第202話 釈明



 そばの茂みで、夜虫が競い合うように鳴いている。

 すぐやるのかとおもいきや、衣服に土がついたとかいう理由で、僕とアーノルドとの一戦は待たされている。


 当然、見ず知らずの僕を応援する人なんて居ないわけで、完全にアウェイの空気が居づらくて、僕とイシスは少し離れた木の下で並んで座っていた。


「私のせいで……本当にごめんなさい……」


 イシスは女の子座りをした膝の上に視線を落としたまま、ワンピースの裾を握りしめた。


 彼女は随分と思い詰めた表情をしていた。

 相手にされなかったショックもどこへやら、今は僕のことばかり心配している。


 どうやら自分のせいで、これから公衆の面前で、僕が血祭りに上げられるとでも思っているらしい。


「僕、強いでしょ? ひどいこと言うからぶん殴ってやったよ」


「……ラモくん……」


 僕の言葉で、イシスはやっとその顔に小さな笑みを浮かべた。


「なーんてさ。実はアーノルド卿を殴ったのはノットなんだ」


「……えっ」


 イシスが耳を疑う。


「さっき、来てくれていたんだよ」


 僕は遠くを見るようにして言った。

 イシスが飛び上がるようにして、立ち上がる。


「ホント!? ノットさん、どこ!? 私、もういつでも――」


 イシスは懐から花の首飾りを取り出すと、辺りを見回した。

 ノットがいなくなってから、日々丹精込めて作り上げた、可愛らしい首飾りだった。


 しかし僕は、首を横に振る。


「もういないんだ」


「……えっ?」


「やっぱりイシスには見えなかったんだね? さっき、すぐそばにいたんだけど」


「……うそ……」


 首飾りを持った手が、だらりと下がる。

 その様子を見て、僕は自分の推測が正しかったことを知った。


「……見えなかったって、どうして……」


「それはね」


 僕も土を払って立ち上がる。


 ノットは、僕に『あとの釈明は頼む』って言って去った。

 僕はてっきり、『殴った後始末を頼む』って意味だと思っていたけど、そうじゃなかった。


「イシスが言っていた通り、ノットは死んだ人を死後の世界に正しく導くためにいる神様だったんだ」


「……え……」


「もうイシスに見えないということは、つまりそういうことさ」


「……まさか」


 イシスが息を呑む。


「そう。その『まさか』が起きている」


「………!」


 イシスが口元を押さえ、目を潤ませた。


「……そんな、どうして……!」


 そう、月明かりに照らされる今の彼女には、影があった。


 イシスはすでに生きているのだ。

 命を受け取って。


「……ノットさん……!」


 イシスがその場に崩れるように座り込んだ。


「どうして……! 私、受け入れてなんか……」


「あれはね、たぶんノットがひと芝居打ったんだよ」


「…………」


 俯いているイシスが、硬直する。


「イシスがいくら拒もうとも、命は最初から渡せたんだと思うよ。でもそうすると、ノットは最後のお別れを言えないだろ?」


「……お別れ……?」


 イシスが顔を上げ、濡れた目で瞬きをする。


 そう、ノットもせめて最後くらい、イシスの心の中に在りたいと思ったのかもしれない。

 イシスがアーノルドに対して、そう思ったように。


「うん。結局ノットは言えなかったみたいだけど」


 そもそもイシスは全く知らなかったんだろうな。

 ノットがイシスを好きでいたことを。


 ノットもあんな性格だから、表に出さなかったんだろうし。


 それでも、最後はタイミングを見計らっていたのかもしれない。

 なのに。


「どうして……」


「時間ぎりぎりだったみたいだから、命を渡すだけで精一杯だったのかな」


 僕は夜空を見上げながら言った。


 アーノルドがあんなことを言ったものだから、最後の時間をあそこで使い切ってしまった、といった感じだったんだろうな。


「ノットから、全てが終わった時にもし伝えられなかったら、と預けられた言葉があるんだ」


「……えっ」


 僕はイシスに向き合って、静かに口を開く。


「『生きて、私の分まで誰かを愛してください』と」


「………!」


 イシスの両目から、とめどなく涙があふれ始めた。


「ノットさん……!」


 イシスが激しい嗚咽を漏らし始めた。


 その手では、作り上げた首飾りを握りしめていた。

 花がぽろぽろと、膝の上にこぼれ落ちる。


「………」


 一瞬だが、伝えるべきか迷った。

 ノットがイシスを愛していたことを。


 だが、すぐにその考えは捨てた。

 前に話した時に、ノット自身は伝えないことを選んでいたのだ。


「……ごめんなさい……私……こんなにしてもらったのに……!」


 イシスが作り上げた首飾りに顔を埋めるようにして泣き始める。


「……なのに相手にも、されなくて……どうしたら……うぅっ……!」


 僕は一歩近づくと、ひどく泣きじゃくるイシスの肩に手を置いた。


「イシス……幸せになる相手は、別にアーノルド卿じゃなくてもいいんだよ」


「……え……?」


 イシスがぴくりと肩を揺らす。


「イシスは若い。これからたくさんの出会いがある。もっといい人が必ず見つかるよ」


「……もっと……いいひと……?」


「うん」


