第五部

第117話 アシュタルテ生誕1

 


 ――対第五代勇者より、魔王、『叶える大悪魔シトリー』に代わり、『煉獄の巫女アシュタルテ』を召喚せし。


 その最強の下僕こそ、ありとあらゆる攻撃を怨嗟の鏡とす。

 それより魔王、強敵となりて極めて倒し難し――。



『悪魔解明論Ⅰ』を紐解くと、このような記述を目にすることができる。


 しかし、それ以上の詳述はない。

 つまり、なぜ魔王が急に『煉獄の巫女アシュタルテ』を好んで召喚するようになったのかは、後世に伝えられていない。


 現場を目撃されたにもかかわらず、伝えられなかったのには理由がある。

 即座に発せられた箝口令により、当時目撃した全員が口を閉ざしたためである。


 闇に葬られた歴史の大舞台。

 その一部始終はこのようなものであった。




 ◇◇◇




 魔界、魔王城内五階。

 魔王の玉座前、通称『千の目の前室』。


「この先が魔王の間か。いよいよ運命の戦いって感じがしてきたぁー」


 少年が頬のこけた顔に疲れた笑いを浮かべながら、黒大理石で埋め尽くされた前室を眺めている。

 彼らは魔界の長い道のりと恐々とした戦いを経て、魔王が居るとされる『魔王の間』の目前まで辿り着いていた。


 ぼさぼさした茶髪を無造作に伸ばしたこの少年は名をエドガーといい、今年で十四歳になる。

 外見は年相応で、色白でひょろりとした頼りなさげな風貌をしているが、『第四代の槍の勇者』として魔王と戦い、後世に名を残すことになる。


「ね。運命の戦いにふさわしい場所だよね?」


 エドガーは少し離れた位置に立つ、さらりとした銀髪の少女に目を向け、ひとり感慨深そうにしながら繰り返した。


 が、少女は無言で返したため、エドガーの言葉は独り言にされる。


「……いや、もう慣れたからいいんだけどさ」


 エドガーがばつが悪そうに言いながら、清楚な印象を与える整った顔立ちの少女に向けて、これみよがしなため息をついてみせる。


「……あっ……」


 はたと気づいた少女は声らしきものを発すると、腰までの銀髪を揺らし、そのまま俯いて口ごもった。


 聞いてすらいなかった様子であった。


 少女は白い微光を放つ美しい剣を右手に持ち、その身には黒銀で造られたチュニックをまとっている。


 その股下までのチュニックの裾からは、雪のように白い太ももが肩幅に開かれて覗かせている。


 彼女が当代の聖女アリアドネである。

 今年で16歳になる。


「もったいないくらいの立派な広間だねぇ。うちの王宮にも、こんくらいの一室がほしいくらいだよ。とりあえずこんなコメントでいいのかい」


 その少女をかばうように、焦げ茶色のローブを着た中年の女が言葉を挟んだ。

 リタという名の魔術師である。


 若かりし頃はさぞ美しかったであろうという彼女は、50歳を過ぎたばかりだが、肩に下ろす髪は見事なまでに白一色である。


 リタは現在、リンダーホーフ王国で第一宮廷魔術師を務めており、魔力の高さを買われて、今回魔王討伐パーティへと抜擢されていた。


「これでいいっていうかさ、この日この場所のために僕とアリアドネは神様たちに遣わされたんだからさ、感慨深くならない方が……」


「そういうのは他人に強制するもんじゃないだろ」


「……はいはい、そうですね」


 勇者エドガーはやれやれとばかりに肩をすくめた。


「……あーあ。なんで俺の時だけ舌足らずな聖女なんだろ……せっかく顔はいいのにこれじゃあ……」


「エドガー!」


 誰にも聞こえないほどの声でつぶやいた言葉を、今度は巨大な剣を持つ男に咎められ、エドガーは人知れず舌打ちする。


「14にもなって子供みたいなことを言うな」


 毎度の光景である叱責に、周りが忍び笑いを漏らした。

 勇者を叱責してみせたのは、巨大剣を扱う壮年の男で、名をラインハルトと言い、パーティの中心的な存在である。


