第172話 連合学園祭2-13


 イジンがトイレに立ったために、第一学園の待機スペースはひっそりとしている。


「しかし第三はあのお二人が副将だったのですね。宣誓もしましたし、てっきり大将かと」


 椅子に腰掛けたフィネスは、顔を傾け、黒髪に呼吸させるように両手の指を櫛にしながら言った。


 例年、主将を務める者が大将になるのが暗黙のルールであった。

 だがそうしろというルールは存在しない。


 それだけにフィネスの胸の中では淡い期待があった。

 もしかしたら……。


「フィネス様。お考えが丸見えですわ」


 カルディエが素脚を組み、膝上のスカートの裾を直しながら、ため息をつく。


「先ほど見た感じだと、魔術師のペアがまだ出ていませんわ。サクヤ様ではありませんわよ」


「そうでしたか……」


 フィネスの声が沈む。

 確かに言われてみれば、開会式でそんな人たちを目にした気がする。


「もう副将戦も終わりますわね。今年の勝ちはフユナたちのおかげで安泰ですわ」


「……ええ……そうですね」


 フィネスは小さくため息をつくと、スカートから出た自分の膝を眺める。


 最後の望みも絶たれた。

 結局、ここでサクヤ様とは会話もできないまま終わる。


 フィネスが思い描いていた、天空庭園でのデートもただの空想に終わってしまう。


「………」


 ずっと足元ばかり眺めてしまう。

 待ち望んでいただけに、落胆も大きなものであった。




 ◇◇◇




「そんな低い魔力じゃ眠りたくても眠れないって。アハハハ!」


 今までのうっぷんを晴らすかのように、ヴェネットがスシャーナを煽り立てる。


 スシャーナが無言のまま、唇を噛んだ。

 ゲ=リが倒れた今、戦いは二対一になっている。


「さっきまでの勢いはどうしちゃったのかしらん? ねぇ、ねぇねぇ?」


「やめろ」


 戦いもせずに、ひたすら煽り続けるヴェネットをフユナが止めるが、ヴェネットはきっとフユナを睨み返した。


「……止めないで、お姉様。こいつにはさっき、恥をかかされたの見たでしょ」


 ヴェネットは開始早々のダウンを、まだ根に持っていた。

 つかつかとスシャーナに近寄ろうとするヴェネットの後ろ手を、しかしフユナが掴んで下がらせる。


「――お姉様!」


 ヴェネットが癇癪を起こす。


「やり返すことばかり考えるのはやめろ」


 フユナはそれを制し、ヴェネットの前に出て口を開く。


「スシャーナとやら。もう勝負は決まったようなものだ。わかってくれるな?」


「………」


 スシャーナはただ、フユナを睨みつけている。


「だが終わる前に少し私と話をしよう」


「……話?」


「第三の大将はまだ出ていないあの魔術師の二人ということか?」


 失礼を承知でいうと、先程の顔合わせでそれほどの手練には見えなかったのだが、とフユナは付け加えた。


「………」


「スシャーナ」


 フユナがもう一度訊ねる。


「……違うわ」


 スシャーナは観念したのか、ゆっくりと口を開いた。


「……本当は大将はあたしたち二人だった。中堅の二人が具合が悪くなって棄権したから」


「はぁー?」


 ヴェネットが耳に手を当てて聞き返す。


「じゃあこの後はいないということか?」


 フユナの言葉にスシャーナは頷いた。


「居たとしても、鍛練もしていないただの生徒になるわ」


「………」


 フユナが木剣を持ったまま、腕を組んだ。


「……なるほど。ではこうしよう。これから私がもう一度、一人でスシャーナと戦おう」


「え?」


 スシャーナが目を瞬かせる。


「さっきまでのように立ち回りで勝ち負けを決める戦いではない。真っ向からの実力勝負だ」


 スシャーナをまっすぐに見つめるフユナ。

 そんなフユナを、スシャーナは怪訝そうな目で見返す。


「どういう風の吹き回しよ」


「代わりに呑んでほしい条件がある」


「……条件?」


 スシャーナが眉をひそめた。


「私が勝ったら、大将にサクヤを出すように、君から頼んで欲しい」


「……さ、サクヤンを?」


 予想もしていなかった言葉に、スシャーナが耳を疑った。

 その言葉を聞いて、ヴェネットがくすくすと笑い出した。


「お姉様、なにこだわってるのよ。そもそも無理よぉ。そいつは『魔物討伐戦』に出てるって言うじゃないの」


「そうと決まったわけではない」


 フユナはスシャーナを見つめたまま、言葉を続けた。


「対する第一学園側がそれを許可すればいいだけのことだ。過去にも例はある。だが、それには願い出てもらわなければ始まらない」


「………」


 スシャーナが動揺を隠せない。


 信じられなかったのだ。

 目の前の女はそこまでして、サクヤと会おうとしていることに。


「あのイジンがOKを出すはずないじゃん」


「決定権を持つのはイジンなんかじゃない。イザイ様だ」


「……お、お父様が?」


 ヴェネットが驚く。


「そうだ。許可が降りた場合は誰でも補充として入ることができるだろう。たとえ戦ったばかりの君でも」


 フユナは右手でスシャーナを指す。


 フユナの言う通り、確かに過去に例はあった。

 学園祭に出場する生徒を増やすために両方の参加を禁止としたのは、五年前からのことである。


 それでも一昨年には第二学園において体調不良となった生徒の代わりに、魔物討伐戦に出場した生徒が代理として大将を務めていた。


「………」


 スシャーナが言葉を失っている。


「イザイ様へは私たちからもお願いしてみる。どうだ、スシャーナ」


「………」


 スシャーナは再びフユナを睨む。


「……そもそも、あたしが勝ったらどうするの」


「さっきの返事を聞かせた上で、そのまま私は退場しよう。もちろんその後はヴェネットと戦ってもらうが」


「………」


 フユナの言葉を聞いて、スシャーナが思案し始める。

 スシャーナにとっても、これは悪くない話だった。


 こんな立ち回りの差で勝ち負けを決められるのは本意ではない。

 ここまで来た以上、正々堂々と戦い、フユナとの優劣をきちんとつけたいのだ。


「君たち、会話ばかりではいけないよ。そろそろ戦いなさい」


 近くで見ていた審判の教師が、動かぬ三人を見かねて声をかけてくる。

 フユナは済みません、と詫び、スシャーナと距離をとって武器を構えた。


「……随分とこいつらに好都合過ぎるじゃない。お姉様、そんなにサクヤとやらと戦いたいの?」


 フユナの隣に立ったヴェネットが、薄笑いを浮かべながらささやいた。


「ヴェネット、お前だって棄権したままの第三学園を破っても、つまらないんじゃないのか」


 フユナは本心を隠し、ていのよい理由を述べてみせた。


「……それはまぁ、確かにその通りだけど……」


 それに関してはヴェネットも即座に同意する。

 思った通りの反応を確認したフユナが、そのまま視線をスシャーナに戻す。


「どうだ、スシャーナ」


「……よく言うわね。本心は違うくせに」


 スシャーナが目を細めて笑った。

 そしてフユナの顔を指差す。


「どうしてそんなにサクヤンにこだわるのよ。……強いから? ……いえ、違うわね。ただ会いたいんだわ」


「………」


 フユナが押し黙る。


「でもその条件でいいわ。大間違いをひとつ教えてあげる。あたしを負かせると思っているみたいだから」


「では条件をのむと言うことでいいな?」


「もちろんよ」


 フユナがここで初めて、笑みを浮かべた。




 ◇◇◇




「……うぅ……」


「1、2……」


 ダウンカウントが始まる。


「バカねぇ。お姉様はね、層の厚いうちの道場で頂に近いところに居る人なのよぉ? お嬢ちゃんとは実戦の量がぜんっぜん違うの」


 スシャーナの前にやってきたヴェネットが、身体をくの字にして笑っている。


「……うぅ」


 スシャーナはうつ伏せのまま、顔だけを上げ、フユナを睨んだ。

 その目は、潤んでいた。


 単にさばかれたと思っていたのに。

 全力を出し切った戦いでも、ここまでボロボロに負けるなんて……。


「予想以上の強さだった。二度と名は忘れないぞ、スシャーナ」


 フユナは、そんなスシャーナを見下ろしながら言った。


「……負けたく……ない……!」


 頬に砂をつけたまま、両肘を立て、スシャーナは必死で立ち上がろうとする。


 負けるわけにはいかなかった。

 負けたら、縁日に行けない。


 いや、もはやそれどころではない。


 負けたら、フユナ先輩との約束も成さなければならない。

 自分は最愛の人をフユナ先輩に逢わせるだけの傀儡に成り果てるのだ。


「いや……嫌……!」


 狂おしいほどに嫌だった。

 だが足腰には力が入らず、震えるばかり。


 癒やしの力を行使しようとすると、ダウン中でも背を打たれて詠唱を中断させられてしまう。


 審判の教師がその行為を許可したため、治癒を行うことができない。


「もう寝ていろ。これ以上は怪我をする」


 フユナ先輩が優しく声をかけてくる。

 スシャーナは、それがいっそう腹立たしくてならなかった。


「どうして……!」


 喉が熱くなって、涙が一気に溢れた。

 どうして自分は、フユナ先輩に勝てないの。


「負けたくないぃ――!」


 スシャーナは叫びながら、杖を支えにしてなんとか立とうとする。

 しかし膝が持ち上がらないまま、カウントは10を数えた。




 ◇◇◇




 カウント10を確認した時点で、フユナが予想していた通りの事態となった。

 審判によりタイムがかけられ、フユナたちはいったん第一学園の待機スペースに戻るよう指示された。


 審判は生徒たちの不正行為や緊急事態を確認した際に、『バトルアトランダム』の進行を止めることができるのだ。


「一体どうした」


 エントランスまでやってきた監督のイジンが、訳がわからないといった顔で、戻ってきた二人に訊ねた。


「さっぱりでーす」


「ただ、戻れと言われました」


 事情を知っていたフユナとヴェネットもわからないふりをして、その横を素通りした。


 二人に限らず、第一学園の生徒はイジンの顔すら見たくないと思っている者が大多数である。

 わざわざ会話するという面倒ごとを望む者などいるはずもない。


 フユナはフィネスたちが座る長椅子に腰を下ろし、ふぅ、と息を吐く。


「お疲れ様ですわね」


「一対一までしたみたいですけど、なにかあったのですか」


 カルディエとフィネスがフユナに声をかける。


「……ここだけの話だが」


 フィネスに差し出された水を受け取りながら、フユナが小声で囁く。


「第三学園の正規のペアがひとつ、参加できなくなっているらしい」


 フィネスとカルディエが真顔になった。


「ではもしかして」


「そう、今、我々が破ったのが大将だ。これで終わりになるかもしれない」


 委員会が今後を考えているところだろう、とフユナは付け加えた。


「そうなのですか……」


 フィネスは視線を逸らし、俯いていた。

 そうなればサクヤとは出逢えなかった上に、自分の夢も完全に藻屑と消える。


「上がどう考えるか、ですわね」


「そうですね……」


 フィネスたちは自然と、学園長が座るVIP席の方を見上げる。


「ちょっと開催委員会に顔を出してくる」


 フユナはそう言って、席を立った。


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