第133話 最終選抜試験5

 

「……う……そ……」


 アリアドネが、息を呑んでいた。


「――仕切り直しだ」


 片合掌をした男はそう告げると、落ちていた木剣を拾い、ラインハルトに放る。


「………」


 しかし木剣はラインハルトの胸元に当たり、再びカラン、と床を鳴らした。

 ラインハルトは手が震え、咄嗟にそれを受け取ることができなかったのである。


「……いったい何者だ、貴様。本当に人間か」


 木剣を拾い直したラインハルトの額には、玉の汗が浮かんでいた。


 この男、先程までとはまるで別人。

 いや、すでに人に非ざるとでも言おうか。


「それは保証する。さて、評価をお願いしよう」


 そう言った仮面の男が、ふいに動いた。


 ラインハルトがぎょっとしながら、あたりを見回す。

 早くもラモチャーを見失ってしまったのである。


「き、消えた……!?」


「おい、どうなってる……」


 当然、観衆も姿が見えるはずがなく、騒然とし始める。


「…………」


 アリアドネも驚きを禁じ得なかった。

 視界に捉えていたはずの男が、忽然と消え去ったのである。


『戦の神の聖女』は、戦闘におけるあらゆる感覚に支援スキルを与えられている。

 対魔王、ということでさえなければ、代々の『光の聖女』に比して、明らかに個としての戦闘能力は高い。


 それゆえ、聖女たちが受ける「聖女の試練」においても、かつてないほどの優秀な成績を修めたくらいであった。

 実際、アリアドネ自身は自分を過小評価しているものの、過去の光の聖女たちを知っているラインハルトやリタは、彼女を高く買っていた。


 だが、そんなアリアドネの目にも、男の動きは留まらなかった。


「ど……こ……」


 アリアドネが周囲を見回した、その刹那。


「――ぬぉ!?」


 突如、ラインハルトが驚声を上げた。

 続けて木剣同士がぶつかり合うカァァン、という乾いた音が響く。


 勘だけでなんとかさばくことに成功したものの、ラインハルトが倒れそうなほどに後ろによろめく。


「おおぉぉ!?」


 観衆がその様子を見て、大きくどよめいた。

 ここにきて、ラインハルトが初めて押されたのである。


「――な、なんだこの重さは!?」


 ラインハルトの声が裏返る。


 さばいた両手が、たった一撃で痺れてしまっていた。

 まるで一つ目巨人サイクロプスに、大槌でたたきつけられているようであった。


「むっ、ぬぉっ!?」


 驚く間もなく、重量級の攻撃が有り得ぬ速さで繰り返される。


「――うおぉぉ」


 ラインハルトは半狂乱になりながら、見えないそれに向かって、必死に木剣をかざす。


 なんとか受けには成功できる。

 だがその都度、手首や肘、肩に至るまで、全身の関節が軋み、悲鳴を上げていた。


 ラインハルトは気づかない。

 受けに成功できるのではなく、させてもらっていることに。


「うぐぁぁぁ!」


 痺れ上がった手のまま、全身の筋肉で重圧の剣をはねのけようとする。

 しかし、やっと跳ね返したと思えば、すでに次の剣が振り下ろされていた。


 呼吸がどんどん乱されていく。

 当然のように足は無意識に後退していく。


「――ぐおぉぉ!」


 ただ、力量をはかるための手合わせ。

 でありながら、ラインハルトの脳裏には死すらもがよぎっていた。


 いつ木剣が折れてもおかしくない一撃ばかり。

 しかし、これだけ受けておきながら、木剣は不思議と折れない。


「嘘だろ、あの御仁が……」


「あいつ、いったい……」


 エドガーとリッキーはぽかん、と口を開けて呆けていた。

 ラインハルトの実力の程を知っているだけに、二人はどうしても信じられなかった。


 二度の生還者サヴァイバーの上をいく存在が、この世にいるということに。


 だが観衆はそんなことなど、考えもしない。


「――すげぇぇ、あいつすげぇぇぞ!」


「こういうのが見たかったんだぁ!」


 彼らは単純に眼前の盛り上がりに歓喜し、今や【二等兵】の男に拍手喝采を送っていた。


「ぬあぁぁ――!?」


 押し込まれ続けるラインハルト。

 これ以上はもう持ちこたえられん、とラインハルトが歯を食いしばった、その時。


 ふいにその攻撃は止んだ。


「……はぁっ、はぁっ……!」


 ラインハルトは顔中にだらだらと汗を流していた。

 すでに膝をつきそうなほどに、疲労困憊だった。


 目の前に立つ男は、まるでラインハルトに指導剣を行ったかのように、木剣を下ろし、悠々と立っている。

 それがラインハルトの癇に障った。


