第180話 閉会式

 彼女に憑依した大悪魔、アシュタルテは違ったのである。

 戦の神ヴィネガーが授けた強力な力を我がものとし、あまたの天使たちをその双剣で殺戮した。


 魔界に棲まう魔神として魔王に従い、なんの躊躇いもなく彼女のスキルツリーを伸ばし続けたのだ。


 そのように黒く染まったスキルツリーは、恐ろしいまでに成長していた。

 最凶の形で。


「事情はわかりませんが、強いです」


「ありがとう。サクヤくんの隣にいること、許してくれるかしら」


「当たり前のことを聞かないでください」


 そう言いながらも、フィネスは余裕がなかった。


 ちょうどその時、取り囲む観客から大歓声が上がった。

 カルディエが負けたのであった。


 サクヤはカルディエの前から動かず、静かにこちらを振り返る。

 木の剣は足元に置き、自身は腕を組んで戦わない姿勢を見せた。


 フィネスは自分の戦いに集中していいのだと言い聞かせる。


(……でも……見いだせない)


 その白い頬を汗が流れ落ちる。


 今までどんな試合であっても、フィネスは最低でも1つは勝利への道筋を見つけることができていた。

 その正確な読みと卓越した剣の技量が、彼女の強さを支えているのだ。


 だが、今回ばかりは見えなかった。

 どうすれば、この銀髪の少女に勝てるのか。


 双剣になったとたん、剣の速さも技量も格段に上がった。


 長い双剣の間合いは広く、いつもの距離では先程と同じことになってしまう。


(やはり詰めるしか)


 長剣の欠点は小回りが利かないことである。

 そこをつくしかなさそうだ。


 だが、その超近接の間合いに飛び込めるかどうかは別問題。

 さらに彼女は魔法のような特殊な攻撃を使えたようにも見えた。


 ヴェネットはそれで吹き飛ばされ、敗北したように見えたのである。


「考えてるのかしら」


「……そうですね。なかなか良い手が見つかりませんが」


「確認よ。勝った方がサクヤくんの傍に」


 アリアドネがフィネスをまっすぐに見る。


「………」


 フィネスが唇を噛み締め、じり、と後ずさる。


「約束して」


「わ、わかっています」


 フィネスの言葉が発せられた瞬間、アリアドネが動いた。


「――悪く思わないで。【死の十字架デッドリィクロス】」


 二本の長剣が妖しく舞った。

 それが白い十字を描く。


 フィネスは危険を感じ、とっさに距離を取った。


 通常なら5メートルもとれば十分だが、今回は15メートルまで一気に退避した。


 近接攻撃の一切を受けない距離である。

 その位置で、アリアドネの攻撃を見極めんと目を凝らす。


 しかし。


「うそっ!?」


 アリアドネの剣撃は、触手のように伸びてフィネスに襲いかかっていた。




 ◇◇◇




「うっ……」


 観客席からの大歓声が耳に飛び込んできたおかげで、意識はなんとか繋ぎ止めた。


「5、6……」


 カウントが無情にも進んでいく。


 フィネスはうつ伏せの状態から身体を起こし、両手をついた。

 なんとか立ち上がろうとするも、耳の裏を打たれたらしく、生じためまいがとれない。


「7、8……」


(時間が……ない……)


 地面から手を離し、強引に二本の足だけで立とうとする。


 いや……この人には負けたくない……。

 負けたら、サクヤ様が。


 サクヤ様が……!


