第148話 唖然

 


 がやがやとした食堂はいつも通りの風景。

 入っていくと、限定ランチ組がすでに中央部に着席し、嬉々として料理を口に運んでいるのが見えた。


「まいど。これおつりね」


 サクヤンは言っていた通り、焼き魚定食を頼んでいた。


「じゃあ、これの大盛でお願いします」


 続くアリアドネさんは迷うことなく、唐揚げ定食大盛を頼んでいた。


(……ここでそれ行く?)


 スシャーナは内心、鼻で笑っていた。


 なにこの大食い女。

 わかってないわね。


「じゃあ、あたしはサクヤンと同じにしようかな……」


 したり顔で、スシャーナは注文する。


 唐揚げとか、しかも大盛とか、男子MAXに引くわよ。

 こういう時は食べたいものがあっても、男子に倣うのが、勝つ女の秘訣。


 お婆ちゃんが言ってたもの。


「はい、どうぞ」


「あ、ありがと……」


 そんなことを考えていたら、アリアドネさんに水を注がれて渡されてしまった。


 食堂は一列に並んで、自分の頼んだ料理が出てくるのを待つことになる。


 もちろん、順番通りになど出てこない。

 モノによって前後するのは当たり前の常識。


 だからサクヤンと同じものを頼んでおけば、一緒に出てくるので、ひとりで待ちぼうけすることもない。

 それを知っていればこそ、時間のかかる揚げ物をここで頼むはずがないのだ。


「ふふ……」


 ――傑作すぎるわ。

 あたしが一体何年この学食に通っていると思ってるのかしら?


 あたしたちが仲睦まじく食べている中、せいぜい出てこない唐揚げを待ちわびて――。


「はい、唐揚げ定食おまち~」


「――ええぇ!?」


 ひとり、絶叫していた。


「どうしたのスシャーナ?」


 前に立っていたサクヤンが振り返って、あたしを驚きの目で見ている。


 な、なんてこと。

 前に並んでいた人が唐揚げを頼んでいたのね。


 オーダーが間に合って、一緒に作っていたんだわ。


 一年以上通ってるあたしとしたことが……!


「……大丈夫ですか?」


 唐揚げ定食大盛を手にしたアリアドネが、無垢な目で自分を見ていた。


「な、なんでもない……」


「そう? それじゃあ先に席をとってくるわ」


 そう言ってアリアドネさんが背を向ける。

 銀色のポニーテールを揺らしながら、席を探す。


 くっ……その動き、なんとも女らしいわ……。

 話し方もあたしがお婆ちゃんに習った通り、女の最善をついてるし……。


「焼き魚二つ、おまち」


 間もなくして、焼き魚定食が二つ出てきた。


(ま、まあいいわ)


 まだ勝負はこちらに分がある。


「おなかすいたねー、スシャーナ」


「う、うん……」


「あ、席、ありがとう」


 そう言って、サクヤンが四人がけの席に、先んじてひとり座る。


「………」


 そこでスシャーナは、アリアドネと目が合う。

 立っている女二人の間に、見えない火花が散った気がした。


「………」


 サクヤンの隣を奪い合うことになる覚悟はしていた。

 だからおかしくないように、サクヤンにぴったりくっついて歩いてきたのだ。


 しかし。


「……なっ」


 スシャーナが、我が目を疑う。

 なんとサクヤンが座った席の隣に、すでにハンカチと水が置かれていたのだ。


 スシャーナは卒倒しそうになった。


 な、なんという神手際。

 席を探しに行ったアリアドネさんが、サクヤンの座るだろう席を読んで、ハンカチと水を置いていたのだ。


 そして、自分に渡された水が的確に伏線になっている。


「これは私のですよ、あなた持ってるでしょう」という間違いのない証拠。


 しかし――。


「サクヤくんの隣、どうぞ」


 なんとアリアドネさんがすっと自分のハンカチと水をずらすと、サクヤンの隣を譲ってくれていた。


「えっ……」


 あたしは呆然と立ち尽くしていた。

 そんなこと……していいの?


 アリアドネさん、さっきからあたしと全く争う気がない……。


「座ったら? スシャーナ」


 などと思案していると、サクヤンが促してくれた。


 いけないいけない。

 塩を送られたくらいで、気を緩めてはいけないわ。


「じゃ、じゃあ」


 スシャーナは気を引き締め直しながらサクヤの隣に着席した。

 スシャーナとアリアドネは、制服の前が汚れないようにハンカチを膝の上に敷く。


「あーお腹すいた」


「うん。食べましょ」


 サクヤとアリアドネが自然なやりとりをしている横で、スシャーナはひとり深呼吸をする。


(よし、ここから)


 差をつける。


「ねぇ……」


 箸を動かしながら、隣からサクヤンに話を振ろうとした時。


「ここに置くわ」


「いいの?」


「うん」


「………!」


 ふたりのやり取りに、スシャーナが愕然とする。

 なんとアリアドネさんは、唐揚げのほとんどをサクヤンの皿に移し替えていた。


 そして、何も言わずにサクヤンの皿にあったブロッコリーふたつを自分の皿に移し変える。


 それを見たサクヤンが「いつもありがとー」と言う。


「………」


 スシャーナは言葉が出なかった。

 いきなり、とどめを刺されたような気分だった。


 ど、どうしてこの二人、こんなにわかり合ってるの……?

