第118話 アシュタルテ生誕2


「きゃああ――!」


 響き渡る絶叫。

 赤の生地が次々とアリアドネに殺到し、黒銀のチュニックの上からその身を乱雑に貫いた。


 だが、そんな悲鳴にも誰もなにも動じない。

 むしろ、よし、という安堵の声さえ聞こえてくる。


 このパーティに、盾職は存在していない。

 そう、聖女アリアドネが盾なのである。


「うぅ……」


 2つの攻撃をひとりで身に受けたアリアドネは、膝を痙攣させながら崩れ落ちた。


「助かった……!」


 蒼白になったままコモドーが独り言のように言い、安堵のため息を漏らした。

 コモドーは身を挺したアリアドネには礼をせず、回復職ヒーラーなら反射的にすべき回復魔法ヒールすらも行わない。


 仲間たちも、むしろそれが当然といった顔でアリアドネを眺めている。


「外したか……忌々しきラーズの下僕から潰すつもりであったが」


 一方、紅蓮の魔剣を握った魔王が忌々しげに呟いた。

 そして餌食となった女を見て、まだ命を繋いでいることに気づき、顔色を変えた。


 ちなみに横に立つ叶える大悪魔シトリーはバッグに赤い生地を仕舞い、戦いなどまるで他人事と言わんばかりに、爪の垢を落とし始めている。




 ◇◇◇




「う……うぅ」


 額から温かいものが流れてくる。

 胸や腹が、焼かれたように熱かった。


 息を浅く吸い込むだけで、胸の中がきしむような痛みを発し、何度もむせこむ。


 貫かれた箇所箇所からは、血がとめどなく流れている。

 到底、人間では生存できないレベルの重傷。


「あ……う……」


 だが、アリアドネは途切れ途切れになりながら、自身に回復魔法ヒールを唱える。

 一度目の詠唱は失敗するも、二度目でおおまかな痛みだけを止め、再び立ち上がった。


「むぅ」


 魔王がアリアドネを見て目を細めた。


罪人滅殺ギルティストライク】 は生易しい攻撃ではない。

 単体攻撃ながらも、人体を内部から崩壊させ、人間程度ならたやすく死に至らしめるほどの威力がある。


 さらに叶える大悪魔シトリーの赤い龍の攻撃。

 本来は生命力の高い巨人族ですらも、この一撃で絶命させるという破壊力のはずである。


「ぬ」


 そこで魔王が聖女の放つ気配に気づき、顔をしかめた。


 アリアドネの手に握られた、微光を放つ曇りなき剣の存在にも気づく。

 その剣の名は「聖剣アントワネット」と言う。


「その剣……その異常な生命力……『ラーズ』ではないな。『ヴィネガー』の奴が寄越した聖女か。どうりで」


 そう、アリアドネは『戦の神ヴィネガー』が初めて世に遣わした、戦の神の聖女であった。

 聖女といっても、アリアドネが選ばれたのは、実はつい数ヵ月前の話である。


『光の神ラーズ』はたいてい五歳、少なくとも七歳までの者を聖女として選ぶとされ、聖女ミエルまでの数百年間の歴代の選別でも、それを違えたことはない。


 それはひとえに、年を重ねれば重ねるほどに少女たちは少なからず俗世の中で穢れを負ってしまうからとされ、ラーズは該当する少女を若いうちに聖女とし、俗世から引き離すことを強制するのである。


 だが聖女を遣わす役割を担ったらしい当時のヴィネガーは、そうしなかった。


 今か今かと、それ年頃の少女を抱える貴族の家々が神の指名を待っていたところで、ヴィネガーは16歳のアリアドネを選んだのである。


 しかも光の神ラーズが裕福な生まれの、健康な少女を選び続けるのに反して、戦の神ヴィネガーは弟と二人暮らしの、重病を抱えた貧しいアリアドネを選んだ。


 この事実が知れ渡ると、当然、世界は仰天する。


 穢れのない少女なのは理解できても、なぜ16にもなった、しかも病んだ彼女が選ばれたのか、誰ひとりとして理解できなかったのである。


 さらに驚くことに、ヴィネガーはアリアドネにラーズとは全く系統の異なった、かつてない力を授けていた。


 ひとつはどんな存在であれ、魔物ならばすべてを紙のように切り裂くこの「聖剣アントワネット」。

 そしてもうひとつは――。


【生命力微分】。


 生命力を増やすスキルは大なり小なり、様々な職業のスキルツリーで見ることができる。

 しかしヴィネガーの与えたこの【生命力微分】は、非常に特殊かつ破格なものであった。


 この【生命力微分】は致命傷を負ってからしか発動しないものの、残った僅かな生命力を細かい単位に分けて膨大な隙間を作り、その隙間でダメージを無効化してしまうというものである。


 理論上、生命力0に至る可能性は残されるものの、隙間によるダメージ無効化は際限なく行われるため、アリアドネは実質この能力によってほぼ【不死化】を達成していると言えた。


