第126話 未士官の男
「この目でしかと見ました。部下たちも全員見ております。その男、魔王を剣で上回り、さらに魔法でも魔王を完全に叩きのめしてみせましたぞ」
「………」
王女の私室に、しばし沈黙が流れた。
「まさか真なのか」
「姫。私はこの場に嘘を奏上するために来たと?」
「………」
王女が言葉を失った。
「ならば、それは神であろう」
『神の降臨』。
この世界の長い歴史の中で一度だけあったとされている。
それは遠い昔ではない。
『主神ラーズ』が目の前に舞い降り、自分が次の教皇にふさわしいと説いたというのである。
もちろん、その真偽を疑っている者は少なくない。
神が地上に降臨できるのなら、わざわざ勇者と聖女を定め、人間に魔王と戦わせる意味が不明になるからである。
「いえ、フードを深く被っておりましたが人間です。リラシス王国第二王女がその方と偶然お知り合いだったらしく、どうやら助けに来てくれた模様でした」
「……フィネスが?」
「はい」
本当にフィネス様の人望には感謝してもしきれませぬ、とヘルデンが付け加えた。
「しかし、神は勇者を超える力を人間には与えぬぞ」
「我々も未だにそう信じて疑っておりませぬが、実際に目に致した次第」
その無双の男がいなければ、今頃我らは皆、湿地の
「………」
あまりのことに王女の顔からは、血の気が引いていた。
「わらわにそんな非現実的な話を信じろと言うのか……」
目を閉じたままの王女が、天井を見上げるようにしてつぶやく。
「姫。実はその男、強いだけではありませぬ。もうひとつ驚くべき力が」
ヘルデンが今、申し上げていいですかな、と訊ねる。
「わらわはまだ驚かされるのか」
「そうなるかと」
「………」
王女がため息をつく。
「姫」
「わかったわかった。この際だ。申してみせよ」
王女は少々投げやりな様子で応じた。
「その男、
「………は?」
あまりに現実離れした報告に、フローレンス王女はもう思考がついていけなかった。
「いやはや、現代の癒し手には聖女を上回る者までもがいるのですな。正直に申し上げますと、神殿の者たちは権力争いに精を注ぐばかりで、ろくに
この世も捨てたものではないですな、とヘルデンが笑う。
しかしその笑いに、呆然王女は付き合うことができない。
「ぐ、
「そうです。間違いありませぬ」
ヘルデンが太鼓判を押す。
なお、
二人ともこの事実を知っての上である。
「
「違うでしょうな。黒の外套を羽織っておりましたので」
「くどいが、本当に神ではないのか」
王女は呻くように言った。
「人間ですな。名はサクヤと言うそうです」
「サクヤ……」
フローレンスは自分の記憶にその名前がないか、探る。
「……全く知らぬ」
とある理由で世界各地の高名な冒険者を調べたばかりだったフローレンスだったが、その名は初耳であった。
「ところで姫。そのサクヤに関して朗報が」
そんな王女に、ヘルデンがこの上ない笑みを浮かべながら言った。
「……朗報?」
「その男、リラシスに仕えているわけではないようでした。聞いたところ、他国にも未仕官とみて良さそうでしてな」
「………」
ややあってから、フローレンスがはっとする。
ヘルデンの言わんとすることが、すっと頭に入り込んできたのである。
そう、彼らは喉から手が出るほどに強き者を欲していた。
国が傾くほどの問題を解決するために、今年の冬に開催される
「その男がもし、この国から決闘大会に出てくれるのならば」
期待に満ちたヘルデンの言葉に、フローレンスは首を横に振った。
「聞いた印象、フィネスと恋仲なのでは」
「王女、そうと決まったわけではありませぬ」
ヘルデンはぴしゃりと言った。
ヘルデンも見て知っている。
ペガサスで舞い戻ってきたフィネスが頬を赤らめ、明らかにその男に惚れ込んだ様子だったことを。
だがそれは言わない。
王女のためにならないからである。
