第138話 改変・魔王戦2

 

 

「みんな準備はよいか」

 

 扉を掴んだラインハルトが顔だけを仲間に向けて言うと、皆が緊張した表情で頷いた。


 アリアドネはその顔を蒼白にし、エドガーはなんとか笑っていようと引きつった笑みを浮かべ、コモドーは震える手を後ろに隠す。


 あのリタですら、その顔が強張っていた。


 それも仕方がないとラインハルトは目を細めた。

 この時のために、彼らは今日まで鍛錬や研鑽を積んできたのであるから。


「ふむ」


 そこでラインハルトは、仮面の男に目を留める。

 そして人知れず笑みを浮かべた。


(あれは本当にきもが据わっている)


 ラモチャーだけはそんな様子を微塵も見せず、一番後ろで腕を組み、飄々としているのであった。


「では行くぞ」


 ラインハルトとトブラが観音開きの扉を押す。

 ギギギ……と重厚な音を立てて、分厚い金属扉が開けられていく。

 

「よし、早く帰って遊ぶぞ!」

 

 勇者らしくない、しかし14歳らしい発言とともにエドガーが広間に飛び込むと、皆がそれに続いた。

 すぐに彼らの目に入ったのは、広間の奥にある、禍々しい異形の玉座であった。

 

「あれ……」

 

「いない……?」

 

 魔王はそこに座っているはずだった。


「むう……?」

 

 生還者サヴァイバーのラインハルトが、あたりを見回してしまう。


 前回、前々回、ともにラインハルトは魔王の姿を玉座で目にしていた。

 当然そこにいるものと、信じて疑わなかったのである。

 

「もしかして、もう誰かに倒された……?」

 

 こんな言葉を発してしまう者は、まだ魔王のエリアに足を踏み込んだという自覚が足りなかったのかもしれない。

 しかし幸い、そうではない者もこの勇者パーティには混ざっていた。

 

 ――ガァァン。


 ちょうどその時、扉が前触れもなく閉まった。

 振り返った勇者パーティの面々に、戦慄が走る。


 同時にその頭上で、一風変わった少女が天井の暗がりから姿を現し、両手を突き出す。

 

 頭に猫のような耳を生やし、鮮やかな赤で彩られた衣服を身に着けた、雪のように白い髪をツインテールにした少女である。


 彼女は扉を合図に動くよう、指示されていたのである。

 しかし。


「――待て叶える大悪魔シトリー。見破られておる」

 

 言いながら、少女の隣に巨体が姿を現した。

 

 紅蓮の剣を持つ黒い、みるも禍々しい存在。

 まぎれもない、魔王であった。

 

 魔王は今回、勇者たちに不意打ちして早々に優勢を築こうと考え、厳重にその姿を闇に溶け込ませていた。

 

 が、結局諦めて姿を現すこととなった。


 勇者パーティの最後尾に立っている男が、完璧に隠れたはずの自分を見据えていることに気づいたのである。

 

「リッキー! コモドー!」

 

 はっと上を見上げたリタが、声音を変えて叫ぶ。

 

「わかってる――【集約拡散】!」

 

 いち早く魔法剣士リッキーが自身のスキルを発動させる。

 それに反応して、勇者パーティの頭上に、光り輝くリングが現れた。


 コモドーも弾かれたように背筋を正すと、詠唱を始めた。

 

 魔王の能力を抑え込むための光の神の魔法である。

 だがその声は震え、たどたどしい。

 

 コモドーはここぞという場面になると、ひどく緊張してしまう男なのであった。

 

「小細工はさせん――【永劫の苦しみエターナルペイン】」

 

 初動に気づいた魔王が、妨害せんと魔剣を振りかざして襲いかかってくる。

 

 本来、魔王は【罪人滅殺ギルティストライク】という、隙の多い大技を放つ予定だったが、仮面の男に見破られたため、鋭く斬り込める下位の武技に攻撃を変えていた。

 

 狙われたのは、一行の中のひとり。

「光の神官コモドー」である。

 

 だがコモドーは狙われていることに気づかない。

 自分が最初に狙われることはないと頭から決めてかかっているのである。

 

 降ってくる魔王の剣撃。

 リッキーの【集約拡散】が効果中だが、個への物理攻撃に対しては修飾効果がない。


「――ひっ!?」


 コモドーの顔が、さあぁと青ざめる。

 もちろんこの男に、躱すなどという発想があるはずもない。

 

 しかし魔王の紅蓮の剣がコモドーを捉える直前、体を割り込ませる者がいた。

 

 銀色の髪がひらり、と揺れる。

 聖女アリアドネである。


「………」


 彼女はがちがちと鳴りそうな歯を、食いしばっている。


 魔王の剣など、にわか仕込みの自分が受けられるはずもない。

 たった数ヵ月の鍛練くらいでは、剣に対する自信を養うなど到底不可能なのである。

 

 それでもアリアドネは気丈に剣をかざし、 降ってくる魔王に対し、無謀とも言える様で立つ。


(これでいい、これで……)

 

 アリアドネは繰り返し、自分に言い聞かせる。


 どうせ、私は死なないのだから。


 ラモチャーにもらった、痛みを緩和するブレスレットもある。

 痛みも今までのように軽いはず。


 だから大丈夫……。


 だが膝はどうしようもなく震えた。


(――怖い、怖い――!)