「――も、もう終わりか! ならばこちらからいくぞ!」


 ラインハルトが吼えた。


 さすがに我慢ならなかった。

 歴戦の生還者サヴァイバーたる自分が、一分足らずでここまで追い込まれたのである。


 しかし。


「いや、終わりだ」


 ラモチャーが言い、礼をしながら持っていた木刀を両手でそっと足元に置いた。


「………」


 そこで皆が、現実に気づく。

 急にあたりが静まり返った。


「なに」


 ひとり気づかないラインハルトが、ラモチャーを睨む。

 自分に都合のいいところでやめようとするその態度がさらにラインハルトを苛立たせた。


「――なぜやめる! 打たれるのが怖いか!」


 ラインハルトが木剣を振りかぶりながら叫ぶ。


「ご、御仁……」


 そこへエドガーがためらいながらも、声をかける。


「む」


 ラインハルトが手を止め、エドガーを振り返る。

 エドガーはラインハルトの足元を指差した。


 そう、ラインハルトは線を跨いでしまっていた。


「し、勝者……」


 審判の男はそれ以上口にできなかった。


「………」


 呆然とするラインハルト。

 その手に握られていた木剣が、ゆっくりと下がっていく。


 押し黙ったラインハルトを目にして、あれだけ騒いでいた観衆もすっかり静まり返っている。


 自分が負けた、という現実を理解するのに、少々時間がかかった。

 ここまで見事にしてやられたのは、何十年ぶりか。


(あいつ以来か……)


 ラインハルトは思い出していた。

 先代の勇者パーティで出会い、ともに戦い、そして亡くした親友アンドレを。


 その懐かしい顔が脳裏に浮かび、ラインハルトは一転して爽快な気分になった。


「――ガッハッハ! 気に入ったぞ【二等兵】!」


 ラインハルトが大口を開けて笑い出し、男の肩を折れんばかりに叩いた。


「アンドレを思い出させてくれるとは、な」


「それはよかった」


 ラモチャーはよくわからない様子ながらも、肩の痛みに苦笑いしていた。




 ◇◇◇




「うへー。あの人、すごいや」


 エドガーはすっかり感服した様子で言った。

 長年にわたり、一度たりとも負かすことのできなかったラインハルトを、あの男はあっさりと破って見せたのである。


「……いや、御仁は〈幻惑〉の魔法でも受けたんだろう」


 一応拍手を贈りながらも、リッキーは納得のいかないような顔をしていた。


「幻惑? どういうこと」


 エドガーが訊ね返す。


「御仁は随分と重そうに受けてたけど、木剣は折れもしなかっただろ?」


 トブラの重量級の攻撃なら、あんなにすぐに折れたのにさ、とリッキーは呟く。


「木の剣が折れない程度の軽い剣なんだぞ」


「あぁなるほど」


 エドガーがぽん、と手を打ちながら、言葉を続けた。


「でも、それでもすごくない? リッキーだって御仁には勝てないでしょ」


「まぁな。あの御仁を破ったのは確かだ。でもな、魔法剣士の俺ならまずそんな手は――ってうわっ!?」


 リッキーは、それ以上言葉を続けられなかった。

 今までラインハルトと戦っていたはずのラモチャーが、突如、目の前に現れていたのである。


「………!」


 そばにいたアリアドネが息を呑む。


「――な、何だお前!?」


 脅かされたことにプライドを傷つけられ、リッキーが凄む。


「勝ったが」


 だがラモチャーはまるで意に介した様子もなく、仮面の奥から平然と言った。


「なに」


「勝ったと言った。この人になにか渡すものがあるんじゃないのか」


 ラモチャーがアリアドネを手で指し示した。


「………」


 アリアドネも、はっと今気づいたような顔になる。


「悪乗りしてすいませんでした」


 エドガーは即座に謝り、賭けた金貨を取り出してラモチャーに渡した。

 ラモチャーはそれをアリアドネに手渡しすると、リッキーの方に向き直る。


「……ちっ、見てやがったのか」


 リッキーが懐から金貨を取り出すと、10枚を数え、アリアドネに手渡した。


「おい」


「なんだよ! ちゃんと10枚返しただろ」


 リッキーが視線を合わせないものの、威嚇するように大声を上げる。


「お前の分はどうした? 賭けたんだろ?」


 ラモチャーの仮面の奥からは、有無を言わさぬような鋭い視線が発せられる。


「なら、取ってみろよ」


 リッキーがニヤリとすると、自ら先程の闘技スペースに躍り出て、自身の金貨袋をブラブラと見せつけた。


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