第149話 えっ? えっ!?
「終わった~」
最後にモップがけをして、教室はぴかぴかになった。
気合い入れて掃除したから、明日、みんな驚くだろうな。
「僕が返してくるから」
「ありがとうサクヤ」
「悪いね。じゃあお先~」
いつものように後片付け係を拝受し、僕は掃除用具を用務員室へと返しに行く。
教室に置いておけば、用務員さんが取りに来てはくれるんだけど。
モップにホウキ、チリトリと色々抱えて歩く。
今日は筋なが雲の多い青空だ。
放課後のグラウンドに近づくと、いつものように威勢のいい声が聞こえてきた。
「おっ、今のはいい太刀筋だ」
「合格できるかもねー」
「マジ出たいなぁ。大将とか副将じゃなくていいから」
横切ったグラウンドでは、上級生たちが意気揚々と木製の武器を打ち合わせている。
彼らは連合学園祭にむけて、いち早く練習に励んでいるのだった。
昨年のこの時期では、こんな風景はなかった。
そのモチベーションはどこから来るのかなんて、言うまでもない。
「フユナがいなくなったから、僕たちでなんとかしないとな」
「俺は去年の連合学園祭の翌日からずっと鍛えてきた。なぁに、大将は俺が務めてやるぜ」
「いや、大将は俺だよ。俺が全員薙ぎ倒してやる」
近くに腰かけて休憩している先輩たちの話す声が耳に届く。
随所から、出たい、出たいの声が響いてくる。
そう、みんな、前回のフユナ先輩の熱いごぼう抜きが忘れられずにいる。
今年は連覇を成し遂げようと、皆が意気込んでいるのだ。
「参加したいよなぁ……」
通りすがる先輩たちが口を揃えて同じことを言っているのを聞いて、僕は再び空を見上げていた。
彼らにとっては、学生時代の一番の思い出になるだろうしね。
「お、わざわざ済まんね。サクヤくん」
「ありがとうございました」
用務員室についた僕は、用務員さんに掃除用具を返す。
軽く談笑したのち、僕は直接寮の方に戻ろうと足を向けた。
必然的に、体育館裏を通って近道することになる。
いつだったっけ……以前こうやって歩いていたら、会ったよなぁ。
「……先輩、元気かなぁ」
アリザベール湿地で会っているので、日数としてはそれほど経過していないのだが、『時の旅』に入ったせいで、僕には随分と昔のように感じられる。
「サクヤ」
僕は緑の香りを胸一杯に吸い込んだ。
今年は敵になるのか。
フユナ先輩は誰とペアを組んで第一学園として立ちはだかるのだろう。
「そういや、黒服連れてたあいつは停学解けたんかな」
さすがに一年もの長期の停学になれば、改心してまともになったかな。
「おい、サクヤ」
そんなことを考えていたので、声をかけられていたことに気づかなかった。
【第六感】も【第七感】も伸ばしたのに、ボケっとしているとなんの役にも立たないんだな。
「……ん?」
そちらを振り向く。
そこには、見目麗しい女性が立っていた。
「おお」
思い描いていたまさにその人、フユナ先輩だった。
ところどころに黄色があしらわれた第一学園の制服を着ているのが新鮮だった。
しかも夏服なので、白の半袖から伸びる二の腕と赤いチェックのスカートから伸びる脚が眩しい。
「久しぶり、というべきかな」
「フユナ先輩、どうしたんですか」
なにか思わせ振りな言い方に気づかなかったふりをして、僕は駆け寄り、訊ねる。
「お前にどうしても訊ねたいことがあってな」
そういうフユナ先輩はいつにも増して、ニコリともしない。
「訊ねたいこと? それでわざわざここに?」
遠路はるばる、とまでは言わないが、第一学園とは相応に離れている。
しかも平時の街中では、大部分の通路で馬乗りが制限されている。
「そうだ。訊ねに来た」
「……お仕事は大丈夫なんですか」
「休暇中だ。心配には及ばない」
相変わらずの硬い話し方だ。
しかも、いつもなら笑みを浮かべてくれるところだと思ったが、今日はその顔を強張らせたまま。
「お元気そうでなによりです」
「挨拶はこれくらいにして、さっそく本題に入りたいのだが」
フユナ先輩がいつになく真剣な表情で、僕を見た。
◇◇◇
「挨拶はこれくらいにして、さっそく本題に入りたいのだが」
感情が高ぶって、フユナは自分の脚が小刻みに震えているのに気づいていた。
当然だった。
ずっと追い求めていたラモチャーの正体が、今まさに明らかになるかもしれないのである。
もしラモチャー様に逢えたら、言おうと思っていたことが二つあった。
ひとつはもちろん、ヴェネットの件のお礼。
そしてもうひとつは……。
「………」
胸がどくん、どくん、と高鳴る。
頬が紅潮してくるのを止めることができない。
絶対に言おうと思っていた。
――自分ともキスしてほしい、と。
ファーストキスは、愛しのラモチャー様と。
あのお方を、フィネスに渡すわけにはいかないのだ。
「……フユナ先輩?」
「な、なんだ」
サクヤがきょとんとした顔で、自分を見ている。
「本題て?」
「ああ。あのな、サクヤ……」
胸が早鐘のように鳴っている。
「はい」
「お前が……」
フユナは右手で胸を押さえた。
しっかりして。
言うのだ、フユナ。
「はい」
「お前が……」
「はい」
「お前が……ラモチャー様なのか」
「はい」
「……え?」
……え? ……え!?
