第197話 ノットとの約束



「おい、あれはまだか」


 暖炉に向き合ってせっせと手を動かしている僕に、幽体となっているノットが上から覗き込むようにして、幾度となく訊ねてくる。


「ラモくん、まだかかるよねー?」


 一方、階段のところからは、イシスが大きな声で同じことを訊ねてくる。


「うん、あと15分はかかるかなー!」


「じゃあ屋根部屋の掃除してるからー!」


「できたら大声で呼ぶよー!」


 そんな大声のやり取りを聞いて、二人が離れていく。


 やがて15分ほどが過ぎ、僕は暖炉で温めているさつまいもを取り出し、串で突いてその具合を確かめる。


「よし、大丈夫だな……できたよー!」


「遅すぎる」


 すぐそばで待っていたらしいノットが僕の真横に出現し、取り出したさつまいもを二つ掴んでいく。

 熱いのでハンカチ越しに掴むとか、ノットももう慣れたものだ。


 ちなみに、ノットの「遅すぎる」は「ありがとう」という意味だ。


 まもなくして、とん、とん、とん、と足をかばって階段を降りてくる音。

 白い頭巾をし、布で顔の下半分を覆ったイシスがやってくる。


 そのまま台所へ行き、手を洗ってこちらにやってくる。


「いい具合だから、温かいうちにどうぞ」


 僕は洗った大きな葉で包んだやきいもを、イシスに渡す。


「ありがとう」


 イシスはそれを両手で受け取り、嬉しそうに微笑んだ。


 あまーい、と言いながら、イシスは小さくちぎって口に入れている。


 イシスもノットも、僕が焼いてみせる焼きいもが好きだった。

 裏庭で採れたさつまいもを川の水で洗い、暖炉の中で転がしながら焼いているだけで、僕のやり方が特殊なのではない。


 この土地に成るさつまいもの品種が素晴らしいのだ。

 じっくりと弱火で熱を入れることで中がとろりとして、とてつもなく甘くなる。


 たぶんイシスよりもノットの方が気に入っていると思う。

 そんなわけで最近は僕がずっと昼食担当だった。




 ◇◇◇




 そうやって何事もなく平和に過ぎた5日後のことだった。

 いつもと変わりなく、僕が昼食に向けて焼きいもを焼き始めた時だった。


 カシャーン、と、台所で皿が割れる音がした。

 振り返ると、ここ何日もずっと笑顔だったイシスが座り込み、肩を揺らすようにして泣いていた。


 その前には、険しい顔をしたノットが立っている。


「受け取れません……」


 顔を両手で押さえ込んだまま、イシスが呟く。


「なぜ拒むのですか」


 その言葉でノットが今、イシスに命を差し出したのだと気づいた。

 僕は二人に背を向け、火かき棒を拾い直し、無言で火を整えて芋を転がす。


「私、あの時、死んじゃってたんですね……」


 イシスが下を向いたまま、涙声で呟いた。

 あの時というのはおそらく、イシスがノットと出会った時のことだろう。


「ノットさんは、私を迎えに来てくれた神様なんでしょう?」


 イシスが濡れた目でノットを見上げた。


「……そんな立派なものではありません」


「ごめんなさい……この家に旅の方が泊まりに来ることなんて全然なかったから、私、嬉しくて……うぅ……!」


 さめざめと泣き始めたイシスを見て、ノットも目頭を押さえる。


「私の命を受け取ってください。あなたの死は手違いみたいなものですから」


 しばし間を置き、気持ちを切り換えたノットが落ち着いた口調で告げた。

 イシスが、濡れた顔を上げた。


「……手違い?」


「そう理解して頂いていいです」


 ノットは、イシスが受け取りやすいよう、都合の良い嘘を混ぜる。


「………」


「さぁイシス。私の命を」


「……それを受け取ったら、ノットさんはどうなるの」


 下を向いているイシスが、涙を拭いながら訊ねる。


「私はまた、別の命をもらうので大丈夫です」


「――嘘です」


 イシスが顔を上げた。


「…………」


「……想像もつかないんでしょう?」


 芋を転がしていた僕の手が、ぴたりと止まる。


「『地獄の掟を破る行為で、想像もつかない』って」


「………」


 ノットが言葉を失っていた。


「……聞いていたのですね」


「ごめんなさい」


 イシスが小声で謝ると、身なりを正して、立ち上がった。


「ノットさん。私、このままだと……あとどれぐらい生きられますか」


 ノットが小さく息を吐き、天井を見上げた。

 ノットにとっては全く望まぬ流れに入ったからかもしれない。


「……私の力も万能ではありません。今の状態を続けるとなると、1ヶ月がいいところでしょう」


 仮の生を与え続けるのにも限度がある。

 ノットが実体化できる時間がどんどん短くなっているのがその証拠だ。


 だが。


(……1ヶ月?)


