第176話 連合学園祭2-17

「……おのれっ!」


 そのまさかだった。

 なんと相手の男は、ヴェネットの頭の上に悠々と立っていたのである。


「こ、このっ! あだっ!?」


 そのまま木剣を振り上げようとしたヴェネットの眉間に、踵打ちが入る。


 ヴェネットは例によって額を押さえて仰け反り、涙目になった。

 ふわりと着地したサクヤは木刀を持ったまま、腕を組む。


「おおぉぉぉ――!?」


「サクヤ強ぇぇ!」


 巻き起こる大歓声。


「ら……ラモチャー様……」


 フユナは木剣を落としていた。


「その自惚れをなんとかした方がいい」


 サクヤは腕を組んだまま、静かに言う。


「――このっ! 絶対殺す!」


 ヴェネットが剣を構える。


(違う。こいつは絶対に違う――!)


 ヴェネットはどうしても認められなかった。


 絶対にあいつじゃない。

 自分をはるかに上回る力量の持ち主が、こんな若さのはずがないのだ。


 なぜなら、自分は天才だから。

 この歳で自分を大きく上回る存在など、いてはならないのだ。


「喰らえぇぇ――!」


 ヴェネットが木剣を片手に、宙へと舞い上がる。


「――あれは!?」


 フィネスとカルディエがはっとする。

 この予備動作を要する技は、ひとつしかない。


「馬鹿、やめろヴェネット!」


 フユナが叫ぶ。

 ヴェネットは破門されている。


 当然、この奥義を使うことは金輪際許されていない。


 もしこの禁止行為によって他人を殺傷したことが明らかになった場合、ヴェネットは道場によって長きにわたり、拘束されることになる。


 だがヴェネットは止まらない。


「死に腐れぇぇ――【蝶舞斬り】!」


 ヴェネットが三連撃の体勢に入る。

 その剣は、継承者であった頃と比しても、全く衰えていない。

 ヴェネットがひそかに磨き続けてきた証拠でもあった。


 しかしサクヤは受けに回らず、逆にヴェネットに向かって跳ぶ。


「――忘れたか」


 そして、木剣を一閃した。


「――【我流・蝶舞斬り返し】」


 カァァンという音とともに、ヴェネットの剣が中途でピタリと止められる。

 連撃が止められたのである。


「なっ!?」


 跳ね返されたヴェネットが、万歳したような格好のまま、目を瞠る。


「―――!」


 フィネスとカルディエが、ガタン、と音を立てて立ち上がる。


「うそ」


「あんな止め方が!?」


 二人は驚愕を隠せない。


 師匠のマリッサが伝道した蝶舞斬りには、たったひとつだけ急所があることをふたりは知っている。


 その一点を突くのが、継承者のみに与えられる直伝【秘技・蝶舞斬り返し】。


 だがサクヤはそれと全く異なる方法でそれを打ち破っていた。

 つまり、全てを知るはずのマリッサすらも知らぬ弱点を見抜き、それを突いてみせたのである。


 サクヤが追撃を見舞う。

 だがそれは必要最低限の、加減された一撃。


「わぁぁー!?」


 吹き飛ばされ、こてん、と尻餅をつくヴェネット。

 その手の木剣は、半ばから折れていた。


「おおぉ!?」


「ダウンだ!」


 第三学園の観客席から、大歓声が巻き起こる。


「1……」


「――す、滑っただけだ! やめろジジイ!」


 ダウンを見てとり、カウントを始めた教師を睨み、ヴェネットがすぐに立ち上がる。


「くっ……」


 しかしその足が、じり、と後ずさる。

 畏怖し始めたヴェネットには、サクヤが大きく見えたのである。


「――反省したか」


「う、うるさいっ」


「お前の剣は悪くない。足りないのは『謙虚さ』だ」


 話しながらサクヤの左手が、ゆらりと動く。


「偉そうに! お前いったい……はっ!?」


 ヴェネットが、ぎょっとする。


 胸の前でぴたりと止まった、サクヤの左手。

 そう、片合掌である。


「――お、お前、あの時の!?」


 その時であった。

 横からひとつの影が、ヴェネットに襲いかかった。


「くぅっ」


 気づいたヴェネットはとっさに折れたままの木剣を持ち上げ、その一撃を防ぐ。


 カン、という木剣が割れ散る音とともに、ヴェネットが飛び退った。


「――後は、あたしが相手をする」


 陽光を跳ね返す銀色の髪が、さらりと流れる。

 割り込んだのは、アリアドネであった。


 ヴェネットが横入りしてきた女をぎろり、と睨む。


「……何様だ、このアマァ!」


 だがアリアドネはその相手をしない。


「サクヤくん、この人は任せて」


「いけるか」


 訊ね返したサクヤに、アリアドネは頷いた。


「見ていた限りなら、負ける気がしない」


 その言葉に、ヴェネットがみるみる憤怒の形相に変わる。


「お前にまで舐められる筋合いはないんだよ! ぶっ殺すぞっ!」


 アリアドネが涼しげな表情のまま、ヴェネットに向き直る。


「できるものなら」


「――なんだとてめぇ!」


 アリアドネの挑発にヴェネットは目を尖らせ、敵意を剥き出しにする。


「ヴェネット、私からも頼む。私はサクヤと戦いたい」


 フユナがヴェネットの前に立ち、サクヤと向き合いながら言った。


「………ふん」


 ヴェネットが地面につばを吐き捨てた。

 折れた木剣をぽい、と捨て、今持っていたものよりやや短い木刀を取り出す。


「……まぁいいよ。ちょうどコイツの相手をしたくなったからさ」


