第191話 闇の中で
「とくにこの国では、女性は男性の後ろに付き従うのが美徳と考えられていまして」
イシスが切り終えた部分の野菜を、包丁に載せて鍋の中に移す。
「この国の女性は家事は得意なんですが、戦う力なんてない人が多いんです」
だからこその、『男の強さ』。
男の強さが妻の命の保障となり、財力となり、家族の生活の安定となる。
「魔物を遠ざけられる強さは女性たちの心からの憧れです。だから『武器祭』は男性より女性に人気です。強い男性を見ていたらカッコいいと感じて、毎年みんな、すごいことになってます……」
「ほうほう……」
なにがどうすごいのかは、訊ねないことにした。
「加えてアーノルド様は財力もあります。もし私が気に入って頂けたら、父も母も姉たちも、安定した生活を送ることができるようになりますし……」
イシスが手元に視線を落としながら、頬を赤らめた。
なるほどな、と思う。
他人想いのイシスが考えそうなことだ。
「だからライバルは多いんですけど、頑張ってアプローチしたいなって……」
「イシスならきっと気に入ってもらえるよ」
「本当ですか? 私、若すぎませんか?」
イシスが顔を上げ、真顔で訊ね返してくる。
「大丈夫。年の差を差し引いても、イシスはすごく魅力的な女性だと思うよ」
僕は太鼓判を押した。
◇◇◇
雲間から月が小さく輝いている。
積雲が発達しており、星はほとんど見えない。
イシスと黒髪の少年は夕食を終え、その後片付けをしている。
鶏肉を甘辛のトマトソースで煮込んだ夕食が思った以上に美味で、二人は満足だった。
「片付けがてら、ロザミンを淹れてきますね」
「ありがとう」
少年はテーブルを拭きながら、イシスの背中に声をかける。
ロザミンとはこのあたりで取れる葉を煎じた、少々渋みの強い、食後に合う茶である。
「おい」
そこで、見計らっていたノットが少年の目の前に姿を現した。
イシスが少年から離れ、台所に籠ったと同時であった。
いつもの黒のスーツに白いシャツ、そして例によって黒と赤のネクタイを締めている。
「明日から遠出する。その間、イシスの食糧は貴様が獲れ」
ノットは無感情に告げた。
少年はノットに背を向けたまま、ため息をつく。
「早く出て行けと言う割には、反対のことをさせる」
「どうせ居座るんだろうが」
少年はテーブルを拭くのをやめ、ノットに向き直った。
「いつも狩りをしてくれていることには礼を言いたい」
「貴様が食べるのは筋違いだ」
少年は小さく肩をすくめた。
「イシスの料理を無碍に断れと?」
「………」
ノットが顔を歪め、ちっと舌を鳴らした。
「ラモとやら。いつまで長居するつもりだ」
「逆に聞くが、お前はなぜそんなに俺を追い出そうとする?」
「イシスのためだ」
ノットは迷わず即答した。
「………」
少年が無言のまま、目を細めた。
「俺に説明してくれないか」
「笑止。貴様ごときが知る必要などどこにある」
ノットが鼻を鳴らした。
「そう決めつけない方がいい」
「ほう、この私に『力を貸そう』とでも言うつもりか」
ノットが声を上げて笑い始めた。
同時に、テーブルに置かれていた予備のフォークが高々と舞い上がり、宙でくるくると回転し始めた。
「――言葉に気をつけぬと怪我をするぞ!」
それと同時に、フォークが少年の顔めがけて一直線に飛んだ。
◇◇◇
空を厚く覆う灰色の雲間から、半月の二割ほどが顔を出している。
今日は夕から立ち込めた霧が色濃く残り、人の腰の高さほどまでべっとりと張りついていた。
秋の深まったこの夜、霧の中から聞こえてくるのは、りーん、りーん、と鳴く虫の音ばかり。
だがよく耳を済ますと、枯れ葉を踏む大きな存在が、そこに紛れていることに気づいたであろう。
「……おい、本当にあんな立派な屋敷だったかよ」
「間違いありませんぜ、トムソンの旦那。なんせ自分は住んでたんですから」
二人の覆面の男が、腰ほどまでの茂みに体を埋めるようにしながら、白い屋敷を遠くから眺めている。
そう、彼らは夜盗である。
恭しくしている夜盗の名はジョージという。
「住んでいた」の言葉通り、この男は数ヵ月前にこの家の使用人を辞して、立ち去っていた。
「本当に辺境伯は、まだアイセントレスから帰ってきてねぇんだよな? アレが居たら二人じゃあ敵わねえぞ」
不安げに発せられた、トムソンと呼ばれる男の言葉に、ジョージが頷いた。
なおアイセントレスとは、レイシーヴァ王国の王都の名である。
「帰ってくるのは『武器祭』のあたりでさ。少なく見積もってもまだ半月は先ですぜ」
