第150話 成らない気遣い

 

「今のは気の迷いだ! 忘れろ!」


「はにゃー」


 そう声を張り上げたフユナは、倒れたままのサクヤに背を向ける。


「だいたい私に敵わないくせに、偉大なラモチャー様の名を語るな! まず私を倒せるようになってから言え!」


「……わかり……まし……た……」


 予想外にも、フユナの捨て台詞にサクヤが切れ切れながら返事をした。


「まったく……とんでもない無駄足だった!」


 フユナはブロンドの髪を揺らしながら、苛立った様子で歩き去っていった。




 ◇◇◇





 フユナは早足で歩きながら、乱れていたブロンドの髪をしきりに手ぐしで直していた。


「………」


 手を頬に添える。

 まだ熱くなったままだった。


 なぜあんな奴に、ラモチャー様を重ねたのだろう。

 我ながら、ことラモチャー様となると気の迷いが多くて恥ずかしくなる。


 もはや自分は王族護衛特殊兵ロイヤルガードなのだから、もっと心を律せねば。


「でもそうなると誰なのか……」


 フユナは踏み出されるローファーの爪先を見るようにしながら、考える。

 あの状況で制服を着て現れて、ヴェネットから私を守って――。

「……えっ……?」


 その時、ふいにフユナの脚が、ぴたりと止まった。


「……ヴェネット?」


 フユナは瞬きを忘れていた。


 聞き間違い、だろうか。

 いや、この耳がはっきりと覚えている。


 あいつはこう言わなかったか。



 ――そういや、黒服連れてたあいつは停学解けたんかな――。



 耳がきーん、と鳴っていた。


「……なぜ……」


 目覚めたばかりでうつろだったが、あの時の言葉は覚えている。

 サクヤはあの時、水を汲んできたら、私が倒れていて……と言ったのだ。


 それが本当だとすると、話の辻褄が合わない。

 サクヤは黒服はおろか、ヴェネットのことすら知らないはずなのだ。


 それはつまり……。


「………」


 呼吸が浅く、速くなっている。


 浮き彫りにされた現実。


 ――サクヤは、なんらかの事情で嘘をついている。


「………」


 全身に鳥肌が立った。


 何らかの事情とはつまり、自分が考えているあの出来事なのではないのだろうか。


 そこでフユナはハッとした。


「……まさか」


 右手の人差指で、自分のくちびるに触れる。


「……さっきの……」


 フユナは硬直していた。


 なりかけておきながら、ならなかったキス。


 もしや、あれはわざと私を恥ずかしがらせるようにしたのではないだろうか。

 そして、成らないように気遣って……?


「……うそ……」


 だがそう考えると、やけにしっくりくる気がした。

 あの行動が、紳士的なものにも感じられ始める。


「ら、ラモチャー様!」


 すぐに駆け出した。


 やはりあいつが――!


 フユナは急ぎ、駆け戻る。


「――ラモ――!」


 フユナの声が途切れた。

 倒れていたはずのそこには、跡形すらもなかったからだ。


「……いない……」


 だがそれが逆に、フユナの考えの正しさを確証している気がした。

 フユナは髪を振り乱して、辺りを見回す。


「――サクヤ! やはりお前がラモチャー様なのだな!」


 フユナは誰もいない体育館裏で、声を張り上げる。

 だが、返事が来るはずもなかった。


「……サクヤ……」


 無念さが心に溢れ始める。


「……どうしよう……」


 フユナは唇をかんだ。

 自分はせっかくのチャンスをふいにしてしまった。


 今日の夜には仕事に戻らなければならない。

 次はいつ会いに来られるか、わからないというのに。


「……いや、落ち着くのだ」


 フユナは大きく息を吐いた。

 そして、もう一度ブロンドの髪に手ぐしを入れた。


「まだチャンスはある」


 そうだ。

 万が一ずっと会いに来れなかったとしても、遠からず、自分と確実に顔を合わせる場所がある。


『バトルアトランダム』だ。

 あいつなら、選ばれるはずだ。


(絶対に来てくれる)


 さっき、自分が「ラモチャー様の名は私を倒してから言え」と言ったら、あいつは『わかりました』と言ってくれた。


 それはつまり、『バトルアトランダム』に参加することが念頭にあったからに違いない。


「そこだ……」


 フユナは両手の拳を握りしめた。


 そこならちょうど、手合わせもすることができる。

 間違いなくこの手で、ラモチャー様であることを確認できるのだ。


 監督のイジンに、自分は全く望まない相手とペアで先鋒に命じられ、内心反発もあったが、こうなればそれはむしろ望むところである。


「ラモチャー様……」


 次は、絶対に伝えてみせる。


 そして……絶対に……。




 ◇◇◇




 強烈な日差しが肌をじりじりと焼いている。

 リラシスは気候が良くて夜は結構涼しいんだけど、初夏を越えると昼間はやっぱ暑いんだよね。


 二年生になって、はや3ヶ月以上が過ぎている。


 学園生活は順調だ。

 むしろ二年生になって座学が減ったぶん、日にちが経つのが早い気がする。


 その一方で実技の授業が増え、クエストによる20時までの外出が許可されたこともあって、プラチナクラスの生徒は【二等兵】を卒業し、冒険者ランクをすでに2つ上の【上等兵】まで上げている者が大半になった。


