第八部
第207話 プロローグ
第三国防学園の寮には、四人部屋、二人部屋、一人部屋がある。
どこに入るかは在籍クラスによって決まっており、一人部屋を使うことが許されるのは、たいていが学年の最上級クラスである『プラチナ』の生徒になる。
だからこの女子寮の一人部屋で、膝を折った両脚の間に座り込んでいる少女は、その最上級クラスに在籍していることになる。
肌理の細かい肌をした、銀色の髪の少女。
魔法の灯りが頭上の二か所で焚かれた彼女の部屋は、飾り気のないひどく質素なものだが、もし誰かがこの部屋に入ることがあれば、隅々まで掃除が行き届いていることに驚いたであろう。
そんな部屋の床に今は鉛筆、ハンカチ、銅貨、硬貨袋などなんの統一性もない、薄汚れた品々が整然と並べて置かれていた。
「寂しくないよ」
少女はそれらを眺めながら静かに呟くと、それらをひとつずつ大事そうに両手にとり、懐にしまう。
彼女は毎日この時間、儀式のように全く同じことを繰り返していた。
最後に丁寧に畳まれた黒い外套を手に取ると、顔を埋めるようにして、愛おしそうに抱きしめる。
寝着に着替える間も、歯を磨く間も、少女はその黒い外套を離そうとしない。
ベッドにも、彼女はそれを抱いたまま入った。
「大丈夫……寂しくないよ」
ベッドの中で、少女が天井を見つめながら、頬にかかっている銀色の髪を指で耳の方に流す。
それを追いかけるように、少女の目から、しずくが耳元に流れていった。
「あたしは、大丈夫……」
乱れそうになった息を、少女は必死に堪えた。
当初、何も言い残さずに居なくなったサクヤに不安を訴えたのは、この少女、アリアドネだけであった。
周りの多くは「一週間もすれば帰ってくる」と高をくくっていたのである。
しかし不在が二週間、三週間と長引くと、さすがに教師たちも顔色を変えた。
冒険者ギルドに捜索の依頼をしてなお、教師たち自身が裏の山など、近辺の捜索に出ていた。
だがサクヤどころか、その痕跡すら見つからなかった。
期待を裏切り続ける報告を耳にして日々不安を強めるアリアドネに、間もなくして強力な応援が入った。
王宮からの、サクヤ捜索協力の要請であった。
サクヤの不在が王国第二王女フィネスの耳に入ったのである。
――こんにちは。
――こんにちは、アリアドネさん。ご無沙汰ですね。
そこでアリアドネは、その美しき剣姫と久しぶりに向き合うことになった。
フィネスが学園での様子を直接聞きに、自ら足を運んだのである。
しかしこうなると、あの頃と違って互いに棘はなかった。
むしろフィネスとアリアドネの顔には、全く同じ感情が浮かんでいた。
そう、同じことを心配し、不安を分かち合える友だった。
それからサクヤの捜索は、一介の学園の生徒とは思えぬほど大々的に行われた。
その捜索に2000人を超える大部隊が指揮され、国内のあらゆる場所が捜索対象になった。
一部の部隊は、ジューレス天空庭園まで探しに行ったほどである。
しかし二週間以上に渡っての捜索にもかかわらず、サクヤは見つからなかった。
――見つかったらすぐに知らせます。
――ありがとう。
そう言い交わして、フィネスと別れた。
それが昨日のことだった。
「………」
アリアドネは寝返りではだけた寝衣の胸元を直すと、肩に毛布をかけ直した。
去ったフィネスを見送りながら、本当はアリアドネもその足で探しに行きたかった。
そうしなかったのは、ひとえに弟のミロがいるからだ。
ミロは、置いていくにはまだ精神的に幼かった。
もちろん入学当初に比べれば成長している。
比べ物にならないくらいに学園、いや、他人というものに慣れた。
クラスにも友達ができて、放課後は彼らと遊び、自分のところに来るのを忘れることもあるくらいであった。
それでもまだ、自分が居なくなれるほどではない。
(でも半月くらいなら……ミロに相談してみようかしら)
目の前を流れる銀色の髪に手櫛を通しながら、思案する。
自分が探しに行きたい場所がひとつだけあった。
リンダーホーフ王国の『
アリアドネは以前、サクヤに自分との関連を口外しないよう念押しされたため、フィネスたちにも伝えていなかったのだ。
行きたい。
あそこにいた人たちなら、なにか知っているかもしれない。
「サクヤくん……」
とうとうその名を声に出した、その時。
”――我らが聖なる乙女よ”
「………!」
アリアドネが、がば、と身体を起こした。
暗闇の中で視線を走らせると、作動していた【
しかし、声が届きそうな室内には、誰も居なかった。
「誰……」
アリアドネは、もう一度室内を見回す。
”――愛しき我が信徒よ。そなたに頼みがある”
そこでアリアドネは、はっと息を呑む。
この声は直接、自分の頭に語りかけていることに気づいたのだ。
そして『我が信徒』という言葉。
「……ヴィネガー様?」
千年に一度と言われる、『
そう理解した途端、身体ががたがたと震え始めるのを止めることができなくなった。
”――ラーズの信徒を止めよ”
声の主は、ただ自身の言葉を続ける。
”――ラーズの信徒が、そなたを救いし者を害そうとしている”
「救いし者……まさか、サクヤくん!?」
アリアドネはあまりの驚きに、声を張り上げていた。
”――かの者には恩がある。見つけ出し、助けねばならぬ。そなたに探す力を授ける”
声の主は聞こえていないのか、アリアドネの問いかけには一切応じなかった。
だがアリアドネは確信していた。
自分を救った者など、ひとりしかいないのだから。
直後、ふいに室内にバサバサという羽の音が響いた。
ピィ、ピィと鳴くそれが、アリアドネの手元にやってくる。
アリアドネは手を皿にしてそれを受ける。
そこに止まったのは、小鳥だった。
アリアドネの片手ほどもない。
体躯は鮮やかな牡丹色をしており、首から上だけが黒く、目の周りは白く縁取られている。
”――そなたの弟は我らの加護下にあり。ラーズの信徒を止め、かの者を助けよ”
最後にそう告げて、その声は終わった。
「………」
アリアドネは、ピィ、ピィと愛らしく鳴く自分の手にある小鳥を、呆然と見つめていた。
不思議だった。
その小鳥に触れていると、自分の向かうべき方角が指し示されるのである。
「南東……」
アリアドネがベッドから降りて立ち上がると、片手で窓を開け、夜の街並みを見渡す。
夜風がふわり、と入り込み、アリアドネの銀髪を後ろにそっと払った。
すでに夜は更けており、煙突は何も吐かず、暗く、ひっそりと静まった家々が立ち並んでいる。
この方角には、取り立てて人が集まりそうな建物はないように見受けられた。
「違うわ――」
そこで、はたとこの国ではない可能性にも思い至る。
「この方角にあるのは……」
アリアドネはすぐに懐から丁寧に折りたたまれた地図を取り出した。
生まれ育った土地を離れ、サクヤの元に来ると決めた時に、冒険者ギルドで中古の品を買い求めたものだった。
アリアドネは月明かりの下でそれを床に広げ、方角を合わせると、瞬きもせずに凝視した。
「南東……」
アリアドネが繰り返しながら、つつつ、と地図に人さし指を這わせる。
そこには、山と森に溢れた国が描かれていた。
「レイシーヴァ……王国?」
そう、その方角に横たわっていたのは、『死に体』と呼ばれる国だった。
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