第179話 連合学園祭2ー20
「挨拶が遅れました。よろしくお願いします」
アリアドネは先程とは打って変わって、礼儀正しい態度でフィネスに挨拶をする。
フィネスも礼を返した。
「……よろしくおねがいします。ところで、あなたは?」
「アリアドネと言います。はじめまして、第二王女フィネス様」
丁重な言葉を続けながら、アリアドネがフィネスに向かって歩き進む。
「………」
フィネスが無言のまま、その動きを追う。
アリアドネの歩みは止まらない。
そして、とある一線を跨いだ。
――戦いの境界たる、剣の間合い。
アリアドネはごく自然な動作で、フィネスの間合いに入ったのだ。
しかし、それをフィネスが見逃すはずもなかった。
カァァン!
木剣がぶつかり合った。
フィネスが警告するように薙ぎ払った木剣を、アリアドネはきれいに受け流した。
アリアドネは、身を反転させながら袈裟に切り上げる。
フィネスはそれを容易く上から叩いて咎めると、アリアドネに向けて二段、三段、四段と連続で剣を放った。
鋭く、しなやかな剣がアリアドネを襲う。
「――くっ」
四連撃目を受けきることができず、アリアドネは突き飛ばされるようにして、大きく距離をとった。
観客席がどよめく。
が、そのほとんどが見えていなかったであろう。
もし目にすることができれば、それはまさに蝶が舞うような美しさを持つ剣の流れに違いなかった。
アリアドネは軽く痺れた右手にちらりと目をやると、淡々とした表情のまま、目にかかった前髪を左耳にかけた。
フィネスも、ほとんど乱れていない黒髪を背に払い直す。
「王女は不要です。ただ、フィネスと呼んでください」
「……わかりました。はじめまして、フィネスさん」
アリアドネが、剣を構えたまま小さく微笑む。
「失礼ですが、あなたは? 去年までは居なかったように思いますが」
一方のフィネスは、笑みを浮かべることはなかった。
「アリアドネが、あたしの名」
「サクヤ様のパートナーなのですね」
「ええ。いつも、サクヤくんのそばにいるわ」
「………」
フィネスがアリアドネに鋭い視線を向けた。
「サクヤ様のことが好きなのですか」
「そうよ」
「サクヤ様とお付き合いされているのですか」
アリアドネは、静かに首を横に振った。
「あたしから彼の気持ちを訊いたことは一度もないし、今後もそうするつもりはないわ」
あたしはただサクヤくんの傍に居たいだけ、それ以上は望んでいない、とアリアドネが続けた。
「それを聞けて安心しました」
言葉の通りフィネスは、心の底から安堵していた。
自分が見つけられなかった間に、他の女性とサクヤが恋に落ちていたらと考えると、今後生きていけるかどうかすら、不安なくらいだった。
「安心?」
「ええ。私もサクヤ様を心から愛していますから」
「奇遇ね」
「そうですね」
共通点を見つけたふたりは、しかしくすりとも笑わなかった。
「でも安心するのは少し早いわ」
アリアドネが、先に口を開いた。
「もしあたしが気持ちを訊いたら、きっとサクヤくんもあたしのことを――」
「――違います」
否定しながら、今度はフィネスからアリアドネの剣の間合いに入る。
「―――!」
アリアドネが先手で、剣でフィネスの足元を薙ぎ払うように振るった。
フィネスはそれを飛んで避けると、袈裟から下段と連続に剣を振るう。
「……くっ」
鋭い剣にアリアドネは大きく距離をとった。
彼女の冷静な顔色は一切変わりはないものの、その頬には汗が流れていた。
「それは違います」
フィネスはもう一度、静かな口調で告げた。
「あなた、何者?」
アリアドネが目を細めた。
アリアドネがそう思うのも無理はないことである。
剣の腕前だけをとれば、あの【伝説の付添】ラインハルトよりも上に、このフィネスが来てしまうのだ。
「私、ですか」
「うん」
「私は剣の国リラシス第二王女フィネス。そしてユラル亜流の継承者」
「それだけじゃない。あなたはなにかの神に祝福されている」
「………」