 正直、僕にはそんなに保つとは思えなかった。

 せいぜい一週間がいいところなのではなかろうか。


 ノットが今日という日を選んだのは、そろそろ限界が近いことに気づいたからではないのか。


「ノットさん、わがままを言ってごめんなさい。本当は今すぐ消え去った方がご負担にならないことくらいわかっています」


 イシスがそう前置きした。


「でも……想い続けた方にご挨拶をしたいんです」


「アーノルド卿ですね」


 ノットの言葉に、イシスが頷く。


「こんな私でも夢があって……。あの方の心の中に少しでも在れれば、と……」


 イシスは恥じ入るように俯きながら、言った。


「ですが、このままでは、本当に会うだけしか叶えてあげられませんよ」


「死んだ私には、それで十分なんです」


「………」


 ノットが押し黙る。


「その頃になれば、父や姉たちも戻ってくるんです。この家を空き家にしなくても済みます。私の役目はそれで十分果たせます」


「………」


 僕とノットは無言でその願いを聞いていた。


 ノットはネクタイを両手で直すと、イシスに向き直る。


「わかりました」


「………」


 予想外にもノットがあっさりと承諾したので、僕は耳を疑い、振り返った。

 そんな僕を視線だけで説き伏せると、ノットがイシスに言った。


「……ですが、私からも一つお願いが」


「なんなりと仰ってください」


 嗚咽の収まったイシスが、ノットをまっすぐに見る。


「これから私は不在となり、あなたに仮の命を与え続けるためだけに力を使います。それが中途半端になると、あなたはアーノルド卿に会う前に死んでしまいますから」


「はい」


 イシスは真剣な表情で頷いている。

 そう、もしノットが力尽きたならば、イシスも仮の命を失い、死亡する。


 いや、事はさらに深刻だ。

 イシスは49日の間、死後の世界へ旅立つことができず、不死者アンデッドと化すだろう。


「最後の日に私が戻って来るまで、このラモの傍を離れないようにしてください。それがお願いです」


「……ラモくんの?」


 イシスが僕を見て、瞬きをする。

 イシスはその理由がわからないようだった。


「約束できますか」


「約束します」


 イシスが大きく頷いたのを見て、ノットも頷く。


「では私も約束しますよ。あなたが必ずアーノルド卿に会えるように」


「無理を言ってしまってごめんなさい」


「いいんですよ。希望をはっきりと聞けたことの方が、私は嬉しいです」


 ノットが久しぶりに笑った。




 ◇◇◇




「なにを企んでいる」


 その日の真夜中、隣の部屋に現れた気配を感じた俺は、壁越しに訊ねた。


「なにがだね」


 月明かりが差す部屋に、ノットの声が返ってくる。


「あれだけ言っていたあんたが、命を渡さずにすんなりと引き下がると?」


 イシスは『本物の生』を受け取らずに死ぬつもりだ。

 希望を聞きたかったのはわかるが、その点までも、ノットが受け入れるとは思えなかったのだ。


「貴様には関係なかろう」


「そもそも『仮の生』のままで、本当にアーノルドに会わせられるのか」


 アーノルドと会う武器祭予選までは、まだ20日近くもあるのだ。


「たしかにイシスの前では見栄を張った。 本当はあと三日が限度だった」


 ノットは小さく笑ったようだった。


「確実にその日までイシスを生かすには、少々込み入った世界に降りねばならない」


 当面戻ってこれないから、その間、イシスを引き続き頼む、とノットは言った。


 俺は影を縫い、ノットの前に姿を現す。


「考え直せ、ノット。あんたがイシスから離れるのは本末転倒だ」


「………」


 ノットが押し黙る。

 最初に会った時より、かなり血色が悪くなっているように感じるのは、気のせいばかりではないだろう。


「恐らくだが、イシスはあんたの気持ちを知らないぞ。ちゃんと伝えた方が――」


「知ることは、むしろ有害」


 ノットが右手を上げ、俺の言葉を遮った。


「イシスを幸せにするのは他の男の役目だ。さしずめアーノルドとやらが適任だろう」


「………」


 月明かりだけの中で、俺とノットは視線をぶつけ合う。


「……あんた、それでいいのか」


「私はイシスの幸せを望んでいる。それ以上でもそれ以下でもない」


 このままいけば、アーノルドもイシスに一目惚れして、物語のようなハッピーエンドが待っていよう、とノットは小声で笑った。


「やはり命を渡すつもりだな」


「余計な詮索は無用に願おう。お前の役目は約束の日までイシスを守ることだ。お前の方こそ、それくらいまで命は保つのだろう?」


 そう言ってノットは俺の胸元に目を向けた。


「………」


 今度は俺が押し黙る番だった。


「あんたには見えていたか」


「また厄介なものを頂戴したな」


 ノットの言う通り、これはたしかに厄介なものだった。

 そう、森の中で目覚めた時から、俺の胸には淡い光を放つ短剣が真っ直ぐに突き刺さったままになっていた。


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