「嫌……それだけは……!」


「9、10!」


 だがフィネスは立ちきれなかった。

 同時に第三学園の観客席から、大歓声が響いた。




 ◇◇◇




 第一学園のグラウンドで、閉会式が行われている。

 フィネスは虚ろな気分のまま、第一学園の代表として前に出て、イザイから優勝旗を受け取った。


 盛大な拍手が、気持ちに反してフィネスを称える。


「おめでとう」


「ありがとうございます」


 フィネスに続いてゲ=リが二位のメダルを受け取り、最後に第二学園の生徒がイザイの向かいに立つ。


 メダル授与後、ゲ=リたちが第一学園に称賛の言葉をくれていたようだが、その内容はフィネスの頭を素通りしていった。


「では次の表彰に移る」


 拍手ののち、フィネスたちは一旦、壇上から下ろされる。


「MVPは悩んだが、来賓から多大な称賛を頂いた第三学園のサクヤくんとする。おめでとう」


 イザイがサクヤを壇上に呼ぶ。


「サクヤ。君には一週間後に予定されている天空庭園への視察付き添いを私から許可しよう」


 そう言ってイザイは視察参加証を他の生徒からも見えるように、サクヤに二枚手渡した。

 参加証が渡ると、再び拍手が送られた。


『ジューレス天空庭園』は一般市民がおいそれと近寄ることができない管理エリアに存在しており、国によって渡航が厳密に管理されている。

 それゆえ、サクヤといえどもまだ足を踏み入れたことのない場所であった。


「危険がなくもない。今日ペアだったあの少女なら問題なかろうと思う。アリアドネと言ったか」


「はい」


「その二人で参加としなさい」


 天空庭園では飛翔系の魔物が庭園上層部を飛行している。

 当然、それらは決して弱くはない。


 万が一の襲来に備えて、イザイは自衛しやすい生徒をペアに強制したのである。


 続けて優秀賞の発表があり、フユナとヴェネットのペアが受賞となる。

 その他、監督や審判への賞も送られた。


「では連合学園祭の表彰に移る。各学園の代表者は再び前へ」


 壇上の生徒たちが降りて、ひとけのないグラウンド脇へといったん抜ける。

 一方、その近くで待機していたフィネスは力ない表情ながらも、また壇上に向かおうとする。


「フィネス、ちょっといいかな」


 そんなフィネスをすれ違い様に呼び止める者がいた。

 サクヤであった。


 昨日までのフィネスなら、呼び止められたという現実だけで、飛び上がるほどに喜んだに違いなかった。


 しかし今のフィネスは精神的に枯れ果て、ただサクヤを見返すことしかできなかった。


「実は天空庭園、フィネスと一緒に行けないかと思って。よければイザイ学園長に俺からお願いしてみようと――」


 サクヤを見つめるフィネスの目から、すっと涙がこぼれ落ちた。


「……フィネス?」


 微笑を浮かべていたサクヤが、急に真顔になった。


「何かあったのか」


 サクヤが近寄り、フィネスの肩を支えるようにしながら、訊ねる。

 その優しさが、フィネスの心にしみこむ。


「………」


 フィネスはただ、サクヤを見つめる。


 負けた自分は、サクヤ様の隣には立てない。

 でも……サクヤ様から誘ってくださったのなら、そんな約束など――。


 だが、ちょうどその時だった。


「――さ、サクヤくん、MVPおめでとう!」


 壇から降りたサクヤを迎えに来た者がいた。


 アリアドネだった。

 彼女はやってくると、咄嗟にあいていたサクヤの左腕をとって組んだ。


 アリアドネにすれば、これはサクヤを取られたくないという恐怖からの反動に違いなかった。


「………」


 だがフィネスはそんなことはわからず、唇を噛んだ。

 戦いに負けたのもあって、見せつけられても黙っているしかなかった。


 ただただ、嫉妬に火がつく。


「サクヤくん、ゴクドゥー先生がみんなでお祝いをしようって――」


「アーリィ、悪いがちょっと待ってくれ」


 言いかけたアリアドネを制し、その手を解くと、サクヤはフィネスに向き直る。


(アーリィ……)


 燃え上がる嫉妬。


 サクヤの口から出たその単語は、二人の距離の近さをこれでもかと見せつけたようなものだったのである。


「………」


 完全にその感情に囚われたフィネスは、サクヤと目を合わせるのを拒否するように俯いた。


「フィネス? 具合でも悪いのか」


「何でもありません」


 フィネスは冷たく言った。


「そうか、ならいいんだが……さっきの天空庭園の件の返事は急がないから」


 サクヤの言葉を聞いて、アリアドネがはっとする。

 何を隠そう、アリアドネはそれに誘ってもらいたくて、今ここに来たようなものだったのである。


 だが、それと同時にフィネスは口を開いた。


「私ではなく、アリアドネさんが適任かと思います」


 サクヤがフィネスを見る。


「俺はフィネスを誘っている」


 フィネスの胸が、どきん、とする。

 だがそれとて、燃え上がった炎を抑えるには至らなかった。


「私は遠隔攻撃などできません。でもさっきの感じから、アリアドネさんなら問題ないでしょうから」


 天空庭園で襲ってくる魔物たちは、たいていがその背に翼を持ち、飛来する類のものである。

 それゆえ、近距離以外でも戦うことができる弓使いや魔術師が本来は好ましいとされる。


「フィネスは十分強い」


「アリアドネさんに負けました」


「フィネス、それでも――」


「――失礼します」


 フィネスはそれだけを言うと、サクヤの横を通りすぎた。


「フィネス」


 背にかかる声すら、フィネスは無視する。


 フィネスはどうして自分が今、悲しくなるほどに刺々しくなっているのか、わからなかった。

 恋愛経験のないフィネスは、今自分を支配しているこの強い感情に馴染みがなく、いいように振り回されてしまったのである。


 だが、いつまでもそれに囚われるフィネスではなかった。


 その脚が、ぴたりと止まった。


「………」


 はっとして口を押さえる。

 自分が今、とんでもないことを口走ってしまっていたことに、気づいたのだった。


(……わ、私、なんてことを)


 サクヤはなんとフィネスを呼び止め、望んでやまなかった天空庭園へのデートに誘ってくれていたのである。


 なのに自分はそれを取り付く島もないほどに拒絶したのだ。


 嫉妬に支配されて。


(なんて馬鹿なことを)


 フィネスは躊躇なく振り返った。


「あ、あの、済みません。私、ついヤキモチで――」


 しかしフィネスは振り返った姿勢のまま、硬直した。


 目に飛び込んできたのは、フィネスの大切な人にキスするような距離に立つ、銀髪の少女。


「サクヤくん。もし、あたしでよければ……」


 彼女は上目遣いで、女性らしく控えめに言った。


 やがて続いたのは、ぱっと咲いた花のような笑顔。

 そして。


「――嬉しい」


 アリアドネは、そう言った。


 二人はその言葉を最後に、去っていく。


「………」


 フィネスはもう、何も言えなかった。


 しばらくして、フィネスは知る。


 ――自分は失恋したのだ、ということに。





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