第128話 過去への訪問
空では、星が競い合うように瞬いている。
4月の初頭に、しばらくぶりの月のない日がやってきた。
そう、待ち望んでいた新月の夜。
まだ夜は肌寒いので、外套を羽織って宿から外に出た。
だが、一度も口を開いてくれたことはなかった。
なぜ、僕と会話してくれないのか。
その謎を、これから
「よし、そろそろやるか」
僕はひとけのない森の中で、大きくひらけた場所を選ぶ。
静まり返った周囲を見渡してから、
スキルツリーで【詠唱短縮】を伸ばしたので、今や2-3秒もあれば下僕たちを呼び出すことができる。
しかも驚くことに、下僕たちを石板から具現化できるようになった。
石板に顔を浮かべるだけだった下僕たちが、全身を晒せるようになったのだ。
【総合知性】や【悪魔言語】を伸ばした効果だ。
石板に顔を出した状態では、彼らの一部の能力しか解放できない。
全身を晒せるということは、際限なくその力を発揮できるということ。
まあ、それはそれで困りそうな未来も見えるんだけどさ。
また、【悪魔言語】を用いることで石板の下僕との契約も上位のものに置換することができた。
これにより、僕は下僕たちを呼び出さなくとも【明鏡止水】や【闇夜を這いずる魔】、【悪魔の数式】などの付与効果を自在に装備できるようになった。
ともかく、ありがたい。
「Ως απάντηση στην κλήτευση μου ο δολοφονώντας το άτομο」
詠唱に応じて、
体長は20メートル以上にもなる、巨大な紅蓮の龍だ。
「Γιατί δεν μιλάει η πριγκίπισσα」
僕は以前したように
「………」
そして告げられた真実。
それは、僕の想像を遥かに超えるものだった。
◇◇◇
その翌日。
今日が最後の春休みの日。
明日から始業して、2年生の授業が始まる。
が、僕は予定に反して学園には戻らず、リラシスの国立総合図書館に来ていた。
夕方の図書館は閑散としていて、僕のページを捲る音だけが響き続けている。
僕は昼過ぎからここで過去の勇者パーティの記録を隅々まで調べ上げていた。
「あった……」
僕は食い入るようにして、やっと見つけた第四代勇者パーティについての記載に目を走らせる。
槍の勇者エドガー、隻眼の
この時代はどうやら付添の名も記録に残されているようだった。
そして、この代の聖女は……。
「間違いない……失語症の……」
そこには
「事実なんだ……」
激しい戦いの末、聖女が死した、とある。
僕は椅子にもたれ掛かるようにして、天井を眺めた。
今はなぜ【過去への訪問】というスキルが与えられていたのか、よく理解できる。
きっと
『戦の神ヴィネガー』は『光の神ラーズ』ほどではないものの、異端者を嫌うという。
その忌むべき異教徒の僕であっても、スキルを提示してきたヴィネガーの苦悩がどれほどか、想像に難くない。
「やってやるさ」
図書館から出ると、意を決して僕は【過去への訪問】を使用した。
〈このスキルは一度しか使用できません。よろしいですか?〉
僕はOKを出す。
〈このスキルで過去に戻る者には、『時間圧』の理解が不可欠です。よろしいですか?〉
「知っている」
僕は腕を組む。
時空系古代語魔法の基礎にある常識である。
すでに出来上がった歴史には「そのままであろう」とする圧力が出現しており、『時間圧』と呼ばれる。
その圧力は時間軸を遡るほどに逆比例して強くなる。
具体例を上げて説明しよう。
蹴ったせいで石ころの位置が変わるとか、話しかけたせいで人の帰宅が若干遅くなるとか、そういった小さな変化には『時間圧』もそれほど働かない。
しかし大きな変化、例えば飼っていた牛が牛舎で魔物に殺されたとしよう。
その歴史を変えるため、時空魔法で遡って、安全だった別の牛舎に牛を移動させたとする。
そうすれば確かに牛は魔物に襲われずに助かるのだが、翌日には移した牛舎に雷が落ちたりして、牛は結局死んでしまう。
このように出来上がっている未来へと収束させようとする力が『時間圧』である。
人の生き死にに関わることも当然大きな変化にあたる。
僕が自己満足だけで第四代の聖女を現地で救えば、その後、『時間圧』によって聖女が死亡してしまう可能性も出てこよう。
つまり、あの聖女が
僕ができるのは、その後を変えること。
それでも難しい、間違いの許されない動きが要求されることになるだろう。
僕自身のこともなおざりにできない。