訊ねたフユナが、逆に耳を疑っていた。
こいつ、意外にあっさりと認めてきた!?
「……ほ、本当にか?」
フユナはそれだけを言うのが精一杯だった。
「最初からそう言ってるじゃないですか」
サクヤがにやりとする。
「………さ、最初から……?」
フユナが絶句する。
そのまま、一歩、二歩と後ずさった。
「……それで?」
笑みを浮かべたサクヤが、一歩踏み出して言う。
この時点で、イニシアチブはサクヤに握られていることに、フユナは気づかなかった。
「そ、それで……って?」
フユナがしどろもどろになる。
「僕になにか言いたいことでも?」
「そ、そうだ! ある……もちろん」
フユナは大袈裟なまでに何度も頷いた。
「なんでしょう」
「わ、私と……」
フユナの顔が真っ赤に染まる。
フユナは耐えられず、視線をサクヤから逸らした。
「私と?」
「――わ、私とキスしてほしい!」
フユナは叫ぶように言った。
気持ちが完全にテンパってしまい、伝えるべきこと1つ目はどこかに消えていた。
「いいですよ」
サクヤはまたもあっさりと了承した。
「……え!?」
え!? いいの!?
私と、ラモチャー様が、キス……?
そうやって動揺している間にも、二の腕をがしっ、とサクヤに掴まれる。
「――ひゃっ!?」
フユナはびくん、と震え、変な声が口から出ていた。
いいようのない恐怖が、フユナの心を一気に占拠し始める。
「では失礼します」
悪魔のような笑顔を浮かべたサクヤが、顔を近づけてくる。
「……えっ……」
ま、待って。
私と、こいつがキスを……?
いや、違う、サクヤじゃない、こいつは、このお方はラモチャー様なのだ……。
フユナは暴れだしそうになった身体を、全力で抑制する。
「……本当に、ラモチャー様……?」
「信じるのです」
「……は、はい……」
そう答えども、フユナの心を強烈な違和感が席巻していくのはどうしようもなかった。
「目を」
「……えっ」
「目を閉じなさい」
サクヤが、今度は牧師のように穏やかに言う。
「は、はい……」
迷う暇すら与えられず、進展していく流れ。
目を閉じると、一層胸がどくん、どくんと激しく跳ね始めた。
ちょ、ちょっと待て。
こ……こんなやつと私がキス……していいのか?
「…………」
心の中で、激しく警笛が鳴り始める。
一緒に過ごしてきた時間が長いフユナは、どうしてもサクヤとラモチャーが重ならないのである。
「……ほ、本当に……?」
フユナは耐えられぬ恐怖にうっすらと目を開けてしまう。
「………」
むー、と口を突き出したエロ顔サクヤが、目を閉じて近づいてきていた。
「………!」
その瞬間、フユナの疑心は確信に変わる。
「――このっ! お前は絶対にちがうぅ!!」
バキャッ!
「へぶっ!?」
高々と宙を舞うサクヤ。
それは縦に長い放物線を描いたのちに、ドシャァァ、と大地に落ちた。
「はぁっ、はぁっ……」
荒い息を吐いて、フユナが倒れ伏したサクヤを睨む。
当のサクヤはむきゅー……と言いながら、地でノビている。
「ラモチャー様は……ラモチャー様は、絶対にお前なんかじゃない!」
断じて違う。
名前も、剣の長さも、『
こんな下品で馬鹿な奴が、あんな魅力的で、カッコよくて、素敵な男性のはずがない。
ありえない。
そもそも、こいつの腕前は自分が一番よく知っている。
自分に並んでみせたことすら、一度もなかったのだ。
「貴様、私を騙してファーストキスを奪おうとしたな……!」
「むきゅー……」
フユナは顔を真っ赤にしたまま、身なりを正した。
「今のは気の迷いだ! 忘れろ!」
「はにゃー」
そう声を張り上げたフユナは、倒れたままのサクヤに背を向ける。
「だいたい私に敵わないくせに、偉大なラモチャー様の名を語るな! まず私を倒せるようになってから言え!」
「……わかり……まし……た……」
予想外にも、フユナの捨て台詞にサクヤが切れ切れながら返事をした。
「まったく……とんでもない無駄足だった!」
フユナはブロンドの髪を揺らしながら、苛立った様子で歩き去っていった。
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