第198話 教皇チャピン



「余計な詮索は無用に願おう。お前の役目は約束の日までイシスを守ることだ。お前の方こそ、それくらいまで命は保つのだろう?」


 そう言ってノットは俺の胸元に目を向けた。


「………」


 今度は俺が押し黙る番だった。


「あんたには見えていたか」


「また厄介なものを頂戴したな」


 ノットの言う通り、これはたしかに厄介なものだった。

 そう、森の中で目覚めた時から、俺の胸には淡い光を放つ短剣が真っ直ぐに突き刺さったままになっていた。


 当初は痛みもなにもなかったので、存在に気づかなかったくらいだ。

 あると知ったのは、イシスに連れられ、月の明かりに照らされた時だった。


 あの時、俺は3つのことを同時に知った。


 ――ノットが傍に立っていたこと。

 ――イシスが死んでいること。

 ――そして、自分の胸にこれが刺さっていること。


 それから日を追うごとに鈍い痛みが生じ始め、それが少しずつ深く突き刺さっていっていることを理解した。

 抜こうとしてみたが、俺には掴むことはできないので早々に諦めた。


 幸い、今を生きる分にはそれほど支障がないと考えるようになった。

 イシスはもちろん、あの夜盗たちにも見えていないようだったから、誰も気づかないだろうと判断したのだ。


「あんたに訊くのは筋違いだが、これはなんだと思う」


 記憶がなくなっていてわからないんだ、と俺は小さく肩をすくめた。 


「わざわざ私の説明が必要か」


「ああ。頼みたい」


 ノットがやれやれといった様子で、俺を見た。


「光の神の信徒が埋めたものだ。時とともに深達し、お前もイシスほどではないが長くはない」


「そうか。ありがとう」


 俺は笑んでいた。

 はっきりいってもらえて、逆にすっきりとしたくらいだ。


「驚かないのか」


 ノットの言葉に、俺は小さく肩をすくめた。


「察しはついていたさ。それより話を遮ったな。あんたは必ず最後の日に戻ってくるんだろうな」


「………」


 ノットが、もう話を変えるのか、という顔をしている。


「ノット」


 ノットはため息をつくと、言った。


「約束しよう。だが万が一、来ることができなければ、イシスにこう伝えてくれ――」




 ◆◆◆




「大変お待たせ致しました! ご昼食をお持ち致しました」


 緊張に満ちた声が、冷たい空気の屋外に響く。


「さっさと並べろアホ。遅いんだ」


 それに続いたのは、甲高い、男のヒステリックな声。


「はっ!」


 湯気の上がる料理を目一杯に並べられたテーブルが、純白の神官服を着た者たちによって次々とテラスに運び込まれる。


「……お、これは……」


 料理から食欲をそそる香りがテラスに広がり、ヒステリック男はどうしようもなく口元を拭った。


 ここはセントイーリカ市国。

『光の神ラーズ』を信仰する各国の富裕層が移住している国である。


 逆に言えば、この神を信仰しない者は、この国の国籍を手にすることはできない。


「教皇様。ご昼食はどちらからになさいますか」


「うーん。肉もいいけど、海鮮もいいな」


 さっきまでの不機嫌もどこへやら、教皇と呼ばれた男は、二種類の豪勢な食事を目にして、鼻息を弾ませた。


 この男が、セントイーリカ市国の統治者である。


 年は35歳。

 おかっぱの黒髪に黒縁のメガネをかけた三重顎の肥満男で、突き出た下腹部を隠すためか、だっぷりとした赤と白の聖衣をまとっている。


 チャピン・ハケ・ドーザキ現教皇である。

 光の神ラーズを信仰する民の頂点に位置し、5年前からセントイーリカ市国を治める現職に就いている。


「見た目と匂いだと、どっちも捨てがたいなぁ……」


 教皇チャピンが鼻をハイエナのように動かしながら、もう一度よだれを拭う。


「よし、両方同時に食う」


「はっ」


 教皇チャピンが、華やかに飾られた料理を次々と口に放る。

 そしてむしゃむしゃと、口を閉じずに噛む。


「……これ、どっちも【這いずる国】の?」


 口に食べ物を詰めたまま、ふごふご言う感じで教皇チャピンが訊ねる。


「はっ。そうでございます」


 ――【這いずる国】。

 彼らはセントイーリカ市国を囲む六つの国を蔑視してそう呼ぶ。


 セントイーリカ市国は小さな面積だが、その面積の殆どを使う巨大な魔法の塔が立っている。

 五芒星が十二層に重なるこの塔を『バベルの塔』と呼び、さらに『バベルの塔』の上には、空に浮かぶ島【空の聖域ヴァティカヌス】がある。


 この限られた者しか上ることが許されぬ聖地【空の聖域ヴァティカヌス】こそ、今、教皇チャピンたちが立っている場所でもあり、見下ろす彼らが他国をそう表現するゆえんでもある。