 僕はイシスの頭を撫でて、笑いかけた。

 そして、話を続けようとした、その時。


「いたいた、あそこだ。イシスー!」


 遠くから声がした。

 見ると、駆け寄ってくる三人の女性たち。


 その顔立ちを見てすぐにわかった。

 イシスの姉たちだろう。


「お、お姉様たち……おかえりなさい!」


 イシスがやってきた三人に囲まれる。


「ここだと思ったよー! あら? 随分とオメカシしてんじゃん」


「御父様もきてるんよ」


「アーノルド卿、優勝だって? すごいねぇ」


 姉妹が久しぶりの再会を喜んでいる。


「………」


 僕はそんな彼女たちから、そっと後ずさる。


 ちょうどいいね。

 話の途中だったけど、僕の役目も終わりが来たみたいだ。




 ◇◇◇




「ほら、お土産だよ。あんたの欲しがってたやつ」


「……あれ、泣くの早くない? イシス?」


 イヤリングを差し出した長女と、その隣にいた次女の姉が、怪訝そうな表情でイシスの顔を覗き込んだ。


「………」


 イシスは涙を手の甲で拭いて自分を取り繕う。


「ねぇジョージは? もしかして家に置いてあんた一人で来たの?」


 長女がキョロキョロと辺りを見回しながら、重ねて訊ねる。

 その言葉で思い出したイシスは、全身に鳥肌が立った。


「ねぇイシス。ジョージは?」


「……その人、辞めて……いなくなったの」


 イシスは目を合わせない。


「辞めたぁ? 十年以上いたジョージが? どうしてまたぁ?」


 一本の三編みにした三女の姉が、眉をひそめた。


 ちょうどその時、闘技スペースの方から、わぁぁと歓声が上がった。

 イシスが目を向けると、いつのまにか恐ろしい数の人だかりができていた。


「……え? もう終わったんじゃないの?」


「ちょ、アーノルド卿だわ!」


「ねぇねぇ、もう一戦やるみたい!」


 姉たちが歓声を上げている。


「ねぇイシス! 見に行こ! ほら!」


「――えっ!?」


 イシスはその両手を引っ張られ、連れられる。


「ま、待っ――」


 そのまま、容赦のない姉たちにぐいぐいと引っばられ、なんと前から三列目くらいに割り込んでいた。

 前の人の頭の隙間から、なんとか見える。


「………!」


 イシスが目を見開いた。

 そこにはラモが立っていたのだ。


「……そ、そうだった……」


 ノットのことで頭が一杯になっていて忘れていた。


 アーノルド卿の相手は、彼だった。

 しかも自分のせいで、 ラモはあそこに立っているのだ。




 ◇◇◇





「はいはい、篝火もあって危ないので、皆さん押さないで。座ってご観戦くださいよ~」


 開催側の係の者たちが並んで両手を広げ、観衆が近づきすぎないように制限している。


「アーノルド様ぁー!」


「素敵ィィー!」


「最後もまたやっちゃってー!」


 戦いの場にそぐわない白いタキシードに着替えたアーノルドが不敵な笑みを浮かべ、闘技スペースに立っている。


「持ってろ」


 アーノルドは先ほど受け取ったばかりの賞金をぽいと投げて、審判に預けた。


「――見ていてくれ! 五秒で終わらせてやる!」


 アーノルドが指で5を示した右手を掲げ、高らかに叫ぶと、女性たちから一層高まった声援が送られた。

 その反応に満足気に頷いたアーノルドが、同じ壇上で向き合う少年に視線を向ける。


「……この俺様がダウンしたのは、二年前にリャリャにやられたきりだったんだが」


 アーノルドがレイピアを演舞のように振り回しながら、少年へと距離を詰める。

 そして前かがみになり、向かいに立つ少年にだけ聞こえるように囁いた。


「怯えるがいい。蜂の巣にしてやる」


 言うや、アーノルドはククク、アーッハッハッハ、と笑い出した。


「では武器を構えて」


 重鎧を着込んだ審判役の男が、やり合い始めた二人に告げる。

 言われて無造作に少年が懐から取り出したのは、ファルシオンだった。


「……なんだその剣はぁ?」


 アーノルドがこれみよがしに笑ってみせる。


 広刃の剣ブロードソードよりやや重く、反り返っているために重心が刀身の中心にない剣である。

 それゆえ、正当な剣使いを追求するなら、握らぬ方が良い品とされている。


 が、重心を整える必要がないだけに下級の鍛冶職人でも容易に作り出すことができ、なにせ安価であるため、平民の護身用や初級の冒険者達に大きな需要があるのが実際である。


「こりゃ期待しすぎたかな……いっぱしの剣も持てないんじゃ、蜂の巣にするのに5秒もいらんなぁ」


 アーノルドが夜空を見上げ、額に手を当てて「処置なし」とばかりに残念さをアピールする。

 しかしそれを目にした少年は、息を吐くようにしながら笑った。


「……おい。何がおかしい?」


 その笑いがやけに癇に障ったアーノルドが、こめかみをピクつかせながら怒声を発した。

 しかし少年は脅される様子もなく、飄々としながら口を開いた。


「お前にできるかな」


「……あ?」


 少年は剣の切っ先を下げたまま、足を肩幅に開いた。

 そして柄を静かに握り込む。


「――強いぜ。俺は」




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