第199話 一部始終



「確認しましたが、各国の参加者の中に、『あの男』は含まれておりませぬ」


助祭枢機卿カーディナルディーコン』の男が顔を上げ、付け加えた。


「いや、いるわけないでしょ。さすがに野たれ死んだでしょ」


 教皇チャピンはそれを鼻で笑うと、三人の枢機卿が「御意」と再び頭を下げた。


 先日、総勢二百人を超える『聖者』を集めて、この『バベルの塔』の地下聖堂において、大々的な聖儀式が行われていた。


 なお、『聖者』とはラーズ本神殿が定めた八種類の神聖魔法を使いこなし、【鉄の試練】と呼ばれる百七日の苦行を乗り越えた者を指す。


 かつてない数の『聖者』を集め、古代遺物アーティファクトと呼ばれる強力な力を秘めた品々をも惜しみなく作動させたそれは、たった一人の男をその場に召喚し、殺すためのものであった。


 対象となった男は、三体もの強大な悪魔が憑いた危険極まりない存在であった。

 教皇チャピンは自身のスキル【悪魔探知】で、以前からその者の存在を感知していたのである。


 今回、国を上げての一大行事である『世界決闘大会』の開催前に「災いの芽は摘んでおくべき」と教皇が判断し、光の神ラーズの名のもとに事前排除することとなっていた。


 そうやって、一ヶ月以上前から準備された大々的な儀式。

 第一段階たるその発動は、彼らが思い描いていた通りに成功した。


 これにより、男がこの地下聖堂に召喚されたのだ。


 続けて、第二段階。


 枢機卿と聖者たちの合体魔法により作られた『聖域結界』に、召喚された男を捕縛するというもの。


 男が為すであろう抵抗に対して、様々に準備をしていたが、予想に反して捕縛は難なく成功した。


 召喚された男は敵が同じ人間であることに動揺し、手をこまねくという愚を犯したのである。


 その僅かな隙を突き、光の神殿側が予定通りに事を運ぶ。


 男はこれで無力化され、身じろぎひとつできなくなっていた。


 次に鬼門とされていた、第三段階。

 枢機卿たちによる『祝福された光の短剣』の埋め込み。


 これも『聖域結界』が完璧に作用しており、無傷で成功した。


 脇にいた教皇や、死力を振り絞って男を拘束している聖者たちがその光景を目にして歓喜に沸いた。


 大きな成果であった。

 成功への大躍進となっただけではない。


 短剣が埋め込まれると、いかなる悪魔といえど『聖域結界』内では一切行動できない。


 つまり、光の神殿側が返り討ちに遭う可能性がゼロになったことを意味していた。


 魔界では想像を絶する力を持つ大悪魔とて、地上にある光の神の加護エリアで段取りを踏めば、このように封じ込めが可能なのである。


 しかし。

 歓喜の裏では、重大な問題が生じていた。


『祝福された光の短剣』の一撃は、確かに何ら問題はなかった。


 男の胸に刺さると同時に、憑いていた『博識なる呪殺者グラシャ・ラボラス』と呼ばれるソロモン七十二柱に属する凶悪な魔神を行動不能としていたのである。


 だが、続く二体目の大悪魔。


 魔王に次ぐとも言われる力を持つ『七つの大罪』の一つ、気高き蠅の王バアル・ゼブブ

 これがなんと『祝福された光の短剣』を掴み、ひそかに闇の力で中和していたのだ。


 想像を絶した抗い。


 いくら強大といえど、たかが魔神の一柱である。

 それが神、それも主神の力に抵抗してみせるなど有り得なかった。


 気高き蠅の王バアル・ゼブブはそれと引き換えに行動不能となったが、この生じた狂いにより、残っていた大悪魔の一体が短剣の支配を逃れ、姿を現した。


 その大悪魔は使い魔を放ち、見たこともないほどの強力な結界を張って、自らの主を守り始めた。


 この結界こそ、【二重防御結界デュプロイド・マイティガード】。


 そう、現れしはソロモン七十二柱のひとつ、【悪魔君主イービルロード】の二つ名を持つ『叶える大悪魔シトリー』。


 これには勝利を確信していた教皇たちも、その顔を蒼白にした。

 三体の中でも、鉄壁の守りを持つ厄介な大悪魔を逃してしまったのである。


 叶える大悪魔シトリーによって張り巡らされたその結界は、強固なことこの上なく、二百もの聖者が集まって魔法を放っても微塵も傷つけることができぬほどであった。


 当然である。


『悪魔解明論』にある天使軍との戦い『ベベル西方遠征』によれば、この【二重防御結界デュプロイド・マイティガード】は、万を超えるほどの天使がかかってやっと崩壊させることができたと言われているのだ。