無駄に現地で不必要な行動をすると、誰かの人生に影響してしまうかもしれない。
それが小石程度ならいいが、大々的な影響を与えてしまったら、僕はもともと居なかった存在なので『時間圧』に殺されてしまう可能性が出てくる。
最初から目立った動きも避け、会話など、人との交流も必要なものだけに絞っていこう。
考えるだけでも、なかなか大変だな。
「いや、やってやるさ」
〈ではトリップしたい時期、場所、人物を思い浮かべてください〉
僕はアナウンスに従い、意向を言葉にした。
◇◆◇◆◇◆◇
雲ひとつない、晴天の日である。
「――ぐぶっ」
言葉にならない声を発して、木刀を持った男が大地を転がった。
「なんだ? 今回はろくな奴がいないぞ! 実につまらん。もっと骨のある奴はおらんのか!」
倒れた男を見下ろしながら、白髪の巨漢の男が吼えるように叫んだ。
ここはリンダーホーフ王国城郭都市マイセンにある『水鳥の広場』と呼ばれる場所である。
大理石の噴水が造られたここは街の中心部にあり、いつも多くの住民が行き交っている。
しかし今日の広場の人通りは滞っている。
彼らは噴水の傍に集まり、幾重にも重なる人垣を作っていた。
各地から集まった名だたる冒険者たちがその腕を披露しており、その様子を見ようと観衆が集っているのである。
その光景を眺める人垣の中には、当代勇者エドガーや当代の聖女、『戦の神ヴィネガー』の愛娘アリアドネの姿もあった。
同国宮廷魔術師リタや、すでにスキルの能力だけで事前合格を決めている魔法剣士リッキーもそばで観戦している。
そう、これは勇者パーティ採用試験・最終選抜である。
「悪魔はこんなものではないぞ! もっと鍛えて出直してこい!」
大観衆に囲まれた円の中で大声を上げ続ける白髪の男はラインハルトという。
職業【
が、なんといっても、彼の名声を支えるのは、過去2度の魔王討伐経験である。
そう、ラインハルトは魔王を二回討伐し、なんと二度とも生還しているのである。
「エドガー。次の奴、どうだと思う?」
魔法剣士リッキーが頭の後ろで腕を組みながら、半眼で選抜試験の参加者を眺めている。
季節は夏に差し掛かったところで、多くの人々は木綿や麻で作られた軽装を身に着けており、リッキーたちも今日は鎧を脱ぎ、身軽な布地の衣服を着ている。
「うーん、ちょっと難しいかな。あ、でもあれ、持ってるのって魔法剣だよね」
勇者エドガーが顎でひょい、と指し示す。
次の男が手にする剣は、確かに魔法を帯びたそれだった。
魔法剣は樫の杖同様、魔法の発動体となる能力を持ちながら、剣として用いることができる品である。
魔法銀と呼ばれる「ミスリル」が用いられた刀身には、名高い刀匠が打つ鋼鉄製の剣を超える切れ味があるとされる。
「『ルーンソード』だね」
夏用の簡素なローブを着ている魔術師リタが口を挟んだ。
古代王国期に量産されたとされる『ルーンソード』。
魔法の剣にしてはそれほど珍しくもなく、数多く発見されているため、一般にも市販されている品である。
魔法剣の格は【
ちなみに
なお、魔法剣の使い手、リッキーが持っている剣『イルブレイブ』は魔法剣の中では【
「じゃあ賭けろよ。俺は不合格に金貨二枚」
「えー? まあいいか。じゃあ合格に銀貨10枚」
エドガーが仕方なさそうに言うと、リッキーの口がへの字になる。
「すくねぇって。賭博は相手と相応の額を賭けなきゃダメなんだよ。仮にも勇者なんだから気前よくどんと賭けろ」
「いや、でもあの人、剣以外の見た目に不安要素満載だし」
「お前自身そもそも金になんか困ってねーじゃん。金貨一枚にしろって」
「……ちぇっ」
リッキーに押し切られ、エドガーは渋々懐から金貨を取り出した。
それをリッキーが奪い取るように掴む。
「……アリアドネは? 賭けねぇ?」
リッキーが三枚の金貨を鳴らしながら、無言で佇んでいる少女を見る。
少女が静かに首を横に振ったのを見て、ノリの悪い女だな、と舌を鳴らす。
「あぁそうだった」
そこでリッキーは思い出す。
この戦の神の聖女は、貧困層で生き抜いてきた下々の人間だったことに。
上流階級の楽しみである賭け事など無縁の存在なのだ。
(可哀想な奴)
聖女となった以上は、せめて少しでもこういった娯楽を教えてやらないとな、とリッキーは心の奥で呟く。
それが賭博をこよなく愛するリッキーなりの優しさだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます