第203話 VSアーノルド


「……おい。何がおかしい?」


 その笑いがやけに癇に障ったアーノルドが、こめかみをピクつかせながら怒声を発した。

 しかし少年は脅される様子もなく、飄々としながら口を開いた。


「お前にできるかな」


「……あ?」


 少年は剣の切っ先を下げたまま、足を肩幅に開いた。

 そして柄を静かに握り込む。


「――強いぜ。俺は」



 ◆◆◆



「ラモくん……」


「なに、イシスって相手の少年と知り合いなの?」


 驚いた表情で訊ねてくる姉たちに、イシスは頷いた。


「私のせいで、ラモくんがあそこに立たされているの」


 イシスは姉たちにこうなったいきさつを説明した。


 アプローチしようと、自分がアーノルドに声をかけたこと。

 そんな自分に、立つ瀬もないような言い方をされたことに怒って、ラモが殴りかかったこと。


 そして、殴られたことに激昂したアーノルドが、この決闘の場を半ば強制的に用意したこと。


「……へぇー驚いた。でも名高いアーノルド様と知ってて突っかかるなんて、実に無謀だわね」 


 長女が当の少年に好奇の視線を向けながら、顎に手を当てていた。


「いや、むしろ勇敢って話じゃん。イシスのために飛びかかったんでしょ? 不意打ちだろうとなんだろうと、あたしはかっこいいと思うな」


 次女がイシスの腕を取り、一番先にイシスの味方になった。


「……でもさぁ、そんなケンカの延長なら、真剣でやる必要なくなぁい?」


「………」


 三女の至極常識的な言葉に、イシスがはっと息を呑む。


 ラモが平然としていたので、すっかり頭の中から抜け落ちていた。

 そう、アーノルドの思惑か、これはすでに命のやり取りにまで発展してしまっているのである。


「確かに土をつけられたなら、プライドの高いアーノルド卿のことだから相当憤慨しているだろうね。決闘にかこつけて、怪我くらいはさせるつもりなんだろうさ」


 昨年、一昨年の予選の様子を直接見ている長女が、頷きながら言った。


「あーあ。さっさと謝っちまいなよー。下手すりゃ殺されるよぉ」


 三女が頭の後ろで腕を組みながら、顔をしかめた。


「………」


 一方のイシスは、息ができなくなっていた。


「……嫌……」


 ラモくんが敵うはずがない。

 ゴブリンとだって戦えないのに、相対しているのは国内二位の剣の腕の持ち主なのだ。


 自身の傍から離れていくのは、ノットさんだけじゃない。

 今度はラモくんが……大怪我を負って……。


「――はじめっ!」


 しかし無情にも、用意された戦いの火蓋は切って落とされる。


「ふおぉ………」


 アーノルドが髪を掻き上げ、レイピアを突き出すようにして斜めに構えた。


「その構え……坊ちゃま、本気ですな」


 アーノルド側応援席の最前列で観戦している執事風の男が、微笑を浮かべて頷いていた。

 アーノルドは、この殺しも厭わぬ新式の構えを宿敵リャリャに会うまで温存するつもりだったのである。


「――やめてぇぇ!」


 イシスが身体をくの字にして、その身にそぐわない大きな声を張り上げた。


 その声が届き、アーノルドがちらりと観衆の中のイシスを見た。

 しかしアーノルドは、ふん、と鼻で笑うと、すぐに視線をラモに戻した。


「我が『イルネル岩貫流レイピア術』、とくと味わうがいい……」


 アーノルドがふぅぅ、と息を吐く。


「 きゃあぁー!」


「アーノルド様ー!」


 一方、アーノルドに恋する女性たちからは、さかんに歓声が飛び交っている。


「――とぅ」


 そこで満を持して、アーノルドが跳躍した。


「嫌あぁぁぁぁ――!」


 イシスが絶叫するのも構わず、アーノルドは天賦の素早さを全開にして、少年に一直線に突進した。


「――ほぁぁ――!」


 なんの躊躇もなく突き出される、殺意のレイピア。

 しかし少年は臆せず、それに向かって逆に踏み込んだ。


「愚か過ぎる」


 それを脇で見ている執事風の男が鼻で笑う。

 この男が授けた『イルネル岩貫流レイピア術』の一撃を躱すには、上に飛ぶしかないのである。


 後ろや横に逃げるならまだしも、踏み込んでくるなど愚の骨頂としか言いようがなかった。


「―――!」


 多くの観衆が見守る中、二人の姿が交差する。

 もう耐えられず、イシスは顔を背けた。


「――ぐふっ!」


 直後に発せられた、苦悶の悲鳴。

 続いた、ガラン、という武器の落下音。


「あぁ……」


 聞こえてしまったそれに、イシスの身体がガタガタと震え出した。

 顔を上げられないまま、涙で視界が滲む。


(ラモくん……!)


