第131話 最終選抜試験3
能力が解放され、アリアドネの銀色の瞳が淡く蒼を帯びて輝く。
しかしすぐに、アリアドネは小さく首を傾げた。
(【常識外】……? どういうこと……?)
たった数ヶ月と言えど、毎日朝から晩までたくさんの者たちと手合わせをしてきた。
聖女のスキル【
【
相手の強さは言葉ひとつで与えられ、上から【非凡】、【強者】、【格上】、【同等】、【並】、【格下】、【弱者】があり、まず人間相手だと、ここまでにおさまる。
【弱者】の下には【愚鈍】、【論外】というものがあったが、この二つは魔物から得られたものであり、王宮での鍛練では目にしたことがなかった。
そんなところに、新しい位の【常識外】である。
この新しい枠が、今さらどこかの中間に入ることはないだろう。
つまり、入るなら一番上か一番下のどちらか。
言葉の感覚からは、どちらにも入りそうな気がする。
(……常識……外……)
アリアドネはその言葉を頭の中で繰り返していた。
「外」が続くので【論外】の下に続く?
いや、十中八九そうだろう。
だとしたら、この男は王宮でも類を見ない相当な格下ということになる。
【常識外】。
(……でも、もしかしたら)
この言葉、万が一にでも突き抜けるほどに強い、という意味の可能性はないだろうか。
常識を遥かに超える強者とか……。
もし、もしそうだったら……。
「………」
アリアドネは唇を噛んだ。
そして俯き、考えを消し去るように首を横に振った。
自分はなんと愚かなのだろう。
この世にいるはずがないのだ。
【非凡】の『
自分はただ、自分のためにそうあってほしいと願い、夢見ているだけ。
「……どうする、賭ける?」
今度はエドガーが先手を打ってリッキーに訊ねる。
「……ちょっと様子を見ようぜ。御仁が手合わせするかどうかもまだ怪しいもんだ」
リッキーが腕を組みながら訝しげに男を眺めた。
◇◇◇
「あーあ。もう終わりか」
「なんか面白くねぇな……」
「いや、ラインハルトが強すぎるんだろ」
午前から始まっていた最終選抜を眺めていた観衆たちが、随所で不満を漏らしている。
最後に予定されていたトブラの試験がたった今、終わったところであった。
「物足りねぇ……」
「俺の家で呑み直すか」
彼らにとって今日の最終選抜試験は、美味しい酒が飲める待ちに待った余興でもあったのである。
が、観衆の反応は当然とも言えるくらいに、試験は全体的に盛り上がりに欠けた。
最後にトブラが健闘してはいたが、結局はラインハルトを負かすわけでもなく、番狂わせのない戦いばかりになっていた。
「……おい、待て。見ろよ!」
しかし誰かの発した言葉で、散り散りになりつつあった観衆の足がぴたりと止まる。
「もうひとり、やるみたいだぞ」
「おお」
仮面の男とラインハルトが向き合うと、観衆たちが人垣を作り直して、俄然盛り上がり始めた。
「貴様か」
ラインハルトは男を品定めするように見下ろした。
ラインハルトの背後からは、勇者エドガーやリタ、リッキー、そして聖女アリアドネまでもが男を興味津々といった表情で眺めている。
「試験を頼みたい」
仮面の男はそれだけの視線を浴びながらも、ただ飄々と立っていた。
「ラモチャーとやら。なぜ顔を隠す」
「我が神はこの仮面を外すなと」
ラモチャーは1.3メートル程の木刀を選んで受け取ると、ラインハルトにそう答えた。
「信仰のためか。ならば仕方あるまい」
特段気にすることなく、ラインハルトが木剣を構える。
もう齢60を過ぎるラインハルトである。
自分の考える道理が通じない人間がこの世界に数多といることくらいは、さすがに理解している。
「話は聞いた。腕に自信があるらしいが、いったいどれくらいの強さだ」
「勇者パーティに入れるくらいには強い」
事も無げに言ってのけたその言葉に、観衆がおおぉ、とどよめいた。
「………!」
アリアドネの顔も、明かりが灯ったようにぱっと表情が明るくなった。
その不安げだった視線は再び期待のこもった眼差しに変わる。
「……いや、最初から言い過ぎじゃね?」
「同感……」
一方、リッキーとエドガーが不審そうな顔つきになる。
リタもそこまであからさまではないものの、品定めするような視線を向けていた。
そんな逸材が無名のまま転がっているはずがないと、疑念を抱いていたのである。
「口先だけではなさそうだな……このラインハルトと対峙して、少しも怯まないとは」
ラインハルトは顎をさすり、嬉しさから笑みを浮かべる。
「ではラモチャー。貴様の推薦者を告げよ」
ラインハルトが笑んだまま訊ねる。
「……推薦者?」
仮面の男が、小さな間をおいて訊ね返した。
「貴様を推薦する者だ。魔王討伐に参加するにあたって、人格等を保証する相応の推薦がなければならん」
万が一、勇者パーティで背徳行為などがあれば、推薦者の首が飛ぶのである。