「ならいいが……本当に空き家なんだろうな」
ジョージがまた頷いた。
「居残っていたガキはもう死んでるはずです。あとはコイツらで家財を運び出して一儲けするだけです。なにも難しいことはありませんぜ、旦那」
そう言って、ジョージは心配性のトムソンに手のひらにある3本の小枝を見せた。
この小枝にはすでに
「行きますかね、旦那」
「一応警戒していくぞ。なにがあるかわからんしな」
「……わかってますぜ」
覆面男たちが音を立てないよう、そろそろと近づいていく。
そうしながら、ジョージは前を歩くトムソンに聞こえないように、小さく舌打ちした。
(……あんなに払ったのに、こんな奴寄越すな、クズギルドめ)
トムソンはあまりに臆病すぎて、決断力がなさすぎるのであった。
なぜ空き家に入るだけなのに、ここまで怯えなくてはならないのか、ジョージはまるで理解できなかった。
まぁいい。
どうせ物を運ぶだけだ。
すべてが終わったら、こいつも――。
「そろそろ呼んどけよ」
「わかりましたぜ、旦那」
ジョージが恭しく返事をして、ウッドゴーレムを三体呼び出した。
重い荷物を持たせる場合、呼び出した直後からさせるとウッドゴーレムの体が歪んでしまうことがあるため、少し早めに呼んでおく必要があるのだ。
すべて召喚に成功し、三体のウッドゴーレムは二人の後ろで直立不動の姿勢をとる。
「よし、いくぞ」
それを連れ、木々の陰に隠れやすい家の裏側から接近していく。
彼らにとっては、立ち込めていた夜霧も身を隠すのにこの上なく好都合だった。
屋敷までの距離がおよそ20メートルほどになった時。
トムソンが、ぎょっとして足を止めた。
「――あ、あれ? おい、見ろよ!」
慌てて霧の中に隠れるように伏せながら、小声で叫ぶ。
ジョージもそれに倣いながら、やがて目を見開いて舌打ちをした。
「どういうことだよ、お前」
「なんてこった。生きてやがる……」
ジョージは覆面の下で、その悪人面を明らかにしていた。
頭巾を被った、不自由そうな歩き方をする少女が裏口から出て、地下のごみ置き場へと降りて行ったのだ。
「……やべぇぞ。大枚はたいてウッドゴーレムまで借りちまったのに」
当然のように、一度呼び出したウッドゴーレムを戻すことは彼らにはできない。
現れたら最後、行使しようとしまいと、ウッドゴーレムは45分程度でただの木屑と変わってしまうのである。
「行くしかないですぜ、旦那」
「だから、あのガキはどうするんだよ!」
「殺るしかねぇでしょ。あんな歩きだ。逃げられやしねぇ」
ジョージが奇妙に反り返った剣を懐から取り出した。
刀身が月明かりに照らされて閃く。
『ファルシオン』と呼ばれる、刀身が広く作られた左右非対称の剣である。
「でもガキだぞ。ガキをこの手で殺すたぁ、さすがの俺も……」
「……よくお考えくだせぇ。どのみち殺すはずだった死にぞこないですぜ、旦那」
ジョージがその声を低くした。
「………」
「あれは生きててもしょうがねぇんです。私らの糧になりゃ本望ってもんでしょう」
ジョージの言葉に、トムソンがまあそうか、 と頷いた。
「仕方ねぇ、儲けには代えられねぇ。いくぜぇ」
二人の覆面男が立ち上がり、今度は堂々と家に近づくと、少女が降りていったごみ置き場の階段のそばで、 待ち伏せする。
なおこのようにゴミを一時的に常温で保管するのは、腐敗させてから飼料として撒く方が土壌の栄養となりやすいと考えられているためである。
やがて、何も知らずにとん、とん、とん、とゆっくりと階段を上がってくる、足音。
「――きゃっ!?」
家に戻ろうとした少女が、いきなり男二人に取り押さえられる。
手に持っていた燭台が、地面に落ちた。
「騒ぐな!」
「……お久しぶりです、イシス様」
ジョージが少女の左頬に、冷たいファルシオンを当てた。
少女ははっとして、硬直する。
「――その声は、ジョージ!?」
ジョージと呼ばれた男が覆面の下でニヤリとする。
「さて、このまま森まで戻りますぜ、旦那」
「なんでだよ」
「ここでバラしたら足がつきかねませんぜ。しかし森まで戻れば、このアホ娘が出歩いてゴブリンに殺されたことになるんです」
「………」
イシスの顔が、蒼白に変わる。
一方で、トムソンは覆面の下で笑う。
「へっへっへ。お前、頭いいじゃねぇか」
「家の正面の森の方が自然です。さ、行きましょう」
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