第194話 王宮編1



「どうであった? 見つかったか?」


 一日で一番高い位置にある日が力強く照らす中、代理の王フローレンスが畏まっている兵に言葉をかける。


 捜索終了の報を耳にするなり、フローレンスはわざわざ帰還した兵士の元まで足を運び、直接感触を得ていた。

 しかしそこには好ましい返事どころか、手がかりひとつなかった。


「面目ございません」


「気にするな。わらわは感謝しているぞ。帰ってゆっくり休むがよい」


 フローレンスは失意を隠しながら笑みを浮かべ、働いてきてくれた兵をねぎらう。

 兵が下がったのを耳にして、フローレンスは髪を掻き上げ、大きなため息をついた。


「弱った……まさかここまで見つからぬとは」


「本当にどこへ消えてしまったのでしょうな」


 隣に立っていたヘルデンのひそめた眉は、直ることがない。

 在籍していた剣の国リラシス・第三国防学園には、もう2ヶ月以上姿を見せていないという。


「エルポーリアも洗うか。リラシスももう一度だ」


「御意」


 フローレンスの指示がヘルデンを通して軍部・捜索部隊に伝えられる。


「もうすぐ冬だと言うのに、日差しが強いですな」


 ヘルデンが手をかざしながら駆けていく兵士を見送ると、戻りましょうとフローレンスの背中を押す。


「我が国の取り柄を悪く言ってはならぬぞ」


「ハッハッハ、失礼を申した」


 侍女に手を取られて歩き出したフローレンスの背後で、ヘルデンが顎という顎に蓄えられた髭をさする。


 レイシーヴァ王国の気候は、一年を通して温暖である。

 特に冬の時期は海から吹く温暖な偏西風の影響を受け、地域によっては秋よりも暖かくなるのが特徴である。


 と、カツカツとヒールを鳴らしていたフローレンスが、ふいに立ち止まる。


「……まさかどこかで命を落としたではあるまいな」


「いやいや、あれ程の腕の持ち主が死ぬことなど、まずありえませぬ」


 思い詰めた表情で言ったフローレンスの言葉を、ヘルデンは即座に否定してみせる。


「だと良いが……」


 そう、彼らが探しているのはサクヤである。


 天空庭園へ共に渡ったフィネス第二王女の話によれば、視察終了まで隣に居たという。

 しかし学園の寮に戻ったであろうその翌日から、忽然と姿を消しているのであった。


「我が国の祭の予選はいつからであったか」


 歩きながら、フローレンスが腰までもあるアッシュグレーの髪を後ろに払う。

 祭というのは、レイシーヴァ王国で毎年開催されている『武器祭』を指している。


「およそ三週間後です。『世界決闘大会』の参加連絡はその一週間後が締切ですな」


 ヘルデンが淡々と答える。


「もうそんな時期になってしまったのか……」


 フローレンスが目を閉じたまま、小さく唇を噛んだ。


『死に体』の二つ名が示す通り、レイシーヴァ王国には以前より重ねた300万白金貨の借金があった。

 相手は光の神の神殿のトップたる教皇が統べる最も富んだ国、セントイーリカ市国。


 来年の春までに借金の一部が返済できない場合、レイシーヴァ王国はセントイーリカ市国の観察下に入り、国の建て直しをはかることが決まっている。


 聞こえはいいが、その実、植民地支配されることの言い換えに他ならない。


「魔物を恐れぬ安定した生活になる」とまるで理想郷のような謳い文句をセントイーリカ市国の者たちは繰り返すが、多くの民は圧政が始まるだろうことに気づいている。


 フローレンスにとっても、全く気安い話ではない。

 一般には知られていないが、彼女は見るに耐えない容姿をしていると噂の、教皇の側室にされるのである。


 妻ですらないこの扱いに、レイシーヴァ王国の行く末が暗示されていると言ってよい。


 なお、植民地支配を先延ばしにするためには、年間で総額の一割以上の返済を満たさねばならない。


 もちろんこの国に30万白金貨もの大金があるはずもない。

 唯一の希望は、セントイーリカ市国で二年に一度開催されている『世界決闘大会』で、レイシーヴァ王国の者が優勝することであった。


 もう十年近く行われていながら、セントイーリカ市国以外の国が優勝したことのない、奇妙な大会。


 そこで開催国以外が優勝した場合、積み重なった懸賞金を含めると、なんと65万白金貨が優勝国に送られるのだ。

 彼らがサクヤという少年に目をつけ、血眼になって探しているのはそういった理由からである。


「サクヤ殿抜きで考えていかねばならぬようですな」


 さすがのヘルデンも、すっかり渋い顔になってしまっていた。


「ヘルデン、国内の予選を勝ち上がってくるとしたら誰であろう」


 やっと屋内に入ったフローレンスが、侍女から水を受け取りながら訊ねる。

 日差しのせいで、その白い頬は淡く紅潮していた。


「極南地区の【達剣】リャリャか、西地区の【回避者アヴォイダー】アーノルドでしょうな」


 言いながら、ヘルデンも取り出した布で顔をごしごしと拭った。


 その布を受け取り、代わりの布と水を渡して去っていくのは別の侍女。

 名はルイーダといい、王女付きからヘルデン専任の世話係となりつつある。


「昨年の二人か」


 フローレンスは、二人の声を覚えている。


 リャリャは昨年の優勝者で、刀を使う老獪な武人である。

 蛾尾がびとして名の知れた猛者でもあった。


 一方のアーノルドは今年で18歳と若く、洗練されたレイピアの使い手であり、昨年の準優勝者であった。


「とりわけ、アーノルドが飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しているとのこと。1対1の試合ではもはや私でも敵わぬでしょうな」