 一応、二年生ではこの【上等兵】が上限になっている。

 いくら成長したと言っても、冒険者の中ではまだまだひよっこだからね。


「――ちんたらするなっ! 整列もできん奴は参加させんぞっ!」


 木刀が石畳をカァァン、と打つ音が繰り返し響いている。


 今日は丸一日、ゴクドゥー先生の【近接総合実技】だ。

 地下ダンジョンに潜り、地下二階層の魔物を相手取るようになっている。


 階段を下がって2つ目の部屋までしか許可されていないけれど、コボルドが最弱で、パンサー、ウルフ、タイガー系の魔物が出没する。


 地下一階層のゴブリンと比べると、動きが速い上に、群れで攻撃してくる。

 パンサーの一種類には、毒を植えてくるものもいるから、皆のいい勉強になっている。


「おっと危ないよ」


「あ! ありがとうございます……」


 そういうわけで、付添のバイト兵士が助けてくれるシーンが増えている。

 けが人も出やすくなっているが、荒修行なだけにみんなの成長も一階層のころと比べると随分と早い。


「おつかれー」


「あーまじ疲れたぁー」


「早く夏休みカモン」


 教室に戻り、帰りのホームルームをして、今日の授業は終わりだ。


 あと二週間で夏休みということで、生徒たちは皆、学業に関しては少々うわの空になっている。

 実家に帰って、家族と一緒にゆっくりしたいんだろうな。


「さて、最後の報告ですが、今日の放課後から学園祭に向けてのパートナー形成が許可されます」


 ミニスカートのマチコ先生が教壇に立ち、付け加える。


 例年1ヶ月前から許可されていたパートナー形成だが、今年の生徒たちの異様な盛り上がりを受けて(先生の方が盛り上がっているという噂もある)、まだ3ヶ月近くも先だけれど急遽今日から解禁となった。


 ただし風紀の乱れも当然考慮されて、先生たちが交代で夜間の見回りを行うことになったそう。

 怪しい部屋はノックされて中を見られることもあるというから、みんな逆にそっちの方を警戒している。


 まぁ僕は関係ないけどね。

 僕のロビー、ノックする扉すらないから。


「決まっていない人は、夏休み前に口約束だけでもしておくといいですよー」


 もじもじしがちな生徒たちの背中を後押しするように、マチコ先生がウィンクしながら言う。


「………」


 教室内が静まり返る。

 生徒たちはこっそり意中の人に目を向けたり、あるいは見ないようにしていたりと、実に初々しいリアクションをしている。


 みんなやっぱ、若いなぁ。


 パートナーが恋愛対象となりやすくなるのは、誰もが認める事実だ。

 割合でいうと、男女ペアが8割になるんだそう。


 こう考えると、いい感じのカップリング行事だよ。


(さて、僕は……)


 ペアを作れないで困っている人とでも組むか、いや、そもそも組む必要すらないか。


 去年の学園祭はちょっとでしゃばりすぎた感がある。


 今年は勝ち負けより、若い人たちに楽しんでもらいたいなぁ。

 参加したい人はいっぱいいるみたいだし、元大人がスタメン入りしてる場合じゃないよな。


 そうだ、「魔物討伐戦」の方に参加して、一人でも多く「バトルアトランダム」に参加してもらうってのが、いいんじゃないか。


 チカラモチャー感、出てるっしょ。

 よし、決めた。


「じゃあ皆さん、また明日」


「先生さよなら~」


「さよなら~」


 立ち上がり、いそいそと我がホームたるロビーに帰ろうとした時。


「サクヤくん」


 ガヤガヤとした中に、涼しげな声が響く。


 見ると、銀色の髪をポニーテールにした人が、帰る生徒の間を縫うようにして、こちらにやってくる。


 アーリィだ。


「おつかれー」


「サクヤくん、学園祭の相手の人って決まった?」


「いや、まだだけど」


「よかった……」


 アーリィが見るからに安堵した笑顔を浮かべる。

 見せてもらえるだけで皆が幸せになりそうな、そんな清楚な笑顔だ。


「もしよかったら……」


 話の流れで、アーリィが言おうとしていることがなんとなくわかってしまった。

 ありがたい気持ちに僕は申し訳なくなり、肩をすくめた。


「あぁ。僕と組む必要はないよ」


 そう前置きして、僕は『バトルアトランダム』には参加しない旨を伝えた。

 しかしアーリィは微笑んだままだった。


「それでもいいの」


「え? いいの?」


 うん、と頷く。


「たぶん出ても、『魔物討伐戦』くらいだよ?」


「いいの」


「いいって……どうして?」


「………」


 アーリィが頬を染めて押し黙る。


「アーリィなら、『バトルアトランダム』の方でも活躍できるかもよ?」


「サクヤくんが出るなら……でも出ないなら……」


「……あ、そうなるの?」


「うん」


 そうなるの、と小首を傾げるようにして、にこっと笑うアーリィ。


 いや、ちょっと待て。

 甘すぎるだろ、その笑顔。


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