第135話 取り去られたもの
勇者たちはその後、晩まで戦いに明け暮れた。
二ヶ月前に聖女となったアリアドネにとって、これほどの魔物との連戦は初めてだった。
皆が戦いに慣れるにつれ、終盤にはより凶悪な
「うっ」
アリアドネは一貫して盾役として行動し、何度も魔物からの攻撃を集約されて身に受け続けていた。
すでに乾いた血で、銀色の髪が頬に貼りついている。
衝撃によろめき、体勢を崩しそうになりながらも、倒れまいと必死に脚に力を込める。
アリアドネは、今日という日が怖くて仕方がなかった。
ここに至るまで、毎晩のように悪夢にうなされてきた。
昨晩などは、宿の天井を見上げて震えるばかりで、まどろみもできなかった。
みんなにとっては『鍛錬』と名がつこうとも、自分のやることは実戦と何も変わらないのだ。
そう、ひたすらに痛みに耐えること。
それだけに随分覚悟して、ここに立った。
――なのに。
どうしてだろう。
まるで痛くない。
貫かれる刺突も、骨がきしむような鈍い打撃も、身を焼かれる炎の魔法も以前と全く比較にならない。
温かいなにかに包まれ、守られているかのようだった。
痛みに慣れたのかなと最初は思った。
しかし、考えてみてすぐにあり得ないことだと気づく。
人は痛みに慣れることはない。
痛みは常に新鮮だからこそ、人は生きられるのだから。
では、なぜだろう。
その理由を戦いの合間にあれこれ考えてみたけれど、わからなかった。
「そうだ、戦況を見ろ。前に出すぎるな!」
ラインハルトが、仲間の動きを見て逐一指導を行っている。
戦いの最中、前衛は後衛が襲われていないかと後ろを振り返って確認するよう、指導されている。
だが、そうすると必ず、仮面の男――ラモチャーと名乗る人物――が常に自分の方に体を向けていた。
魔物ばかりに目をやり、時折
(
ともに戦ってみたラモチャーの第一印象は、それだった。
最近まで行っていた王宮での鍛錬では、『王宮認定司祭』と呼ばれる
だが八人いた彼らと比べても、ラモチャーの
まるで各人に大きな負傷が発生するのを予知できているかのように、癒しが飛んでくるのだ。
しかも第四だから、と侮っていた癒し。
なんと王宮認定司祭たちと比べてもまったくひけをとらない高みにある。
彼が素晴らしかったのは、
『存在感がないくせに、異様に役に立っている』
それが、顎をさするラインハルトの評だった。
ラモチャーは戦いの最中、常に目立たないところに居る。
あのラインハルトを追い込めるほどの腕の持ち主なのに、全く前に出ない。
一見すれば、なにもしていないようにも見える。
だが、自分の戦いの合間によくよく観察すると、決してそんなことはない。
魔物の魔法を失敗させる。
フェイクの攻撃を入れたりして、
第四の神のひとりが授けるという『衝撃』とやらの魔法で、側面から
そんな、目立たないものの、パーティが戦いやすくなるようなことを淡々とこなしていたのだ。
これだけ長い時間戦い続けても、ラモチャーが自分で攻撃することは数えるほどしかなかった。
ほかにも、驚きだったことがある。
初対面があんなだったのに、エドガーやリッキーがすっかりラモチャーのことを気に入ったらしいことだ。
こんな戦い方をするヤツは初めてだ、と不満のようなことを言う一方で、彼がいるといつにもまして戦いやすい、と褒めるのである。
例えて言えば、剣や槍をただまっすぐ突き出すだけで、そこには急所を晒した
リタも、今日はやけに魔法が刺さるねぇ、という。
あの無口なトブラも、ラモチャーのことだけはやけに褒めていた。
そう。
一日目が終わる頃にはみんな、ラモチャーの独特な戦い方が頼もしく感じ、すっかり気に入っていたのだ。
◇◇◇
いつ痛みが現れ始めるのだろう、と恐れている間に、初日は終わった。
拍子抜けもいいところだった。
「確認させてもらっていいか」
戦いが終わり、皆が神殿で用意された夕食を済ませ、思い思いにくつろいでいた時のこと。
ひとり、ぽつんと座っていた自分のとなりに、ラモチャーがあぐらをかいて座り、そんなことを言った。