 自分のせいで……。

 あの尖った怖い武器が、ラモくんの胸を……。


「――えっ!?」


「ちょっ!?」


 しかし、イシスの周りで上がったのは、驚声。


「どういう……!」


「す、すごい……!」


 周囲の驚愕は、まだ続く。


「………」


 違和感を感じたイシスが、恐る恐る顔を上げる。


「……え……?」


 そして、その目が見開かれた。


 予想もしなかった光景。

 そう、少年は突き出されたレイピアの先になど、居なかった。


「くぉ……」


 呻いていたのはアーノルドの方だった。

 レイピアを落とし、みぞおちを両手で押さえ、真っ青な顔で膝をついていた。


「だ、ダウン――!」


 審判の男がラモをコーナーに遠ざけ、カウントを始める。


 どっと沸く、観衆たち。


 それも当然。

 今日一番の番狂わせであった。


「………!」


 執事風の男が、目を瞠って立ち上がっていた。


「イシスの彼氏すごいぃ!」


「ちょっと! マジ惚れそうなんだけど!」


 イシスの姉たちが、イシスを叩きながら歓喜している。


「はいはい、皆さん篝火が危ないので、座ってご観戦ください!」


 闘技スペースの周囲では、係の者たちが一斉に興奮した観衆たちを、必死になだめている。


「うそ……うそ……」


 一方で、イシスはこれ以上言葉が出なかった。

 感極まって一気にあふれた涙を、手の甲で拭う。


 ラモくん……?


 ラモがまさか戦えるなど、想像もしていなかった。

 出会った当日はゴブリンから一緒に逃げたくらいだし、いつも獲物を狩る時も罠を使って仕留めていたから、戦えないのだと勝手に思い込んでいた。


「ラモくんが、強い……? 」


 自分が愛して止まなかった遠くの誉れ高きアーノルド卿よりも、一緒に焼きいもを焼いていた近くのラモくんが……?


「……ラモ……くん……」


 イシスが右手で胸を押さえる。

 ふいにイシスの胸が、とくん、とくん、と高鳴り始めた。


「あが……ちくしょう……!」


 腹を押さえて苦悶しながらも、アーノルドはカウント内でなんとか立ち上がった。

 しかしダメージが抜けておらず、膝がブルブルと震え、立っているのもやっとの状態である。


「お前、俺の一撃を……」


 左手で腹を押さえながらも、アーノルドがレイピアを構える。

 少年は先程と同じ、ファルシオンの切っ先を下げたまま、ゆらりと立っている。


「諦めろ。お前では話にならない」


「――!? 優勝候補の俺様に向かって……!」


 アーノルドが唾を吐き捨て、スキル【自己回復セルフヒール】を用いて自身のダメージを緩和する。


 回避者アヴォイダーは、威力としては最下級ではあるが、多くの職業が持つ自己回復スキルを持っており、多少負傷しようとも逃げられるだけの治癒を施すことができるのだ。


「ただの偶然で調子に乗りやがって。……後悔するがいい。この俺を本気にさせてしまったことを!」


 アーノルドがレイピアを引き絞った構えをとる。


「【イルネール流儀 】直伝! 【鳥落とし】!」


 アーノルドが洗練された動きで跳躍した。


 その引き絞った構えのまま間合いを詰めると、一気にレイピアを突き出す。


 言葉の通り、飛ぶ鳥を落とすほどの鋭い、そして正確な突きである。

 まさに一撃必殺の技。


 しかし少年は一歩も動かない。

 ただファルシオンを縦に構え、その刀身に手を添える。


「死ねぇぇぇ――!」


 直後、キィィンという金属音が響いた。


「――なにっ!?」


 アーノルドが仰天した声を発した。

 レイピアを突き出したその体は、完全に伸び切った状態で止められていた。


「おおぉ!?」


 座って見ていた観客たちが、一斉に立ち上がった。


 レイピアは硬いものによって、見事に遮られていた。

 そう、ファルシオンの、数ミリしかない刀身で。


「鳥を落とすぐらいのことが、そんなに凄いのか?」


 そう呟いた少年は、ファルシオンをそのまま一閃した。

 キュィイン、という金属の悲鳴が響く。


「くっ」


 その一閃を避けようと、アーノルドが後ろに飛び退った。


「か、間一髪だった………って、はわぁ!?」


 そこで、アーノルドが自分の持っているレイピアに気づく。


 みるみるその顔が蒼白に変わった。

 そう、レイピアは柄から上が真っ二つに割れ、Vの字になっていたのだ。


「おおぉぉ――!」


「すげぇぞあいつ!」


 用意していたかのような見事な見世物に、観客が一気に熱狂する。


「う、ううう、嘘だろ、こんなことが……!」


 アーノルドが裂けたレイピアを握ったまま、一歩、二歩と後ずさる。


「――言ったはずだ。俺は強いと」


 ラモがファルシオンを担ぎながら、アーノルドへとゆっくり歩み寄る。


「わぁぁ、待て待て、待ってくれ!? 金は渡すからぁぁ!」


 逃げるように後ずさったアーノルドが、尻餅をついた。

 そのままうぇっ、とおかしな悲鳴を上げ、舞台の上から無様に転げ落ちる。


「………」


 しーん、と静まり返る。

 アーノルドだけが、起きていた出来事にまだ気づかない。


「じょ、場外……」


 審判の男が戸惑いを隠せないまま、アーノルドに向かって告げる。


「……あへ?」


 アーノルドが目を白黒させていた。

 そこでやっと、自分の立っている場所に気づいたのである。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る