断定したアリアドネの言葉に、フィネスは沈黙で答えた。
「どんな職業を与えられたの」
「答える必要はありません。そして、あなたの相手にこれ以上時間を割くことも」
フィネスがちらり、とサクヤへと視線を向ける。
そしてすぐさま、跳んだ。
「くっ……!」
カァァン、カァァンと響く、木剣の乾いた音。
フィネスの美しいまでの連続剣に、アリアドネは後退を余儀なくされていく。
「……ああ……負ける……」
「やっぱ王女様は強ぇ……」
一方的な展開に、第三学園の観客席が呻く。
首筋を狙った五連撃をなんとか防いだのが限界であった。
アリアドネはそのまま体勢を崩し、あっ、と悲鳴を上げて地にお尻をついてしまう。
六連撃目を、その眼前でぴたりと止めたフィネス。
「1,2……」
その間に審判の教師が割って入り、ダウンカウントが始まる。
フィネスはくるりとアリアドネに背を向け、距離をとる。
「サクヤ様……」
フィネスが木剣を下ろし、その名の男性に目を向ける。
サクヤはカルディエと戦っていた。
(カルディエ……)
ちら、と見ただけでわかる。
カルディエが一方的に攻めているように見えるが、ところどころで正すように剣を返されている。
完全に『指導剣』である。
「――再戦!」
背後から審判の教師の声がした。
フィネスは振り向き、立ち上がったアリアドネと再び向き合う。
「あたし、あなたのことは嫌い。でも」
アリアドネが口を開く。
「あなたの剣はたまらなく好きよ。あたしが目指しているもの、そのままだから」
「――ありがとう。私もあなたの剣が好きです」
フィネスが言葉を返し、ここで初めて微笑を浮かべた。
この言葉に嘘はない。
剣を合わせてすぐに気づいた。
アリアドネと自分の剣は、根本が似通っているのである。
「ねぇフィネスさん、もしあたしたちがこんな出会い方じゃなかったら……」
アリアドネが剣を下ろし、その視線を緩めて言う。
「そうですね」
フィネスが頷いて、言葉を続けた。
「……きっと良い友達、いえ、親友になっていたでしょうね」
「ホントね」
二人は視線を通わせて、くすっと笑う。
「まだ続けますか」
少し間をおいて、フィネスが訊ねる。
これ以上続けなくとも、勝敗はすでにはっきりとしていた。
「……そうね。このままではあなたには敵わないのはわかる」
そんなアリアドネの言葉に、フィネスは小さな引っかかりを感じた。
「……このまま?」
「二本持ってもいいかしら」
そう言って、アリアドネは懐からもう一本の木剣を取り出した。
手に持っていた剣と全く同じ、長剣と呼ばれる長さの品である。
「……えっ……」
フィネスが我が目を疑う。
「あなた、まさか双剣を……?」
「本当は好きじゃないの。こんな怖いものを二つも持つなんて」
言いながら、アリアドネが木剣を慣れた様子でひゅんひゅん、と取り回し、構える。
観客がざわめいた。
「………」
フィネスは、小さく後ずさっていた。
アリアドネが急に、異質な空気をまとい始めたのである。
「あたし、他の誰がサクヤくんに近づいても、なんとも思わない。――でも」
アリアドネがフィネスを睨む。
「――あなただけはどうしても嫌なの」
◇◇◇
「雰囲気が……変わった?」
フィネスはその顔を蒼白にさせながら、剣を構え直した。
「あなたには、絶対に負けたくない。そのためなら、なんだってする」
アリアドネが木の双剣を両手に持ちながら、ポニーテールにした髪を直す。
フィネスもその目を研ぎ澄ませた。
「私とて負けたくはありません」
そして二人は、ちらりとひとりの男に目を向ける。
二人の頭にあるのは当然、同じもの。
「勝った方が?」
当然、略された言葉の意味がわからないフィネスではなかった。
「もちろんです」
「いいわ」
二人が頷き合うと、そのまま二呼吸分ほどの時間を無言のまま置いた。
「――はっ」
先にアリアドネが動いた。
軽やかに繰り出される剣。
左から振り抜かれるそれを、フィネスは木剣を立てるようにして弾こうとする。
――カァァン!
