第193話 明かされた事情



「……た、助けてくれ……魔が差しただけなんだ」


 ジョージは半身を起こすと、覆面を取り、その顔に愛想笑いを浮かべた。

 その顔は鼻血にまみれ、哀れみを誘う。


 しかしスーツの男はなんのためらいもなく、その笛でジョージの頭を殴りつけた。

 その一撃で、ジョージは糸の切れた人形のように倒れ込み、意識を失った。




 ◇◇◇




「イシス」


   夜盗を倒した二人は、倒れたままの少女に駆け寄る。


 ノットが少女に近づかないため、 ラモがそっとイシスを抱き起こした。

  

「気を失っているだけだろう。呼吸はある」


 ラモがそう告げると、ひどく青ざめた顔のノットが、ほっと安堵した。

 そう、ノットは感情が高ぶりすぎて、確かめるどころかイシスに近づくことすらできなかったのであった。


「聞かせてもらえるか」


「………」


 少年の言葉にノットは背を向けると、無言のまま、雲が去って現れた星空を見上げた。


「いつのことだ」


 少年はイシスを見ながら訊ねる。


「……3ヶ月ほど前だ」


 ノットはさっきまでとまるで違う、力を失った声で言った。


「ことの発端は今の奴だろう。家族が出稼ぎに出たとたん食糧庫を荒らされ、食べるはずだったものを失ったせいだ」


「餓死か」


 顔を歪めて言った少年の言葉に、ノットはそんなものだ、と頷いた。

 そう、イシスはすでに死んでいた。


 当時、ノットが目にした亡骸の左脚には、鋭利なもので深々と裂かれた傷があったという。


 餓死する前に、イシスは食糧を求めて森に入ったのだ。

 その時にゴブリンかなにかに襲われ、負傷した。


 なんとか家に逃げ込んだものの、飢餓状態だったイシスはその数日後、孤独に死んだ。


「彼女の死の知らせが届き、私はいつものように水先案内をするつもりでやってきた」


 後は貴様の考えている通りだ、とノットが言った。


 自身の死を知らぬ魂だけのイシスは、はじめての来客に心底喜んだ。

 死を告げに来たノットを、ラモの時と同様、思いつく限りにもてなしたのである。


「顔をススだらけにして、イシスは嬉しそうに笑っていた」


 冷酷なノットが、声を震わせた。


 そう。

 ノットは告げられなかった。


 死者に心を左右されぬよう厳しい指導を受けてきた水先案内人エクスキューショナーが、である。


 全てはここから始まっていた。


 そうしているうちに、ノットは他人を思いやるイシスに惹かれている自分に気づく。


「私は彼女を送ることを諦め、地獄の掟を破って『仮の生』を与え続けることを選んだ」


 水先案内人エクスキューショナーは、何らかのトラブルで死亡が不適切に与えられた場合、仮の生を与える一時措置をとることができる。


 だがこれはあくまで仮措置。


 仮の命を与えられた者は【不死者アンデッド】扱いとなる上、精神的消耗ゆえに水先案内人エクスキューショナー自身は実体化できる時間が極端に短くなる。


 さらに仮の生を受けている者が死亡してしまった場合、その者は49日の間、死後の世界に行くことができなくなる。

 それはつまり、ほぼ確実に不浄の魔物と化すことを意味する。


「そういう理由か」


 ラモが全てを理解した顔になる。


  ノットがラモを異様に警戒し、頑なに真実を隠そうとしていたのは、イシスの異常を見破られていることに気づいていたからである。


 もしラモに悪意があり、イシスを殺す、もしくはそうすると脅されたならば、ノットには手の打ちようがなくなっていた。


「ラモ。いつ気づいた」


「出会った日だ。月夜だった」


「………」


 ノットは眉をピクリと揺らす。

 すぐにその言葉の意味に気づく。


 不死者アンデッドに分類される者たちのほとんどが、日の光で影を落とせど、微弱な魔力を持つ月の光では、影を落とさないのである。


「俺はあんたの敵じゃない」


「もうわかったさ」


 ノットが嬉しさからか、珍しくその顔に笑みを浮かべていた。


「俺はイシスに救われた。つまり、あんたも命の恩人になる。感謝しよう」


 ラモが握手をしようと右手を差し出す。

 ふん、と鼻を鳴らしながらもラモの手を握ろうとしたノットが、ふと、その手を止めた。


 ノットはすぐにいつもの無表情な顔に戻ると、背後を振り返った。


「先にイシスを連れて戻れ。すぐ行く」


「どうした」


「仕事が来た。私が送って良いらしい」




 ◇◇◇



「……全くひどい目に遭った」


 ジョージは駆けていた。

 意識を取り戻したジョージは、奴らが話し込んでいる間に、ひそかにその場を逃げ出したのである。


 当然、相棒だったトムソンは置き去りである。

 高額を払って、盗賊ギルドから借り受けた男だったが、腑抜けもいいところ。


 まあ、旦那などと持ち上げていても、どのみち殺すつもりだった。

 連れて逃げる道理はない。


「しかし、あの小娘……」


 ジョージは何度目か知れず、舌打ちをした。


 あんな用心棒を雇う金をいったいどこに隠していたのか。

 しかも二人も、である。


