第173話 連合学園祭2-14



 突然『バトルアトランダム』の進行が止まり、ざわついていた闘技場。


〈現在、第三学園の中堅が急遽棄権したため、措置を検討中です。しばらくお待ちください〉


 発せられた全体アナウンスに、闘技場はさらにどよめきに包まれた。


 それはVIP席でも同様であった。


「……棄権?」


「そのようですな」


 目を閉じたまま前を向いているフローレンス王女の隣で、ヘルデンが頷く。


「第三学園はこれで4つのペアが破られているはずですから……」


 ヘルデンの言葉に、フローレンスの整った顔が小さく歪む。


「ヘルデン、ではこれで終わってしまうのか?」


「残念ながら、そうかもしれませぬな」


「………」


 突然のことに、フローレンスは言葉を発せられなくなる。


「いやー、せっかくご徒労いただいたのに盛り上がりに欠けてしまいまして、申し訳ございません」


 イザイが、二人に謝罪した。

 内容の重さを知らないだけに、その言い方は軽い。


「いえいえ、しかたありませんよ」


 ヘルデンは気さくな笑みを浮かべて返すが、フローレンスは相変わらず笑うことができない。


 そう簡単に見つかるとは思っていなかったが、期待していなかったといえば嘘になるくらいに、フローレンスは今日という日に希望を抱いていた。


 彼女はその小さな両肩に、傾いた国を背負っている。

 国民という名の老若男女が、貧困に喘ぎながら日々を暮らしているのである。


 一日でも早く、と気持ちが急ぐのは当然であった。


「ふむ」


 国王エイドリアンが、Mを斜めにするようにして、アッシュグレーの髪の少女の横顔を盗み見ていた。

 隣にいたため、その悲哀に満ちた表情と空気を、じかに感じ取っていたのである。


 ――もはや、仕方あるまい。


 エイドリアン=ブラム=ル=ホンデラス八世は決意した。


「むぉぉー」


 エイドリアンは国王らしく、マントを掴みながら威厳を持って立ち上がった。


「おお!?」


 同席していた皆が、驚きの視線を向ける。


 巨体の国王が立ち上がると、それはまさに伝説の神鬼たる、仁王を彷彿とさせるものであった。


(何か言う)


(――なにか仰る)


 周りはそう確信した。

 皆が固唾を呑んで、その言葉を待つ。


 そして、国王エイドリアンは厳かに告げる。


「……イザイ、なんとかせよ」


 丸投げしていた。


「いや、俺神様かよ」


 投げられたイザイも反発する。


「でもイザイ様、これはたぶん……来ますよ」


「あ、やっぱそう思う?」


 秘書の老女モーガンとイザイが顔を見合わせる。

 そう言っている間にも、ダダダ、と背後にある階段を駆け上ってくる音がした。


「イザイ様、ほあっ!?」


 イザイが振り返ると、三人の男たちがVIP席の入り口に、息を切らして立っていた。


 三人は居るとは思っていなかった国王エイドリアン――しかもなぜか一人だけ立っている――を見て、石像のように直立不動になった。


「こ、国王陛下! 御前失礼いたします! 此度はお日柄もよく――」


「よいよい、急ぐのであろう」


 エイドリアンは片手を上げ、時候の挨拶を述べようとする三人を制した。


 こういう時だけ、エイドリアンが見事な威厳を保ってみせるのを見て、イザイが半眼になる。


「はっ! ありがとうございます! あの、イザイ様!」


 三人は顔を上げて立ち上がると、国王から学園長イザイへと視線を移した。

 モーガンの予想通り、連合学園祭開催委員会を務める男たちがやって来ていた。


「どしたの」


「先程のアナウンスの件でご相談が」


 聞けば、イザイ抜きでほぼ話はまとまっており、最後にイザイの承認を得れば終わりのところまで来ているという。


「そりゃよかった。で、どういう話になったの」


「ええ、今回は開始後の申告ですので」


 優勝はこの時点で第一学園に決定し、連合学園祭を終了することになりそうです、と委員長の男が告げた。


「……えっ、第三はそれでいいの」


 イザイが驚いて問い返す。

 さすがにそれはかわいそうかもな、とイザイは思っていた。


 体調不良で参加者が欠場すること自体は、過去になかったわけではない。

 そういう場合は代理を立て、できない場合は一度参加した者であっても、もう一度参加させて頭数を合わせてきた。


 だが今まではすべて、開催前に欠場が決まり、段取りを調整することができていた。

 今回のように開催してからの突然の欠場は例がなく、このような流れが提案されてしまったのかもしれない。


「ドラミマン様は非は我々にありますので、と」


 委員長の男は頷いた。

 一度聞いたら忘れなさそうなこの名、ドラミマンとは第三学園の学園長を指している。


「というわけでございますので、ご承認頂けますでしょうか」


「うーん」


 イザイが腕を組み、眉間にシワを寄せて思案する。

 確かに彼らの決定は、歩んできた連合学園祭の歴史を重んじたものではある。


 今後同じようなことがあった場合には、将来参考にされるくらいには問題のない決定だ。


(でもな、その決定通りだと……)


 イザイが王女フローレンスの顔をちらりと見る。

 その顔は、痛々しいほどに青ざめていた。


「うーん、どうすっかな……」


 お二人、わざわざ来てくださったのに、全然試合見れてないんだよな。


 うちの国境警備隊のせいで到着が遅れたのもあるしな……。


 つーか、なんでこんな国交に関わってきそうな事案を俺が決めなきゃならんのだよ。


 隣にMいるだろ。


 そんなふうにイザイが悩み果てていた時。


「……ん?」


「なにか聞こえますな」


 フローレンス王女とヘルデンが、座ったまま体を前傾させる。

 向かい側の観客席の一部から、まとまった声が上がり始めていたのである。


 二人に倣うように、VIP席にいた皆が耳を澄ます。


 ……、……ヤ、……ヤ……!


