第196話 領主邸地下室


「……貴様はやってはいけないことをした」


 ノットが怒りに任せるようにして、懐から白い笛を取り出した。


「――あ、ノットさん!」


 だがちょうどそこでイシスが振り返り、歓喜しながら指をさす。

 そうして、ノットは鬼役へとあいなる。




 ◇◇◇




「――だるま、転倒す」


「――だるま、転倒す」


「――だるま、転倒す」


 もはや動くのが無理なレベルで、ノットはマッハで振り返り続ける。

 すでにゲーム性は崩壊していた。


「の、ノットさん……ちゃんと『だるまさんがころんだ』って言わないと」


 つい動いてしまってノットに見破られたイシスが、苦笑いしながら言う。


「そんな子供じみた言い方はできませんよ」


「あーもう。また鬼かぁー」


 イシスが大きく伸びをするようにしながら言った。


「いや、僕が先に動いたから」


 イシスが残念そうに言うので、僕が鬼を引き受けることにした。


「やっと適切な配置になりましたね」


 それを見て取ったノットが片方の口角を上げたまま、イシスとハイタッチを交わす。

 この後は終わりまで僕がずっと鬼をやるハメになるが、まぁ、それはわかっていたことだ。


「だぁるまさんがー」


 鬼役をしながら、僕は考えていた。

 もう少しここに居なければならないな、と。


 ノットが居るなら、いつ去ってもいいと思っていたが、先日の話だと命を渡した後はイシスがまた一人になってしまう可能性が高い。


 この屋敷が手薄であることは、すでに夜盗たちに情報として知れ渡っていると考えるべきだ。

 嗅ぎつけられて、せっかく救われたイシスの命を、やすやすと奪われてしまう可能性もある。


 聞けばイシスの父はそれなりに武に秀でているらしいし、家族が帰ってくれば大丈夫だろう。

 それまでは、僕が近くに居よう。




 ◇◇◇




 ――カラン。

 金属が石畳に落ちる音が、篝火の照らす室内に響いた。


「お見事!」


「おぉぉ! さすが坊ちゃまだ!」


 周囲を取り囲む鉄仮面の男たちから一斉に拍手が送られると、「坊ちゃま」と呼ばれた男は低い姿勢でレイピアを突き出したまま、フッと笑った。


「坊ちゃま、また一段と腕を上げられたようで」


 白髪をオールバックにし、黒のモーニングを着た男が、たった今落ちた剣を拾いながら相好を崩した。

 この家の執事であり、名をオウンゴと言う。


 ここはレイシーヴァ王国のとある辺境にあるフォン=ウィルブランド領主邸宅、地下室。

 そう、「坊ちゃま」とは、昨年『武器祭・真剣部門』において準優勝となったアーノルド・フォン=ウィルブランドを指している。


 毎晩19時過ぎからは、欠かさずこの鍛錬が行われているのであった。


「まだ足りない。リャリャはこんなものではない。あと十回はこの型を繰り返すぞ」


 険しい表情で言うアーノルドは、鍛錬には向かないシルクの上質な白いシャツと、リラシスから輸入した高級織物店のスラックスを穿いている。


「承知しました」


 執事オウンゴが恭しく礼をし、広刃の剣ブロードソードをくい、と持ち上げて合図をする。

 それと同時に、十人ほどの同じ衣服を着た鉄仮面の男たちが、アーノルドの周囲を取り囲んで武器を構えた。


 その刀身が、ゆらゆらと燃える篝火の炎を映している。


「……なにも真剣を使わずともよいでしょうに」


「さすがアーノルド様。勇気がおありだ」


 屋敷に仕えている使用人や小間使いたちが室内の壁沿いにずらりと並んで、アーノルドを見守っている。


「――参りますぞっ、一段!」


 オウンゴが叫ぶと、「せいやぁ!」と、鉄仮面の男の一人が動き、勢いよく真剣を振り下ろした。


「二段!」


 オウンゴの指示の下、また別の鉄仮面の男がアーノルドに斬りかかる。


 そうやってひとりずつが順番に武器を振り下ろし、突きかかる。

 囲んでいる男たちが一様に同一の鉄仮面と同じ衣服を身につけているのには、理由がある。


 顔が見えれば、次に誰が動くか、アーノルドに認知されてしまうためである。


「三段!」


「まだまだぁ!」


 囲まれているアーノルドは刃を身を自在に捻って躱し、時には宙返りまでしてみせる。

 そのまま男たちが繰り返し武器をアーノルドに向け続け、三十六段まで行われる。


「――お見事な回避!」