「ほう。そなたよりもか」


 フローレンスが唸る。


「もちろん、実戦では負けませぬが」


 ヘルデンがひげをさすりながら笑う。


『戦』は全てが整えられた『試合』とは異なる。

 戦での強さこそが本物と、ヘルデンが考えているということでもある。


「その者、サクヤの代わりになれると申すか」


「姫。残念ながらそれは比較にならぬかと」


 ヘルデンは即答した。


「そんなにも違うのか」


「はい。この目でしかと確かめました」


 サクヤがとにかくとんでもないのですよ、とヘルデンが付け加える。


「やれやれ……」


 フローレンスがエルフらしい細い腕を組み、エルフらしい整った顔を歪めてうーんと考え込んだのを見て、ヘルデンがご心配は不要ですぞ、と告げる。


セントイーリカ市国に行って、一年待ってもらえるよう、このヘルデンが交渉して参ります」


 ヘルデンの言葉に、フローレンスは即座に首を横に振った。


「もうよい。奴らの植民地支配とて、この現状よりはマシになろう」


「一度だけ私に交渉する機会を」


「そなたの生首と面会するのはごめんであるぞ」


 フローレンスはわかっていた。

 ヘルデンに任せていれば、きっとうまく交渉をして自分が側室送りにされるのを遅らせてくれることを。


 しかしその代価としてヘルデンの命が求められたとしても、ヘルデンは迷いなく頷く男である。


「相手が豚であろうとなんであろうと、側室に行く覚悟はとうにできている」


「姫、それだけはなりませぬ」


 ヘルデンが断固とした様子で言う。


「我が身ひとつで、民にパンがあたるなら安い」


「なにか手立てはあるはずです。民は姫を指導者に望んでおります。どうか」


 ひとつも譲歩しないヘルデンを見て、フローレンスがため息をついた。


「そなたは本当に諦めが悪いな」


「私は民意を姫にお示ししているだけのこと。譲れぬものは譲れませぬな」


 フローレンスが小さく笑う。


 この国にはもったいない、とフローレンスは感じていた。

 特にこのヘルデンと、今は侍女として仕えている、酒場上がりの才女ルイーダ。


 この二人は、いつ他国に引き抜かれてもおかしくないほどの有能な人材である。

 フローレンスから見れば、こんな逸材がなぜ自分などに仕えてくれているのか、わからないくらいであった。


「わかった。では近々民に演説を行う旨を周知してくれ。『武器祭』に向けて、せめて民の気持ちをふるい立たさねばならぬ」


「御意」


 ヘルデンが畏まる。


「――失礼いたします」


 話が途切れたところを見計らって、言葉を挟んでくる侍女がいた。

 フローレンスの世話係を務める侍女の一人である。


「どうした」


「明日のリンダーホーフ王国・アラービス新国王の即位式でございますが……」


 侍女はフローレンスが当日に着るであろう候補のドレスをふたつ両手に持ち、畏まっていた。


「ああ、そういえばこちらの方が切迫しておりましたな」


 どうでもよくて忘れておりました、とヘルデンが肩をすくめて笑う。


「行かねばならぬな」


「ご意向の通り、あまり高額にならぬよう努めました」


 侍女の言葉に頷いたフローレンスは実際に手に持って2つのドレスを確認し、蒼のシルクドレスの方を選んだ。


 リンダーホーフ王国は最多の勇者を擁する国である。

 現在最弱といえるレイシーヴァ王国としては、外交努力を怠ることはできないのであった。


 実はつい先日も、リンダーホーフ国王の急死が伝えられた真夜中に発って出向いてきたばかりである。


「……まぁちょうどよい。参列中に演説の内容でも考えておくか」


 侍女が去ったのをその尖った耳で聞いたフローレンスが、独り言のように呟いた。


「しかしあれが国王とは」


 ヘルデンが独り言のようにぼやいた。


「生前から大使としてセントイーリカ市国に出向き、親密な関係の形成に努めたのが大きかったという噂だ。何もせずになったような言い方はならぬぞ」


 フローレンスがヘルデンを諌める。

 失礼を申しました、とヘルデンは口だけで謝罪をすると、すぐに話を切り替えた。


「ではまた饅頭でも食べて参りましょう。あの国にどんな王が立てど、あれだけはうまいですからな」


 ヘルデンの言葉に、フローレンスがくすり、と笑う。


「また遠路だが頼めるか、ヘルデン」


「御意にございます」




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