なお、この決まり事はのちの第七代勇者の時に廃止されることとなる。
「告げよ。貴様の推薦者の名を」
「それはいない」
「……いないだと?」
ラインハルトが眉をぴくりと揺らした。
「人は一人では生きられん。推薦者のひとりくらいは誰でもいるであろう。冒険者仲間でも良い。言ってみせい」
「済まないが用意していない。必要と知らなかった」
仮面の男は、清々しいまでにあっさりと言ってのける。
ラインハルトが閉口すると同時に、周囲がざわざわとざわめき始めた。
「……あーあ。推薦者に逃げられたんだ、あの人」
「金の積み方が甘かったんだろうな」
エドガーとリッキーが肩をすくめる。
トブラほどの実力があれば別だが、そうでない者の場合、推薦者はほぼ依頼先の上納金で決まると言ってよかった。
その金額が魔王討伐を経るごとに際限なく膨れ上がった、というのが後にこの制度がやむなく廃止されることとなった主な理由である。
「なるほど。それで遅れてやってきたってことかい……あーそろそろ行かなきゃだね」
言いながら、リタが背後に立つ女性に手をひらひらとさせて、承諾の意を示す。
彼女の後ろには秘書の魔術師の女性がふたり、契約書の束を持ち、怖い顔をして立っていた。
第一宮廷魔術師のリタのこと、昼間にこれほどの空き時間がそうそうあるはずもなかった。
「……静かにせい」
ラインハルトは騒がしくなった周囲を鎮めるように声を張り上げた。
その顔には当然のごとく不信感が浮かんでいる。
「もうよい。貴様の格は何だ」
「……格?」
「冒険者ランクだ。まさか商人というわけではなかろう」
ラインハルトは今住んでいる国の格を答えよ、と問うた。
「それは俺を正確に表していない」
男は静かに言った。
ラインハルトが訝しげな様子で目を細めた。
「……この問いにも答えないつもりか。そんな自由な奴は初めてだが」
「じかに腕で判断してもらいたい」
「……言わぬつもりだな」
ラインハルトが視線を外し、ちらりと受付の男を見る。
男は意を理解して立ち上がり、その場で大声で叫んだ。
「――はっ。記載によりますとその男、【二等兵】にございます!」
観衆がどよめいた。
「に、【二等兵】……だと?」
はい、その通りです、と言いながら、受付の男は大きく頷く。
ラインハルトが驚いて男を見るが、男は無言のまま、それを否定しなかった。
みるみるうちに、ラインハルトの表情が険しいものに変わる。
当然である。
今回の最終選抜試験参加者のランクはほとんどが下から9番目に位置する【少尉】より上。
【少尉】と言えば、少なくともトロルや
それでは【二等兵】とはなにか。
それは一体のゴブリンに対し、ひとりで戦えるか戦えないか程度の者を指す。
「……おいおい」
「なんで【二等兵】が選抜試験に入るんだよ」
「俺の方が強えぞ」
観衆が不満を吹き出すように、ざわめき始める。
「……あーあ、やっちまったみたいだね。あたしゃ知らないよ」
なにか痛々しくなった雰囲気に耐えかねたリタが背を向け、急ぎの仕事をひとつ片付けてくるよ、と早々に立ち去っていく。
「あはは、まさかの【二等兵】キタ―」
エドガーは嘲笑が止まらない。
「いや、大丈夫。少なくとも俺は期待していなかった」
リッキーも笑いながら肩をすくめる。
すでにそんな二人の声がかき消されるほどに、不満をあらわにした観衆がざわめき立っている。
「………」
アリアドネは胸に当てた右手で、麻綿のワンピースの胸元を固く握りしめていた。
ここにきて、 あの男をかたくなに信じようとしている者はもはや彼女たったひとりと言ってよかった。
そんなアリアドネの脳裏にすら、【二等兵】ならば【論外】の下の評価に入る可能性があるかもしれない、という考えが浮かんでいた。
つまり【常識外】とは……。
(いや、大丈夫、きっと仲間に……)
あの人は自分で言った。
勇者パーティに入れるほどに強いと。
ならば、その言葉を信じていればいい。
あの人は、私たちを助けてくれる。
きっと……きっと……。
「――よし、俺は不合格に金貨10枚」
「うわ、また先に言われた。ずるいよ!」
エドガーが舌を引っこ抜かれたような顔になって抗議する。
そんな勇者に軽くにやついたリッキーが、ふと、あることに気づいた。
「……おいアリアドネ、珍しく真剣に見てるじゃん」
アリアドネがはっとして、仮面の男から小さく視線を逸らす。
「お前、変な奴だな。あんな顔を隠した男なんかに興味があるのか」
リッキーが、ははぁーん、と見てとった顔をすると、ピンとなにか思いついたような笑みを浮かべた。
「ちょうどいい。なら賭けてみようぜ」
リッキーがアリアドネの前に右手を突き出す。
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