「……ん? この肉を焼いた者は誰だ」


 ふいに教皇チャピンがしかめ面になって世話係に訊ねる。

 ぴん、と空気が張り詰めた。


「はっ、そちらは【這いずる国】イザヴェル連合王国の肉屋、マイクの手によるものでございます」


 発言者のすぐ隣で恭しく頭を下げる、コック帽子を被った紳士風の男。

 チャピンがにやり、とする。


「よし、こいつは採用だ。明日から夜の食事を担当させろ」


「はっ! ありがたき幸せ!」


 マイクと呼ばれた料理人は深々と頭を下げ、去っていく。


「で、この海鮮のシチューを作ったのは誰だ」


 チャピンが笑顔で同じように世話係に訊ねる。


「はい、そちらのテーブルの皿は全て【這いずる国】レイシーヴァ王国の料理匠なる、アビビの手によるものでございます」


 同じように、世話係の近くに立つ、でっぷりとした禿頭の男。

 男は自信に満ちた顔で、チャピン教皇に一礼する。


 ふいにガシャーン、とアビビの料理がぶちまけられた。

 チャピンがテーブルをひっくり返したのだ。


 周りに居た司教や世話係たちが、ぎょっとする。


「――今すぐそこから突き落とせ。二度と食う価値がない」


「……はっ、承知いたしました」


 世話係が右手を上げて合図をすると、周囲にいた重装の兵士が駆けつけ、アビビに淡く輝く剣を突きつけた。

 その兵士のひとりが何やらぶつぶつと唱えると、アビビは「うっ」と唸って地面に倒れ伏した。


 アビビはずりずりと引っ張られて、テラスの外へと連行されていく。


 兵士の持つ剣は、古代王国期に量産されたと言われる魔法剣『ルーンソード』である。

 剣でありながら古代語魔法を詠唱可能という、現代では生成不能な代物である。


「口直しに甘酒と、ほかのおやつを持て! 1分以内だ」


「はっ!」


 このように、周りの者たちが教皇の機嫌に振り回される風景は、実に毎日のように繰り返されていた。


「……レイシーヴァ王国といえばあの借金王女の国だね。あの国も世界決闘大会に参加するつもりと聞いたけど?」


 怯えながら連れられていったアビビを小気味良さそうに眺めながら、教皇が骨付き肉を噛みちぎって頬張る。


「はっ。昨日下調べさせましたが、アーノルドというレイピア使いになりそうだ、とのことでございます」


司祭枢機卿カーディナルプリースト 』の職にある男が答える。


 教皇の直属の部下に『司教枢機卿カーディナルビショップ』、「司祭枢機卿カーディナルプリースト」、「助祭枢機卿カーディナルディーコン」という3つの役職がある。


 彼らは超高位の神聖魔法をおさめた強力な配下たちである。


 三人は光の神の神殿において長年の権力争いを勝ち残ってきた猛者であり、すでに教皇の力など、とうに超えていると言って良い。


 それでも教皇に従っているのは「光の神ラーズが人の頂点と定めた存在であるから」というだけのことである。


「アーノルド? ……誰それ? 強いの?」


 チャピンが鼻をほじりながら司教枢機卿カーディナルビショップに訊ねる。


「レイシーヴァ王国では最高峰の強さでございますが、我が国のラスウェル様には足元にも及ばぬ存在で」


 それを耳にした教皇チャピンが食べ物を含んだまま大口を開けて笑ったものだから、口から飛び出した食べ物の破片が派手にテーブルに散らばった。


「そっか。まあ期待はしてなかったけど……じゃあこれでだいたい各国の参加者は決まったってことでいいんだね」


「その通りでございます」


 三人の枢機卿が恭しく頭を下げる。


 世界決闘大会は各国選抜を一名ずつ含む、計6人で行われる。

 各国から参加者を招聘して大会を行うのは、セントイーリカ市国の出場者が他国をねじ伏せ、時には殺す姿を見て、市民とともに優越感を味わうためにほかならない。


 それを裏づけるように、もう12年目になるこの大会は例外なくセントイーリカ市国の優勝で終わっていた。

 時には事前工作をして、相手に毒を盛ることもあった。


 そんな見せしめのような大会に嫌気がささぬよう、名目上勝者の国には開催国から賞金を送り、他国の参加者を募る形にしている。

 開催国の勝利続きでその賞金は積み立てられ、今年は65万白金貨となっていた。


「確認しましたが、各国の参加者の中に、『あの男』は含まれておりませぬ」


助祭枢機卿カーディナルディーコン』の男が顔を上げ、付け加えた。


「いや、いるわけないでしょ。さすがに野たれ死んだでしょ」


 教皇チャピンはそれを鼻で笑うと、三人の枢機卿が「御意」と再び頭を下げた。





(作者より 分割しましたので、次話は明日アップいたします)


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