第201話 予選決勝
「これより西地区真剣部門予選決勝を行う」
「始まるね」
「……う、うん」
頷くイシスの姿は、篝火で暖色に染まっている。
ちなみにアーノルド卿の相手は、レイピアとは相性の悪そうな、レスラータイプのおじさんだった。
その手にはナックルと呼ばれる金属の武器を嵌めている。
うん、これ以上ないほどのヤラレ役だ。
「はじめっ!」
審判の人の掛け声とともに、西地区決勝が始まる。
「おおぉー!」
開始と同時に、ナックルのおじさんがドスドスと走り、アーノルドへと迫る。
一撃、二撃は身に受ける覚悟で勝負を決めるつもりのようだ。
「つまらないな」
そう言ったアーノルドが額から撫でるように金髪を掻き上げると、対戦相手に背を向け、自分を応援する女性たちに投げキッスを送った。
「きゃああ! かっこいいー!」
「アーノルド様ー!」
多くの女性達が、たったそれだけで総立ちになる。
「………」
イシスも高鳴る胸を右手で押さえるようにしながら、その様子を瞬きもせずに眺めている。
「とぅ」
突然、アーノルドが大きく跳躍した。
それと同時に、ナックルのおじさんが無人となったコーナーに突っ込み、杭を倒しそうになる。
「――蝶のように舞い――」
アーノルドは自分で言いながら宙で回転すると。
「――蜂のように刺す!」
ナックルおじさんの背後に舞い降り、すぐさまレイピアの連撃を始めた。
「ぐわっ」
滅多やたらに突き出しているようにしか見えないが、何らかの技なのかもしれない。
そんな突きの一つが、振り返ったおじさんの喉元を貫き、おじさんは呻いて膝をついた。
幸い急所は外れ、気管が少し傷ついて空気が漏れているだけのようだ。
それでもおじさんは恐怖で心を折られ、立てなかった。
確かに目でも突かれないうちにやめた方がいいだろう。
「――勝者、アーノルド卿! 西地区代表決定!」
審判の人が大声を張り上げ、アーノルドの右手を持ち上げた。
アーノルドはまた左手で髪を掻き上げ、飛び跳ねている女性たちへのファンサービスを忘れない。
「……か……かっこいい……」
イシスが呆然とその姿を見上げながら、呟いた。
「すごいね。イシスの言った通り、アーノルド卿が優勝だよ」
「……う、うん……」
イシスがアーノルドを見つめたまま、こくこくと頷いた。
今は負傷したおじさんが運び去られた代わりに、開催側の人たちが闘技スペースに上がり、アーノルドに今回の戦いの感触などを訊ねている。
「さぁ。もうすぐ降りてくるよ。行こう」
僕はイシスを引っ張り、アーノルドの退路に並んだ。
僕らを追いかけるように、たくさんの女性たちがやって来たけれど、一足早く動いたお陰で、僕たちは最前列に立つことができた。
「きゃああー!」
「こっち向いてー!」
そうしている間にも、勝利は当然だった、といった顔でアーノルドがやってくる。
「イシス、来るよ」
僕はイシスを自分の前に立たせる。
彼女にとって待ち望んだ、そして最後になるかもしれない大切な時間。
ふいにはさせない。
「イシス」
「う、うん……」
イシスは緊張してか、すっかり固くなっていたけど、 目はしっかりとアーノルドを追っている。
そして、とうとうアーノルドが目の前を通る。
「アーノル……きゃっ!?」
イシスが挨拶しかけた、その時。
「アーノルド様ぁー!」
後ろにいた小太りの女性のひとりがむりやり前に出ようとして、僕とイシスの間に割り込んできた。
「イシス!」
「あっ!?」
そのせいで、イシスだけが通路側に押し出されてしまった。
ちょうどそこにアーノルドがいて、イシスはアーノルドに正面からぶつかる格好になった。
イシスはぺたん、と通路に座り込んだ。
アーノルドが足を止め、無言でイシスを見下ろす。
「………」
周囲が静まり返る。
「す、すみません!」
すぐに何をしてしまったのか気づいたのだろう。
イシスは立ち上がって身なりを正すと、アーノルドに向かって、深くお辞儀をした。
「……あのっ、優勝おめでとうございますっ、私はアイゼンヴァルデ家の……」
「ハッハッハ!」