 最後まで武器がかすりもしなかったのを確認した周りの男たちが、武器を足元に置いて、一斉に拍手を送った。


「……だめだ」


 しかし当のアーノルドは不満げな顔をしていた。


「今のは一四段目の時につまずいた。 こんなミス、試合では見せられない」


 アーノルドが履いていた靴を脱ぎ、壁に投げつける。

 それを見た小間使いが、慌てた様子で部屋を出ていく。


「実戦なら死んでいたかもしれない。もう一度最初からだ」


 周りで武器を振るう男たちがその言葉に頷き、立ち位置を何度も入れ替える。

 これは、鍛錬に完璧を期するべくアーノルド自身が指導したものである。


「相変わらず、ご自分に厳しいですなぁ」


 オウンゴが微笑を浮かべてアーノルドを見る。


「俺は全てを躱す回避者アヴォイダーだ。これぐらい当然だろう、爺」


 アーノルドが届いた新しい靴を履きながら、息巻く。


 アーノルドは6歳の時にこの職業を与えられた。

 圧倒的な素早さに長ける職業『回避者アヴォイダー』は、統計では2500人に一人と、そうそう与えられぬ職業である。


 社会的にはその生まれ持った才能を盗賊シーフなど歪んだ方向に開花させていく者が多い。

 しかしアーノルドは幸いにも裕福な家庭に育ち、過去に冒険者稼業を営み、【軍曹】ランクを持つ執事オウンゴがそばに居たことも幸いした。


 与えられるなり、すぐにその才能を見出され、まっすぐにその能力を伸ばすことができたのである。


 そしてその身のこなしに似合った武器、レイピアを自在に使いこなせるようになると、気づけばアーノルドはレイシーヴァ王国でニ位までの実力を身につけていたのだ。


「はじめっ、一段!」


 再び周りの男たちがアーノルドに武器を突き出す。

 そして三十六段までを無事に回避し終えると、また拍手が起きた。


「爺、今のはどうだ」


 アーノルドがレイピアを下ろし、長髪を掻き上げながらオウンゴに訊ねる。

 オウンゴは大きく頷いた。


「咎めようのない動き。もはや爺でも、坊ちゃまには敵いますまい」


「よし」


 アーノルドが小間使いの持ってきた布で、顔の汗を拭い、それを無造作に投げ捨てる。


「これで一時間は練習したか」


「今で48分ほど過ぎております」


 オウンゴが近くに置かれていた砂時計をそっと手に取り、おおよそを述べる。


 アーノルドは満足したように笑みを浮かべると、持っていたレイピアを足元に放り投げた。


 ガランガラン、とレイピアが音を立てて転がると、小間使いの一人がすぐさま駆け寄り、それを白い布の上から丁寧に拾い上げた。


「ちょっと早いが今日はこれで終わりだ。皆、検討会をするからワインに付き合え」


 アーノルドがすたすたと出口に向かって歩き出した。

 なお、検討会とは名ばかりであり、正確には『いかにアーノルド卿が優れているかを褒めちぎる会』と言い直すことができる。


 その言葉を耳にした鉄仮面の男たちがおおぉ、と歓声を上げた。


「そう言えばお聞きになりましたかな」


 オウンゴが身なりを直しながら、アーノルドの背中に声を掛けると、アーノルドが足を止め、振り返った。


「なにをだ」


「今朝、王都で行われた王女の臨時演説です」


「ああ、お姫様は今ごろ国が傾いていることに気づいたのかな」


 アーノルドがくくく、と忍び笑いを漏らした。


「『国内予選を勝ち進み、さらにセントイーリカ市国での試合で勝利を収めた者には、自身の夫となり、国政に関わる権利を与える』と」


「ほう」


 アーノルドが唸る。

 鉄仮面の男たちもその殆どが初耳だったようで、驚きの声を次々と漏らした。


「かの美しい王女であれば、坊ちゃまの妻にもふさわしいことでしょう」


「……くくく」


「坊ちゃま?」


「――アーッハッハッハ!」


 周りがぎょっとする。

 アーノルドが壊れたように笑い出したからである。


「どうされました」


 その笑いが落ち着いたのを見計らって、オウンゴが訊ねる。


「いや、世の中があまりに俺に好都合に動くものでな」


 アーノルドが髪を搔き上げながら、取り乱した自分を繕う。


「亜人の女になど興味はない。――しかし」


 しかしアーノルドは、顔に浮かんでしまう笑みを隠すことができなかった。


「国王か……悪くない」



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