第136話 共有

 


 空には灰色の雲がかかり、日は見えない。


 神殿地下で行われた勇者パーティの鍛錬が昨日で終わり、参加者は10日間の休みを与えられ、今は各自が故郷に戻るなどして、散り散りになっていた。


 そのひとり、戦の神の聖女アリアドネ。

 彼女もまた自由を与えられ、今朝から王都のはずれにある墓地に来ている。


 今、彼女の顔は、いつになく明るいものになっていた。

 たった10日間の安息とはいえ、苦痛から解放されることが嬉しいというのもある。


 弟のそばに来られた安堵、というのもある。


 だが、一番の理由は別にある。


 昨日まで続いた、9日間もの鍛錬。

 終わってみれば、身に受ける痛みが最後まで弱いままだったのである。


 そのせいか、3日目くらいから夜もうなされずに安眠できるようになっていた。


 これはかつてない話だった。


 魔王との戦いを終えるまで、毎晩訪れる悪夢は終わらないと諦めていたくらいなのである。


 彼女は朝靄で軽く湿った土の上にハンカチを敷いて、膝を折り、座っている。


 周りの墓とは比較にならない、目の前には木の杭が刺さっただけの、貧相な墓。

 これが弟ミロの墓である。


 一応聖女であるがゆえ、国からは前金として相当額を貰い受けているが、これは死地へ赴くための身支度を整えるためのものであり、望む用途には使うことができなかった。


 せめてと思い、弟の墓の回りに花の種を植えた。

 まだ芽吹いた程度だが、もう少しすれば花たちが囲み、

 寂しがりだった弟を明るい気持ちにしてくれるだろう。


 弟は花が好きだった。

 床に伏しがちになったアリアドネになにかと思い、花を摘んで持って来てくれたのが始まりだ。


 そうしている間に、アリアドネではなく弟の方が花が好きになっていた。


 新しい花を見つけては「名前はわからないけど、こういうところに生えているんだよ」と自慢げに説明してくれたものだ。


「……ミ……ミロ………」


 あれだけ呼んでいた名前すら、今はすんなり出てこない。


 聖女たらんとするために、弟のことを考えないようにした頃から、言葉は出なくなっていた。


「………」


 自分を待ちながらひとり息絶えたミロ。


 立場が逆になってみると、いかにミロが自分に献身的にかかわってくれてきたかがよくわかった。


 自分はミロの半分も優しくできなかった。


 間違いなく自分が多忙だったせいだろう。

 ミロがこんなに早く命を落とすことになったのは。


「………うぅっ」


 アリアドネの頬を、涙が伝い落ちる。


 ――なんて愚かだったのだろう。

 最後の大切な家族を、大切にできずに死なせてしまうなんて。


 アリアドネの母はミロを生むと同時に命を落とし、父はアリアドネが6歳の時に兵役で殉職した。


 突然孤児となってしまった二人だったが、住んでいた借家が戦の神の神殿にほど近かったのが幸いした。

 ドブ水をすくって飲んでいる二人をみかねた神殿司祭が、神殿の孤児院に引き取ってくれたのである。


 孤児院にはほかに似たような境遇の子供たちが数人いて、特に寂しいと思うことはなかった。


 母は顔を思い出せないくらいに亡くしたし、父は多忙でいつも家を空け、自分たちに関わってくれたことなど、数えるほどしかなかったからだ。


 だからみんなで一緒に遊び、夜は一緒に寝られた孤児院は、そう悪くない日々だったとアリアドネは感じている。

 だが、かけっこをしても鬼ごっこをしても、一番鈍くさいのは決まってアリアドネだった。


 アリアドネは先天的に心臓の病気を抱え、他の子と同じようには走り回ることができなかったのだ。


 戦の神の司祭は病を治す能力が弱く、神殿でアリアドネの病を取り除くことができる者はいなかった。

 当然アリアドネに治癒費を払えるはずもなく、病は放置された。


 時が過ぎ、ともに過ごした子供たちはぐんぐん成長していく。

 一方で、アリアドネは置き去りになった。


 13歳を迎えた頃から、体の成長に心臓がついていけなくなり、歩くだけで激しい息切れが伴うようになっていた。

 15歳になる頃には共用の家事すらもこなせなくなり、床に伏しがちになってしまった。


 ――アリアドネは死ぬ。


 誰かの流した噂も手伝って、皆がアリアドネに近づかなくなった。

 親友だと思っていた女友達ですらも。


 そんな中でもミロはお姉ちゃん、お姉ちゃんと無垢な笑みを浮かべて寄り添ってくれた。


 ミロは整った顔立ちとは決して言い難いが、笑うとなくなるほどに目が細くなる、愛嬌のある顔をしていた。


 寄り添ってくれたミロのそんな顔が、アリアドネは大好きだった。


 そうやって長年付き合ってきたから、自分の背負っていた病気がどれだけつらいか、アリアドネは深く理解している。