 しかも叶える大悪魔シトリーの能力はそれだけではない。


 使い魔たる『紅き龍』。

 これが聖者たちに容赦なく襲い掛かり、とどまることを知らなかった。


 それでも枢機卿たちの高威力の神聖魔法の力もあり、なんとか叶える大悪魔シトリー自体を追い詰めることができた。


 それはひとえに彼らの土俵の上で戦っていたからに他ならない。

 光の神の『聖域結界』の中では、邪なる者は力を大幅に失う一方、光の神の下僕はなんと【不死】を得るのである。


 やがて満身創痍となった叶える大悪魔シトリーが自身の世界に追い返され、安堵したのもつかの間。

 その大悪魔は最後の力でなんと『聖域結界』を断絶し、主を異空間に解き放ったのである。


 これにより、とどめを刺すはずであった男は聖域からいずこかへと逃れた。


 これが一部始終である。


 失敗にも見えるこの出来事を、それでも彼らは成功として喜び合った。

 失活させられた光の短剣はそう遠くない未来に力を取り戻し、男の命を奪うからである。


「あれはみんなよくやってくれたよ」


 届いたおやつと甘酒を口に運びながら、教皇チャピンは満足げに頷いた。


 なお、ラーズ神より与えられたチャピンの職業は【覇王】である。

 光の神の神殿を統べるための職業と言っても過言ではない。


 過去、この職業についた者たちは例外なく光の神の信徒のトップとなり、神ラーズの言葉の代弁者として称えられてきた。


 こんな類を見ない横暴な統率者に、枢機卿や聖者たちが頑なに従っているのは、ひとえにこれが理由であった。


「さて。はやくフローレンス来ないかな」


 教皇チャピンが下卑た笑い方をすると、目が合ってしまった枢機卿たちは「御意」と頭を下げて畏まるしかなかった。




 ◆◆◆




 それからの日々、本当にノットは一度も姿を現さなくなっていた。


「やっぱりノットがいないと寂しいね」


「……うん……」


 イシスが僕から視線を逸らし、俯いた。


 ああは言っても、たまには顔くらい出してくれるのでは、とイシスは思っていたようだった。

 以前のように狩った満月鶏を持って、仏頂面で「イシス」と呼んでくれるのを、イシスは待っていたのだ。


 だから何も聞こえないのに、昼になるとイシスは玄関口を確かめに行く。

 そのまま、物憂げに立ち尽くす。


 こんなイシスの姿を見せてやりたいと、僕は何度思ったことだろう。


 イシスの心の中にノットは存在している。

 あいつが思っていた以上に。


 二人が出会った時、イシスはきっと単にもてなし好きというだけでノットを歓迎したのではないと思う。


 イシスはどうしようもないほどに寂しかったはずだ。

 餓えと痛み、そして孤独の中で死んだのだから。


 その寂しさを癒やしてみせたのが、ノットだったのだ。

 そんな心優しい男を、イシスが簡単に忘れられるはずがない。




 ◆◆◆




「今日はきのこ汁にしよう」


「うん」


 二人だけになってから、僕たちの朝は、仕掛けた罠を確かめに行くところから始まるようになった。


 もちろん今日みたいに何もかからないこともあるので、近くで見つけられる山菜やキノコも集めている。


 基本、イシスを連れながらなので、それほど遠出はしなかった。

 朝の畑仕事を済ませて余った午前の残り時間は、暖炉でイシスが〈着火ティンダー〉の練習をする。


 その後は落ち着いた火の中にさつまいもを転がすのだ。

 でもまだ慣れないから、30分やそこらでは、火がつかない。


 なかなか〈着火ティンダー〉が成功しないと、イシスは「私、もうできても仕方ないから、ラモくんつけて」みたいなことを言うのだが、それは一度も許さなかった。


「できたっ! できたぁ!」


「よっしゃぁぁ!」


 火がつくと、二人で手を合わせて飛び上がった。

 そしてのちほど、出来上がった焼きいもを二人で頬張る。


「おいしいね。ここ甘くなってて」


「うん」


 二人で一つのいもを分けて食べることが、こんなに幸せなことだとは知らなかったと、イシスは何度も繰り返した。


 午後は畑の続きをしたり、きのこを取りに歩いたり、近くの川で魚を釣ったりとか、日毎にいろいろした。


 二人で工夫し合った夕食をお腹に入れた後は、競うように炭を吹いて風呂の湯を沸かす。


「イシス、ススだらけだよ」


「ラモくんなんか、鼻まで真っ黒!」


「あ、やっぱり?」


 すっかり真っ黒になった互いの顔を見て笑い合った。


「本気出したからね」


 僕は鼻の穴を広げてみせる。


「アハハハっ! やめて、ラモくんたら」


 そうやって楽しそうにしていても、やっぱり本心は隠しきれない。

 時には死んでしまった悲しみに、イシスは呑み込まれてしまう。


「……ラモくんは……居なくならないよね?」


 手に持っていた筒を力なく下ろし、猛ってきた火をぼんやりと眺めながら、イシスがつぶやく。


 死んだとわかってからだ。

 イシスは毎日、幾度となく僕にそう訊ねる。


「そんなこと言ったら、おじいさんになるまでいるかもよ?」


「アハハ。そんなに?」


「絶対に一人にはしないから、心配しないでよ」


 僕はいつもそう答えた。

 ノットとも約束しているからね。


「……ごめんね、私、幽霊なのに」


「イシスは幽霊じゃないよ。れっきとした人で、僕の命の恩人さ」


 夜は、イシスの部屋で一緒に床につく。

 もちろん僕は離れて、床に雑魚寝だ。


「ラモくん。あと四日だね……」


 灯りを消し、室内を暗くすると、イシスは毎日、自分に言い聞かせるように言う。


「明日はもっと楽しくなるよ」


「うん」


 その運命を代わってあげたいと思ったノットの気持ちが、今は手に取るようにわかった。


 残り少ない日が心を締めつけるのだろう。

 寝息に変わる前に、イシスはいつも決まって布団を被ってぐずっと鼻を鳴らし、その涙と嗚咽を隠した。


 僕は毎度、いびきをかいて、それに気づかないふりをした。


 そうやって過ごしている間、イシスとはノットの話もたくさんしていた。

 出てきたらどうお礼して、どうお別れの挨拶をするか、イシスは一生懸命考えて僕に相談していた。


 相談した結果、お花で結った首飾りをあげよう、という話になった。

 イシスはそれから昼夜を問わず、暇さえあれば花を編み込んでいた。


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