しかしアーノルドは最後までそれを聞かずに、大口を開けて笑い出した。
そしてぶつかった胸元を手の甲で払いながら、イシスを見下ろす。
「……なんだ、このススくせぇ女は」
「………!」
イシスがはっとする。
その目で涙が盛り上がるのが、ありありとわかった。
直後。
「――あびゅっ!?」
バキッ、という音とともに、アーノルドが人形のように宙を舞った。
僕が殴ったのだと思った。
僕も無意識にか、右手を突き出していたから。
だが、それよりも僅かに早く動いていた者が居た。
そいつが、僕の前に立っている。
もはや血の気も通っていない、肌が半透明に透けた青髪のスーツの男。
ノットだった。
「結局、最後に話す相手はお前か」
変わり果てたノットは僕を振り返り、悪趣味な赤と黒のネクタイを直すと、自嘲したように笑う。
「ノット、お前……」
他の誰にも、ノットの姿は見えていない。
そう、イシスにも。
「心配無用。私にとって死は死ではない」
「最後まで強がりか」
僕の言葉に、またノットは笑った。
「悪いが、後の釈明は頼む」
ノットはその言葉を最後に、掻き消えるようにいなくなった。
◇◇◇
周囲がザワザワとした。
「……だ、誰だ!? 優勝者の俺様を……!」
アーノルドが立ち上がり、口から流した血を拭った。
血走った目で、辺りを見回している。
「ぶっ殺してやる、出てこいっ! 誰だ――」
「僕だよ」
僕は悪びれるふうもなく、アーノルドの前に出た。
出るなり僕は、護衛らしき男たちに四人がかりで取り押さえられた。
特に抵抗せず、うつ伏せに組み伏せられる。
「――ラモくん!?」
「こいつか」
つかつか、とやってきたアーノルドは、本性を表したような形相になり、僕の顔を蹴り上げた。
なんだこれ、強烈そうに見えて、全然痛くないんだけど。
「――や、やめて!」
慌てて割り込もうとしたイシスだったが、アーノルドの取り巻きのひとりに遠ざけられた。
「よくも俺様の美貌を台無しに――」
叫んで再び暴力に訴えようとしたところで、アーノルドも気づいたようだった。
周りの人たちの意識が、自分よりも、僕の方に向いていることに。
「……お、おい、見たかよ」
「あの子、『回避のアーノルド卿』に一発入れたってよ……」
取り囲んだ人たちが顔を見合わせ始める。
「いや、不意打ちだったからだろ……?」
「けど、あの角度だと正面から殴ったことになる」
「……待てよ。それって、すげー快挙なんじゃ……?」
まあ正確には、殴ったのはノットで僕じゃないんだけど。
そこで突然ハッハッハ、とアーノルドがまた笑い出した。
「……皆さん、おもしろい余興を思いつきました」
そう言ってアーノルドは伯爵家の男子らしい笑みを取り繕うと、周囲を取り囲んでいた女性たちに視線を投げかける。
「どうでしょう。せっかくいらっしゃった皆様のために、この私がそこの少年ともう一戦して差し上げるというのは」
アーノルドの言葉に、周囲がざわり、とした。
「私を倒したのが実力か、はたまた偶然か。皆さんも確認しておきたいでしょう?」
みるみるうちに、近くに居た女性ファンたちの顔が歓喜に染まった。
「きゃあぁカッコいいー!」
「アーノルド様ぁー!」
すぐ近くから、ピンク色の歓声が耳を覆いたくなるほどに発せられ始める。
「さあ、私の提案に賛成の方は拍手を。西地区で見られる最後の試合ですよ」
アーノルドが両手を広げ、観客を煽り立てる。
周囲からは、すぐさま盛大な拍手が送られる。
反対の声はひとつも聞こえてこなかった。
その様子を見て満足気に頷いたアーノルドが、僕を振り返る。
僕は護衛の男たちに掴まれたまま、立たされたところだった。
「そこの君」
アーノルドが作り笑いを浮かべながら、猫なで声を発した。
「ここまで盛り上がったんだ。どうか逃げないでくれ。もし君が勝ったら、さっき受け取った賞金もあげるからさ」
「もちろん参加しよう」
僕の言葉に、アーノルドはよしよし、いい子だ、と作り笑いのまま頷いた。
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