 アリアドネが剣を構えたまま、目を閉じる。


 刹那。

 ――ガキィン!

 

 金属同士が激しくぶつかり合う音。

 

「―――!?」


 その音に、誰よりもアリアドネが驚き、目を開いた。

 大きな音の割に、衝撃はひとつもやって来なかったのである。

 

 見開かれたアリアドネの視界に映り込んだのは、黒い外套の背中。


「……うそ……」


 目を瞬かせる。

 誰かが、自分を庇ってくれていた。


 誰も守る必要がないはずの、自分を。


 直後、もう一度ガキン、という金属音。

 同時に、黒い巨体が吹き飛んだ。


「………!?」


 アリアドネの目が見開いた。


 ……魔王を、お、追い払った……?

 世界最強の、魔王を……?

 

「……此奴」

 

 魔王が宙で勢いを殺しながら、その形相を変えた。


「今回は一筋縄ではいかんということか」


永劫の苦しみエターナルペイン】は地を割るような強打とともに、打撃部位に延々と続く痛みを打ち込む単体攻撃である。

 過去、勇者たちに放って、副次効果の甲斐なく殺してしまうことはあっても、完璧に跳ね返されるなどあり得なかった。


「………」


 アリアドネは目を瞬かせていた。

 すでにアリアドネの前には、誰も立っていない。

 

 今の、いったい、誰……?

 誰がこんな……。


 しかし、アリアドネがそんな疑問を抱いている間にも、魔王の隣に立つ叶える大悪魔シトリー蝦蟇口がまぐちのバッグを開いた。

 魔王の隙を埋めるための支援攻撃である。


蝦蟇口がまぐちだ! ――龍が来るぞ!」


 ラインハルトが大声で警告する。


 それと同時に叶える大悪魔シトリーのバッグから飛び出したのは、複数の燃えるような赤の生地。


『赤き龍』で知られる、叶える大悪魔シトリーの使い魔。


 のちの世で『漆黒の異端教会ブラック・クルセイダーズ』により綴られた『悪魔解明論』にも登場するそれは、過去の天使との大戦において、最上級にあたる『七大天使』の一人、【ディオニュシオス】のカマエルを一撃で殺しきってみせたほどである。


「ギュオォォ!」


 七体のそれは宙をうねると、誰彼構わず襲いかからんと恐ろしい勢いで降下してくる。


「――頼む、アリアドネ!」


 ラインハルトが叫んだ。


 襲いかかってくる『赤き龍』たちは、宙に浮いた光のリングを強制的に通される。


 リッキーのスキルにより、個に集約されたのである。


 アリアドネはすぐに意を決し、恐怖を押し殺して身を挺しに行く。

 そんなアリアドネの前に、再び黒い影が動いた。


「――任せろ」


 そんな言葉が、アリアドネの耳に届いた気がした。


「……え……?」


 目に飛び込んだのは、般若の仮面の横顔。


 そこでアリアドネが誰か気づいた。

 この男、ラモチャーである。


「……ラモチャー!?」

 

「いったいなにを!」


 仲間たちも悲鳴を上げる。


 ラモチャーはアリアドネの前に悠然と立ち、叶える大悪魔シトリーを見上げた。


「Έλα τώρα, είσαι ο μεγάλος διάβολος που μπορεί να γίνει……」


 ラモチャーの仮面の奥から、不明な言葉が発せられていることには、誰も気づかない。


「ギュオォォ――!」


 そうしている間にも、『赤き龍』はアリアドネめがけ、勢いよく降ってくる。


「だっ……!」


 ――だめ、危ない。


 彼はただの付添。


 自分やエドガーと違い、神々からなんの祝福も受けていない生身の体なのである。

 こんな攻撃をもらったら、ひとたまりもない。


 彼女の頭にあったのは、それだけではない。

 弟のことを深く共有してくれたこの人を失いたくないという気持ちも、芽生えていた。


 だから、アリアドネは強引にでもラモチャーの前に出ようとした。


 だが次の瞬間、驚くべきことが起きた。

 身を挺したラモチャーに襲いかかってきた『赤き龍』たちが、直前で方向を変え、翻ったのである。


「……なっ!?」


「どういう……!?」


 仲間たちが、呆然とする。


 宙に舞い戻った赤き龍たちは、呻きながらその動揺を表すかのように荒れ狂っている。


「………」


 アリアドネも、あまりのことに言葉を失う。

 だがアリアドネの驚きは、皆とは違っていた。


 そばに居たアリアドネだけは、見ていたのである。


 ――ラモチャーの前に、白いほっそりとした両腕が出ていることに。


 その手がやすやすと『赤き龍』を追い払っていたのである。


 やがてその両手が、いずこからか白いものを取り出した。


「………!」


 それを目にしたアリアドネは息を呑んだ。

 どこかで見た、と考える間もなく、それが何かに気づく。


 まぎれもない、叶える大悪魔シトリーが持つあの蝦蟇口がまぐちであった。


「………!?」


 宙に立つ叶える大悪魔シトリーが、それを目にしてぎょっとする。


 驚かぬはずがなかった。

 そこには自分しか持たぬはずの蝦蟇口がまぐちがあったのである。


 そうしている間にも、ラモチャーから突き出た白い両手が、2つ目の蝦蟇口がまぐちを開く。

 そこから『赤き龍』が七体、荒れ狂いながら飛び出した。


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