 不死化と言えど、不死者アンデッドとは違い、苦手属性の魔法や攻撃は存在しない。


 不死者アンデッドと想定し、弱点属性の 【聖属性】と【光属性】攻撃を受ける鍛錬もしたが、聖女の特性でこの2つは完全無効化されるため、逆に全く意味がなかった。


 それほどに強固で、リッキーによる【集約拡散】もあることから、このパーティの盾役は聖女アリアドネがひとりで担っている。

 回復魔法ヒールが不要の、不死の盾。


 癒し手を消耗させないだけに、これほどに強力な戦力はかつてなかった。


 しかし言うまでもなく、この能力は彼女の苦痛を消し去るものではない。


 痛みはれっきとして、そこに存在している。

 彼女は毎回、耐えなくてはならないのである。


 それでもアリアドネは逃げることなく、聖女としての役割を果たそうと、精一杯前を向き続けていた。

 内面はすでに崩壊寸前であったが。


「くっ……」


 アリアドネは身をよじるほどの痛みに耐えんと、唇を噛みしめた。


 なぜアリアドネが戦の聖女に選ばれたのか。

 誰ひとりとしてわからなかったその根拠に、彼女自身だけはなんとなく気づいていた。


 ヴィネガーは、この【生命力微分】に耐えられる少女を探していたのだろう。


 そして、見てとった。

 自分ならどんなに苦しい役目を与えても、甘んじて受けるだろうことに。


「かはっ」


 アリアドネの整った唇が、深い赤に染まる。


 確かに、聖女に選ばれた当時はどんな苦しみだろうと跳ね返して生き抜こうとする自分がいた。


 だが今は違う。

 その信念となる根拠は、すでに失われた。


 もはや自分を縛っているのは、社会的な良心のみ。

 本当はもう、世界のことなど捨てて、この場から逃げ出したいと切に望んでいる。


 ヴィネガーは致命的なミスを犯したのだ。


 こんな逃げることしか考えていない自分を、誉れ高き戦乙女ヴァルキリーの名を冠する『戦の聖女』として選定したのだから。




 ◇◇◇




「……この聖女、なかなかのものだ」


 言いながら魔王が再び宙に舞い上がり、能力を解放し始める。

 間もなくして魔王の胸に、円を描くように配置された十二の紋が浮かび上がった。


 魔王が体内に飼う十二の鬼神の能力を覚醒させたのである。


「陣形を! 遅れるな」


 ラインハルトが叫ぶと、皆が予定していた通りの動きに入る。


 勇者エドガーとラインハルト、狂戦士トブラが宙に立つ魔王と叶える大悪魔シトリーに向き合い、弓をとって攻撃を仕掛ける。


 魔法剣士リッキーは炎の魔法をたたきつけんと詠唱を始めた。


「し、至高の神よ、我ら魔の王と対峙せし。魔を滅ぼす力を我らに……」


 一方、光の神官コモドーは聖杯を取り出し、それを触媒としながら詠唱を始める。

 聖女には及ばぬながら、光の神の信徒として悪魔を抑え込む魔法である。


 だがその声は震え、たどたどしい。


 コモドーはここぞという場面で、ひどく緊張してしまう性質の男なのであった。

 さきほど、魔王に狙われたという事実も、彼の恐怖心に拍車をかけていた。


「――させぬ」


 魔王が神聖魔法ホーリープレイの詠唱に気づき、即座に反応する。

 左手をかざし、宙に1メートル強もある石塊を召喚すると、一撃を与えんと放ったのである。


 その隣に並ぶ叶える大悪魔シトリーは、矢を面倒くさそうに払い除けながらも、自身の衣服についている塵を摘まんで落としている。


 ひゅん、と音を立てて、魔王の石塊が勇者パーティに飛来する。

 狙われたのは、再びコモドーであった。


「――ひっ!?」


 コモドーが硬直し、詠唱を中断してしまう。


「こちらこそさせんぞ!」


 今度はラインハルトが盾となって立ちはだかり、石塊に大剣を叩きつけるようにしてそれを阻んだ。

 バガァァン、という破裂音とともに、石塊はおかしいほどにたやすくばらばらになって、床に落ちる。


「……むっ」


 剣をふるい終えたラインハルトが、新たに漂い始めた気配に唸る。


 魔王がただの石の塊を放つ訳がなかった。

 石の破片はそれぞれがむくむくと成長し、翼を生やした奇怪な悪魔へと姿を変えていく。


 それは体長2メートルほどになり、各々が奇声を発し始めた。


 石像悪魔ガーゴイルである。

 その数、14体。

 

 石像悪魔ガーゴイルは討伐ランク【少尉】にあたり、古代語魔法により創造される魔法生物体であって厳密には悪魔ではない。

 使役者の命令に従順に従い、普段は石像に擬態することができるため、宝物の護衛として置かれることが多い。


 古代ダンジョンにはこのような魔法生物体が種々配置されているが、とりわけこの石像悪魔ガーゴイルが確認されている場所の探索はぐっと報酬が上乗せされるのが常である。

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