「なっ」
フィネスが目を瞠る。
衝撃を殺しきれず、フィネスがよろけていた。
「くっ」
さらに左からの横薙ぎを、フィネスはとっさに屈んで躱す。
ビュウン、という風切り音とともに、頭の上を掠めていく。
「――どういうこと」
剣速、軌道、そして剣圧。
すべてが異なっていた。
さっきまでの剣には、明らかにそんな勢いは宿っていなかったというのに。
危険を感じ、フィネスが距離を取ろうとする。
しかしアリアドネはぴったりと張り付くように、フィネスに間合いを詰めた。
「やぁぁっ」
アリアドネの、息もつかせぬ攻撃。
フィネスの流れるような連続剣とまではいかないものの、攻撃は幾重にも重ねられていく。
「くっ」
同じ軌道の袈裟の二連撃を、フィネスはなんとか受け切る。
重い攻撃に腰が沈んでしまったところへ、アリアドネは足払いを放つ。
相手をよく見た一撃だった。
フィネスはそれをかろうじて跳躍して躱す。
「たぁぁ――!」
逃すまいと、さらにアリアドネの攻撃は続く。
斬り上げと、逃れたところへ鋭い突き。
「きゃっ」
斬り上げを打ち払ったものの、そこで完全に体勢を崩してしまい、右肩を突かれてフィネスが地に背をついた。
おおぉぉ、と観客席がざわめいた。
最強と謳われた『剣姫フィネス』のダウンである。
「……1,2……」
ダウンカウントが始まるや、フィネスが制服についた土埃を払い、すぐに立ち上がる。
「大丈夫? いけそうですか」
「はい、問題ありません」
フィネスが審判役の教師に告げる。
フィネスは痺れてしまった右手を気づかれぬよう、剣を両手で持ちながらアリアドネに向き合う。
「二刀にすると、パッシブスキルが働くから」
フィネスの怪訝そうな顔を見てか、アリアドネがそう付け加えた。
「今まで、どうして両手に持たなかったのですか」
「その必要がなかった」
「でもその方が強いのなら」
「これは本当はズルなの。私が望んだものではないから」
アリアドネは俯くようにして言った。
「ズル?」
「そう」
戦の神の本神殿にある大経典によれば、『戦の神ヴィネガー』は聖女を遣わした際、信仰深い信徒の一人にこう伝えたとされている。
――遣わせし戦の神の聖女、力強き双剣の使い手となりて魔を討ち滅ぼすであろう――と。
確かにアリアドネはエドガー率いる勇者パーティに入った当初から双剣を使える能力を持っていた。
が、使わなかった。
本人の口から告げられた通り、2つもの凶器を握ることを嫌悪したからである。
だから当時の彼女はその左手に剣ではなく、盾を選んだ。
使わない以上はスキルツリーも伸びない。
それゆえ、彼女の双剣は封印されたも同然のはずであった。
しかし、その後の彼女の身に起きた出来事が、全てを変える。
彼女に憑依した大悪魔、アシュタルテは違ったのである。
戦の神ヴィネガーが授けた強力な力を我がものとし、あまたの天使たちをその双剣で殺戮した。
魔界に棲まう魔神として魔王に従い、なんの躊躇いもなく彼女のスキルツリーを伸ばし続けたのだ。
そのように黒く染まったスキルツリーは、恐ろしいまでに成長していた。
凶の形で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます