第132話 最終選抜試験4
「……おいアリアドネ、珍しく真剣に見てるじゃん」
アリアドネがはっとして、仮面の男から小さく視線を逸らす。
「お前、変な奴だな。あんな顔を隠した男なんかに興味があるのか」
リッキーが、ははぁーん、と見てとった顔をすると、なにかを思いついたような笑みを浮かべた。
「ちょうどいい。なら賭けてみようぜ」
リッキーがアリアドネの前に右手を突き出す。
「……えっ……」
アリアドネが、目を丸くする。
「賭博。貴族のたしなみさ。やったことないんだろ」
教えてやるから、おもしろいんだぞとリッキーが微笑みかける。
「……い……」
いい、やらない、とアリアドネは口ごもりながらも、首を横に振る。
「お前、ちまちま使ってたから前金たくさん余ってんだろ」
「前金の残り、見せてみて」
お目付け役だったリタがいないのをいいことに、エドガーも悪のりし始める。
勇者に選ばれただけあってエドガーは元々は純真な少年であったが、14歳にしては考え方が幼稚で、善悪の判断よりも楽しいことを優先してしまうきらいがあった。
おまけに勇者パーティで知り合った年上のリッキーがいろいろと不純な知識を仕込んだせいで、今ではすっかりそういった色に染まってしまっていた。
「ほら、出せって」
「見せて見せて」
「……いやっ……」
二人に詰め寄られ、後ろ向きに倒れ込んだアリアドネの懐から、金貨袋がザッ、と音を立てて落ちた。
「みーっけ!」
それを素早くエドガーが拾う。
「……だっ……だ、だめ……!」
アリアドネが慌てて立ち上がり、追いかけて右手を伸ばす。
しかしエドガーはその手を逃れるように、金貨袋をリッキーに投げる。
「……かえ……!」
金貨袋を宙で掴もうと手を伸ばしたアリアドネは、リッキーに突かれるようにして遮られ、あっ、と悲鳴を上げて座り込んだ。
「………」
離れた位置でラインハルトと対峙している男が、仮面の奥でぴくりと眉を揺らした。
「おおすげー、絶対これ80枚以上余ってるぞ!」
リッキーが袋を覗き込み、歓声を上げる。
「……まじで? 全然使ってないじゃん」
「貧乏だから大金過ぎて使えないのさ。どれ、俺たちが使い方を教えてやらねーと」
リッキーが満面の笑みを浮かべると、袋から金貨を10枚抜き取った。
「だっ、か、か……!」
それを見たアリアドネが目を潤ませながら、必死になって手を伸ばす。
しかし、返して、の言葉が出ない。
この前金は魔王討伐に向けて装備や備品を整えるために国から預けられたものである。
だからといって、むやみに使っていいわけではない。
使わなかったお金は国に返金しなければならず、明細にない使途不明金は自身でのちに返金しなければならないのだ。
そうと知っていても、エドガーとリッキーは後先考えず、すべて使い込んでいたのだが。
それにアリアドネは知っていた。
自分が病で伏していたころ、弟が必死に働いて毎日稼いできてくれる銅貨が、どれほどにありがたかったか。
神殿で出してくれる二度の食事は簡素で、成長期の二人の空腹を完全に満たせることなど一度もなかった。
だから、弟の稼いでくれた銅貨で買う新鮮な卵やパンが、自分の病んでいた身体を強く支えてくれたのである。
この金貨一枚で、どれだけの卵が買えるだろう。
孤児施設の皆の空腹を、どれほどに癒せることだろう。
銅貨を手に、疲れ切った顔で笑ってみせる弟の顔を忘れたことなど、いっときもない。
なのに、弟の苦労を台無しにするようなこんな使い方……。
施設に寄付してあげたいのも、我慢しているのに……。
「ほら、残りはちゃんと返すから」
リッキーが軽くなった金貨袋を無造作に投げ返す。
そして奪った金貨を両手に載せてじゃらりと鳴らし、アリアドネに見せた。
「取ったんじゃない。預かってるだけさ。【二等兵】のあの男が『合格』する方に金貨10枚だ。勝てばちゃんと返す、いや、俺達の掛け金も上乗せだからたくさん戻るぞ?」
「……い……いや……!」
アリアドネは耐えられず、また立ち上がって手を伸ばす。
「……考えてみろって」
リッキーが金貨を懐にしまいながら、面倒くさそうに言う。
「お前、あいつが合格すると思ってんだろ?」
「………!」
まさにそう信じていたアリアドネは、なにも言えなくなる。
「ならさ、あとは黙って見ていればいい。正確に読み、勇気をもって賭ける。これが『賭博』ってやつさ。 お前の思う通りなら大金が降ってくる」
ハマればおもしろいぞー、とリッキーは腰に手を当て、ひとり愉しげにしている。
「………」
アリアドネは俯いて目元を拭った。
彼女にとってリッキーの言葉など、なんの魅力も感じなかった。
「じゃあ僕も不合格に賭けていいんだよね?」
勇者エドガーの便乗も止まらない。
「……ねぇリッキー、いいんでしょ?」
エドガーがもう一度繰り返すと、リッキーが頷き、エドガーの肩に腕をまわし、耳元でささやいた。
「……もちろんだ。勝ったらこの金で昨日のあの店に行こうぜ」
その言葉に、エドガーはヒャッホゥと歓声を上げた。
◇◇◇
「論外だ。【二等兵】は森の入口でゴブリンでも狩っておれ」
ラインハルトが木剣を下ろした。
彼はもはや完全に興味を失っていた。
「決めてかからない方がいい」
「【二等兵】の実力など、計るまでもない!」
ラインハルトの声が荒れる。
彼もまた、この男の強気な言葉につい期待を抱いてしまっていただけに、落胆も激しいものだったのである。
「――さっさとつまみ出せ!」
怒声を発したラインハルトは木剣を石畳に叩きつけると、仕事は終わりとばかりに背を向け、立ち去っていく。
大剣を模した木剣は派手に二度バウンドして乾いた音を立てると、石床に横たわった。
「ご命令だ。お前の試験は無しとする」
「『王国偽証罪』に問われぬだけ良しと思え!」
近くに控えていた、ラインハルト補佐の巨漢二人が重装の鎧を鳴らしながら仮面の男に駆け寄り、掴みかかろうとする。
「――その【二等兵】野郎、やっちまえぇ!」
すっかり肩透かしを食らった顔の観衆たちは、せめて男のつまみ出される様子を見て高ぶった気持ちを慰めようとでも思ったのであろう。
今や、ぶちのめせ、ずたずたにしろ、だのと、巨漢の補佐二人を煽りたてていた。
完全に空気の変わった選抜の場。
「……あーあ、これ、つまみ出されて試験すら受けさせてもらえないパターン?」
「つまり『不合格』ってやつだな。これはしょーがねぇなぁ……」
エドガーとリッキーが頭の後ろで手を組みながら、ちらりとアリアドネを見て、いかにも残念そうに言う。
顔を見合わせた彼らの中では、すでにアリアドネのお金は自分の夜遊びの計算に入っていた。
一方のアリアドネはやってきた男を見つめながら、両手で軽くなった金貨袋をきつく握りしめていた。
「うぅ……」
唇が小刻みに震えていた。
第四の
推薦者なし。
そして【二等兵】。
冷静に考えれば、それがどれほどに頼れない存在であるかは、アリアドネもわかっている。
【
それでもアリアドネは、男の力強い言葉を信じたかった。
……どうか……お願い……。
アリアドネがあふれてきた涙をもう一度手の甲で拭い、男に視線を向け直した、その時。
――心配するな。
「………!」
アリアドネがハッとする。
視線の先の男が、仮面の奥からこちらを見ているような気がした。
そして気のせいか、そんな声が聞こえた気がしたのである。
しかしそれも一瞬。
仮面の男の姿は襲いかかった巨漢の二人に遮られ、見えなくなる。
「………!」
予想された未来にアリアドネがいたたまれなくなり、固く目を閉じた。
その刹那。
彼女の銀髪が、ふわり、と耳の後ろに流れた。
それはまぎれもない、衝撃の余韻。
ややしてから、ガシャァ、と鎧が派手に鳴らす音が2つ、広場に響き渡った。
続けて観衆がおおぉ、と大きくどよめいた。
「……えっ……」
アリアドネが目を開ける。
直後、明らかになる現実。
「う……そ……」
呼吸を忘れて、見入る。
アリアドネの胸が、ふいに高鳴り始めた。
◇◇◇
ややしてから、ガシャァ、と鎧が派手に鳴らす音が2つ、広場に響き渡った。
続けて観衆がおおぉ、と大きくどよめいた。
「……は?」
「……へ?」
エドガーとリッキーは頭の後ろで腕を組んだまま、硬直した。
その顔がゆっくりと青ざめていく。
「…………む?」
一方、ラインハルトはふいに立ち止まり、険しい表情で振り返っていた。
ラインハルトは早々にその場から離れ、すでに人垣の向こうにいた。
しかし、振り返らざるを得なかった。
気のせいか、背後で異質な気配を感じ取ったのである。
そう、こんな街中で出くわすはずのない気配。
「まさか……?」
疑問を禁じえず、ラインハルトが足早に戻ってくる。
人混みを乱雑にかき分け、さっきまで立っていた場所に戻った。
そして。
「なっ……!?」
目を剥いた。
なんと、つまみだそうとしていた係のふたりが、泡を吹いて倒れていたのである。
ふたりはうつ伏せになったまま、ぴくりともしない。
「どういうことだ」
信じられなかった。
彼らは、ただの馬の骨ではない。
二人はリンダーホーフ王国『北天近衛騎士団』に所属する上級騎士であり、この国の西地区において、一次選抜、二次選抜参加者の相手役を担当してきた男たちでもあった。
しかも二人のうち、ひとりは【中尉】である。
このたった数秒で……。
「まさか貴様がこ……」
仮面の男を見てそう呟いたラインハルトの言葉が、ふいに途切れた。
「………」
そのまま、硬直していた。
目をやったとたん、凍てつくほどの戦慄に襲われたのである。
「うぬ……」
今、男を有り得ぬものが取り巻いていた。
なんと表現すべきか、わからなかった。
あえて言えば、それは『災厄』というべきか。
しかもそれは、ひとつではない。
男を取り囲むように、いくつもの破滅的な凶気が息巻いている。
ラインハルトは感じ取ることができた。
そのどれひとつであろうと、この場を焦土と化すに十分なほどだということに。
「……こ、この男……」
ラインハルトの背中を、冷たい汗が流れ落ちた。
「言ったはずだ」
仮面の男は静かに片合掌する。
「……なに」
「――俺は強い。勇者パーティに入れるくらいにはな」
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