確かにそう思うね。不思議で仕方ない。どうしてなの? イシス」


 長女と二女がイシスを見る。


「………」


 イシスが無言のまま、視線を落とした。

 イシス自身も、それがわからなくてつらかった。


 ずっと一緒に過ごしてきたのだから、きちんとお別れと再会の約束をしたかったのだ。

 明日からラモが居なくなった虚無感とどう向き合えばよいかと考えるだけで、イシスはまた泣きそうになった。


「挨拶もしないで去る理由ねぇ……」


 しばし、姉たちが思案する。

 そして長女が、ふいにイシスを見た。


「……ないとは思うけどさ。あんたまさか、他に男がいたりしないわよね?」


「……え?」


「アーノルドでもなく、そのラモくんでもない、いい男。いないだろうね?」


「あ……」


 イシスが硬直する。


「あんたのその男に気遣って、立ち去ってるとかなんじゃないの?」


 それくらいしか思いつかないんだけど、と長女が怪訝そうな顔つきで訊ねてくる。


「………」


 イシスは呆然とする。


 心当たりがあったのだ。

 そう、ノットのことである。


(………)


 ノットが自分を好いていてくれたかと言われたら自信がないけれど、ラモがもしかしてそれを気にして立ち去ったのかも、と考えると、やけに納得がいった。


 ラモはいつも他人の気持ちを大事にする人だ。

 姉の言うことは、あながち間違っていないのかもしれない……。


「……イシス……あんたさ」


 そうやって思案し始めたイシスを見て、姉たちが目つきを鋭くした。


「あたしたちにまだ話してないことがあるわね?」


「あっ……ち、違うの……」


 イシスがあからさまにたじろいだ、その時だった。


「――なんじゃこれはぁぁ!?」


 遠くで発せられた、父の絶叫。


「……お父様!?」


「玄関からだわ!」


 姉たちが立ち上がり、玄関へと走る。

 イシスも慌てて、それに倣った。


「どうしたの、お父様」


「げ……玄関にこんなものが」


 父が震える手で彼女たちに差し出したもの。

 それはずっしりとした、金貨袋だった。


「えー!?」


 手渡され、中身を見た長女が立っていられず、ぺたん、と座り込んだ。


「18、19……に、20金貨も……」


「なんでこんな大金が……」


 次々と中身を覗き込んだ二女と三女が、言葉を失う。


「……まさか」


 ふいに、イシスが顔色を変えた。

『20』という数字に、イシスだけは聞き覚えがあったのだ。


「なにこれ、手紙が入ってる……『お世話になりました』だって……あ!?」


 それを聞いた途端、イシスは駆け寄り、姉の手から手紙を奪い取る。

 そして食い入るようにして、その手紙を覗き込んだ。


「……ラモくんだ……!」


 イシスが裸足のまま、玄関から勢いよく出ていく。

 その脚を引きずることなく。


「……あ、イシス!?」


「――ラモくん――!」


 ラモがここに来たのだ。

 きっとまだ、近くにいる――。


「イシス!?」


「――ラモくん! 私、見つけたの! ノットさんの分まで愛せる人を!」


 イシスがその細い体をくの字にして、大きな声を張り上げる。


「――私、ずっと待ってるから! ラモくんが顔を見せてくれるの、おばあさんになっても待ってるから――!」


 そんなイシスの言葉が、森の中をこだましていく。

 少し間をおいて、家の近くに立つ大木の梢が、かさりと揺れた。


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