ラモチャーは夕食が始まってから、ずっとみんな(特にエドガーとリッキー)に囲まれていた。
だから、そんな人気者が自分のところに来るとは思わなかった。
それに弟を除けば、自分と話して楽しそうにする人はいなかったから。
「あっ……」
「失語なのは知っている。合っていれば頷いてくれるだけでいい」
もしかしたら、自分の病を知らないのかもしれないとも思ったが、そうではなかったようだ。
仮面をつけているので、相変わらずどんな表情かはわからない。
だが、声は優しげなトーンだった。
ちょっとお酒のにおいがするのは、さっきラインハルトという名の大酒家に、酒に付き合わされていたせいだろう。
それはともかく、向かい合ってラモチャーの声をきちんと聞いたのは初めてな気がする。
顔には仮面をつけている上に、普段はまったくといっていいほどに喋らないからだ。
それはもう、中身が変わってもわからないくらいで、常に喋りたがる勇者エドガーとは正反対である。
ちなみに失語になった自分もほとんど他人と話さないので、仲間たちからは似た部類に入れられている。
「聖女のスキル【生命力微分】というのは、どこかでストップせず、際限なく行われる、で正しいのか」
ラモチャーは自分の聖女の能力について訊ねたいようだった。
その通りだったので、アリアドネは頷いた。
「魔力も消費しないんだな?」
そう、これはダメージを受ける限り、延々と繰り返される。
アリアドネ自身は、『呪い』と捉えている。
「なるほど、でも伴う痛みは無効化できないんだよな」
「き、きょ、きょ……」
「今日はあまりなかった、で正しいのかな」
驚いたことに、ラモチャーは自分の言いたいことを理解してくれていた。
目を丸くしている自分に、ラモチャーは小さく笑ったようだった。
「………」
アリアドネは不思議に感じて、ラモチャーの仮面の奥にある瞳を見つめる。
その瞳は漆黒で、同じようにじっと自分を見つめ返していた。
優しい瞳だ、と思った。
それからややしばらく、ラモチャーの質問は続いた。
まだ一日しか一緒に行動していないのに、随分とアリアドネの能力を理解してのことのようで、少し驚いていた。
「ところで、立ち入った話を済まない。最近弟さんを亡くされたと聞いた」
「………」
アリアドネは合わせていた視線を外して、小さく頷いた。
先日、アリアドネは長年一緒に暮らしてきた一歳違いの弟ミロを、病で亡くしていた。
アリアドネが聖女となった3週間後の話である。
「………」
アリアドネは右手を胸元できゅっ、と握り、大きく息を吐いた。
昨日はミロの墓に行き、ずっとそばにいた。
街外れの墓地。
石造りの豪勢な墓が並ぶ中、お金がないので、落ちていた木の平板を地に刺しただけの墓。
それがどうにも切なくて、ヴィネガーに授けられた聖剣を売って建て替えたいと何度も本気で考えたくらいであった。
「本当はこんなところにいないで、弟さんの供養に時間を使いたいんだよな」
「………」
ふいにかけられた思いやった言葉に、アリアドネは咄嗟にうつむいた。
喉元が熱くなって、目元が潤んだのだ。
誰にも知られてはならないと思っていた。
聖女となったことを、自分が強く後悔していることを。
聖女とならなければ、少なくとも弟は死ぬことはなかった。
弟を死なせたのは自分なのだ。
(泣いてはだめ)
アリアドネはそう自分に言い聞かせる。
それをおおっぴらに認めることになってしまう気がしたのだ。
加えて、いまや自分は世界をあずかる聖女である。
人前では常に毅然とし、やすやすと感情を露見させてはならない。
王宮ではそのように、厳しく指導された。
「魔界に入れば、あんたには随分世話になるだろう。迷惑じゃなければ、花を手向けに行っておいてもいいかな」
そんなふうに必死だったアリアドネは、続いたラモチャーの言葉がほとんど聞こえていなかった。
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