 サクヤンがブロッコリーを食べないことまで……。


「これ以上はお皿に載らないわ。サクヤくん、あーん」


 向かいのアリアドネが半立ちになり、胸の谷間を見せるようにして、唐揚げをサクヤの口に差し出した。


「お? はりはほー(ありがとー)」


「………」


 スシャーナの箸から、焼き魚の身がぽろりと落ちた。




 ◇◇◇




「はい。今日もお疲れ様。きちんと復習するんですよ~」


「はーい」


「ではまた明日。掃除当番の人はお願いね」


 全ての授業が終わり、放課後とあいなる。


 僕は掃除当番に当たっていた。

 普段はそれほど話さない男子と女子との三人だ。


 廊下から楽しげな声が響く中、僕たちはせっせと、そして黙々と教室の掃除をする。


「ねぇねぇ」


 竹箒で石床部分を掃いていると、雑巾を持った女子が微妙な笑いを浮かべてそばにやってきた。


「サクヤって、あの『スタイル抜群ちゃん』と付き合ってんの?」


「誰それ」


「アリアドネちゃん」


「いんや」


「でもいつもべったりじゃん?」


 僕は手を止めて、その女子に向き合う。


「弟さん以外は馴染みが僕しかいないんだ。それにアーリィと一緒にいるのは、お昼休みくらいだよ」


 事実、放課後は弟と過ごしているので、彼女が僕に会いに来ることはほとんどない。


「……アーリィ? なに、そう呼んでんの?」


 違うところに食いついた女子が、にやっとする。


「こっちのが呼びやすいから」


「ふーん。まぁいいけど。でもさぁ、ただの馴染みが、やってきたとたんに抱きつくはずがないじゃん」


 女子が意味深長な目で僕を見ている。

 あれから当然のように、僕たちは恋仲にあると皆から言われている。


 どこまでしたの、キス、それともそれ以上? などと何百回と訊ねられたが、彼女の名誉のためにも、そういうことは一切していませんと繰り返している。


 僕の中では、家族みたいなもんかな、ということで理解している。


 ひとりにしないで、って言ってたもんな。

 愛してなんて言わないとも言ってたし。


 それってつまり、家族ってことだよな。


「どうなのさ」


「家族みたいなもんだと思うよ」


「いや、絶対そうは思ってないよー、アリアドネちゃん」


 女子がニヤニヤしながら笑った。


「そうかなぁ」


 別に恋人同士がするような、イチャイチャする感じはないと思うんだけど。


 アーリィが僕にすることとすれば、せいぜい見つめてくることくらいだ。


 僕たちの席は転校初日のアレのせいで、先生に意図的に引き離されているけど、遠くに座っていても、授業中は常にアーリィからの視線を感じる。


 ん? と思ってアーリィを見ると、うつむく。

 そのくせ、数秒後には忘れたように僕を見ている。


 さらに彼女からの視線を強く感じる時がある。


 離れ際だ。


 実技の授業の前後は着替えの関係で必ず男女が別々になって移動するのだが、別れ際に寂しそうな顔で、ちら。

 教室に戻ってくると、嬉しそうな顔で、ちら。

 

 彼女を見返すと、例によって視線は逸らされる。


 たぶん家族認識だから、僕を見ていると安心するんだろう。


 僕に対してはせいぜい、それくらいなのだ。


「ねぇ、どうなの」


「それは本人に聞いてよ」


 面倒になった僕は、そう言って返答を避けた。


 なお、あの時から彼女の言葉はスムーズに出るようになっていて、今では普通に会話している。

 魔法でも治せなかったので心配していたが、とにかくよかった。


「うーん、本人はねぇ……」


 しかし僕の言葉に、女子は箒を止めて、ちょっと怯えたような顔をした。


「……なんか話しかけづらいんだよね……あの人」


「確かに、アーリィの纏う雰囲気は独特だね」


『戦の神の聖女』アリアドネ。


 クラスメートになったけど、彼女は目立つのが嫌いのようで、聖女であることを誰にも話していないようだった。

 たしかに正体を知れば、歴史的な齟齬が気になるだろうから、黙っていた方がいいかもしれない。


 でもその実力の片鱗は授業中に当然のように垣間見えているし(特に実技)、雰囲気としてまとう清楚さも、はっきり言って常人離れしている。

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