 フローレンス王女が突然、がたっと立ち上がった。

 彼女はエルフであり、人間よりも聴覚が優れている。


「……さ、サクヤだ……」


「は?」


 イザイがはて、という顔をする。

 その名が頭になかったイザイは、突然言われても誰のことかわからなかった。


「サクヤと連呼している……!」


 一方、フローレンスの声は震え上がっていた。


「なんですと?」


 ヘルデンが眉をぴくり、と動かした。


「ヘルデン!」


 振り返ったフローレンスは動揺を隠せなくなっている。


「わかっております」


 頷いたヘルデンが立ち上がると、向かい側の観客席を指差した。


「あそこはどの学園でございますかな」


「第三学園の席になります」


 秘書モーガンが恭しい様子で答える。


「ではサクヤという者は、第三学園の?」


 ヘルデンの言葉に、モーガンは頷いた。


「私の記憶が正しければ、昨年、第三学園を優勝に導いた生徒のことでございましょう」


 今年は『バトルアトランダム』に出ていなかったようですから、ここにきて皆から期待されているのかもしれませんねぇ、とモーガンは目を細めて笑いながら付け加えた。


「ではこれから、サクヤ殿が出てくると……!?」


 フローレンスが、言葉を割り込ませる。


「もし学園祭が続くなら、そうかとは存じますが……」


 イザイをちらりと見て、困った表情を浮かべるモーガン。


 しかしそんなことはフローレンスには見えない。

 彼女は言葉だけで判断して、一気にその表情を、ぱぁぁ、と明るくさせた。


(……姫……)


 その喜びように、ヘルデンは言葉が出なくなる。


 王女がこれほどまでに歓喜に満ちた表情を浮かべたのは、いったい何年ぶりか。


 それほどに、フローレンスは日々笑うことがなかった。

 傾いた国を単身で支え、長い年月を苦しみ抜いてきたのである。


「――イザイ殿」


「はわ?」


「このヘルデン、たっての願いでございます!」


 ヘルデンはイザイを前にして、土下座していた。


「どうか試合が続くようにしては頂けませぬか!」


「……へ? いやいや! ちょと! 頭を上げてください!?」


 イザイが突然の事態に慌てふためいた。


「イザイ殿なら可能なのでございましょう! どうかお願いいたす!」


「へ、ヘルデンさん、あの」


 頭を上げようとしないヘルデンを見て、イザイが困り果てる。


 他国とはいえ、ヘルデンはレイシーヴァ王国の近衛騎士隊長である。

 王女フローレンスの信頼は厚く、いわば、超のつくほどの高級官僚。


 学園長とは到底比較にならない位にある男なのだ。


「お願いします」


 そうしている間にも、なんとフローレンス王女までもが頭を下げていた。


「ま、ままままま、待って下さい!?」


 そこへ見かねた国王が割り込む。


「イザイ、続けられるようにせよと言っておるであろう!」


「いや、いつ言ったかなそれ!」


 イザイのこめかみにぴきっと青筋が立つ。

 ――このM字ハゲがァァ!


「ア?」


 しかしちょうどその時、幸いにもイザイの頭にぽっと名案が浮かんだ。

 イザイがフローレンスとヘルデンの頭を上げさせる。


「ヘルデンさん、全体の勝ち負けはともかく、試合をもう少しご覧になりたいということでいいんですか?」


「仰る通り」


「ならば」


 イザイは髪を掻き上げると、委員長の男に目を向け直し、口を開く。


「……優勝は第一に決めてしまおう。だけど本来は第三学園はもうひとつペアがあるわけだから、残る戦いを『エキシビジョンマッチ』として行ったらどうだろう」


「……おお、なるほど」


「さすがはイザイ様」


 委員会の男たちが手を叩いてその名案を称賛する。


『エキシビジョンマッチ』。

 これはつまり、勝敗が学園の成績に関係ないただ見世物として行う試合を指している。


 こうすれば、このまま終わるより、生徒たちの不満も多少は解消されるに違いない。

 おまけに優勝は第一学園に確定しているので、学園にもイザイにも全く不都合はない。


「これならいかがでしょう。王女様、ヘルデン様。もう少々試合をお楽しみ頂けますよ」


 そう、フローレンス王女たちは、優勝がどの学園にもたらされるかなどはどうでもいいのだ。

 ただ、試合をもう少し見たいだけ。


 ならば、エキシビジョンマッチ以上に好都合な展開はない。


「――心より感謝申し上げる!」


 ひれ伏さんとするヘルデンの横で、フローレンス王女もありがとう、と嬉しそうに小声で言い、気品に満ちた礼をしてみせた。


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