 身長は180センチ長もあり、白髪の髪をライオンのたてがみのようにしており、顔は色白だが、彫りの深い精悍なそれをしている。


 だが、老いたといえど眼光の鋭さは全く損なわれていない。

 それは彼がとてつもない修羅場をいくつも乗り越えてきたことの証左。


 まぎれもない、この男はパーティに唯一存在する生還者サヴァイバーなのである。


「アリアドネは自分の仕事はきちんとなしている。責められるいわれはない。それにパーティではお前がよく喋る。無口なくらいのほうがバランスがよいとは思わんのか」


 本来、勇者パーティと呼ぶだけあって、パーティは勇者を柱にして動く。

 しかしながら、当代勇者のエドガーは十四歳、聖女アリアドネは十六歳と若かった。


 ラインハルトが歴戦の生還者サヴァイバーなだけに、このパーティが10代の若き勇者よりもこの壮年のラインハルトを柱にしているのは至極当然であった。


 もちろん勇者エドガーもよく心得たもので、反発することなく、心の底からそれを受け入れている。


「気にするんじゃないよ、アリアちゃん」


 リタが白髪を後ろに払いながら気遣った言葉を掛けると、アリアドネはただ無言で頷き、目を向ける場所に困ったのか、目の前の重そうな扉を見つめた。


 そう、聖女アリアドネは失語症だった。

 正確には運動性失語症といい、思ったことを即座に口に出すことができない。

 

 それでも言おうとすると、ひたすらに唇が震え、あーだのうーだのと音だけが発せられて会話になど到底ならない。

 彼女は今から数ヶ月ほど前、聖女となったのちにこの病に陥っていた。


 もちろんこの銀髪の聖女が失語症であることを、パーティの面々は承知している。


「バランスといえば、確かに世界は常にバランスで成り立っています。ならばこのパーティでも、世界の縮小図を見るようなものと考えればよろしいでしょう」


 光の神の神官の男コモドーが神に祈りを捧げるように目を閉じると、笑顔で少々的はずれな返答をする。


 コモドーは40代の男で、黒髪を耳の高さで切り揃えた、彫りの浅い顔をしている。

 頭頂にそこそこ大きい無毛地帯があり、河童と揶揄されることを本人は心外に思っている。


 そんなコモドーがいつも作り笑いを浮かべている理由は、簡単である。

 もっぱら神殿での派閥争いに忙しく、十分に実戦慣れしていないため、戦いに身を置く自分に自信が持てずにいるのである。


「待つのは苦手である」


 磨き抜かれた戦大斧グレートアックスを担ぐ、ラインハルトにも並ぶほどの巨漢の戦士トブラが、苛々を表すように足を揺すりながら言う。


 職業『狂戦士バーサーカー』の物理アタッカーであり、今回数ある魔界での戦いで一番の火力を発揮してきた男でもある。


 この男も十八歳と若いが、勇者エドガーとは性格の面で噛み合わなかったようである。


「確かにこの廊下、気味が悪いからさっさと抜けてぇなぁ。本物の目みたいだ」


 代わりに勇者エドガーと気があったのは、こちらの十八歳の男、素行の悪い魔法剣士リッキーである。


 フルフェイスの兜の奥から、そわそわした様子で呟いたリッキーは、さっきから壁に埋め込まれている目のような構造物が気になって仕方がない様子であった。


 魔法系サブタンクを務めるこの男は、物理魔法ともに25%を遮る蒼穹の『フリオニールの名鎧』を頭から足先まで覆うように身に着けており、手に持つ剣イルブレイブは『魔法剣』と呼ばれる部類の品で、樫の杖同様に魔法の発動を行うことができる。


 トブラと違い、リッキーは無駄に口数が多く、さらに下品な話題が好きなのもあって、同じ性格を隠し持つ勇者エドガーとはすぐに打ち解け合っていた。


 そんな彼らは言うまでもなく、魔王討伐に向かう勇者パーティである。


 激しい戦いで三人を失いながらも、勇者エドガーに聖女アリアドネ、魔術師リタに狂戦士トブラ、光の神の新官コモドー、盾剣士のラインハルト、魔法剣士のリッキーの七名がここまで辿り着いたと言うわけである。