『戦の神ヴィネガー』の神託を受け、弟にそれを押し付けることになってしまったことが苦しくてならなかった。


 唯一の希望の道は聖女として活躍し、魔王を倒して治療の金を手にすること。


 そのために必死だった。

 だから気づかなかった。


 ミロの死期が近づいていたことに。


 ある日、夜遅くに王宮の鍛錬から帰ってきたら、部屋にミロがおらず、やってきた神殿の司祭様に白い袋を渡された。


 遺骨だった。

 ミロはアリアドネが出ていってすぐに息を引き取ったという。


 亡骸に気づいた司祭は、伝えに走ろうかと何度も迷ったらしい。

 結局司祭たちで話し合い、世界を救うための鍛練を邪魔してはならないという結論に辿り着いたという。


 戦の神ヴィネガーは亡骸を「不浄」と扱うため、彼らがミロを早々に火葬にしたのは教えを守っただけのことである。


「ミロ……ご、ごめ……」


 いくら悔やんでも、悔やみきれない。

 だから墓の前では、いつも泣いてばかりだった。


「――失礼する」


 そんな時、ふいに背後から声がした。

 はっとして振り返る。


 まったく気配に気づかなかった。


 そこにはこちらに向かって歩いてくる一人の男性がいた。


 般若と呼ばれる仮面をつけている。

 ラモチャーだった。


「割り込むタイミングが悪かったようだ」


 アリアドネの様子を察したラモチャーが、頭を掻いている。

 アリアドネは目元を拭い、立ち上がった。


 自分の顔には、どうしてここが? と書いてあったのだろう。

 失礼を承知で、後をつけさせてもらったとラモチャーは説明し、深く頭を下げた。


「通りすがりに見かけてな。申し訳ない」


 畏まるラモチャーに、アリアドネは手を胸の前で小さく振って、気にしなくていいことを伝える。


「ここが弟さんの墓なんだな」


 ややしばらく間をおいて、ラモチャーが訊ねてくる。

 アリアドネは無言で頷く。


「祈らせてもらっても?」


 アリアドネはもう一度頷いた。


 拒むはずもない。

 ラモチャーはいつもなにかと自分を気にかけてくれて、今ではパーティの中で一番気の許せる仲間になっていたからだ。


 ラモチャーは墓に向かって一礼すると、膝を折り、片手で合掌をし、回復職ヒーラーらしい堂に入った様でしばし冥福を祈った。


 それを見ただけで、多くの人のために祈りを捧げてきた人なのだ、と理解できた。


「………」


 しばし、無言の時間が流れる。

 アリアドネが驚くほどに、祈りは長かった。


 もちろん彼女にとっては、不快なものでは断じてなかった。

 むしろ、弟のために時間を使ってくれることが心から嬉しかった。


「あっ……」


 ふいによい香りがふわり、と流れてきた。


 ラモチャーは、懐から取り出した色とりどりの花を墓に添えてくれたのだ。


「摘んできた。花が好きだと聞いた」


「………」


 アリアドネはつい笑顔になる。


 ラモチャーは簡単に言ったが、そこには離れた沼にしか植生しないとされる薄紅蓮の花も混ざっていた。


 他にも、アリアドネが初めて見るような花が3種類も混じっていた。

 弟が見たら、きっと喜んでくれるだろう。


「この花は男性の香料にも使うらしい。弟さんもきっと気に入ってくれるだろう」


「………」


 弟を思いやった言葉に、思わず胸が熱くなった。

 こんな赤の他人が弟のためにここまでしてくれるとは、想像もしなかった。


 その後ラモチャーは湿った地面にどかっと座り、しきりに弟のことを訊ね、いろいろ話をしようとしてくれた。


 故人の墓の前で、故人の話に花を咲かせるというのは、一番の供養になると聞いたことがある。

 ラモチャーはそうしようとしてくれていたのだ。


 自分もそれが嬉しくて、たどたどしく返事しながらも、いろいろな話についていった。

 こんなふうにあれこれ弟のことを訊いてくれる人は、過去に誰ひとりとしていなかった。


 喉が渇いても、ふたりでラモチャーが出してくれたレモン水で喉を潤し、まだまだ弟の話に花が咲く。


「なるほど。俺もこの花が好きで、よく摘みに行ったりした。けど、小鳥たちも好きみたいでな。摘もうとしたら雨のように降る糞で応酬された」


「あはは」


 アリアドネは久しぶりに笑った気がした。

 そう、本当に久しぶりな気がする。


 その後もラモチャーは何かにつけて、自分の失敗した話などを付け加えるものだから、アリアドネは息ができなくなるほどに笑い、最後はおなかがよじれたままになってしまうのでは、と心配してしまうほどだった。

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