 まさか自分が居なくなった時点で、こうなることを予測していたということか。


 しかたない。

 ここは諦め、次は目をつけていたもうひとつの屋敷を狙うか……。


 そんなことを考えながら、森の中へ飛び込んだ時だった。

 何かにぶつかり、ジョージは尻餅をついた。


「なんだ全く……あ?」


 ジョージが鼻頭を撫でながら、立ち上がろうとする。

 だがぶつかったものがなにかを知り、ジョージは背筋が凍りついた。


「ジョージ・アナーキーズ、48歳。死亡日時は20時11分。死因は脳損傷」


 さっき、自分に向き合っていたスーツの男が、いつの間にか目の前に立っていたのだった。


「ひぃー!?」


 ジョージは来た道を戻るように逃げ出した。

 何を言っているかなど、耳に入らなかった。


「ジョージ・アナーキーズ。貴様だろう?」


「や、やめてくれっ!」


 背後から声がする。

 しかしいくら走っても、その声は遠ざからない。


「逃げる必要はない。貴様は死んだのだ」


「……お、俺はまだ死んでなんかいねぇ!」


 聞こえてきた言葉を、ジョージは認められなかった。

 

 自分はさっきまでと、何一つ変わっていない。


 それにやり残したことはいっぱいある。

 金を手に入れ、人生を謳歌するのはこれからなのだ。


「――貴様の行く先には『千年火地獄』を薦めておこう。【終わらぬ業火の釜】で毎日焼かれるがいい」


 その声が聞こえたと同時であった。

 ジョージは突然、四肢をがっしりと何者かに掴まれた。


「ひぃ!?」


 ジョージが地中に引きずり込まれる。

 とたんに鼻と口の中に土が入り込み、息ができなくなる。


「いやだぁぁぁぁ――!」


 森の中に、ジョージの絶叫がこだまする。

 だがそれが聞こえた者は、ほんの限られた者だけだった。




 ◇◇◇




「早かったな」


「すぐそばに居たんでな」


 イシスの家に戻ってきたノットがそう告げると、居間のソファーに寝かせられたイシスに、自分のスーツの上着を脱いで掛けた。

 イシスは意識を失ったまま、まだ回復していなかった。


「……イシス……」


 ノットは不安げな様子で、イシスを見下ろす。


「何度も確認したが怪我はない。じきに意識が戻るはずだ」


 向かいのソファーに座っているラモがノットの心中を察して、そう言葉をかける。

 ノットは頷き、ラモを振り返った。


「ラモ。この国で『武器祭』がまもなく行われることは知っているか」


「ああ、イシスから聞いている」


「ならこれも知っているな。イシスはそこで好きな男と会えることを楽しみにしている」


 ラモが頷いた。


「アーノルドという名だったか」


「そうだ。私はそれを叶えてやりたい」


 現状で彼女の最大の望みが本当にそれか、確認しなければならないが、とノットは続けた。

 しかしその言葉に、ラモは軽く眉をひそめた。


「イシスは強い男が好きらしいが」


「間違ってはいない」


「ならあんたがそのまま恋人になればいい。愛しているんだろう」


「それは他の人間の役目だ。私はもはや畑も耕せぬ」


 ノットは即座に否定した。

 そう、イシスに仮の生を与えた当初は二時間近くも実体化が可能だったが、それも日毎にどんどん短くなっていっているのである。


「そもそも私は『十王』の遣いだ。人間とは幸せにはなれぬさ」


「それでも――」


「――却下だ。私はもうイシスにこの命を渡すつもりでいる」


 そう答えたノットに迷いはなかった。

 ラモの目が険しくなる。


「できるのか」


「不可能ではない」


 手順は複雑だが、簡素化して言えば、水先案内人エクスキューショナーの力で自身を仮の生の状態とし、その生命を明け渡すというのだ。


「……そうすると、あんたはどうなる」


「地獄の掟を破る行為だ。想像もつかない」


 ノットは肩をすくめた。


「他の方法を考えるべきだ」


「私はもう、イシスを生かすと決めたのだ。ならばこれ以外の方法は存在しない」


「………」


 ノットと少年が視線をぶつけ合う。


「うぅ……」


 その時、イシスが寝返りを打った。


「イシス」


 ノットが駆け寄り、イシスの顔を覗き込んだ。


「……ノットさん……あれ、私……」


 イシスが虚ろな目をしたまま、すぐ近くにある見慣れた顔に目を向ける。

 イシスは状況が飲み込めていなかった。


「夜盗に襲われていたんだ。この人がやっつけて助けてくれた」


 ラモがその後ろからノットを指差して言うと、ノットは眉をひそめ、ラモを睨む。


「……ノットさんが?」


 イシスが瞬きをする。


「そうだよ。すごく強かったさ」


「……うそ……? すごく……?」


 見上げてくるイシスと目が合い、ノットは顔が真っ赤になった。


「――つ、疲れたから今日は寝ます!」


 ノットが足早に部屋から出ていった。

 後ろ手に、扉をばたんと閉める。


 そんなノットを見て、少年とイシスが顔を見合わせる。

 やがて二人は、くすくすと笑い合った。



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