 なお史実では、彼らはこののち魔王との戦いに挑み、この中のひとりが亡き人となる。




 ◇◇◇




「みんな準備はよいか」


 扉を掴んだラインハルトが顔だけをこちらに向けて言うと、皆が強張った表情で頷いた。


 ギギギ……と重厚な音を立てて、重い扉が開けられていく。


「よし、早く帰って遊ぶぞ!」


 勇者らしくない、しかし14歳らしい発言とともに、エドガーが広間に飛び込むと、皆がそれに続いた。


 すぐに彼らの目に入ったのは、広間の奥にある、禍々しい異形の玉座であった。


「あれ……」


「いない……?」


 魔王はそこに座っているはずだった。


「むう……?」


 生還者サヴァイバーのラインハルトが、あたりを見回してしまうくらいである。

 魔王は今まで玉座にいなかったことなどなかった。


「もしかして、もう誰かに倒された……?」


 誰が発したのか、しかしこんな言葉が出てしまう時点で、彼らはまだ魔王のエリアに足を踏み込んだという自覚が足りなかったのかもしれない。


 皆が広間を見回し始めた、刹那。


 ガァン、という轟音を立てて、扉が前触れもなく閉まった。

 ぎょっとした一行が振り返る間もなく。


「――今回は弱そうだな」


 頭上から声が降ってきて、皆がはっとして見上げた。


 天井の角の暗がりに紛れて、紅蓮の剣を持つ黒い巨体の魔物と、赤で彩られた衣服を身に着けた白い少女が宙に佇んでいたのである。


 言うまでもなく、その黒い巨体こそ魔王であり、その隣に居並んでいるのは、魔王に召喚されたソロモン72柱のひとり、『叶える大悪魔シトリー』であった。


 過去三回の戦いにおいては、魔王は神々が遣わす勇者たちにいいように倒され続けてきた。

 それゆえ、魔王は玉座でふんぞり返るのをやめ、悪魔の王らしさをかなぐり捨て、打って出てきたのである。


「――【罪人滅殺ギルティストライク】」


 第四の戦いの先手は魔王。

 放たれたのは、恐るべき強手。


 狙われたのは、一行の中のひとり。

「光の神官コモドー」である。


 そう、魔王にとっては最も厄介な『光の神ラーズ』の下僕。

 勇者アラービスの代にもなれば、魔王が光の神の信徒を積極的に排除しに来ることくらいは常識中の常識になっている。


 しかしこの時代はまだ魔王との戦いの研究が発展途上であり、戦略にもまだ甘い部分が残されていた。

 もちろんそれは、互いにとっても言えることではあるが。


「……いっ!?」


 降ってくる、剛剣の一撃。


 コモドーは硬直してしまい、ただそれを眺めることしかできない。


 後衛職であるコモドーは、ここまで常に仲間たちに守られてきたこともあり、まさか自分が最初に狙われることになろうとは思ってもみなかったのである。


 そして今回も、仲間が守りに入る。

 身代わりになるように、体を割り込ませる者。


 銀色の髪がひらり、と揺れる。


 聖女アリアドネである。


「――うぅっ!」


 アリアドネは剣をかざし、魔王の一撃をさばこうとしたが、受けきれずに衝撃で石床に背中から激しく叩きつけられる。

 黒大理石の床に亀裂が走り、跳ね返ったアリアドネが仰け反った。


 そこへ、さらに『叶える大悪魔シトリー』が、身の回りに踊らせていた幾本もの赤い生地を放ってきた。

 この悪魔君主イービルロードが飼う龍たちである。


「リッキー!」


「わかってる――【集約拡散】!」


 リタの声を跳ね返すように言うと、魔法剣士リッキーが自身のスキルを発動させる。


 固有スキル【集約拡散】は、相手の範囲魔法攻撃のすべてを個体攻撃とし、味方の個体魔法攻撃を範囲攻撃に変えてしまうという驚異的なものであった。


 この類まれなる能力こそが、リッキーが選抜試験をパスして勇者パーティに選ばれた理由でもある。


「よし、決まった!」


「ナイス!」


 リッキーのスキルが先に割り込み、『叶える大悪魔シトリー』の赤い生地は方向を変え、リッキーに決められた、ただ一人の少女へと矛先を向ける。


「きゃああ――!」


 響き渡る絶叫。

 赤の生地が次々とアリアドネに殺到し、黒銀のチュニックの上からその身を乱雑に貫いた。


 だが、そんな悲鳴にも誰もなにも動じない。

 むしろ、よし、という安堵の声さえ聞こえてくる。


 このパーティに、盾職は存在していない。

 そう、聖女アリアドネが盾なのである。


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