 ヴェネットはアリアドネに木刀を突きつけながら答えた。


「舐めやがって……絶対にただじゃおかない」




 ◇◇◇




「さぁ、勝負といこう。昨年のあの時は、まさか敵同士で向き合うとは考えもしなかったが」


 フユナが驚きを隠せない表情のまま、サクヤの向かいに立つ。


「サクヤ、やはりお前が……」


「――フユナ」


 サクヤが呼び捨てにする。


「………!」


 フユナがはっとした。

 その声、その言い方に。


「思っている通りだ。悪いが説明は省く」


 木剣を下げたまま、サクヤが一歩、二歩と近づく。


「……ら……?」


 先程の勝ち気な様子から一転、フユナが後ずさる。

 木剣を持つ手が、どうしようもなく震え始めた。


「構えろ」


「あっ……あの……」


 フユナは頭が真っ白になっていた。

 その頬を、汗が流れる。


「構えろ。構えない女とは戦わない」


 そう言われて、フユナが思い出したように剣を持ち上げて、構える。


「いくぞ」


「――ひぁっ!?」


 強烈な衝撃。


 フユナが目を閉じて、言葉にならない悲鳴を上げた。

 大きく仰け反り、そのまま一歩、二歩と後ずさる。


 両手が一瞬で痺れ上がる。

 大槌で叩きつけられたような衝撃だった。


 これは折れた、と思った。


「えっ……」


 しかし、薄目でちらりと見たそれは、折れていない。


「目を逸らすな」


 そうやって目を瞠っている間にも、サクヤは剣を打ち込んでくる。


「ど、どこ!?」


 剣が全く追えない。


(よ、横薙ぎ!?)


 もはやただの勘だけで、そう判断せざるをえない。


 読めない上に、また鉄槌のような一撃が来ると思うと、膝が震えた。


(受けなければ――)


 フユナは今度はよろけまいと、剣に体重を載せ込むようにして受けようとする。


 幸いにもフユナの勘は当たり、たしかに横薙ぎの剣がやってきた。


「ひゃぁっ……!?」


 しかしフユナはまた悲鳴を上げていた。

 木剣はとん、と軽く合わせられただけの、フェイクだったのである。


「あっ……!?」


 フユナは載せた体重をどうすることもできず、前につんのめってしまう。

 ブロンドの髪が乱れ、揺れる。


「――こっちだ」


 そのちょうど髪で視界を遮られた右側面から、声がした。


「受けろ」


「――ぁんっ!?」


 顔を向けた途端、また鉄槌のような一撃。

 構えてもいない、持ち上げていただけの木剣に激烈な衝撃が走り、フユナは固く目を閉じたまま、もんどり打って倒れた。


「………」


 あまりの出来事に、しーん、と静まり返る闘技場内。

 なんと連戦連勝してきたフユナが、あっさりとダウンさせられたのである。


 しかも、あまりに一方的過ぎた。

 第一学園の観客席は、完全に無音になっていた。


「よっしゃあぁぁ――!」


「サクヤァァ――!」


 それと対照的に、第三学園の観客席が俄然盛り上がり始める。


「い、1……!」


 呆然としていた審判の教師が、我に返って駆け寄ると、ダウンカウントを始める。


「2,3……」


 進んでいくカウントにはっとしたフユナが、慌てて砂をほろい、立ち上がる。


「――な、なんで守ってばかりいやがる! お前が攻めろ、阿呆が!」


 第一学園の待機スペースから、イジンの罵声が響く。


 しかし、その罵声には語弊がある。


 今のフユナはそもそも、守れもしていないのである。


「では再戦!」


 審判が二人の戦いの継続を許可する。


「くっ……」


 立ち上がったフユナはしかし、何も見いだせていなかった。


(……剣が……見えない……)


 こうやられっぱなしになるなど、経験がなかった。


 そう、最強と呼ばれる剣の使い手フィネスが相手でも、こんな追い込まれ方は一度もなかったのだ。


(桁が違う……)


 今まで普通に相対してきたサクヤが、とてつもなく大きく見える。

 いつものように、心に余裕が全く保てない。


(こ、このままではダメだ……なんとかしないと)


 フユナは頬の汗を拭うと、切っ先が震える剣を握り直した。


「来ないなら、いくぞ」


 目の前に居たサクヤが、掻き消える。


「――えっ? ひゃぅっ!?」


 頭上から、再び振り下ろされる鉄槌。

 フユナは気づくのがやっとだった。


 ――せ、攻める暇を、もらえない――。


 カァァン、という木剣の音とともに、フユナの手から木剣が抜け落ちそうになる。

 先程からの連撃で、彼女の両手は握力を失い、使い物にならなくなっていたのである。


 脚にも力が入らず、よろけて後ろ向きに倒れかけた。


「――やり過ぎたか」


「……えっ」


 倒れかけたその背中を、サクヤが手を伸ばしてそっと支える。


 さらにフユナの木剣の柄頭を自身の木剣でコン、と叩き上げ、抜け落ちて半ばを握っていたフユナの持ち位置を直してみせた。


「……あっ……」


 フユナがそれに気づいて、瞬きをする。


「立っていられるか」


 サクヤが木剣を合わせているふりをしながら、そっと囁く。


「………」


 だがフユナはやはり脚に力が入らず、そのまま地面にぺたん、と座り込んだ。


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