第192話 不気味な二人

「さて、このまま森まで戻りますぜ、旦那」


「なんでだよ」


「ここでバラしたら足がつきかねませんぜ。しかし森まで戻れば、このアホ娘が出歩いてゴブリンに殺されたことになるんです」


「………」


 イシスの顔が、蒼白に変わる。

 一方で、トムソンは覆面の下で笑う。


「へっへっへ。お前、頭いいじゃねぇか」


「家の正面の森の方が自然です。さ、行きましょう」




 ◇◇◇




「俺に説明してくれないか」


「笑止。貴様ごときが知る必要などどこにある」


 ノットが鼻を鳴らした。


「そう決めつけない方がいい」


「ほう、この私に力を貸そうとでも言うつもりか」


 ノットが声を上げて笑い始めた。

 同時に、テーブルに置かれていた予備のフォークが高々と舞い上がり、宙でくるくると回転し始めた。


「――言葉に気をつけぬと怪我をするぞ!」


 それと同時に、フォークが少年の顔めがけて一直線に飛んだ。


 少年はやれやれとため息混じりに、それを右手で掴む。


「――お前は誤解している」


 少年が音もなく立ち上がると、うんざりした様子でフォークを投げ捨てた。


「結果として怪我をするのは、俺ではない」


 それを聞いたノットが、不敵に笑う。


「おもしろい」


 ノットが距離を取ると、懐から白い笛を取り出した。


「その減らず口、いつまで叩けるかな――」


 ノットが笛を口元に近づけた、その時。


 またしても二人の動きがぴたりと止まる。


「………」


 互いが顔を見合わせる。

 二人の表情が一変していた。




 ◇◇◇




 空では雲が退き、さっきよりも増して月が輝いている。


「――さっさと歩け!」


「うっ……」


 霧の中を、灯りを持った者が移動している。

 ザッザッ、と草を鳴らしながら、その後ろに人の姿が続く。


 松明をかざしたトムソンが先頭、両手を後ろ手に縛られたイシスが中央、そしてファルシオンを持ったジョージの順である。

 そのやや後ろを、前屈みになったウッドゴーレム三体が一列になって黙々と追随している。


「……うっ……」


 イシスは首にファルシオンを当てられたまま、死への道を一歩、また一歩と進んでいた。


「それにしても、よく生きてましたねぇ」


 背後でジョージが気味の悪い笑いを発している。

 使用人だった頃はこんな様子など微塵も見せなかっただけに、イシスは息もできないほどに恐怖していた。


 自分は数分後には殺されるのだ。

 だが逃げようにも手を縛られている上に、首筋にぴったりと刃を当てられている。


(このままでは……)


 本当に殺される。


 声を上げて助けを求めるくらい、しなければ。

 怖いけれど、黙っていればどうせ死ぬ。


(声を……)


 きっと声を上げれば、霧の中であろうと、ノットさんが気づいてくれる。

 先日皿を割った時でさえ、飛んできてくれたもの。


(早く……しないと)


 今さっき、家の前を横切ったところだった。

 ここからは進めば進むほど、家は遠ざかる。


 声が届きづらくなる。


 しかしそうだとわかっていても、首に当てられた冷ややかな刃が、イシスを躊躇わせる。


(早くしないと……!)


 怖い。

 怖い………誰か………。


 震えることしかできないイシスは目を固く閉じ、必死に願った。


 誰か……お願い、助けて……!


 その時であった。


 ――バァァン、という激しい音。


 イシスがはっとする。


「なっ」


 同時にぎょっとした覆面の二人。

 彼らが驚くのも無理はなかった。


 開け放たれていたのである。

 無人の家の玄関が。


「…………!」


 驚愕した覆面男たちの目に、映り込んだもの。

 それは霧に包まれた玄関にゆらりと立つ、二つの人影。


 並んだその二つが、音もなく歩き出す。

 覆面男たちに向かって。


「……あひぃ!?」


 たったそれだけのことが、覆面男たちを畏怖させた。


 トムソンは立ったまま失禁し、ジョージは尻もちをついて、あとずさる。

 そうしながらも、やってくる二人から目を離すことができない。


 無言で、一歩、また一歩と近づいてくる二つの人影。

 放たれる、人とは思えぬ気配。


「……や、やや、やべぇ……!」


「な……なんだ、あいつら……!」


 ジョージとトムソンは言葉すら満足に発せられなくなっていた。


 もし覆面を取っていれば、男たちの顔は夜闇の中でもわかるほどに真っ青だったことであろう。


「……あ……」


 恐怖で呼吸すらままならぬイシスの目にも、近づいてくる二人の姿は映っていた。


 それが見知った二人だとわかったとたん、体から力が抜けていく。


 助けに来てくれた、という安堵。

 加えてあれほど仲違いをしていた二人が協調しているという事実に、イシスは感極まった。


 その時、近づいてくるふたつの人影に背後から月明かりが差した。

 その影が、すっ、と草原に伸びる。


「……えっ……?」


 気づいたイシスが、息を呑む。

 その影は二つとも、明らかに異形を呈していたのである。


「………」


 やってきた戦慄に、イシスは目の前が真っ白になった。


 だが覆面男たちは、幸いだった。

 怯えることに精一杯で、その不気味な影の形に気づくことはなかったのである。


「――ど、どどど、どうする!?」


 トムソンが、発狂したような声を上げる。


「あ、慌てることはありませんぜ! こっちには人質が――」


 ジョージが思い出したように言って立ち上がり、イシスにファルシオンを突きつけた、その時。

 その手にあったファルシオンが、きん、という音を立てて弾け飛んだ。


「へ?」


 そのままファルシオンはくるくると回り、離れた草原に突き立つ。


「………」


 寂しくなった右手を呆然と見るジョージ。

 その背中を、冷たい汗が流れ落ちていく。


 続けて、バシュッ、という破裂音。

 ふっ、と周りが暗くなる。


 今度はトムソンが持っていた松明の上半分が、消し飛んでいたのである。


「――ひぃぃ!?」


 トムソンは松明を投げ捨てながら、尻餅をつく。


 だが、二人はまだ気づいていない。

 自身たちの背後に、恐怖の人影が移り立ったことに。


「――イシスを放せ」


「ふぉぁっ!?」


 突如、背後から聞こえた声に、ジョージがぎょっとして振り返る。

 そこにはスーツ姿の男が怒りの形相で立っていた。


「お、おのれ! かかれゴーレム!」


 ジョージが、スーツの男にウッドゴーレムをけしかける。

 ゴーレムは命令に応じ、のそり、のそりと歩いて男に近づいていく。


 が、三対一で襲いかかったはずのゴーレムは、スーツ男に近接するや、なにか鋭利なもので斬り裂かれ、次々と崩れ落ちていく。


 なにもさせてもらえないまま。


「……うえぇぇゴーレムが!?」


 トムソンが座り込んだまま、恐怖のあまり、失禁する。


「う、うそだ……!」


 ジョージは目の前で起きている現実が信じられない。


「――イシスを放せ」


 今度はトムソンの背後に立っていた、黒髪の少年が告げる。

 トムソンが初めてそこで気づき、悪態をつきながら少年と距離を取る。


「失敗だ! 逃げろ」


 やっと我に返ったジョージはイシスを突き飛ばし、駆け出した。

 予想通り、やってきた男たちはイシスに気を取られ、自分たちから視線を逸らした。


(馬鹿め)


 それは、逃げるフリだけだった。

 実際はファルシオンを拾いに走っていたのである。


 草をかき分け、ファルシオンを掴み、ニヤリとしたジョージが振り返る。


 だが、その時。


「――ふぬ!?」


 どうやってやってきたのか、目の前にはまた、スーツの男が憤怒の形相をして立っていた。


 その右手には、白い横笛が握られている。


「ちくしょう、どうなってる!」


 仰け反りながらも、ジョージはファルシオンを横薙ぎに振るう。

 それを、スーツの男が横笛で上から打ち払う。


「うぐっ」


 キン、という音がして、ファルシオンは再び足元に落ち、ジョージは右手を押さえる。


「ぐべぇっ!」


 ジョージはさらにスーツの男に顔を蹴飛ばされ、草の中を転がった。


「――くそ、死にたくねぇ!」


 ちょうどその時、トムソンがショートソードを取り出し、がむしゃらに少年の方に斬りかかっていくのがスーツの男の視界に入る。


「使え」


 スーツの男は地に落ちたファルシオンを足先で跳ね上げる。

 舞い上がったそれに、さらに横蹴りを入れた。


 蹴られたファルシオンは再びくるくると回転しながら宙を飛んでいく。


 やがて、パシッ、という音とともに、そのファルシオンは少年の出していた後ろ手に収まる。


 さっきのフォークのように。


 少年は間髪入れずに、握ったばかりのファルシオンを振り下ろした。


 ガキン、と音がして、突き出されたトムソンのショートソードが悲鳴を上げる。


「うえぇぇ!? 剣が斬られたぁ――!」


 トムソンが中央から二つに切断された剣に目を瞠り、発狂する。


 だがその驚愕も中途で打ち切られた。


 ファルシオンで峰打ちされ、トムソンは意識を失い、崩れ落ちたのである。


 少年はさらにもうひとりの覆面へと目を向けるが、もはや仕事がないことに気づき、静かに剣を下ろす。


「貴様には地獄すら生ぬるい」


 スーツの男が、這って逃げようとしていたジョージに近づいていた。


「……た、助けてくれ……魔が差しただけなんだ」


 ジョージは半身を起こすと、覆面を取り、その顔に愛想笑いを浮かべた。


 その顔は鼻血にまみれていた。


 しかしスーツの男はなんのためらいもなく、その笛でジョージの頭を殴りつけた。

 その一撃で、ジョージは糸の切れた人形のように倒れ込み、意識を失った。


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