『顔見知りが焦がれている相手』と知れば、この奥手な姫はすぐに手を引っ込めて、他人の恋路を邪魔しないように気遣う。
このままでは、自身が目も当てられぬほどに残酷な運命を背負うことになろうというのに。
(この御方を助けてみせる)
この王女を支えるために、自分はこの世に生まれたのだ、とヘルデンは確信して疑わない。
「そ、それに無理であろう。どこの国でも欲しがるような逸材が、こんな潰れかけの国に……」
「来てくれます」
ヘルデンは自信を持って言った。
「代理とはいえ、これほどまでに美しい王ですぞ。世の男が放っておくはずがありませぬ」
「………!」
フローレンスがその頬を赤くした。
「この私めが確実に説得してみせましょうぞ。おそらくはどこかの神殿の高司祭。魔王との会話具合から
ヘルデンが自信ありげな笑みを浮かべた。
「し、しかし……」
「この際、その男を姫の夫とするのはいかがでしょう。魔王をひとりで倒すほどの、世に二人といない男。頼もしいですぞ?」
「………!」
フローレンスの顔はますます紅潮し、熟したリンゴのようになった。
「それに夫をもらってしまえば、あの豚男も手出しができますまい」
ヘルデンがその豚の顔を思い出し、軽く顔を歪めた。
「だ、だが……いくらわらわが望んでも、その方の気持ちが……それにわらわは目が」
王女はどんどん進んでいく話に戸惑いを隠せない。
「心配ありませんぞ。かの男、姫のために神が遣わした男に違いありませんからな!」
ガッハッハ、とヘルデンは大声で笑ってみせた。
◇◇◇
陽光できらめくブロンドの髪が、ひっきりなしに背になびいている。
フユナはひとり、馬で駆けていた。
リンダーホーフ王国の帰り道、国境を越えてさらに
剣の国リラシスの建国記念三百年に際して、すでに大まかな参加者の把握はできているが、人数に変わりがないか、および宿泊場所が希望に添えているかなどの三度目の確認に、フユナは走り回っている。
何日も帰られないままの、なかなか骨の折れる仕事であったが、フユナの顔には笑顔が絶えなかった。
心にぬくもりが宿っていたからである。
「ラモチャー様……素敵だった……」
フユナはそう呟くと、人知れず頬を染める。
フィネスたちの前では顔に出さずとも、一人になると、あの御方のことばかり考えていた。
初めて出会った時から果てなき強さの持ち主だとは感じていたが、まさかあの魔王をひとりで倒してしまうほどとは。
まさに史上最強。
強さを追い求める自分が、心を奪われないはずがなかった。
フードを深く被り、勇者を名乗っていたから、最初はアラービスなのだと思っていたが、そうではなかった。
『……アラービス様……じゃない……?』
聖なる翼の白馬オリビアのいた森で、あの時、フィネスは確かにそう言った。
あれを耳にした時、雷に打たれたような衝撃が全身に走った。
聞けば、フィネスは最後にその人物の顔の下半分を垣間見ることができたという。
全くの別人だったらしい。
本人いわく、アラ―ビスではない確証もあるという。
確かに戦場を離れ、落ち着いて考えてみれば、アラービスではないと考えられる根拠はいくつもあった。
背が少し低く見えていた。
鎧を着ていなかった。
話し方や素振りも違う。
二度と顔を見せられないような逃げ方をしたはずが、なぜか戻ってきた。
そして、専門家からは『なまくら』と揶揄される、あの
ただ、あの場所をあのタイミングで訪れることができる人物が他にいなかったから、勇者と名乗った以上はアラービスだ、というだけのことであった。
アラービスの剣の腕前に関しては、『第三相浄化』をあっさりと成し遂げたあたり相当だとは思うが、それ以上は正直わからない。
火竜に飛びかかり、脳天に剣を突き刺して見せたとか、巨人ですら一撃で両断するとか、真偽の疑わしいものが巷に溢れているからである。
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